第34話 2章 脅威ランク4
「う……これ、は」
「いきなり、なんだ、よ。これ……」
空気が――変わった。
世界はその青さを増して、濃密な死が辺りに漂い始める。
僕たち普通科新入生の3人は得体の知れない重圧に体勢を崩し、大地に体を預けていた。
「まだ何かあるってのかよ。クソ、うまく立てねぇ」
僕はなんとか膝をつくことで立ち上がれたが、緑川と片桐くんはうまく立てないようだった。
「凪沙、周辺のCEMは全て倒したはずだな?」
「はい、目視できる敵は全て溶滅を確認しています」
一方の先輩と石土さんは重圧に慣れているのか、世界の変容に対して平然と会話を続けていた。
それに比べて僕は、なんとか立てているだけで膝が笑ってしまっている状態だ。
これが普通科と特別科――一般人とカラードの違いなのだろうか。
「つまり新手ということだな。現状、俺たちカラードは二人だけ、俺と凪沙の力だけでは近くにいる3人を守るので精一杯だ。辺りで気を失っている人間の可能性を考えると、この場での長期戦は望ましくない」
石土さんの言葉に周りを見回してみるが、それらしき人は見当たらない。
僕はカラータグにインストールされている望遠機能を選択する。
カラータグの機能によって拡張された視界には、緑川と一緒にここまでやってきた生徒たちが気を失って倒れていた。
その近くの水溜まりには武器を携えた在校生たちも倒れている。
彼らは青き世界、濃密な死の空気にあてられてしまったのだろうか。
青く染まった世界。
肌で感じられるほどの――異常。
しかし先輩と石土さんは気絶していない。
僕のように膝を折ってもいない。
望遠機能で見た視界には緑川の取り巻きたちが倒れていて、彼らには倒れている以外の違和感はない。
しかしその近くの水溜まりに倒れているカラードたちに、僕は違和感を覚えていた。
違和感の正体を探るべく、僕は武器を持って倒れる彼らのことを注視する。
彼らの体には――外傷があった。
それは、つまり。
この、場所には。
「ここにはまだCEMがいる。お前たちも周囲を警戒して固まっていてくれ」
僕らは石土さんの言葉に無言で頷きを返した。
僕らにできるのは先輩と石土さんの邪魔にならないこと。
僕らは戦力になるどころか守るべき対象なのだ。
固まっていれば守りやすいことくらい僕にだってわかる。
「相手は高ランクCEMの可能性もあります……私が彼らを逃すべきでしょうか」
先輩のいう高ランクCEM、異質な存在がここに――いるかもしれない。
それは今までの怪物よりも強い、ということなのだろう。
僕らの日常を破壊した――僕らの前に現れた怪物たちよりも上位の存在、想像しただけで血の気が引いていくような感覚がする。
この重圧を発生させる圧倒的な存在はこの青き空間を支配して、ちりちりと僕の肌をひりつかせた。
生ぬるい汗が体を伝って地面に落ちる。
そして僕らが更なる悪夢を予感したとき――ソレは現れた。
遠くからぴちゃり、ぴちゃりと水音が響いた。
その度に僕の中で這い回る怖気が増していく。
ここら周辺に水はなかったはず――いや、待て。
先ほど望遠機能を使ったとき、在校生のカラードたちは水たまりに倒れていた。
考えてみれば雨も降っていないのに水溜りがあるのはおかしい。
もしも彼らカラードの気絶した原因がCEMに襲われたことだとして、その操る力は――
怪物が、水を操って、戦うのか……?
「この音は……下からっ――みんなあの大穴に気をつけて!」
先輩は音の発生源が地下だと気づき、怪物を倒した際にできた大穴へ目を向ける。
見れば大穴の底はひび割れていて、地下から水が溢れ出していた。
「そこかッ――ぬぅ!?」
石土さんが大穴に接近したそのとき、地面が揺れた。
それと同時、大穴の底に異変が起こっていた。
大穴の底から溢れ出した水は柱となり、まるで青暗く染まった空へと橋を架けるように空高く吹き出したのだ。
「――――」
水の柱、その中に黒が見えた。
黒は水の中で青と混ざり、ゆっくりとその輪郭を描いていく。
その輪郭は水中に絵の具を落とすようにして描かれ、頭、2本の腕、2本の足を描き終えると、泳ぐようにして水の中から這い出してくる。
そして――その悪夢(カタチ)を現実に顕現させた。
水の柱から現れたソレは人のカタチをしていて、人でないとはっきりわかる存在だった。
長い青髪の間で卑しく光る両の目、青黒い肌は禍々しくも美しく、すべからくこの世のものではないことを僕たちに周知させる。
僕は本能的な恐怖に体の震えが止まらない。
歯がカチカチと音を鳴らしていた。
「いくぞ凪沙!」
「なんで、こんな場所に――は、はいっ!」
先輩と石土さんが呼吸を合わせて武器を構える。
お互いに別々の方向へと移動しながら怪物の動きを窺っていた。
二人は一定の距離を保ちながら牽制の攻撃を放つも、それは怪物の足元から出現した水の柱に吸い込まれて消える。
怪物は依然として無表情なままで、特に動きをみせない。
怪物の行動を、その狙いを探る先輩と石土さん。
僕は体を震わせながら二人と怪物の動きを見守っていた。
その恐怖の中でも、頭だけは冷静に思考を続ける。
――僕にできることはなんだ、僕がこの場所にいる意味はなんだ?
