第35話 2章 生徒救出作戦
「ひヒヒいIhyアhaははHAHAハハ!!!」
響く声が僕の祈りを、当たり前を、当然を否定する。
響く声が全ての答えだった。
魔女の声に込められた意味。
それは何語なのか、そもそも人語ですらないのかもしれない。
それでも、言葉が理解できなくてもわかる、わかってしまう。
――絶望の笑い声。
それは相手をけらけらと見下して嘲笑っていた。
――決死の一撃の後に響く、絶望の声音だった。
「深kいAく無ryU」
怪物が次に発声した音――コエはあたかも人の言葉のように聞こえた。
その意味を理解することはできなかったが、怪物は僕たちの言葉を理解し始めているとでも言うのだろうか?
怪物には感情があって。
怪物には知性があって。
怪物には――があって。
そして、ああ――土煙が晴れていく。
「がはっ、ぐっ、こいつ……なんて硬さだ」
「うっ、私たちの全力の攻撃が通らない……なんで、こんなはずじゃ……」
土煙が晴れた戦場にはせせら笑う魔女と、苦痛に表情を歪ませる先輩と石土さんの姿があった。
2人とも魔女から一定の距離をとりつつ、武器を杖代わりにしてなんとか立っている。
僕は先輩が無事だという事実に安堵しつつも、あれほどの攻撃を受けた魔女が無事どころか無傷という状態に言葉を失う。
――それどころか魔女は、今から何かを始めようとしている。
そんな、先ほどとはどこか違う気配を漂わせていた。
二人の攻撃をものともしない魔女が、攻撃に転じる。
確かに攻撃されて、それに対して反撃に転じるのは当たり前のことだ。
でも、それは。
あまりに絶望的な状況でそれは。
致命的な終わりを予感させる。
「そんな……僕は、どうすれば……」
あれほどの攻撃を受けて無傷というならば、どのような方法を用いれば魔女を倒せるのだろうか、今の僕には見当もつかなかった。
そして――魔女はこちらの手番とばかりに行動を開始した。
魔女は自分の体を中心に地面から水を湧き出させて、辺り一帯の地面を水で満たしていく。
その行動の意味はわからない。
だが恐るべき力を持つ魔女の行動が生半可な攻撃に終わるとは思えなかった。
それは先輩や石土さんが行った攻撃をも上回る破壊に満ちたものではないか。
そんな安直で絶望的な未来の予想が僕の中に出力される。
「シ……Ne」
魔女の声が響くと、周辺を満たす水――その一部がうねった。
水は意思を持った生き物のように形を変えて、武器を持つ2人へと襲い掛かる。
それは圧倒的な力を持つ魔女の攻撃にしてはあまりにも小さかった。
二人の同時攻撃を無傷で終える魔女ならば巨大な津波を引き起こしても納得できてしまう。
しかし魔女が繰り出したのはひどく小規模な攻撃だった。
「こんなものっ――はぁっ!」
2人は自分の身を守るため、蛇のように細長くうねる水を叩き落とすが、それは足元の水から瞬時に再生してしまう。
「くっ、なんだこれは。地面の水からすぐに再生するぞ。これではきりがない」
再生を繰り返す敵の技に攻めあぐねる2人。
魔女が放った水はどれだけ攻撃を加えても再生して、執拗に二人を狙い続けた。
少しずつ、じりじりと押されていく。
二人は水を攻撃して攻撃して、ひたすらに攻撃する。
水はその攻撃に幾度となく崩れ落ちた。
だがすぐに再生して二人を狙う。
ループと呼べるような状況が続いた。
しかし当たり前の話として、人間は活動するのにエネルギーを消費する。
それはループを終わらせるように、じわじわと影響を及ぼしていた。
先輩と石土さんの動きは攻撃を続けながらも回避を両立させていた。
だが次第に攻撃の回数は減っていき、気づけば回避すら間に合わなくなって防御へと置き換わる。
それは二人の体力――余裕が奪われつつあることの証左に他ならなかった。
「あんなヤバい化け物を相手に、先輩たちは大丈夫なのかよ……」
漂い始める敗色の空気に、片桐くんは気力を失いかけていた。
そこに僕は合流して声をかけた。
「片桐くん、2人を信じよう。僕たちはやれることをやるんだ。戦えなくてもできることが、先輩と石土さんのためになることがあるはずだよ」
この状況はあまりに絶望的で、僕たちは戦闘の役に立たない。
僕が今ここにいる意味を考えて出した答え――それは。
「御園無事だったか! ――っても俺たちに何が――あっ」
片桐くんも辺りを見渡して気づいたようだった。
