第24話 2章 未知への恐怖、未知との融合
◇◇◇
私、青峰凛歌は震えていた。
私はいま、怯えていた。
自分の意思に関係なく移動を強制されている、という状況はもちろん怖い。
しかしいま、私を心の底から恐怖させているのは――未知だった。
御園くんが緑川に気絶させられたときは、恐怖というよりも御園くんに対する申し訳なさが上回っていたと思う。
どうしてもっと上手くやれなかったのかって、私は委員長なのだからみんなをまとめなきゃって、そう思ったのに――できなかった。
私は理想へと必死に手を伸ばすけど、それはいつも空を切る。
だから失敗することには慣れてもいた。
ああ、またかと失敗に納得してしまう自分がいる。
失敗しないためにルールで自分を縛り、正しくあろうとした。
でも、できなかった。
私の正しさでは人を変えることはできない。
私の正しさには人を納得させられるだけの力がない。
私は――無力だ。
でも、今日は嬉しいこともあった。
それは御園くんが私を心配して駆けつけてくれたことだ。
こんな状況――怪物が出た、なんて非日常の中で動ける人間は少ない。
それもつい先日に倒れた彼が現れたことが驚きで、私はより一層嬉しく感じていた。
彼のことはクラスの中でただ1人、入学式を欠席した生徒として逆に印象に残っていた。
彼に関してそれ以上の情報を持っていない私だったが、どれだけの勇気を振り絞って行動してくれたのかは、最初にホームルーム教室で声をかけようとモジモジしていたことからも明らかだ。
私は勇気を振り絞ってくれた彼に甘えて、自分1人で解決する道を選んだ。
もっとやりようがあったのではないか、と言われても仕方がない。
これでは緑川に売られた喧嘩を買ったのと変わりない。
結局は彼らを連れ戻すのも委員長としてのプライドで自己満足だ。
私は自分の体裁だけを尊重する、彼らと何も変わらない存在なのだ。
だから本当にごめんね、御園くん。
こんな、こんなことになるなんて――
私、青峰凛歌は震えていた。
私はいま、未知の恐怖に怯えていた。
カラータグが禁止区域に入ったという警告を発してからというもの、私は未知の怖気に怯えている。
私はいま、体を舐め回すように上から下まで吟味されている、見られている、という感覚を味わっていた。
周りには緑川を含めた数人のクラスメイトがいるわけだが、彼らは思い思いに益体もない話をしているだけで私を見ている素振りはない。
緑川だけは時折不機嫌そうに辺りを見回している様子を見ると、もしかしたら彼も私が感じているものと同じものを感じているのかもしれない。
だがそれはつまり、この感覚の正体は緑川の視線でもないということだ。
では一体――――誰が?
私は禁止区域がどのような場所なのかを知らない。
大和に暮らす人間として、漠然と行ってはいけない場所という認識があるだけだ。
そんなルールがあれば普通の人間は近づかないものだ。
大和に流れる禁止区域の噂の中には、死刑囚の強制労働所があるとか、怪物の実験場だとか、宗教団体の根城だとかいう話が無数にある。
子供の頃に聞いた怪物に連れていかれるとか、怪物になってしまうというような抽象的な内容が、自分達が成長するのに合わせてリアリティを増した内容に変化したのだろう。
でもそれは子供を怖がらせて近づかせないようにするために作られた怪談の一種、その延長線上にすぎないもので、与太話の域を出ないものだと思っていた。
だから私は、今の今まで深く考えることはしなかった。
――自分には関係ない。
――自分の生活には影響がない。
――自分は興味がない。
なぜコロニーの中に放置された場所があるのか。
なぜずっと閉ざされたままなのか。
私は深く考えようとはしなかった。
そして考えなかった疑問のツケは恐怖を上塗りして、いま感じている未知をさらなる疑問へと発展させて私を襲う。
なぜ閉ざされているはずの禁止区域が解放されているのか。
私を舐め回すように吟味されているこの感覚の正体はなんなのか。
全てが不可解で気持ち悪くて堪らない。
――ただ、疑問だらけの私にもわかることが一つだけあった。
それは、この場所にいてはいけないということだ。
◇◇◇
暗く狭い道を、ひたすらに突き進む影があった。
本来その道は、大和全ての環境浄化を担う清掃ボット用の地下ルートだったが、禁止区域に向かうのには最短ルートだったために、彼女はこの道を使用することを選択したのだ。
時刻は戦闘開始からおよそ三時間が経過して、時計の針は十六時を指し示そうとしていた。
特別科教師、姫園琥珀。
彼女は自分が配置されたエリアのCEMの殆どを処理した後、学園への撤収と並行して他の区域の情報を集めていた。
他の区域の応援に向かうのか。
学園に引き上げるのか。
彼女は次に向かうべき場所を思案していた。
