第29話 2章 僕たちは無力だ
「ごめん。ちょっと緑川のところに行ってくる」
「お、おい御園……、まったくよぉ。――ふっ」
僕の心は委員長の死を目の当たりにしたときほど揺れていなかった――きっと僕の心は麻痺しているのだと思う。
片桐くんに一言伝えてから緑川の元に走った。
なぜか足は動いていた。
それでも彼に伝えたいことがあったから。
心の底から伝えたいことがあったから。
だから僕は――彼を正面に見据える。
「緑川の気持ちはわかる。でも、早く戻ろう。ここにいても、なにもできないよ」
僕にしてはらしくない言葉が口をついて出た。
僕は緑川に同情しているのだろうか、嫌悪しているのだろうか、わからない。
彼が無力で、自分のせいで人が死んで、そこに何か僕と通じるものがあって――でも、僕は委員長のことで彼を許せない。
だから慰める気にはならなかった。
そんなどっち付かずの感情から出力された言葉がこれだったというだけ。
「ああ!? 御園てめぇ、お前に俺の何がわかるってんだ! ――認められたお前に、何が……」
緑川が僕の胸ぐらを掴む。
しかし掴んだだけで全く力のこもっていない彼の手は、簡単に振り解くことができてしまった。
――彼の手は、震えていた。
「わかるよ。わかりきっているじゃないか。雪谷はもう死んだ。委員長も……」
「そんなこと……そんなことはわかってんだよ。何もできないやつは黙ってろ……俺はまだ――」
緑川の言葉を待つことなく、僕は自分の無力を認めた。
その上で彼に伝えたかったことを伝える。
「そうだ、僕たちは無力だ。でもまだ生きてるだろ。今は何もできないからこそ、できることを探すために生きるしかないんだ。僕は君がここで死ぬことを許さない。委員長の死を、雪谷の死を無駄にする、なよ」
僕の感情はぐちゃぐちゃになっている。
やはり委員長の死という事実を直視することは僕に相応の痛みを要求してくる。
先ほどまでは麻痺していたと思っていた心は、重い痛みを僕に叩きつける。
泣きながら心中を吐露する姿はきっと滑稽に映るだろう。
でも、自分勝手に死ぬわけにはいかないと、無責任に生を諦めるのは間違いだと、そう気付かされたから。
「お前……何様のつもりだ……」
僕が緑川に何か説教するような諭すような資格がないこともわかっていた。
僕は何もしていない。
動くべきときに動かなかった、何もしなかった人間だから。
だけど、通じるものがあると感じた緑川には生きていて欲しかったから。
彼が生きることで気づけることがあると信じたかったから。
「僕がただ伝えたかった。何様でもなく、ただの御園透の、個人の言葉だ」
これは死者の言葉を代弁するような行為ではなく――単なる僕個人のわがままだ。
「「………………」」
僕らは正対して、静かにその視線を交差させる。
そして――その睨み合いの中で行動を起こしたのは僕でも緑川でもなかった。
「怪物の気配がする――周囲を警戒しながらゆっくりと移動するよ。何か小さいことでも気づいたことがあったら私に報告して」
僕らにやや遅れて、残りのカラースライムを片付けた先輩が追いついてきていた。
僕らは二人で向かい合っていたことで、近づいてくる先輩に声をかけられるまで全くその存在に気づいていなかった。
もしかすると先輩は気配を消す技術を持っているのかもしれない。
そんな先輩に先導され、僕と緑川は禁止区域を学園区画の安全な区域に向けて進む。
その中で数人の生徒と合流し、固まって進んでいく。
その中には黄金さんもいた。
彼女は小さな声で僕に囁く、
「御園lくん、ありがとー。ちょっと足を挫いちゃって。てへ」
合流した彼らは先ほどの僕と同じように、途中で動けなくなっていたらしい。
そこからさらに進むこと二十分。
カラータグの機能で計測した正確な時間だ。
先ほどの場所からは学園に近い距離にいるはずだが、禁止区域の境界線――あの大きな溝を越えていないことから、ここは未だ禁止区域の中ということになる。
CEMを警戒しながら音を立てないようにゆっくりと進んでいるせいで僕らの歩みは遅い。
そしていま僕の周りには先輩、片桐くん、緑川と、黄金さんを含めたその取り巻きの数人がいた。
皆一様に先輩の言葉を受けて沈黙を保ってはいたが、その瞳にはいつ終わるとも知れない現実への不安が滲んでいる。
皆がピリピリとした警戒を続けながら行動を続けていた。
それから数分が経過した時のことだ。
この時には僕のぐちゃぐちゃな心も、怪物への警戒にリソースが割かれたせいで思考が中断され、いくらかの冷静さを取り戻していた。
僕は静寂に支配された世界を改めて見回す。
ここには大きな穴――溝があることから、どうやら禁止区域との境界線までは引き返してこれたようだった。
僕はその事実に肩の力が抜けそうになるが、ここには怪物がいるのだという現実と失われた命のことを思い出して自分を律する。
「先輩……まだ怪物が、いるんですよね」
「それは間違いないと思う。この周囲から歪な気配がする」
先輩は何かしらの気配を感じ取っているようだった。
僕も黒く蠢くような何かを感じるが、これがその気配というやつなのだろうか。
改めて周りを見回しても、そのような存在が視界に映ることはない。
僕の視界に映るのは警戒を厳にする先輩と、沈黙するクラスメイトたち、立ち並ぶ廃墟とその境界線の先にある学園区画の光景だった。
