第13話

 「とーちゃく」



 食堂は購買からとても近い場所にあった。



 むしろ売店から目と鼻の先というレベルで近い位置に入口があったけれど、意識してなかったせいで全く気づかなかったという感じだった。



 「ここが食堂ですか……」



 『食堂』と書かれた古めかしい札の掛かった扉をくぐる。



 そこには長机と椅子が並べられた空間が広がっていた。



 長机と椅子を並べた空間というのは食堂という施設としては一般的なものらしい。



 しかし人類の歴史が進んだ今となっては形状変化素材を使用した製品が多く流通したために、過去の同じような施設のような設備の統一感は感じられなくなっていた。



 それは各々が使用する机や椅子、食器やスプーンに至るまでの形状や色、手触りまでをも自由に変更することが可能になったからに他ならない。



 それを実現させたのが形状変化素材だ。



 ある者は椅子をクッション性の高いものに変化させ、ある者は背もたれを外していた。



 また色や手触り、質感の変化に至っては一言では語れないほどに個人の趣味が色濃く反映されている。



 これは身体に障害を持つ人の生活を一般人と馴染ませることに大きく貢献したらしいが、個々の尊重の到達点に待っていたのは、統一感の存在しない混沌だったらしい。



 もちろん見た目よりも利便性が向上するほうが僕は好ましいと思うが、そうでないと見た目を重視する人もいることだろう。



 そんな見た目の統一性を失った食堂の中では食器の音や食材を加工する音、調理器具が発する音など、色んな音が混ざり合い絡み合っていた。



 ここにはそこそこの人数がいるはずなのだが、彼らの声は全て食堂の音に呑み込まれ、取り込まれ、一体となっていた。



 お昼時のように食堂がもっとも利用される時間帯には、この音が人々の喧騒と拮抗してせめぎ合っているわけだ。



 それはもはやカオスと言う他にないだろう。



 「この朝の時間帯って人がいないと思われがちだけど、わりといるんだよね〜。まぁ徹夜明けの先生とか朝食を食堂でとる人とか、朝練後に間食する部活生とかねー」



 「家で朝食を用意するのが面倒な人とか、むしろ用意できない人がいるのは理解できますけど、学園の先生が徹夜する職業なのは知らなかったです……」



 「この鬼庭学園ではカラーの研究職を兼任している先生もいるから、珍しくないかもね。他の学園だったら違いがあるかも――」



 先輩は食堂の席を見渡して会話を止め、にやりと笑って駆け出した。



 先輩の視線の先――その目的地と思われる場所では、2人の生徒が真剣な面持ちで熱く議論を交わしている……ように見えた。




 「ケチャップが王道と決まっている――」


 「いやホワイトソースよ、絶対――」




 「はい!!! そこまで!!!」



 突如現れた闖入者の大声にヒートアップする2人の議論は止まり、揃ってその視線は先輩に釘付けになる。



 「ふふふ。やぁやぁおふたりさん。相変わらず仲のよいことで。あっ、おばちゃ〜ん。あれが欲しいんだけど〜」



 先輩はひとしきり悪い笑顔を浮かべた後、食堂のおばちゃんに声をかけた。



 学園の食堂は自動化されているのでおばちゃんの存在意義は不明なのだが、どうやら古来より食堂はおばちゃんが取り仕切るものだと決まっているらしい。



 そして先輩がおばちゃんから何かを受け取ったかと思えば、それを後ろ手に隠してすぐに2人の元へと舞い戻り、わざとらしくこほん、口に片手を当てて咳払いをした。



 先輩が何をする気なのかわからず、僕は入口でぽかんとしている。



 「凪沙はもちろんケチャップだよな?」


 「凪沙さんは当然ホワイトソースよね?」



 僕が入り口で立ち尽くす間にも、先輩は二人から何やら真剣な面持ちで詰め寄られていた。



 真剣な話題を振られるということは、あの二人は先輩の友人なのかもしれない。



 「まあまあ2人とも落ち着いて。今日はそれよりも紹介したい子がいまして。おーい、透くーん。こっちこっちー」



 僕は先輩に手招きされた理由がわからず、自分に向けて人差し指を向けた。



 すると先輩はうんうんと首肯するので、僕は呼ばれた理由もわからず首を傾げながら先輩の元へと移動する。



 「透くんに紹介するけど、このケチャップ派の人が楯無くんでホワイトソース派の人が白義さん。二人とも私と同じ在校生だよ。あ、この子が噂の初日に倒れた新入生の御園透くん」