しかし彼女が学園や他の区域に連絡を取ろうとしても、通信インフラはその機能を停止していた。
それに苛立ちを覚えながらも対策を練る彼女は、そこでふと気づく。
それは――禁止区域の周辺に誰も配置されていないという現状だった。
禁止区域自体が閉鎖されており、住居も存在せず人は住んでいない。
よって守るべきものがないのだから人員を配置しないのは当然だ。
しかし学園上層部から指定された担当区域の割り当てはおかしかった。
学園区画に重ねるように色分けされた担当区画だが、禁止区域周辺には誰も配置されていなかった。
これは不自然極まりない。
なぜならそこには住居があり、生徒や学園関係者が住んでいる。
禁止区域に人が住んでいなくとも、禁止区域周辺には少数だが人が暮らしている。
もちろん大半の大和国民は居住区画に住んでいるし、禁止区域周辺は気味が悪いことから住んでいる人間の数自体は少ないのだが、それでも人間が生活しているのは事実だった。
大和がこのことを知らないはずはない。
彼らは不法滞在者ではない。
歴とした大和の国民なのだ。
だというのに人員を配置しないのは、何かの意図を感じずにはいられない。
そもそもこの禁止区域という場所自体、封鎖理由が不明というきな臭い場所だ。
人命がかかっている。
万が一のことがあってはいけない。
それに戦闘のせいで禁止区域に押し込まれでもしたら、救援に向かうのに時間がかかってしまう。
それでは手遅れになりかねない。
「私が禁止区域周辺を見てくる。皆、新入生を無事に学園まで送り届けて。よろしく頼む」
彼女は自分が配置されたエリアを卒業生に任せて駆け出した。
在校生には新入生を学園まで送り届けるように指示している。
この指示は私の独断によるもの、後に罰を受けることになっても構わない。
生徒を守れるというならば安いものだ。
他の区域、または担当者と連絡がとれないことが気がかりだった。
通信は不可解に途絶したままだ。
私は禁止区域周辺の見回りと、その他の区域の現状確認を兼ねて単独行動を開始する。
頭によぎるのは先ほどの普通科の生徒たちだった。
あの様子では自主的に教室に戻ることはないと思いつつ、私は自分のやるべきことを優先してしまった。
本来であれば、縛ってでも学園の中に放り込んでおくべきだった。
彼らがもし禁止区域に向かったとして、そこでCEMに遭遇でもしたらどうなる?
そこで彼らを助ける者はいない――私は焦りとともに足を早めた。
暗く狭い地下を疾駆する彼女は視線を感じ取って駆ける足を止めた。
不穏な気配に止まることを強制されたのだ。
自らの視界を担保しているのは点々と配置されている非常灯の明かりのみで、相手がどこにいるのか、敵か味方なのかすら判断できない状況だった。
すでに多くの距離を移動したので、この場所はかなり禁止区域に近いはずだ。
この気配を無視して目的地まで進むことも選択肢として存在している。
だが、彼女は立ち止まった。
それは今回の一件による大和への不信があったからだ。
生徒を守ろうとする自分を妨害する存在――気にならないはずがなかった。
それに付随して彼女の戦士としての感覚が察知した。
その気配の色が、あまりにも奇怪だったというのもある。
「なんだこの気配と色は……人間、いや……」
通常のカラードであればパーソナルカラーを感じとることができるので、その濃淡やカラーの波の形状からある程度の練度が窺える。
たとえそれがCEMだったとしても色に野生味が加わるだけで、判断基準はカラードのそれと変わりない。
「どこだ、どこにいる……!」
ただならぬ気配を感じた彼女は暗闇に向けて武器を構えた。
これは殺気ではない。
しかし人間が発するにはあまりに淀みすぎている。
地下に灯る非常灯の明かりは頼りなく、視界の先は暗くて見通すことができない。
この場所は本来、人間用ではなくメンテナンス用通路のため、襲われるとしても攻撃の方向は前か後ろと決まっていることが唯一の救いだった。
上と下から襲われることはないと判断していた。
メンテナンス用通路の集合地点が訪れない限りは、左右すら気にしなくてよかった。
前と後ろ、直線に伸びる暗闇。
彼女は武器を構えて前後に意識を集中する――。
「先生ごめんね。禁止区域に行かれるのは困るんだ」
暗闇に声が響いた。
瞬間、彼女の足元が発光する。
「うっ――がっ、なぎ――」
それは一瞬の出来事で、光を認識した直後には衝撃が彼女の体を襲っていた。
狙われたのは首、その後ろ側。
本命は後ろからの奇襲。
姫園琥珀は足下の発光に気を取られ、後ろから意識外の攻撃を受けて昏倒した。
襲撃者のことを認識することができても、反撃の機会は与えられなかった。
むしろ軍隊上がりの彼女が戦場のやり取りで遅れをとったのは、襲撃者の顔が既知の人物だったからなのかもしれない。
