第25話 2章 カラースライム

 青みがかった世界の深淵へと誘われるように、僕らは禁止区域を進んでいた。



 立ち並ぶ廃墟の前にひび割れた道路が続いている。




 そして進み続けること数分、ソレは僕らの前に姿を現した。




 廃墟の暗がりにぶよぶよとした粘性の生物が数匹集まっているのが見える。




 ――その姿は資料で見た怪物の一種、カラースライムだった。




 その見た目はサッカーボールくらいの大きさで、この青みがかった世界と同じように透き通った青色をしていた。



 体をブルブルと震わせて膨張と収縮を繰り返しているが、こちらを襲うような様子は全くといっていいほどなかった。



 そのため僕らは、今のところこの生物から危険を感じていなかった。



 僕らは歩みのスピードを緩めて物陰に潜みつつ、カラースライムを警戒しながらゆっくりと先へ進むことにした。



 「あれが世界中で人類と戦っている怪物――CEMか。なんか普通だな。あの見た目で人間を襲うように見えない。想像していたのと違うっつーか」



 片桐くんは目の前のCEMと、人類を恐怖に陥れる怪物という想像のギャップに拍子抜けしているようだった。



 「確かにいまは大人しいけど、いきなり襲ってくる可能性もある。注意して進もう」



 僕らは周囲を警戒しながらひそひそ声で話しつつ、禁止区域の先へと進んでいく。



 その速度は牛歩ともいえる速さになってしまっているが、僕は仕方がないと割り切っていた。


 委員長を助けに行くのにCEMに見つかるわけにはいかないからだ。



 「でもよ。これじゃあいつ緑川たちに追いつけるかわからないぜ。見つかってもいいから突っ走って進んじまえば案外振り切れるんじゃねーかな」



 確かにこの怪物から危険は感じない。


 無視して突っ切ることもできるだろう。



 でも、それでも僕は慎重に行動するべきだと思った。



 「緑川たちはCEMを求めてこの場所にきているわけだし、かなり近くにいるはずだよ。CEMが見たいならどこかで歩みを止めるはずだからね。僕らは確実に委員長に近づいていってると思う。焦らずに進むことが大事だと思う」