自分にやれること、すべきことを理解した彼の瞳に光が戻る。
僕たちは重力が何倍にも感じられる空間で――立ち上がった。
「みんなを――助けよう」
先輩と石土さんが戦っている場所から離れた僕達の周辺には、意識を失った生徒が倒れている。
彼らはカラータグの望遠機能で見つけた緑川の取り巻きたちと在校生のカラードたちだった。
確かにこの場所は多少の距離がある。
しかしカラード二人とCEMの頂点たる魔女の戦いに、この程度の距離が安全圏なわけがない。
それは戦闘を目の前で、肌で感じた僕には断言できる。
この場所では戦闘の余波はもちろんのこと、魔女を中心に広がり続ける水のせいで溺れる危険すらあった。
彼らを避難させることが間接的に先輩を助けることになるはずだと僕は考える。
それは先輩と石土さんが生徒の命を優先していること、周囲の守るべき対象を減らすことで戦闘に集中できると思ったのだった。
しかし、僕と片桐くんの2人では手が足りない――だから。
「緑川も手伝ってくれないかな」
僕は神妙な表情で戦場を見つめる緑川に声をかけた。
彼は何か気に食わないといった顔で僕を睨み、一瞬だけ瞳を閉じてから、再び僕を見据える。
「いいだろう。だがな……お前が仕切るのは認めない」
僕の提案に同意した緑川の本心はわからないが、開かれた彼の瞳は真っ直ぐに僕を見ていた。
だから僕は彼を信じることができる。
彼と協力することができる。
「ああ、わかったよ。それで構わない」
それから僕は緑川に向けて片手を差し出した。
僕が彼に対して思うところがあるのは確かだ。
でも個人的な感情を理由に新たな犠牲が出てしまっては委員長に会わせる顔がない。
委員長ならきっとこうすると思うし、その上で下した――僕の決断だった。
「おい……なんだ、この手は」
「僕らは今日色々あった。だから今は休戦しようって意味だよ。お互いに今やれることをやる……上も下もない、協力関係。あと僕の名前は御園。お前って呼ばれるほどきみと仲良くないからね」
僕が嫌味たっぷりの笑顔を向けると、緑川は渋々手を出してきた。
僕らはお互いに握手を交わす。
僕たちは協力できる、同じ人間なのだから。
「御園、お前いいキャラしてんじゃねーか。根暗のくせによ」
緑川が何か言っているようだが、戦場の音で聞こえやしない。
「これで俺らはチームだ、なっ!」
片桐くんが交わした握手の上に手を重ねて――僕たちは動き出す。
「僕らにできることを」
「俺らにできることを」
「ああ、やってやる……」
ここに、僕ら3人による生徒救出作戦が――始まった。
「大丈夫ですか……今助けます!」
溺れかけていた生徒を抱き起こして水の届かない高所まで移動させる。
今助けようとしている生徒たちは緑川の取り巻きで、委員長を無理やり連れていった連中だ。
――でも、だからなんだ?
そんなことは関係ない。
そんな理由で奪われていい命なんて存在しない。
僕を含めて彼らは選択を間違えたと思うけど、一度選択を間違えたから死ぬなんてのは理不尽だ。
人の人生は1度きり、こんな終わり方は誰も望んでいないと思うから。
間違ってもやり直せばいい。
積み重ねたものがなくても、また最初から積んでいけばいい。
僕の大好きな色彩英雄譚は――そんなお話だから。
「うっ、くっ………………重、い」
「御園ッ――手ェ貸すぜ!」
救助活動を開始した僕たちは人を助けるということの難しさに直面していた。
自力で立てる人には肩を貸す程度で済むが、完全に意識を失っている人を助けるのは容易ではないことを僕たちは知ることになった。
思えば意識を失った人間を担ぐという行為を経験したことはない。
意識を失った人間の体は僕らが考える以上に重く、衣服が水を吸うことで重量がさらに増している。
僕は片桐くんと協力し、2人がかりの体制で1人ずつ、ゆっくりだが確実に高い場所へと運んでいた。
正直、彼の協力がなければ引きずっていくのがやっとで、運ぶのに倍以上の時間を要していたことだろう。
「片桐くんありがとう。僕1人じゃ運ぶのが難しかったから助かったよ」
「なぁに気にすんなって。御園と会うのは今日が初めてだけどよ、実はおまえのこと尊敬してんだ。へへっ」
片桐くんは少し照れた顔でそんなことを言った。
「…………、え?」
予想外の言葉に、僕は返答に詰まってしまう。
僕が尊敬されている。
僕が尊敬されている?