このまま何も起こらずに学園まで辿り着けのだろうか。
僕は不安だった。
そして、そんな不安を形にするように世界がざわついた。
空気が――変わる。
次の瞬間には、警戒を厳にして索敵に集中していた先輩が動いていた。
「そこにいるのは誰ッ! 隠れても無駄っ――オーダー・ボルテックス・スピア!」
不気味な静寂を破るように、先輩の槍が発色した。
そして中空に雷で作られた槍が出現して、その穂先は物陰に向けられている。
「いけっ!」
《イエロー・カラー――ブレイク》
先輩が手を振り下ろすのを合図にして、バチバチと帯電する雷の槍が物陰に投擲された。
そしてそれは、物陰を中心とした一帯に雷撃を拡散させる。
激しい明滅に視界が眩む。
そして明滅の後、物陰から白煙が立ち上った。
それは委員長を焼いた後に起きた肉片の消滅にとても似ている。
「CEMが、いるんだ」
類似する現象を見た僕らは怪物の存在を予想した。
しかし、その物陰から現れた存在は――人の形をしていた。
「う、うぁ、ぎ、ああ、あ、うぁぁぁぁ」
呻くような声とともに現れた人の形が鮮明になっていく。
ふらふらとした足取りでこちらに近づいてくるのは、スーツの女性だった。
立ち上る白煙の中から姿を現した彼女の体は、極彩色の粘液に包まれている。
その姿は異様――いや異彩と呼べばいいのだろうか。
呼び方はともかく、その存在が異常であることは明白だった。
「この人は――――――この色は、普通じゃ、ない。なにか、何かがッ、おかしい」
スーツの女性は雷に焼かれたにも関わらず動きを止めることはない。
白煙を上げながらもがくんがくんと体をあらぬ方向に曲げながら――まるで壊れたロボットのように体を動かして変態を続けている。
変態を――続けている?
「あれは、また、委員長のときみたいに、変化するんじゃ……」
変態を続けるスーツ姿の女性に、僕は大きな青い蜂の姿になった委員長を思い出していた。
人間とカラースライムが混ざることで化け物が生まれる。
だったら目の前の女性も、カラースライムに襲われたのだろうか。
彼女はカラースライムと適合していて、変化すれば怪物になるのだろうか。
雪谷の前例を考えれば、すでに粘液に塗れているあの女性は助けられない、助からないのだろう。
だがせめて、怪物に変化する前に。
その命を、人として、終わらせてあげたい。
あの人にも自分の人生があったはずだ。
夢や想いを抱えていたはずだ。
それがもう叶うことはないとしても。
人の最期が怪物に変化して跡形もなく消滅するだけなんて。
絶対に間違っていると思うから。
「先輩ッ!」
そんな想いを胸に先輩に伝える。
その場で唯一の強者である先輩に伝える。
「透くん、君の言いたいことはわかってるよ」
その意図は言うまでもなく伝わっていた。
すでに先輩は走り出している。
「特別科の人なら防げる程度に加減したとはいえ、まさかカラースライムに粘液に防がれるなんて。あの人の能力が高いということ……当たり前か。――だったら」
先輩は次の攻撃を行うべく、粘液を振り撒きながら体を揺らす女性に接近した。
先輩が踏み込んで槍を突き出そうとする。
――そのとき、地面が揺れた。
「なっ」
地面の揺れは一気に激しくなって女性の真下に裂け目を作り出していた。
女性の真下の地面が割れたかと思えば、その中から黒い極光を帯びた粘液が沸き出し、女性の体を一瞬で包み込む。
「大和コロニーで地震なんて、なんなのよ一体!?」
先輩は一瞬の間に飛び退くも、苦悶の表情を浮かべていた。
僕は地面から湧き出す黒い極光から目が離せない。
コロニーの構造上起こり得ない地震の発生について考えることもない。
「御園、おいどうした?」
「胸が、苦しい……」
僕の中の何かが胎動する。
その黒き極光に僕の何かが反応していた。
「あれは……だめだ。早く、倒して、先輩……」
焦る僕の視界の中で先輩は跳躍し、地震の揺れの影響を逃れるべく空中にいた。
浮遊した先輩は変態する女性を見下ろしている。
「オーダー・ボルテックス・アウト!」
《イエロー・カラー――ブレイク》
「うぉ、ぐぉ、ぐぅぅ。ぐおおおおおおおおお!!!」
空から降り注ぐ雷光が女性の体を貫く。
しかし黒い極光を帯びた粘液の影響か、先輩から受けた雷撃によって焼け落ちた箇所が驚異的な速度で再生していく。
気がつけば立ち上る白煙が止まり、空に立ち上ったはずの白煙までもが映像を逆再生するように女性の体へと戻っていく。
「アァ、アゥアァァァァァ!!!」
再生させた女性の体内に極彩色の粘液が全て収まったかと思えば、女性の体は膨らみ始め、厚みを増して肥大化した。
やがてその表面はごつごつとした皮に変質し硬質化していく。
「なんてこと……だったら! ボルテックス――」
その変化に危険を感じた先輩が幾度となく雷撃を浴びせるも、その硬質化した表皮を貫くことはできなかった。
変態して硬質化した女性の透けて見える中身は、極光を放つドロドロの液体になっていて、多種多様な色を放っていた。
やがてドロドロだった液体はやがて固体となり、その中におぼろげな輪郭を見せ始める。
それは僕に、殻に篭って自分の変化の時間を守る昆虫を連想させた。
もしかして、これは巨大なサナギ……?
