第36話 2章 忘れていた恐怖

 「ふぅ……はぁ……はぁ……」



 僕は自分が味わった間一髪の出来事に震えていた。



 水蛇が通過した地面は粉砕され、隆起するように爪痕が残されている。



 あれが直撃していれば無事ではすまない。



 興奮で鼻息が荒くなる。



 「生きてる……やった、やったんだ……」



 手に抱いた生徒から柔らかく温かい感触が伝わってくる。



 彼女は気を失っているものの、その息遣いは本物で、それは彼女が生きていることを示していた。



 ふと、僕は助けた生徒の顔に見覚えがあることに気づく。



 彼女は緑川の取り巻きの一人で金髪ポニーテールの生徒――黄金さんだった。



 教室で先生に反抗していた彼女、緑川のグループの中でも一際目立つ存在の彼女のことは、僕の印象に強く残っていた。



 彼女は先生の指示を無視して禁止区域まで足を運ぶという間違った選択をした。



 だからといって彼女が死んでいいことにはならない。



 彼女は――黄金さんは生きている。



 僕は彼女が生きていることが嬉しくて、思わずその体を抱きしめていた。



 それから女の子特有の甘い香りに気づいた僕はハッとして顔を離し、彼女を運ばなければと我に返る。



 豊満に見える彼女の体は思っていたよりも華奢で軽くて、僕1人でも高い場所まで運ぶことができたことは幸いだったと言えるだろう。



 僕は助けた黄金さんを抱え、僕らの避難先である高台へと戻った。



 黄金さんを抱えて戻った僕を片桐くんが笑顔で迎えてくれる。



 「やったな御園! やっぱお前はすげぇよ!」



 片桐くんが声と共に拳を掲げた。



 僕も嬉しさと達成感が込み上げ、ガッツポーズをとって2人で拳をかち合わせる。



 普段の僕なら絶対とらない行動に、僕自身が1番驚いていた。



 「女一人助けるくらいはやってもらわねぇとな。だが……その……」



 僕は緑川が最後の言葉に詰まったことに首を傾げた。



 「だぁっ、くそっ。黄金音を助けてくれたことには感謝してやるって言ってんだよ」



 「最初からそう言えばいいじゃねーかよ緑川」



 半ばヤケクソ気味に話す緑川を片桐くんが笑う。



 それは僕たちの中に流れた一時の安息に見えた。



 その安息は戦場を伝って先輩たちへと伝播して、彼らを目の前の敵へと集中させる。



 「ふっ……彼らもやるじゃないか。俺たちも負けていられんな」



 戦場に目を向ければ、僕達の行動に鼓舞されたとばかりにドリルを大きく振り上げ、魔女へと迫る石土さんの姿があった。



 その表情は石土さんが負ける未来を微塵も感じさせない。



 「ですね! 仕掛けます!」



 先輩は僕らのいる高台に向かって進んでいた水蛇の一線を打ち払い、石土さんに合わせるようにして魔女に肉薄する。



 再び魔女を前後に挟む形で攻撃を再開させた2人のコンビネーションが、その機能を発揮し始めて、再び戦いの流れを変えようとしていた。



 先輩と石土さんが戦いの流れを変えることができれば、怪物の頂点たる魔女に対して勝機を作り出すことができるかもしれない。



 「おおおおおおおおおおおお!!!」

 「はあああああああああああ!!!」



 いや、二人の瞳を見ればわかる。



 彼らの戦いぶりはなんらかの勝機を見据えての行動だ。



 それがどんなものかはわからないが、その瞳には決意が――色が宿っていた。



 「しンカいあク無soウ」



 対して、僕たちの希望を摘みとらんと魔女のコエが世界に響く。



 コエに呼応して周囲の水がうねり、水蛇が顔を覗かせる。



 その数は2体――4体――8体まで増えていた。



 今までは1体ずつ生成して増えていった水蛇が一気に8体現れた。



