第33話 2章 剛撃
「チカラヲアゲルヨ。ワタシヲツヨクイシキシテ。クロキチカラニソマッテヨ」
ナニカガキコエル、アタマニヒビク。サッキヨリマブシクテ。
コワイ、ボクヲミナイデ、クロイヒカリデボクヲテラサナイデ。
鈍い音がした。
鋭く風が吹いた。
痛みは………………ない。
世界はグラデーションのように、じんわりと色を取り戻していく。
開いた視界の先には――大男が大槌を携えて立っていた。
男の2m以上ある巨躯が鍛え上げられた筋肉で形作られていることは、先輩と同じ黒いラバースーツの上からでもよくわかった。
男は巨人を思わせる雄々しき姿で土気色の燐光を纏い、戦場に立つ。
「――ふむ。この区域に先生がいないのは想定外だったが、なんとか間に合ったようだな」
僕が破壊の音を知覚したとき、目の前ではすでに怪物が倒れ伏し、その体は圧倒的な力で押し潰されていた。
その力の強さは、怪物の頭がひしゃげて体に埋め込まれてしまっているのを見れば明らかだろう。
それほどの力が怪物に打ち付けられたのだ。
目の前の大男はそれだけの力を持っているのだ。
そして。
そしてそして。
なによりも。
大事な先輩は――――無事で。
僕のことを強く強く抱きしめていた。
「僕、生きて――ッ、先輩っ、痛い痛い、痛いですって」
僕は先輩の存在を痛いほどに感じる。
先輩が存在していることを感じる。
でも――この痛みが現実だということが、なにより嬉しい。
先輩は生きている。
先輩は生きているんだ。
「馬鹿っ、安易に死を選ばないのっ」
先輩は僕を見つめてから、存在を確かめるように再び抱きしめた。
先輩は泣いていた。
先輩の涙が僕に染み込んでくる。
「先輩、勝手なことをしてすいません」
「ううん。私は嬉しかったよ。戦場で死ぬことは仕方ないって、私が死ぬのは仕方ないって諦めていたから――こっちこそ不甲斐なくてごめんね。透くんは悪くない。全部、弱い私が悪いんだ」
「個体溶滅――確認」
怪物が跡形もなく消えたことを確認した大男はそんなことを呟いた。
その言葉にハッとした先輩が立ち上がろうとしたので、僕も先輩に合わせるようにして一瞬遅れて立ち上がった。
先輩が大男に駆け寄り、謝罪の言葉を口にする。
「石土さん助かりました。不甲斐ないところをお見せしてすいません」
彼の名前は石土というらしい。
彼が特別科であること、あの怪物を屠ってしまうのだから優秀なカラードであることは間違いないだろう。
石土さんは先輩と同じ在校生だろうか。
それにしては戦場に場慣れしすぎているような気もするし、彼に対する先輩の態度には敬意のようなものが感じられた。
僕はそれらの点から、恐らく彼が卒業生だと推測する。
「人々を守り、大和の礎となるのが俺たちカラードの仕事で存在意義だからな。同じ学園の生徒を守るのも同じことよ、がははははは」
豪快に笑う石土さんの姿を見て、僕は悔しいと感じた。
それは僕が先輩の役に立ちたいからで、非力な自分にできないことを簡単にやってのける石土さんが羨ましかった。
僕は力が欲しかった。
僕だって男なんだと主張して、先輩に認められたかった。
こんなに弱い僕の中にも、男の意地というものがあるのだ。
僕はそれに気づく。
「俺は卒業生の石土礫だ。特別科ってのは言わなくてもわかるか、まぁよろしくな。この俺がきたからには安心しろ。お前たちを学園まで無事に送り届けてやる」
僕は石土さんのことが羨ましい。
彼は僕がそんなことを考えているなど思いもしないだろう。
僕は石土さんのことが羨ましい。
そんな彼が優しく声をかけてくれる。
それが逆に、僕の心にヒビを入れる。
石土さんの表情と声音には、命をかけた戦いを想起させる雰囲気は欠片もない。
緊張感はあっても、自分の命が失われるというような恐れが彼からは感じられなかった。
これは戦場で戦った経験のない僕の想像だが、彼にとって怪物を倒すことは死に怯える非日常ではなく、潜り抜けてきた日常の一部なのかもしれない。
僕はそう思った。
そう思った僕に至っては、気を抜けば足元から崩れ落ちてしまいそうだというのに。
そんな僕と石土さんの差は圧倒的で、歴然だった。
「あ、えっと、普通科新入生の御園透です。こちらこそよろしくお願いします。先ほどは、あっ、ありがとうございました……」
「おう、そんなに畏まらなくていい。男なら胸を張れ」
握手を求められたのでおずおずと手を出すと、その大きな手でがっしりと握られ、自分の手がどれだけ小さいのかを理解させられる。
痛い……。
握手一つで身体の構造の違いをわからされてしまうのが、内心で嫌になった。