 それは――出所のわからない漠然とした不安が僕の心をざわつかせていたからだった。


 片桐くんに伝えた言葉も、委員長を助けたいと焦る自分に言い聞かせるための言葉だった。



 この不安は直感的なものだったが、あながち間違っていないと僕は考えていた。



 僕に起きた感覚的に伝わるあやふやな現象の正体。


 これが偶然ではないとしたら。



 「あ――緑川たちだ。委員長もいる」



 「あいつら何かやってんな……」



 物陰を進んで開けた視界の先――辺りを見渡せば、数人の生徒がCEMに対して石を投げたり、木の枝でつついたりと思い思いの行動をとっていた。



 その中には緑川と委員長の姿、黄金さんや雪谷、柏木の姿も確認できる。



 「これで十分でしょ? こんな場所じゃ何が起こるかわからないし、もう帰りましょう。早く……早く、帰りましょうよぉ……」



 周りの和やかな雰囲気とはかけ離れた震える声で、怯える委員長が訴え続ける。



 「おいおいこの程度じゃねーだろ。この青い世界はもっと派手なことが起こる前兆に違いねぇんだ。俺にはわかんだよ、何かデカイことが起こるって――なぁ!」



 現状に納得していない様子の緑川はカラースライムの一匹に木の棒を叩きつける。



 べちゃりと音がして、粘液が辺りに飛び散った。



 緑川がカラースライムを殺した……いや。



 緑川に潰されて四散した粘液は、それぞれがぷるぷると震えて再び動き始めたかと思えば、くっついて集まり一つになっていく。



 やがてそれが幾度となく繰り返されると、怪物は四散する前の姿へと完全に再生を果たしたのだった。



 「チッ――簡単には死なないようだな」


 「スゲーっすね。どうなってんだろ」



 それを見た緑川は悪態をつき、雪谷は物珍しいものを見たという具合に感想を述べるだけで、行為そのものを咎める者はいなかった。



 ただ委員長だけは体を震わせながら小さな声でぶつぶつと何かを呟いていた。



 この集団には緑川の行動に何か意見を言えるものはいないのかもしれない、僕はそう思った。



 「しっかしあの生物は何がしたいんだろうな」



 隣にいる片桐くんが視線を怪物に向けたままぽつりと呟く。



 確かに怪物の生命力には驚くが、再生後も反撃などはなくブルブルと体を震わせるだけだった。



 そこからは何の感情も読み取れない。



 あの生物がどういった目的で動いているのか理解できない。



 生物は基本的に敵意を向けられたと気づけば、こちらも敵意を示すか逃げるかと何かしらの行動をとる。



 しかしこのカラースライムは何事もなかったかのようにブルブルと震えて膨張と収縮を繰り返すのみだ。



 あるいはその行動に何かしらの意味があるのか……。



 「緑川さーん、こいつらどうしますー? 何しても全然反応ないですけどー」


 「もう飽きちゃったー。龍ちゃんそろそろ帰らない〜?」



 カラースライムの一連の反応を見たからか、黄金さんや柏木ら取り巻きたちもCEM相手に拍子抜けしているようだった。



 彼らの中には、CEMの近くに蹲み込んで観察を始めるものすらいた。



 確かに、相手は石を投げられ木の棒で叩かれても、微動だにしない生物だ。



 彼らの危機感が欠如するのも無理はない――が、やはり僕は不安だった。



 それは禁止区域という不穏な場所とCEMという未知の生物、弱い自分。



 これらの要素が僕を不安にしている。



 しかしそれ以外の漠然とした感覚でしか捉えられない要素が、僕の五感を通して不安を生み出しているのもまた、事実だった。



 「もうやめよう……やめて……帰ろう、帰ろうよ……」



 何かが起こると、第六感のようなものが僕に告げていた。委員長も同じように何かを感じ取っているのか、震える声で緑川たちの説得を続けている。



 「そうさなぁ――」



 委員長の説得もむなしく、邪悪な笑みを浮かべる緑川にはこのまま帰るという選択肢はないように思えた。



 その瞳には黒い感情が宿っている――緑川は何かをやる気だ。



 「あいつなんかやべえぞ……止めねぇと」



 片桐くんも緑川の表情から不穏なものを読み取ったのか、すぐに行動を開始する。



 現状はCEMとの遭遇によって懸念材料が増えたものの何かが起こる前に委員長を助けるという目的は変わっていない。




 ――そう、今なら間に合う。


 何も起こっていない今なら間に合うのだ。




 だから僕たちは手遅れになる前に動かなければならなかった。



 「おいおまえら! 委員長を離せ――」



 僕と片桐くんは物陰から抜け出して緑川たちへと声をかける。



 その時――緊張感を纏った声が僕らの声を切り裂いた。



 「そこの新入生! CEMから離れなさい!!!」



 僕は聞き覚えのある声にハッとして振り返った。



 僕が聞き覚えのある声は限られている。



 その声の主は――まさか。



 すぐに駆ける足音が近づいて顔が判別できる距離になった。


 ――こちらに近づいてくる存在に注目が集まる。



 「あっ、先輩!? なんでここに――」


 「え、透くん!? 普通科の君がどうして禁止区域に……」



 声の主は思った通り先輩だった。


 それでも僕は驚きを隠せない。



 日常で出会い、非日常で再会した僕ら。


 僕はこの再会を、素直に喜べなかった。




 突如としてこの場に現れた先輩もまた驚きの声を上げていた。



 先輩は僕がこの場にいることが信じられないというように困惑の表情を浮かべている。



 困惑の表情を浮かべて言葉を詰まらせる先輩の全身は、ぴっちりとした黒いラバースーツに覆われて黄色の燐光を纏っていた。



 僕は女性の服について詳しくないが、それが明らかに普通の生活に用いられない非日常のものだということは瞬時に理解できた。



 それを理解するのと同時に、消えかけていた頭の痛みがちりちりと蘇ってくる。



 僕は痛みを振り払うように言葉を探した。