僕がしっくりこない言葉を頭の中で反芻していると、近くでバシャンという水を踏み締める音がした。
「――っと。おまえらは絶対に死なせねぇ……」
一方で緑川は着実に、確実に、迅速に、生徒を1人ずつ高い場所へと運んでいた。
彼の力は相当に強く、僕たちが2人がかりで運んでいる作業を1人で淡々とこなしているのだった。
意識を失った生徒の体が重いことや、服が水を吸って重くなっていること。
また水が張られた地面の水位は増し、僕らの移動に影響するほどだというのに。
彼はそれを物ともせず進み、生徒を運んでいるのだ。
今の彼からは委員長や雪谷が死んだときのような、動揺や狂気に満ちた感情は感じられない。
彼があの状態から立ち直れたのかはわからない。
僕のように考えないようにして、逃避しているだけなのかもしれない。
それでも今の彼は、この極限の戦場にあって震えから持ち直したように見える。
それは覚悟のなせる技なのだろうか。
だとすれば彼は――強い。
「緑川くんは人が変わったみたいだね」
「ああ。あいつなりに心境の変化があったのかもしれない」
そして――救出活動を続ける僕らにも届く戦いの音、悪夢の音色。
「深カいアく無リュう」
幾度も繰り返される魔女のコエ。
僕たちにはその意味を理解することができない。
ただ、そのコエが死を紡ぐ音なのは純然たる事実だった。
僕はそれを、理解できないが死をもたらす音。
そう認識していた。
しかしそれはいつの間にか――人間の言語のように聞き取れる言葉として、僕の頭に侵入してくる。
僕の頭に侵入したコエは僕の認識を歪め、狂わせていく。
それは魔女が短時間で人語を学習しているのか、または僕らがこの青き世界に取り込まれつつある証左なのか、僕には判別できない。
だがそのコエが着実に先輩たちを追い詰めているのは明らかで、戦況が悪くなる一方なのは揺るがない事実だった。
そして――魔女が生み出した細長くうねる、水蛇と呼べる形状のソレが次に向かう――その先は。
「いけない――透くん! お願い!!!」
先輩が叫んだ。
僕の名前を叫んだ。
僕への願いが叫ばれた。
先輩の視線の先には魔女から放たれた水蛇の一線があり、その直線上には地面に倒れて動かない生徒がいた。
魔女が倒れている生徒を狙って攻撃を放ったのか、戦場で起きた偶然が牙を剥いたのかはわからないが、その生徒に1番近いのが僕であることには変わりない。
先輩が僕に願った事実も変わらない。
「ッ――!」
悩んでいる暇はない。
できるとかできないを考える時間はない。
その判断をする時間があれば足を動かすべきだ。
でなければあの生徒は死んでしまう。
最悪とか、運が悪ければとか、そのような次元の話ではないだろう。
魔女の一撃を受ければ、死ぬ。
それがこの戦場を肌で感じてきた僕の結論だった。
魔女の一撃を受けるのがカラードで、上手く防御できるなら話は変わるだろう。
だが今回魔女の一撃に狙われたのは普通科の生徒で、意識を失っていて防御も回避もできない状態だ。
その先にあるのは確実な死だろう。
僕は瞬時に思考を切り替え、運んでいた生徒を放って、そのまま駆け出した。
その際に片桐くんへ一瞬のアイコンタクトを送る――どうやらそれは無事に伝わったらしく、片桐くんは1人で生徒を引きずりながら高い場所へと生徒を運んでいく。
片桐くんありがとう。
僕だって、僕の方こそ君を尊敬しているよ。
「こっちは任せとけ。走れ、御園――!!!」
彼がかけてくれた言葉に背中を押され、僕は走る速度を上げようとする。
しかし地面が水に浸されているせいで思ったように走れない。
僕は逸る気持ちを抑えつつ、転倒に注意を払って足を動かした。
自分の歩幅、生徒までの距離、水蛇の速度――全てを計算して一直線に駆ける。
「大丈夫、大丈夫大丈夫――いける、いけるいけるいけるッ!」
水蛇の一線が生徒に迫る。
――だが、僕は焦らなかった。
これは無謀な行動ではないからだ。
できることを、確実にやる。
そのために考えを尽くす。
常に最適解を思考して、行動する。
これが――僕にできることだから!
「うおおおおおおおおおお! 届けええええええ!!!」
水蛇が迫る中、僕は倒れている生徒へと重なるように飛んだ。
その勢いを利用し、飛んだ勢いのまま生徒の体を包むようにして横に転がる。
意識を失った生徒を庇うように抱いて、魔女の水蛇からの回避を試みる。
僕が生徒を抱いた回避の瞬間――死は目の前に――あった。
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