声はじゃあねと言葉を残して去っていった。
静寂を取り戻した薄暗く狭い地下には、昏倒した人間が一人と――淀みすぎた気配だけが取り残された。
人間を昏倒させた襲撃者の存在と、姫園琥珀が感じとった気配の正体は別だった。
結果として姫園琥珀を昏倒させた存在が接近を気づかれず奇襲が成功したことは、彼女がその淀みすぎた存在に気を取られていたためでもあるからして、全くの無関係というわけでもない。
淀んだ気配は人型の影に形を変え、昏倒した人間を見つめて独りごちた。
「まさか私のカラーに気づいてくれるとは。あなたを甘く見すぎていたようです。軍隊上がりとはいえ所詮は引退したカラード。この認識は改めたほうがいいですね」
おお、そんな言葉で本来やるべきことを思い出した影は、上着の袖から一枚のカードを取り出す。
影は手にしたカードを確認してから、投げた。
そのカードは回転しながら宙を舞い、昏倒した人間の側に突き刺さる。
「リリース」
地面に突き刺さったカードはその言葉に反応して発色し、そのカードから広がった色はサッカーボール程の何かに変化していく。
その何かは――――CEMだった。
それはぶよぶよとした粘性の生物で、ブルブルと体を震わせながら伸縮と膨張を繰り返している。
その特徴を持つのはカラースライムと呼ばれる種類だ。
カラースライムは世界標準の脅威度ランクの中で最低のランク1の生物である。
彼らはほとんど戦闘能力を持たないため、単体でカラードを相手にすることはできない。
基本的には他の強力なCEMに致命傷を負わされて動けなくなったカラードを捕食する、もしくはカラーを使えない一般人を相手にすることがほとんどだった。
昏倒した人間は、戦闘能力の乏しいカラースライムにとって恰好の標的だった。
これは教師を昏倒させた者からすれば想定外の出来事だった。
教師がCEMに襲われることなど考えていなかった。
「ぶるっ、ぶるっ」
しかし発光したカードから出現したカラースライムは、先ほどから昏倒した人間に体をぶつけるばかりで、それは捕食とはほど遠い行為のように見えた。
その衝撃が大したダメージにはなっていないことは、昏倒した人間の体に弾かれるその姿から察せることだろう。
それに加えて昏倒した人間の表情も苦痛を感じているとは思えないものだった。
「やはり熟練のカラードは昏倒して意識を失っていても、生物としての防御機構は機能しているようですね」
昏倒して地面に転がる人間にはうっすらと琥珀色の膜が張られていた。
カラースライムは単に体をぶつけていたのではなく、この膜を破ろうと衝撃を与えていたのである。
いわばこの膜が守ってくれることにより、人間は捕食されずに済んでいる状態だった。
この琥珀色の膜がある限り、人間が捕食されることはない。
しかし世界はひたすらに悪夢を望んでいた。
そこに白き時代の優しさはなく、ただ己の欲望を満たしたいがための黒き力に世界は侵されていた。
そしてその黒き望みに傅き、叶えるために影が蠢く。
「上質な素材には相応の色を」
影はゆらりと暗闇から這い出る。
昏倒する人間を見下して、懐から小さな小瓶を取り出した。
小瓶の中身は色濃く変化を続ける極彩色で満たされていた。
「さぁ――あなたに神の恵みを」
影はカラースライムに小瓶の中の液体を垂らした。
《ダークフェイク・フュージョン》
液体がカラースライムに溶け込むように広がって、その色を極彩色に染めていく。
カラースライムの色を小瓶の中身の極彩色と比較すれば、その濃淡は明らかに薄くなっているが、それでも不気味であることに変わりはない。
「ぶるるっ! ぶるっ! ぶるっ!」
極彩色に染まるカラースライムが動きを見せた。
カラースライムは先ほどよりも獰猛になり、昏倒した人間に再度襲いかかった。
しかし人間には自衛のために機能する琥珀色の膜がある。
たとえ昏倒していようとも、その膜が人間を守るはずだった。
その、はずだった。
「神の恵みを受け取りなさい」
極彩色に変化したカラースライムは、その身を人間に浸透させ始めた。
人間を守る膜に浸透して、その膜を取り込みながら体の奥まで入り込む。
人間のあらゆる場所から侵入して、その体を人間の中に収める。
人間は昏倒していて逃げることはできない。
このメンテナンス用の地下通路に助けにくるものはいない。
人間は反射的にビクビクと体を痙攣させながら、CEMと一つになっていく。
この瞬間、一人の女性の、人としての生は幕を閉じた。
同時に、――としての生が始まる。
影はその全てを見届けてから、告げた。
「さぁ行きなさい。――全ては黒天のために」
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