目の前で行われる人間の改造――変態。
常軌を逸した光景に僕は震える。
「一体、何が起きているんだ……いや、これから起こるっていうのか……?」
目の前の生物がサナギの状態にあるならば、その中には成虫がいるはずだ。
自分を改造することでより強い姿になって、環境に適応した存在へと変貌するのだ。
それはつまり――中にいるのは環境に適応した個体ということで。
それはつまり――中から出てくるのは強力なCEMということだ。
「まだ、まだよっ」
先輩はサナギへと槍を投擲した。
雷の力を得て加速する槍は勢いよくサナギに突き刺さった。
しかしそれはサナギの中身――本体にダメージを与えられていないように見える。
雷撃によってサナギの表面を焼くことは出来たが、中では依然として極彩色の変態が続けられ、そのシルエットは変化していく。
そして攻撃されたことに危機感を覚えたのか、先ほどよりも変態のスピードが早まったように感じられた。
あの生物が僕らの知るサナギと同じならば、その中身は液体から最低限の器官を残して成虫を形成中のため、外殻を破壊されてしまえば体の中身を晒しているような状態だ。
変態を続ける生物からすればここが絶体絶命の危機であり、こちらからすれば攻撃の絶好の機会となる。
「まだ、私は。諦めない!」
さらに加速する変態に先輩は焦っていた。
異常なスピードで進行する変態により突き刺さっていた槍が中空に弾き飛ばされる。
あの生物の変態は中身の変化だけではなく、外郭さえも成長と強化を続けているのだった。
「だめだ。このままじゃ……」
「くそっ俺たちは見ているだけしかできないのかよ」
「ちっ」
僕と片桐くんと緑川はそれぞれに憤った。
目の前で戦う先輩を見守る僕たちは何もできないお荷物で、庇護されるだけの存在だった。
「うっ」
ズキリと胸の辺りが痛んだ。
僕はその痛みの中でサナギを見る。
高速で進む細胞の変容に槍の刺し傷は最早どこにも存在しない。
硬質化した殻の中で、極光が胎動する――
それと同じくして、先輩は現実を打開すべく――動く。
「ランク2への進化……このまま指をくわえて見ているわけないでしょ! カラードを、私を舐めるなッ!」
跳躍した先輩は弾き飛ばされた自身の槍を中空で掴むと、その勢いのままくるりと一回転してサナギに槍を振り下ろす――雷光一閃。
《イエロー・カラー――ブレイク》
無機質な機会音声の後に巨大な光――黄色が周囲に拡散する。
それを起こしたのが先輩であることは明白で、それが何に対してどのような目的で行使されたのかも明白だった。
誰もが次の死を予感した。
しかし、その死は響いた金属音によって否定される。
「そん、な……こんな、ことって」
僕は目の前の光景が信じられなかった。
今日一日の体験、悪夢という現実の中で先輩の槍さばきは鋭く美しく、破壊を秘めた一撃で僕らの日常に死と救いをもたらした。
非日常からもたらされたそれは明確な破壊であり、避けようのない死であるはずだった。
しかし同時に理解できてしまう。
なぜならその否定を実現したのも、同じく非日常からもたらされたものだったから。
放たれた一閃の後、怪物の表面に残った爪痕は――どこにも見当たらない。
違う。
確かに先輩の一撃は怪物の外殻を破壊した。
しかしその下に。
先輩が破壊した外殻の下に。
――新たな外殻が形成されていたのだ。
僕は先ほどの外郭よりも真新しく艶のある外殻を見て確信する。
あの生物は先輩に攻撃されて危機感を覚えた。
それで自分を守るため外殻の下にさらなる外殻を生み出した。
あの生物には危機に対処しようとする思考と、自分の体を自由に変態させることができる変幻自在の体を持っている。
あんな怪物が成虫として動けるようになってしまったら。
僕は最悪の想像に震えた。
そしてこれがただの妄想として終わることを祈った。
「これほどの硬さを生み出すなんて……だったら、今度は確実に仕留める――カラーコアオーバードライブ。これが人間の本気――あなたへの償いだッ!」
この生物に終わりをもたらすため、先輩の咆哮が戦場に響いた。
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