 これを常に出現させ続けることが可能だとすれば、その数は8体――16体――24体というように増えていく。



 ここまでくると単純な数の暴力に対応できなくなって終わりだ。



 いくら先輩と石土さんがカラードという強き存在だとしても、人間には人間の限界というものがある。



 一人の人間にはやれることの限界というものがあるのだ。



 どんなにカラードが人間の中で特別な存在だとしても、それはどこまでも人間の中で強い存在にしかならない。



 相手は怪物だ。


 相手はCEMだ。



 これは人間と怪物の、生物としての差を露呈させる戦いだった。



 「今までの攻撃は遊びだったってことかよ……完全に人間を舐めてやがる」



 こちらを弄ぶような魔女の一手に緑川が毒づく。



 でも、だとしても、僕たちは2人を信じてやれることをやるだけだ。



 すでに九割の生徒を高台に移動させることができた。



 あとは残りの生徒を避難させれば僕らにできることは終わる。



 その後にできるのは先輩と石土さんの武運を祈ることだけ。



 それでも僕は、僕たちは先輩たちの戦う姿を横目に、今やれる救助活動を続ける。



 目の前に絶望的な光景が広がっていたとしても、僅かな希望のために自分がやれることをやる。



 「「おおおおおおおおお」」



 怪物の頂点たる魔女を前に、人間2人の咆哮が重なる。



 《イエロー・カラー――ブレイク》

 《ブラウン・カラー――ブレイク》



 青き世界を打ち払おうと振るわれる武器、先輩と石土さんの渾身の一撃は水蛇8体をそれぞれ水泡に帰す。



 「――ケケ、ケケクキ」



 それを見た魔女がゾッとするような笑いを零した。



 同時に地面の水から倒したはずの水蛇8体が再生する。



 さらに魔女がコエを発することで、さらに8体の水蛇が追加で出現する。



 「く――なんて再生力、魔女のカラーは底無しだっていうの……」



 魔女は渾身の一撃を放った直後の二人を、その隙を執拗に狙っていた。



 二人は水蛇の1体を躱して倒して、次、次、次。



 倒して、躱して。



 倒して、躱して。


 倒して、躱して。

 

 倒して、躱して。



 単調な攻撃も回数を重ねて連続し、同時に連携して機能することで予測困難な攻撃へと変化する。



 怒涛の攻撃によって二人の余裕は奪われ、その力を削られていく。



 回避に専念して余裕を失うこと、それはすなわち攻撃のタイミング――反撃の機会を失うということでもあった。



 これまで見た怪物たち――カラースライム、青き蜂、極彩色の蟷螂、そして魔女。



 いま思えば怪物の脅威度ランクが上がるたびに、彼らの思考能力も同じく上昇しているように感じられた。



 その単純なスペックの上昇とは別の、攻撃の戦略性と――何より狡猾にその力を行使して、こちらを追い詰めてくるように感じる。



 そして脅威度ランクの頂点たる魔女は、人間を陥れるために作られたと言われても納得してしまうほどに、あまりにも狡猾で――残酷に先輩と石土さんを追い詰める。



 「戦場の最前線から噂にきく程度ではあったが、ランク4の魔女がここまでの強さを持っているとは……」



 先輩は魔女から距離をとって息を整えており、石土さんは魔女の攻撃に対応しつつ、険しい顔で何か思案している様子だった。



 防戦一方の二人。



 魔女の攻撃に対処するだけで、反撃ができない二人。



 そのような状況に、停滞した攻撃に興味を失ったのか、魔女は先輩と石土さんから視線を外した。



 そのまますっと横に流れた瞳が何かを、誰かを捉える。



 視線と視線がぶつかる。



 その先にいるのは――僕、だった。



 魔女は何もせず、じっとこちらを見つめている。




 え――?




