第30話 2章 人の縁、その行方

 私は自分の人間関係に見切りをつけたつもりでいた。

 


 ゲームでフレンドを消していくような、そんな感覚で終わらせたつもりだった。



 しかし現実は違った。



 遠ざけたつもりでいた人たちは、すれ違うたびに私に声をかける。



 そう、人間関係とは一方的なものではない。



 人の縁とは強固なもので、簡単には途切れない。



 それを今日、私は思い知った。



 透くんと学園を巡ることで、それを思い知らされたのだ。



 カラーの授業を終えて透くんと別れてから、私は自分のホームルーム教室へと向かう。



 そこには在校生となった私の新たなクラスが待っている。



 その中には知っている顔もあれば見たことがある程度の人もいる。


 

 そんな新しい混沌の中に私は足を踏み入れる。



 「凪沙さん、こっちこっち」


 「おーい」



 そして私を呼ぶ男女の声が聞こえる。



 「楯無くん、白義さん!」



 私は見知った彼らの存在に安堵していた。



 彼らの元へと駆け寄って笑顔を見せる。



 「昨日休んでいたから心配したんだぞ。凪沙のことだからな」


 「うんうん」



 楯無くんの言葉に頷く白義さん。



 それはそうだ。


 彼らは一年前の私を知っている。






 あの日、登校中に倒れた私はそのまま行方をくらませた。



 その日の授業を丸々無断欠席して、姿を消した。



 私は無遅刻無欠席で何事にも配慮や連絡を欠かさない人間だったので、一部の人たちからすれば変に思うかもしれない。



 まぁその時は、私がいなくなっても問題ない、世界は私を必要としていない、その程度に考えていたのだけれど。



 そして次の日、私はケロッとした顔で何事もなく日常に帰ってきていた。



 生まれ変わった私は髪を染め、服を新調し、アクセサリーを身につけている。



 その変わり様に皆は驚いていた。



 前日に私は神父様と出会い、神を認識して、救われたからだ。







 あの日から私は変わったはずなんだ。



 今までの私という醜い殻を脱ぎ捨てて、新たな私として生まれ変わったはずなんだ。



 新しい私としての人生が始まっているはずなんだ。



 私は普通科から特別科に転科して、周りに認められていた。



 周りの連中は以前の私のことなど知らない。



 知っていたら私を認めたりはしない。



 特別科はエリート。



 そういう認識なのは間違いない。



 私は普通科から特別科に転科してきた人間だ。



 なのに。



 以前の私を知っているはずの彼らは受け入れてくれる。



 もしかしたら以前のままの私でも彼らは受け入れてくれていたのかもしれない。



 特別科と普通科は違う。



 でも――普通科だった私に彼らは優しく接してくれた。



 私は奉仕をしているから受け入れられていると勝手に勘違いして、それでもそれしか方法がないからと自分を卑下して世界を呪った。



 私は馬鹿だ。



 とんだ大馬鹿者だ。



 こんな簡単なことに気づかない。



 だから幸せになれないんだ。



 「凪沙、大丈夫か?」



 和気藹々とした教室で、背の高いスラッとした女性が私に話しかける。



 そのスーツ姿の女性はいつもカッコよくて、いつも私のことを心配してくれる、よき先生だった。



 「はい。私はいつも大丈夫です。姫ちゃん」



 「だから姫ちゃんはやめろと――」



 そんな軽いやり取りをしてから、私たちのクラスの担任ではない姫園琥珀先生はその表情を引き締める。



 いつもは軽いやり取りで茶化す生徒たちも、先生の発する雰囲気を感じ取って言葉を待った。



 明るいムードから一転して沈黙が流れる教室、口を開いた先生が告げたのは、学園区画内にCEMが出現した、という報告だった。



 私たちの担任の先生はすでに先行して巡回をおこなっているらしく、私たちのクラスは姫ちゃんが担任を努める卒業生クラスとともに行動することを知る。



 これより大和は厳戒態勢に入るらしい。



 さらに鬼庭学園の精鋭はコロニー外遠征で出払っている状態だ。



 他の学園は自分を守るので手一杯。



 大和軍と大和警備隊は他の区画を守るため、学園区画には配備されない。



 つまり私たち鬼庭学園が学園区画の守りを担うこととなっていた。



 姫ちゃんが私たちの動きや陣形、役割を説明する。



 守らなければ、と思った。



 私を思ってくれる彼らを、彼らが生活するこの学園を、守りたいと思った。



 透くんのいるこの学園を、透くんが踏み出した今日を、これからの未来を守りたいと思った。



 でも。



 私はすでに堕ちていた。



 「凪沙さん、頼みがあります。これは黒天の啓示です」



 「はい、神父様」



 私は黒き神の啓示に従う。


 そのために私は存在するのだから。



 「あなたには邪魔者の排除をお願いします」


 「はい、神父様」



 私は黒き神の啓示に従う。


 そのために私は存在するのだから。



 私は黒天の啓示の元に行動する。


 クラスで集団行動している中から抜け出して、与えられた任務を遂行する。



 「そんな……」



 神に従って行動する私の標的は――その勇ましいスーツ姿の女性は。



 「姫ちゃん、どうして……」



 私のターゲットは姫園先生だった。



 でも、啓示が本当なら。



 この場所に現れた時点で姫園先生は黒天を邪魔する者だ。



 だから。



 だから私は。



 自分の感情を押し殺して先生に武器を向けた。



 姫ちゃんは強い。



 大和軍にいた経歴を持つカラードだ。



 正面から戦ったのでは勝ち目はない。



 だから私は奇襲を選択する。



 元から気配を消すのは得意だし、カラーを使えるようになってその隠密能力はさらに伸びた。



 私のカラーによる気配遮断は完璧だった。



 ゆえに奇襲は成功して姫ちゃんは昏倒した。



 正面から対峙していれば勝てなかった。



 私は黒き力を使って搦手で勝ったのだ。



 姫ちゃんに勝ちはした。



 でも殺すことなんて出来なかった。



 私には無理だ。



 人を殺せるとか殺せないの話ではなく、同じ人間に刃を向けることすら吐き気で倒れそうだというのに。



 そんな私が自分の恩師を殺すなど、できるはずもない。



 だから私は思考を放棄する。



 問題を先送りにする。



 それが取り返しのつかないことになるとも知らずに。



 「ここは私に任せなさい。あなたは禁止区域に向かうのです。そこで神の啓示があるでしょう。あなたに黒天の加護があらんことを」



 何も出来ない私は神父様の言葉に従って禁止区域を目指す。



 神父様が姫ちゃんをどうするのかはわからない。



 そのまま見逃してくれる?


 命を奪うことはない?