――恐怖に打ち勝てなくとも、震えながらでも僕にできることはないのか?
どこからか聞こえた声に従うわけではないが、僕は僕の理想を諦めたくない。
僕に、僕らにやれることはある。
――だから僕は魔法を使う。
両手を握り拳にして、頭の中で次の動きをイメージする。
――それは家族の魔法。
家族が、妹がかけてくれる魔法で僕は再び動き出せる。
――足が半歩前に進んだ。
まず一歩、そしてまた一歩と、僕は速度を上げていく。
僕は怪物を注視しながら静かに移動して、片膝をついている2人に肩を貸す。
僕が力を貸す前に、片桐くんと緑川も立ち上がろうとしていた。
彼らも必死に生きようと、自分が何をすべきかを模索している。
だからまず、僕ら立ち上がり、動き出さなければならない。
「二人とも移動しよう。ここにいると先輩と石土さんの邪魔になる」
亡くなった人のためにも、まずは生き残らなければ。
「ああ。そうだな御園」
「しかたねぇ」
それから3人で支え合いながら学園の方向へ――望遠機能で見た他の生徒たちが倒れていた場所に向けて移動を開始した直後のことだった。
――ぎょろり、と怪物の瞳がこちらへ向けられた。
二人の攻撃に対した反応を見せない怪物が。
移動を開始しただけの僕らを見た。
なぜ?
敵意を向けたわけではない。
むしろ遠ざかろうとしているくらいだ。
逃げることが怪物の気に触れた?
わからない。
しかし考えられる可能性はその程度のものだ。
もしくは化物には僕たちに見えないものが見えていて、僕らの先――生徒たちが倒れている場所に何かがあるとか、そういうことだろうか。
カラーの授業を一度受けただけの僕に考えられる範囲では、これ以上の考察は浮かばない。
であれば今は先輩と石土さんの邪魔にならないように、この場から一刻も早く離れなければ。
怪物が僕のことを見ているなんて、あるはずがないのだから。
「その姿と禍々しさ、脅威度ランク4――魔女か! ならば一切の手加減は無用、全力で処理する!!!」
石土さんが大槌を構えて怪物――魔女と呼んだ存在に迫っていく。
それでも魔女はじっとこちらを見続けていた。
あいつがダヴィンチ先生の言っていた怪物の最高位にあたる存在、魔女……?
そんな怪物の中の怪物が目の前に迫る石土さんを無視して、こちらを見ている?
魔女は僕らに関心がある、そんなことがありえるのか?
僕にはその理由がまるでわからなかった。
それでも僕が理解する暇を世界は与えない。
現実は先へ、先へと進んでいく。
「魔女よ、よそ見とはいい度胸だ。慢心したければ慢心しているがいい。うおおおおおおおお! 受けてみろ! これが俺の、人間の一撃、オーダー・アース・ブレイクッッッッッッ!」
《ブラウン・カラー――ブレイク》
石土さんはその巨躯から想像もつかない速度で魔女へと肉薄し、言葉とともに大槌を振り下ろした。
石土さんの武器が機械音とともに土気色の燐光を放つ。
石土さんの力は極彩色の蟷螂の頭をひしゃげさせ、押し潰すほどだ。
その破壊力は十分のはずだった。
それに対してよそ見をしている余裕が、あの怪物にはあるというだろうか。
「――――kkkkkkkk」
その攻撃を見た魔女は口元を歪ませた。
言葉がなくても伝わってくる。
魔女のその表情。
それは笑みだった。
侮蔑と嘲笑を込めた笑みだ。
魔女はその程度なのかと笑っている。
――石土さんを、人間を。
なぜなら魔女は、打ち付けられた大槌を受け止めていたから。
いや、受け止めたという表現は間違いだ。
魔女は何もしていない。
蟷螂の頭をひしゃげさせて押し潰した石土さんの大槌。
それをまともに正面から受けたにもかかわらず、魔女の体には傷一つ見当たらなかった。
「そんな……あの攻撃が全く効いていない、なんて」
僕は2人と一緒に距離を取りつつ、背後の戦闘を確認していた。
魔女が見せる規格外の強さに、言葉にならない無力感が僕を襲う。
なんだあの化け物は。
石土さんの攻撃に傷一つ負わず、その場から一歩も動かない。
魔女の表情からは苦痛が感じ取れない。
その強さはあまりに規格外すぎて。
僕はランク1のカラースライムでさえまともに対処することができないのに。
羨ましいと嫉妬していた石土さんの強さでさえ及ばない怪物なんて。
そんな怪物を前にして、僕になにができるのか。
考えてしまう。
考えたくないのに、無力感がマイナスな思考へと僕を誘う。
思考は負のスパイラルを描き始める。
違う。
それは違う。
諦めるな。
考え続けろ。
確かに何もできない可能性はある。
それでも諦めてはいけない。
マイナスをプラスにするために考え続けろ。