 最初にこちらを見たのは偶然だと思っていた。



 魔女の視力がどれだけあるのかわからないが、望遠機能を使っている僕と目が合ったのは確実だった。



 魔女は人間に興味があるのだろうか。



 目の前で自分に敵意を向けて攻撃してくる先輩と石土さんの存在よりも、僕らのことを見るのは何故なんだ。



 「まさか……他の怪物みたいに、魔女も人間を食う――とか」



 自分で口にしておきながら、我ながら最悪の想像だと思う。



 僕らは魔女の高度で狡猾な戦術に惑わされてきたが、どれだけ力と知能を有していても怪物も生き物だ。



 怪物がカラーを消費して力を行使しているのであれば、当然カラーを補給する、回復させることが必要になってくる。



 つまりカラーを回復させるために、体の中で稼働する器官を動かすために、どこからで何らかの方法で補給が必要になるわけだ。



 それが無尽蔵のエネルギーであるならば、人間は戦争という形すら保てぬまま絶滅していたことだろう。



 相手が生物である以上、エネルギーの補給は必須だ。



 人間とは根本的な容量が違うとしても、必ず補給のタイミングはやってくる。



 それがいま、その時なのだとしたら。



 その方法がもっともシンプルでわかりやすい捕食というものだとしたら。



 魔女が僕らを食事の対象として見ている可能性は十分に考えられた。



 僕ら人間がどれだけ科学を発達させても肉を食べることに対して甘美な欲求を得ているように、その生物にも持って生まれた食事の傾向、好みがあるのかもしれない。



 「御園、こ、怖いこと言うなよな。あいつは俺たちを、ここに転がってる生徒たちを食うために舌舐めずりでもしてるってのかよ」



 「僕も考えたくはないけど……可能性はあると思うんだ」



 自らの体を抱いて片桐くんは身震いした。



 僕たち人間は長らく地球の王者として君臨してきた歴史がある。



 空も、海も、大地も。


 そこに住まう生命さえ、自分たちの思い通りにしてきた。



 そのため僕たちは忘れていたのかもしれない。



 古来より人間が狩りを主流に生きていた、肉食動物と戦っていたときに体験していたはずの――自分が食われるという感覚を。



 「魔女に襲われたら逃げれない。最悪俺が時間を稼いで……」



 「緑川……」



 緑川が犠牲という言葉を口にした。



 そうだ。

 


 もしも魔女が全力で僕らを攻撃してくれば犠牲が出ることは避けられない。



 そもそも犠牲どころか全滅すら起こり得る状況だ。



 どれだけ待っても助けはこない。



 誰も助けてはくれない。



 だから僕たちは先輩と石土さんが自衛に徹している現状で、僕らは僕らの自衛を考えなければならなかった。



 無力な僕ら三人と地面に倒れる意識を失った生徒たち。



 役立ちそうなのはカラードの生徒が持っていた武器くらいか。



 僕はその中でも使いやすそうなナイフを握ってみる。



 ずしりと重いサバイバルナイフのような武器には、先輩の武器と同じように持ち手の部分にカバーがついていて、何かを挿入するスロットがあった。



 だめだ、使いこなせる気がしない。



 持ち手の長さから片手で振るう想定の武器だと思われるが、あまりに重いそれは両手でなければ振るえそうにない。



 これではナイフという武器の取り回しのよさを殺してしまう。



 結局は僕らがカラードの武器を振るっても、戦力に数えるほど強くはなれない。



 「ははっ。こんなものを持ったって、武器を使いこなしている先輩と石土さんでさえ防戦一方なのに。なんの役にも立てない。こんな……どうしたら……」



 僕はあまりに無力な自分と、怪物に捕食されるという恐怖と戦いながら、縋るように先輩の方を見た。



 僕にとっての希望の光を見た。



 それが他力本願だとしても、僕を救ってくれた先輩に頼ってしまう、縋ってしまう、祈ってしまう――どうか、この状況を、あの魔女を倒してください、と。



 「俺に考えがある。この状況を打開するために、まずは一瞬の猶予を作る。俺に合わせろッ!!!」



 「はいッ!!!」



 僕の希望たる先輩は水蛇を打ち払いつつ、石土さんと何かを話していた。



 《イエロー・カラー――ブレイク》

 《ブラウン・カラー――ブレイク》



 それから二人は息を合わせて攻撃を集中させ、地面の水ごと水蛇を大技で打ち払う。



 「おおおおおおおおおおおお!!!」

 「はあああああああああああ!!!」



 魔女を倒すことができなかった一撃も水蛇相手には有効で、さらに地面の水を蒸発させたせいか水蛇は再生することはない。



 水が蒸発することで地面が顔を出すが、その場所もすぐに水に覆われた。



 しかしどういう原理かわからないが、そこから水蛇が再生することはなかった。



 つまり、魔女が再び二人を攻撃するには追加の水蛇を生成する必要がある。



 この時――魔女と戦う二人には一時の猶予が生まれていた。作り出した時間をどう使うかで、この先の戦いを大きく左右する。



 僕にはそんな予感がした。



 「この状況――やむを得ない。凪沙! お前のソウルコアを渡せ!!!」



 それと同時に考えることもあった。



 僕たち人間が真っ当な方法で魔女に勝つことができるのだろうか、と。


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