 わからない。



 それでも私は神父様を信じている。



 全て神父様に委ねていればいい。



 神父様は私を救ってくれた正しい人だ。



 優柔不断な私よりも正しい判断をしてくれるはずだ。



 逃げ出して人の言葉のまま動くだけの私。



 そんな私に何ができるのだろうか。



 私は罪悪感に苛まれながら、禁止区域にたどり着く。



 そして再会する。



 禁止区域のその場所には、透くんと新入生の子らと――CEMがいた。



 CEMを目にした瞬間に私は駆け出していた。



 彼らはCEMを脅威と考えていないのか、カラースライムから逃げようとしない。



 いや、違う。



 透くんやその友達、怯えている青髪の子はCEMを危険だと認識しているようだ。



 彼らを守ることが黒天の意思なのだろうか。



 だとすれば、やはり神父様は我々をお救いくださるのだ。



 私は歓喜して行動を開始する。



 私は彼らを守るべく、緑髪の男子が投げ飛ばしたカラースライムを手刀で両断しようとした。



 その手刀にはカラーが込められ黄色を纏っている。



 カラースライムは物理的な攻撃で倒すことが難しい。



 物理的な攻撃では分裂するだけで、すぐに再生してしまうからだ。



 カラーを使わずに倒すには火を使うか凍らせるなどの手段もあるが、今の私が選択する理由はなかった。



 私はカラード。



 色の力を操りし者。



 黒天に導かれ、色の力で世界を導く選ばれし者なのだ。



 私は黒天の力を纏ったつもりで手刀を放つ。



 しかし結果として黒き力は発動せず、私の手刀はただの物理攻撃になった。



 物理的な攻撃を受けたカラースライムが分裂して二つに割れる。



 さらに委員長と呼ばれる子に適応して、その子を大きな青い蜂へと形態を変化させたのだった。



 失敗した。



 また失敗した。



 私は自らの失敗で一人の少女の未来が失われたことを噛み締めながら、CEM(彼女)を破壊した。



 そして自分を戒めるように、あたかも威厳ある先輩のように、私は彼らに厳しい言葉をかけた。



 それは私の罪であるはずなのに。



 私はそれを彼らのせいだと糾弾する。



 でも彼らが生き残るためには必要な言葉だと思った。



 彼らが私のことを知れば、どの口が言うのだと反論をすることだろう。



 その反論は正しい。



 批判されるべきは私なのだ。



 それでも彼らには、透くんには生き残って欲しかったから。





 たとえ私が彼に――されていたとしても。





 私は心の中で犯した罪に苛まれながらも、先輩を演じる。



 彼らは少女の死を悼む間も、真っ当な先輩として振る舞う。



 これで今日が終わるとは思わなかった。



 一人が死ぬだけで終わるとは思えなかった。



 黒き世界は私の弱さを暴露し続ける。



 悪夢は終わらない。



 私の攻撃を逃れたカラースライムが透くんの同級生、緑髪の男子を襲う。



 しかし緑髪の彼は他の生徒に庇われて無事だ。



 自分に適合しやすい相手と同調できなかったカラースライムが、彼を庇った子と無理矢理の同調を始める。



 お互いの相性を無視したカラーの同調は失敗に終わるケースが多く、すぐに怪物へと変化しない。



 長い時間をかけて怪物に変態する可能性はあるらしいが、そのような時間を与えるわけがない。



 よって私は彼を人間のまま終わらせた。



 彼の心臓を一突きにして、人間の魂に直結する心臓という部位を停止させた。