 「えっ――ああ……はい。初日に倒れた新入生の御園です……」



 唐突に紹介を始める先輩に僕は戸惑いを隠せない。



 そればかりか昨日大階段で倒れたことが噂になっているという爆弾を投下されたことで、掠れた声の自己紹介になってしまった。



 先輩の唐突なノリには多少なりとも慣れてきたつもりだったが、僕はまだまだ先輩の勢いには着いて行けそうにないことを痛感した。



 一方で席に座っている先輩の同級生――在校生の二人、楯無さんは無骨そうで、白義さんは真面目そうな印象を受ける。しかし2人の纏う落ち着き払った雰囲気に、これが1つ年上の人なのかと、僕は自分と比較してしまい内心溜息をついていた。



 「ああ、君が噂の新入生か。御園くん。君を見ていると1年前の凪沙のことを思い出すよ」



 「ああ……似ていると思ったけど、そうね。あの頃の凪沙さんは――」



 二人は懐かしげな面持ちで僕と先輩の類似点を語った。



 「はいはいはーい。2人とも息ピッタリなとこ悪いんだけど――本題に戻りましょう!」



 自分の昔話は避けたい話題だったのか、先輩は強引に話題を切り替える。



 「そうだな。俺たちはいま大事な話の途中、今日こそはこの議題に決着をつけたいと思って話をして――いや、ここは第三者の意見を聞いてみるのはどうだ、白義」


 

 「ええ、そうですね。長らく平行線の私たちに第三者の意見というのは必要だわ」



 まずは現在の状況を整理したい――楯無さんと白義さん、向かい合う2人の前にはそれぞれオムライスが置かれている。



 それぞれのオムライスに異なる点があるとすれば、ケチャップがかけられた方には『風林火山』と書かれた旗が立ち、ホワイトソースがかけられた方には『義』と書かれた旗が立っていることだろう。



 これは2人の、オムライスにかけるソース談議に決着がつかないので、先輩に白羽の矢が立てられた――ということで、あっている、の……か?



 まるで関係ない外野の人間が他人の議論している内容を評価することは意味がない行為だと思う。



 しかし僕にはこの議題をそこまで考える内容なのだろうかと疑問に思った。




 「そんなわけで、不肖この私――凪沙が2人の問題を一気に解決してみせます!」




 え――という2人の戸惑いの声を気にも止めずに、先輩は後ろ手に隠し持っていた容器の中身を議論の中心へとぶちまけた。



 二人が求めていたのは意見であって、直接的な解決方法ではなかったのだろう。



 しかしその思いは先輩には届いていなかった。




 「「あああああああああああああああああああああ」」




 重なる紅白の2つの悲鳴――食堂に息の合った悲しみが木霊した。



 熱弁を続けていた2人は、目下の惨状に言葉を失い沈黙している。



 そこにはかつて、黄色の下地を彩るようにかけられた赤と白があった。



 しかしそれは無残にも空から降り注いだ黒に染め上げられ、かつての鮮やかな色は彼方へと――世界の奥底へと追いやられた。



 その後に生まれたのは――混沌。



 「これぞ最強の黒き万能トッピング――お好み焼きソース! 2人とも黒に染まっちゃって問題は解決だねっ! さっ行くよ透くん」



 黒が他の色を塗り潰して議論は決着した。



 勝ち誇った先輩はドヤ顔で去っていく。


 「あっ、あの――ごめんなさいっ!」



 僕は呆然とする2人に頭を下げてから、先輩の後を追って駆け出す。



 僕の後ろからは「凪沙は変わったな」「そうね」と、そんな会話が聞こえていた。





 草壁さんや売店の店員さん、楯無さんと白義さん、今日僕が出会った人たちは口々に先輩が変わったことを告げた。




 それに一年前の先輩は僕に似ていたとも言っていた。




 先輩は変わることができた。




 それなら僕はどうだ、変われるだろうか。




 ――わからない。




 変われるかどうかなんて、未来のことなんてわかりっこない。




 でもいつか先輩みたいになれたら、先輩に認められる男になれたら。




 僕は先輩の言葉を思い出す。




 『変わるために、その第一歩を踏み出すために意識すること』




 それは僕が妹から教えてもらった家族の魔法に似ている気がした。




 だから僕は、変わるために意識することを決めた。




 僕はそんな自分の理想を思い描きながら、先輩を追って食堂を後にした。

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