第37話 2章 カラードの禁忌
「――!? 石土さん、それはカラードの禁忌です。最悪学園を追われて捕まる可能性があります」
先輩は石土さんの言葉にひどく困惑している様子だった。
それでもなお、説得するように石土さんは言葉を重ねていく。
しかしそれは明らかに強すぎる言葉で、説得というよりも脅迫のほうが表現として正しいのかもしれない。
「魔女が視線を外している今がチャンスだ。現状を打開するにはこれしか方法がない。確かにソウルコアの使用はカラードの禁忌として定められている。だがこの状況に際しては止むを得ないことくらい、お前にもわかるはずだ」
「ですが――」
「俺たちがしくじればこの魔女は学園を目指すかもしれない。学園区画だけではなく他の区画に侵入するかもしれない。この未曾有の事態が俺たちの命だけではすまされないことはお前も理解しているだろう。まず犠牲になるのはあの場所にいる生徒たちだろうな! お前はそれでもいいのかっ!!!」
石土さんが厳しい表情で怒鳴った。先輩は異論を挟む余地すら与えられない。
その言葉には圧迫感があって、それは高台にいる僕まで伝わっていた。
――石土さんは一体、何をしようとしている?
僕は彼の変容ぶりに困惑していた。
僕達の前に現れた石土さんは僕が嫉妬するのも気にせずその強さを見せつけた。
彼の強さはこの非日常に侵されることなく怪物を倒して、僕らを救った。
彼は魔女を前にしても怯えることなく立ち向かい、それを僕は羨ましく思っていた。
だから彼があんな顔を――あんなにも焦りに満ちた顔をしていることに、僕は困惑と動揺を隠せなかった。
それはまるで――何かに取り憑かれているような。
「でも、ソウルコアは。これは、使うと……うぅ……」
「時間がないぞ。お前はあいつらが死んでもいいと言うんだなっ!」
再び石土さんの怒声が響いた。
先輩は肩をびくりと震わせる。
その言葉に顔を引き攣らせた先輩は躊躇いを見せつつも、ゆっくりと頷きを返す。
頷く先輩の表情は凍りついていた。
それは逃避だろうか。
あるいは諦念、それとも。
「わかり、ました……CEDセキュリティ認証――解除。ソウルコア、パージ……」
《CEDセキュリティ――クリア。ソウルコア・イEロー――パージ》
何かの言葉を呟いた先輩は胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。
見れば先輩の手元、胸の辺りに淡い黄色が溢れ始めていた。
それから先輩は何度も胸をまさぐるようにして手を動かすが、その度に焦りの表情が色濃くなっていく。
「あれ……なんで、どうして、はぁ……はぁ……」
先輩は震えていた。
自分より大きく凶悪な怪物を前にしても勇敢に立ち向かっていく先輩が、顔を真っ青にして全身を震わせている。
先輩は何をするつもりなのだろうか。
『ソウルコア』。
それは、何を、意味して。
「――キキキ」
魔女が二人の行動に気付いたのか、顔はこちらをむいたままに耳だけがピクリと動きを見せた。
それは音を拾った動物が耳を立てる動作に似ていた。
「ええい、もう待てん! 許せよ、凪沙――」
やがて痺れを切らした石土さんが動いた。
自身の腕を先輩の胸に突き入れたのだ。
――え?
「ぐっ――う、あ」
しかし先輩の胸から溢れたのは、赤い鮮血ではなかった。
溢れる黄色と――それに混じる黒。
それをよく注視してみれば、石土さんの腕は先輩の胸というよりも、胸から溢れる色の中に突き込まれているようだった。
「ああ、やっぱり。私はいつも、いつもいつも、失敗ばかり。――透くん。ごめん、ね」
先輩が何かを言っている。
その表情をくしゃくしゃにして、何もかも諦めたように涙を流して僕に謝罪する。
ごめんってなんだ?
ソウルコアってなんだ?
石土さんは何をしている?