 「僕は、その、知り合いを連れ戻すために……」



 僕がこの禁止区域にいる理由は自分の中で明確なのだが、僕らが侵入禁止と設定された区域に大和ルールを犯して侵入しているという事実は変わらない。



 自分が咎めを受けるのは構わない。



 それよりも大事なのは委員長を助けることだ。



 僕は全ての咎を受ける覚悟をした上で、まずは委員長を助けることを優先する。



 「あの、先輩……僕は彼女を、委員長を助けたい……」



 「あっ……ああっ、怖い、こないで、見ないで」



 僕らの会話が聞こえていないのか、先輩の登場にも全く反応しない委員長は極度に怯えていた。



 彼女は自分の体を抱くようにして地面に蹲っている。



 時折啜り泣くような声が委員長から発せられ、その姿からまともな精神状態でないことは察することができた。。



 どう見ても委員長の精神は限界だった。



 教室で見せた勇気も、僕を勇気づけた強さも、そこには存在しなかった。



 それほどに委員長は追い詰められているようだった。



 早く学園に連れ戻して休ませなければ。



 それにしてもこの状態は、あまりに異常な――



 「そうね。御園くんの言う通り、彼女は早く安全な場所に連れていかないと危険な状態だわ。早くダヴィンチ先生に診せたほうがいい」



 先輩は僕の話に耳を傾けながらも、冷ややかな目で粘性の物体を睨みつけていた。



 僕と会話をしつつ、決してその視線をCEMから外そうとはしない。



 先輩の様子から察するに、このカラースライムがなんらかの脅威であるということは間違いないと僕は確信する。



 それが危険を感じさせない相手だとしても、強い先輩が警戒するのには相応の理由があるはずだから。



 「早く逃げなさい。脅威ランク1のカラースライムだからって」



 先輩の纏う雰囲気はぴりぴりしていて――とても緊張しているように見えた。



 その中で僕は自分にやれることをやるために委員長の側に近づこうとする。



 だがそれは緑川の取り巻きたちによって阻まれた。



 下卑た笑いで僕を阻む集団。



 こいつらさえいなければ……。



 僕の中に黒い感情が湧き上がる。


 それが形をなそうとして――



 「ええ? 先輩なんですよね。在校生か卒業生か知らないっすけど、こんなやつにビビってんすか」



 先輩の様子とは対照的な柏木がへらへらと笑っておどけた態度をとる。



 苛立つ緑川の代わりなのか、雪谷が前に出て先輩を検分するようにしげしげと見つめていた。



 「この人はどう見ても在校生でしょ。僕は知っていますよ。学園の精鋭である卒業生はコロニー外遠征で不在。いま大和にいるのは補欠の卒業生と実戦経験の乏しい在校生だって。新入生は戦闘用のスーツも持っていないから、あなたは必然的に卒業生か在校生ということになる。それでそのどちらかと考えたのですが、あんまり強そうじゃないから在校生かなーと」



 雪谷は煽る言葉で眼前の先輩を評した。



 これには僕も腹が立って言い返してやろうと思ったが、それを先輩は目で制した。



 「確かに私は実戦経験の乏しい在校生だよ。それは正解、当たってる。それに私はビビってるよ。だって相手は未知の生物だよ。怖いのが当然でしょう」


 先輩の言葉に吹き出した黄金さんが小馬鹿にするように言う。


 「ダッサ。それでも先輩? もうちょっと年長者らしく威厳を見せてほしいよネー」


 「「「「「「「はい、威厳! 威厳! 威厳!」」」」」」」



 黄金さんの一言をきっかけに、禁止区域に知性のカケラもない低俗な声が響く。



 「緑川さん……ちょっと」



 雪谷が緑川に何かを耳打ちする。



 「ああ、それは面白いな。鬼庭学園の選ばれしエリート、特別科の先輩を試してみるか。先輩は俺たち普通科とは違うはずだよなぁ?」



 緑川は笑みを浮かべて雪谷から渡された木の棒を握る。



 そしてその笑みは一層の邪悪さを湛えて、その行動へと反映された。



 「ほら――よっ」



 緑川は木の棒を器用に使い、CEMの一体を掬い上げるように、先輩へと――叩きつけた。



 「え?」



 緑川の突飛な行動に動けない僕は眼前の光景を見守ることしかできない。



 べちゃり、と音が響いた。



 先輩は顔色一つ変えずにカラースライムを手刀で両断し、カラースライムの体は真っ二つとなって吹き飛んでいる。



 「はぁ……今の行為が笑って済まされないことが、わからないか」



 先輩は表情こそ変えていないものの、その言葉には怒りが滲んでいた。



 先輩の言葉に気圧され、緑川たちは言葉を発することができない。



 このまま先輩がこの場を仕切ってくれれば緑川たちも言うことを聞いてくれる。



 僕はこれで学園へと戻れる、そんな気になっていた。



 「凛、歌……」



 だから隣にいる片桐くんが何か言葉を発したことにも気づかなかった。




 「あっひっ――いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」




 世界を切り裂くような悲鳴が響いた。




 そしてその叫びの根源を探した僕らは見る。





 それは日常の終わりであり、非日常の始まりだった。





 僕らの視線の先では、委員長の体が粘液――カラースライムに塗れていた。




 CEMに塗れた委員長。


 委員長に塗れるCEM。




 「そんな、なんで……こんな、こんなことって」




 僕は先輩の登場によって、不安に満たされた心のどこかで安堵してしまっていたのかもしれない。




 思い出すように痛み出した頭痛のことを差し引いても、頼れる先輩がきてくれたことがとても心強かったから。




 僕を救ってくれた先輩がいれば無敵になれるような気がしたから。





 もう何も起きないと、そう――思っていたんだ――

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