僕は必死に状況を把握しようと周りを見続ける。
「出てきたなら倒すしかない――はああああああっ! 後ろが、ガラ空きッ!」
一歩踏み込んだ先輩の足元が光ったかと思えば、先輩は超人的な跳躍で魔女の背後に回り込んでいた。
雷光に包まれた槍を携えた先輩は槍を引いて溜めを作り、射抜くように狙いを定める。
「オーダー・ボルテックス・イン!」
《イエロー・カラー――ブレイク》
武器から発せられた機械音とともに、黄色の燐光を放つ先輩の槍が魔女へと打ち込まれた。
しかしガラ空きの背中を突いたはずの雷光の槍は、魔女の体を貫くことはできなかった。
無防備に見えた魔女の背中は、光沢を放つ鱗で守られていた。
それはあまりに硬く、槍による先輩の一撃を弾いてしまうほどだった。
「硬いのは百も承知! 一撃でダメなら通るまで打ち貫く!」
だが、攻撃を弾かれたことに先輩は動じていなかった。
そこに、かつて蟷螂に見せた隙はない。
一撃、二撃、三撃と、続け様に槍を打ち込んでいく。
猛打――そう形容するのが相応しい、目にも止まらぬ槍の早打ちが魔女を襲う。
「流石はランク4の魔女と言っておこう。だが、石土礫をこの程度だと思うなよ」
それから先輩の猛打に合わせるようにして、魔女の正面に立つ石土さんが動いた。
彼は腕の白き装備からビンを引き抜き、天に掲げて大槌の持ち手に取り付ける。
「カラーコアオーバードライブ」
《ブラウン・カラー――オーバードライブ》
直後、発せられた機械音とともに大槌は色に包まれ、その表面は螺旋を描いて破壊の音色を奏で始める。
その旋律を紡ぐのは、大槌が変化したドリルだった。
「大地を砕く螺旋がある。敵を貫く螺旋がある。前に進まんとする人の道、立ち塞がる壁を破るは我が螺旋――――――穿て。ブラウン・アース・ブレイクッ!!!」
螺旋が――回る。
魔女を――削る。
昏き青を、世界を――塗り替える。
発せられた言葉に応じてドリルに変化した大槌は、さらにその回転を、敵を削る力を上げていく。
並の腕力では維持できない螺旋による攻撃が、魔女へを削り続ける。
「はああああああ!」
「おおおおおおおおおおお!」
先輩と石土さん。
槍の猛打とドリルの螺旋。
2つの攻撃は破壊の力を加速させていく。
「――――」
それから魔女は首を傾げるようにして、先輩と石土さんを交互に、見た。
魔女は今まで二人の存在に気づかなかった、そういわんばかりに驚いたような表情を浮かべてから――口を歪ませて、笑った。
「凪沙! 魔女が何かやる気だ、合わせろ!」
「はい! ここで決着を付けます!」
魔女の反応を一種の危険信号と捉えたのか、2人はさらに畳み掛ける選択をした。
「はああああああああああああああ!!!」
「おおおおおおおおおおおおおおお!!!」
《イエロー・カラー――オーバードライブ》
《ブラウン・カラー――オーバードライブ》
先輩と石土さん、二人の武器が纏う色が広がる。
二人の体から溢れる色を武器が取り込み、その色を増大させていた。
青き世界を否定するかの如く、周囲の青へ2人の色が混ざり、広がるように変化していく。
黄色と土気色が青色を挟むようにして、三色のグラデーションが描かれる。
色が溢れ、混ざる。
強大な青を犯すように、黄色と土気色が侵食していく。
世界を書き換える色は二人に挟まれた魔女を中心として、一気に収束した。
「――――――――」
世界を上書きする色は、破壊となって世界に顕れる。
大地は砕かれ、突風が掻き乱す。
「何も見えない、聴こえない。先輩はどうなったんだ……」
僕らの視界は突風によって舞い上がった土煙でゼロに等しく、聴覚は破壊が生んだ轟音によって麻痺して周囲の音さえ判別できない。
「土煙がここまで……先輩たちはどうなった……」
「げほっ、げほっ、クソっなんも見えねぇし聞こえねぇぞ」
僕らの立っている場所は破壊の中心から多少の距離がある。
それでも僕の目と耳はまともに機能していない。視覚と聴覚が破壊の余波でほとんど奪われたに等しい状態だ。
それほどの圧倒的な破壊が起きた。
その破壊を肌で感じた僕は先輩の無事を祈る。
いまできるのはそれだけのはずだ。
魔女を倒せたかどうかなど、そんなことは考えるまでもないと思った。
これだけの破壊を前にして、勝利を疑う要素などあるはずも、ない。
「先輩……石土さんも、どうかご無事で……」
僕が目を閉じて祈りを捧げる中で、聴覚が次第に機能を取り戻していく。
戦場から聞こえてくるのは当然、勝利の――
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