 CEMは同調対象の心臓が失われた場合、魂を侵食できずに同調は失敗する。



 これで彼は、人間のまま死亡したことになる。



 緑髪の彼の方が明らかに上に立つ人間で、庇って死んだ彼の方が下に見えた。



 つまりこの結果は下の者が上の者の身代わりになったという、世の中の構造からすれば至極当たり前の光景だったわけだ。



 しかし――亡骸を見下ろす彼の顔は、罪に濡れていた。



 仮に私が死んだとして、このように自分の死が誰かに影響を及ぼすことがあるだろうか、私のために言葉をかけてくれる人はいるだろうか。



 わからない。



 そして私はどこか、死んだ彼に今までの自分を重ねていた。



 下の者は上の者の犠牲になるんだよな。


 そうだよなと、勝手に重ねて勝手に憐れんでいた。


 同時に羨ましくも思っていた。



 でも違うのだ。



 彼は私ではない。



 私は彼ではない。



 ゆえに死んでも、誰かに泣いてもらうことはないだろう。



 私はそう結論づけて、正面の悪夢を見据えた。



 警戒しながら学園を目指す私たちの前に現れたのは、誰でもない私が地下道で昏倒させたはずの姫園琥珀先生――姫ちゃんだった。




 姫ちゃんの姿を一目見て。




 もう、手遅れだとわかった。




 わかってしまった。




 だから私にできることは、彼女を殺すことだけ。




 でも、私の手は震えるだけで、まともに力が入らなかった。




 姫ちゃんがCEMになった。




 それはつまり、私が地下道で姫ちゃんを昏倒させて、その後に神父様が何かをしたのではないか――姫ちゃんをCEMにしたのではという最悪の想像が浮かぶ。



 絶対の信頼を寄せる存在への――不審が芽生える。



 しかしそんなことはあるはずがないと自分の思考を疑う。



 間違っているのは私だと、疑問を抱いた自分を抑え込む。



 今は目の前の怪物(姫ちゃん)に対処しなければ。



 真偽は後から確かめれば良いのだから。



 しかし目の前にあったのは私が姫ちゃんを殺さなければ透くんが殺されてしまうという現実と、CEMになったとはいえ尊敬する相手を殺さなければならない現状、それらは私に相手を一撃で葬るべき攻撃の最大値を出させなかった。



 相手が通常のCEMに比べて強力だとか、自分の精神状態とか、自分の黒きカラーの出力が不調だとか、色々と言いたいことはある。



 だがそれらは弱者の言い訳で、強者ならばそれらの不利を押し退けて現実を塗り替えなくてはならないだろう。




 それはつまり。





 ――私は強者でもなんでもなかった。





 虎の威を借りて強くなった気でいた、ただの弱者。




 蓋を開けてみれば中身はどろどろ。




 なんの形にもなっていない不定形の出来損ない。




 でも、それでもさ。




 そんなやつにもさ。




 守りたいものが――あるんだ。




 これは出来損ないの見栄で、言い訳で、わがままだ。




 私は後ろの透くんたちを振り返った。




 彼らの前でくらい、カッコいい先輩でいたい。




 透くんの前ではカッコいい先輩でいたい。





 たとえ彼に――されたとしても、それは変わらない。





 ごめん姫ちゃん。




 私、覚悟を決めたよ。




 ごめんなさい。――浅慮な私があなたを殺した。




 ありがとう。――こんな私を見てくれて。




 そして。




 さようなら。――もう一度あなたを殺します。

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