先輩の胸から溢れる色はなんだ?
僕は目の前で起きていることの全てが、まるで理解できなかった。
石土さんと先輩はカラードで、学園の特別科の仲間で、彼が先輩を傷つける理由なんてあるはずがない。
理解不能で意味不明で。
それで、それでそれで?
「石土さ、ん。な――なに、を、して、いる、の、です、か」
掠れた僕の声は届かない。
震えるだけの僕は動けない。
その間に石土さんは先輩に突き込んだ腕を引き抜いていた。
「凪沙。お前の魂、ソウルコアを――使うぞ」
先輩の体から引き抜かれた石土さんの手には、色を帯びた不定形の何かが握られていた。
それは石土さんの手の中で、心臓のように脈打って色を放っている。
その色は先輩の武器が放つ雷光と同色のもので、先輩の暖かさそのものだと僕は直感した。
しかしその先輩の色にはべっとりと貼りつく黒があった。
それを見た瞬間に頭痛が走る。
僕はその色に奇妙な不快感を覚えていた。
「うっ――なんだ、あれ……」
この黒は黄色の中にあって異物にしか見えないが、先輩の中から出てきたというのは一体どういうことだろう。
あの黒は元から先輩の中にあったということか?
それを考えようとすればするほどに、僕の頭は不快感と同期するように痛んだ。
そして不定形の何かを引き抜かれた先輩はブルりと体を痙攣させて、その場に力なく倒れた。
「――先輩ッ!」
僕は反射的に駆け出していた。
理解不能の光景に硬直していた僕の体は、倒れる先輩の姿を見たことで動くようになっている。
生徒の救助を投げ出して先輩の元へと走った。
先ほど黄金さんを助けたときのように、片桐くんへアイコンタクトを送る余裕などなかった。
心が――擦り切れそうだった。
途中、後ろから片桐くんと緑川の声が聞こえたような気がしたが振り返らない。
僕はいま先輩のことしか考えられない。
先輩のこと以外の全てがどうでもいい。
恥も外聞も無い。
ただ先輩の元へと急ぐ。
だって先輩が。
先輩が、僕の先輩が。
――倒れた。
それが気絶したとか、意識を失ったとか、日常でも起こり得ることの範囲の中に収まるようなものではないことくらい、カラードではない一般人の僕にだってわかる。
目の前で先輩に起きた異常が、僕を先輩の元へと急がせる。
ああ、もどかしい。
なんでもっと早く走れない。
ああ、もどかしい。
なんでもっと強さを出せない。
僕の中で、あたかも強い自分がいたかのような錯覚が起こった。
それは僕の中で苛立ちを感じさせる。
そんな僕はいないはずなのに、僕は今まで味わってきた無力感とは別の苛立ちを感じていた。
その不可解さに答えを出す前に、僕は先輩の元へと辿り着く。
「先輩! 先輩!」
僕は倒れた先輩に駆け寄ってその体を抱き起こす。
先輩は目を開いたまま意識を失っていた。
腕の中の先輩は僕に体重を預けるだけで、糸の切れた人形のようにゆらゆらと揺れるだけだった。
弛緩した先輩の体に力はなく、瞳は色を失っていた。
先輩のそのような状態に僕はハッとして脈を測り、呼吸を確かめて、その心臓の鼓動を確かめようとした。
しかしその場所には、何もなかった。
心臓があるべきはずの場所には。ただポッカリと暗い穴が空いていた。
物理的な穴ではないのかもしれない。
ふわふわと空間が歪むようにポッカリと空いた穴。
そこに触れて何が起こるのかわからないため、知識のない僕が触れることは憚られた。
「せん、ぱい。うそ……だ」
無力な僕は現実を嘆くだけ。
「せん、ぱい。なんで」
僕の中の苛立ちは目の前の光景に爆発する。
「せん、ぱい。う、うああああああああああ」
だって。
これじゃあ。
先輩が、まるで。
――――死んでるみたいじゃないか。
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