先ほどまでは痛いことが嬉しかったのに、今では嫉妬に変わっている。
そしてそれ以上に、彼に嫉妬している自分の心が卑しくて嫌いだった。
「同じく普通科新入生の片桐赤也です、よろしくお願いします!」
率先して握手を求める片桐くんの表情には、彼に対する憧憬があった。
確かに絶体絶命の窮地にヒーローが現れるような展開になったのだから、そこは理解できる。
「はっ、美味しいところだけを持っていっていい気になってやがる」
一方で納得できない様子の緑川は、そっぽを向いて廃墟の壁にもたれかかっていた。
こちらから視線を逸らして何やらぶつぶつと呟いている。
彼も僕と同じく、石土さんに対して嫉妬や劣等感のようなものを抱いたのだろう。
そこには少しだけ緑川に共感している自分がいた。
「おいそこの! おまえだおまえ!」
きっと石土さんは根がいい人なのだと思う。
強さを抜きにすればいい人で、嫉妬や劣等感といったものは僕が勝手に抱いたもので石土さんには何の非もありはしない。
緑川は明らかに話したくないという拒絶の雰囲気を漂わせている。
だが石土さんはそんなもの関係ないというように近づいて、臆面なく緑川に話しかけていく。
「はい? 俺は話したくないんすけど」
「いいから、名前は?」
「っ――緑川っスけど」
「緑川か! そうかそうか、よろしくな!」
石土さんは僕らにしたのと同様に緑川へと握手を求める。
しかし緑川の手はズボンのポケットに収められたままだった。
石土さんが手を出してから数秒、握手を求められて返さない緑川に全員の視線が集まる。
「はいはい、わかりましたよ……」
自分に集まる視線と迫る巨体に根負けしたのか、緑川はしぶしぶといった様子で握手を返した。
「よし、御園に片桐に緑川だな、覚えておこう! がっはははは」
「ちっ、ほんとなんなんだよ……」
緑川は調子が狂うとばかりにそっぽを向いて頭を掻く。
流石の彼も石土さんの豪気さにペースを乱されているようだった。
「石土さんはすっごく強い人なんだよ。これできっと学園まで戻れる。だって並のCEMでは彼に歯が立たないもの。彼は卒業生のカラードの中でも上位の強さで、コロニー外遠征のメンバーに選ばれるほどなの。今回学園に残っていたのは――」
先輩が石土さんを持ち上げるように賛辞を口にした。
訊いてもいない彼のプロフィールが並べられていく。
先輩は自分が石土さんを褒めることで、僕が複雑な気持ちになっていることなどわからない、知る由もない。
僕だって。
僕だって、先輩に認められたい。
そう、思っているのに。
「凪沙、ちょっといいか」
僕が先輩と会話していると、石土さんが先輩に声をかけてきた。
先輩は途中で言葉を止め、僕にごめんねと断ってから石土さんの方へと駆けていく。
僕は二人の会話の内容が気になり、悪いとは思いつつも聞き耳を立てる。
「凪沙、なぜお前が――している。ここは――――が向かって――」
「――いないようで――もしかしたらと――」
それから先輩と石土さんが何かを話し込んでいた。
2人の会話の全てを聞き取ることはできなかったが、どうやら先輩がなぜこの場所にいるのかということを石土さんが問い詰めているように聞こえる。
会話に参加することもできず、待ちぼうけの僕ら。
「俺たち以外の連中はみんな逃げれたのか? 姿が見えない」
その中で片桐くんがポツリと現状を確認する言葉を発した。
「そういえば……」
極彩色の蟷螂が現れる以前まで一緒にいたはずの緑川の取り巻きたちがいない。
最初のカラースライムに襲われた時点で半数が我先にと逃げ出して、残っていたのは黄金さんを含めた二、三人だった気がする。
今この場にいるのは石土さんと先輩、僕と片桐くんと緑川の五人だけだ。
「緑川、その……君の仲間たちは」
僕は彼らの関係性を知らないので、恐る恐る仲間という表現を使って尋ねた。
「俺が知るかよ。ここにいないってことは逃げることができたってことだろ。いいことじゃねぇか」
「緑川……」
彼の態度はどこか冷たかった。
緑川の中で彼らがどのような扱いなのかは知らないが、僕には雪谷との関係がただの上下関係だけではないように見えた。
それは雪谷が特別だったからということなのだろうか。
わからない。
それを確かめる材料は僕の中にはない。
僕は言葉に詰まり、沈黙する。
「お前は周りの心配なんてするより――」
そんな僕らに、退屈を嫌う黒き世界は次なる悪夢を夢想するのだ。
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