第23話 2章 禁止区域へ
◇◇◇
「おい……しっかりしろ……聞こえるか……」
声がきこえた。
聞いたことのない声だ。
いや……あるような気もするけど思い出せない。
世界が揺れている。
いや、揺れているのは僕の体だ。
僕はがくがくと規則的な揺れの中で、自分という存在を確認する。
――意識が暗闇から浮上する感覚がした。
重い泥の中から引き上げられて、僕という存在の境界線が鮮明になっていく。
「……ん」
目を開けると、特徴的な赤の坊主頭が目に入った。
それから視界は、赤の坊主頭の全体を捉える。
「え……?」
僕は目の前の状況に驚いていた。
赤の坊主頭の男子が僕を抱き抱えるようにして顔を覗き込んでいたからだ。
彼は僕が目覚めたことによって心底安心したような表情でニカッと笑う。
「起きたか! ほんと心配したぜ〜。つーか何がどうなってんだ? 教室からいなくなったやつらを探して走ってたら、おまえが地面に転がってるしよ」
僕が地面に転がって……。
ああ――そうか、僕は気絶していたんだ。
緑川との勝負に負けて。
委員長のことを取り戻すのに失敗して。
無様な敗者として地面に転がっていたんだ。
今の状況を理解したことで僕の思考はようやく機能を始める。
「あぁ……それは、う――ッ」
僕は彼の疑問に答えようとして、腹部に激痛が走ったせいで顔をしかめ、言葉を詰まらせた。
僕の敗北――弱さを証明するように腹部がズキズキと痛んだ。
「おいおい、本当に大丈夫か?」
「あ、うん、ありがとう。なんとか……大丈夫、かな?」
赤の坊主頭の男子はなんだそりゃと笑いながらも、僕を支え続けてくれていた。
腹部の痛みはあるけど、堪えられないほどではない。
むしろ痛みがあったほうが、僕は現実と向き合える気がした。
『おまえは弱い――だから、どうする?』
「俺の名前は片桐赤也、普通科の新入生だ。お前も新入生だよな?」
彼は慌てて起き上がろうとした僕を宥めるように、ゆっくりと名前を名乗ってくれる。
「あ……あっ、僕は御園透……。普通科の新入生……です」
そういえば自己紹介もまだだったと、僕は名乗りつつゆっくりと立ち上がった。
僕はお互いの自己紹介を経て、彼の声が教室で寝ていた男子のものだったことを思い出す。
そこで彼が俺たちクラスメイトじゃん、と気づいて2人で笑う。
この場所が禁止区域の近くだからなのか、ここまで暗く重い空気が立ち込めている。
周辺に僕ら以外の人が見当たらないのも管理センターが外出禁止令を出しているからだ。
でも。
そのような場所でも、僕らは笑い合えた。
先ほどの痛みでお腹をさする僕も、この瞬間は明るい気分になっていた。
「あ、えっと、それで教室から出ていった他のみんなのことだけど――」
僕はひとしきり笑ったところで弛緩した空気を締め直すため、彼に対して状況の説明を切り出した。
僕は片桐くんに状況を理解してもらうために、緑川たちがCEMを見物するために禁止区域の方向に向かったこと、止めようとした委員長を無理やり連れて行ったことを説明した。
委員長と緑川の教室でのやりとりを彼は寝ていたために聞いておらず、最初は首を傾げていた。
それに補足として教室でのやりとりのことも説明すると、彼は納得したように頷き、憤った。
「あいつら勝手なことしやがって。止めにきた委員長にまで強要するとは許せねぇな。大体学園が俺らを試しているってのも緑川の私見じゃねーか。周りを巻き込んでんじゃねぇよ」
片桐くんは本気で怒っていた。
僕たちはクラスメイトだ。
確かに繋がりはある。
でもそれは、希薄な繋がりだ。
出会って2日目の他人のために、本気になれるほどの関係ではない。
だから彼の怒りが僕は嬉しかったし、素直に尊敬したいと思った。
「それで……これからどうすんだ。先生に報告するために学園に戻るのか?」
「いや、僕は彼らを追いかけようと思う。片桐くんがよければ、きてくれると嬉しい……な」
僕は一人でも委員長を助けに向かうと決めていた。
僕は無力だ。
それは先ほど嫌になるくらい理解させられた。
しかし無力なことを言い訳に行動しなければ、永遠に変わることはできないだろう。
だから僕は無力な自分なりに、御園透にできることをやろうと思ったのだ。
ただ意気込みとしてはこう考えていても、実際問題として心細かったのは事実。
気づけば彼に対して期待するような言葉を投げかけてしまっていた。
「おいおい……ここまできて事情も聞いたってのに、いまさら帰れるかよ。行くに決まってんだろ、俺も混ぜろ」
そう言って笑う彼の存在がとても心強く、眩しく感じられた。
僕は彼とのやりとりを経て、決心のみで剥き出しだった心が温かくなるのを感じた。
「ありがとう。正直、片桐くんがきてくれてとても心強い――」
そう言って僕が足を踏み出した時、世界の色が――変わる。
薄暗いだけの空が暗い青に染まった。
世界が青いカーテンに包まれたかのように、目に映る景色は青みがかって見える。
――これは何か危険の前兆、僕は直感的にそう感じていた。
「え……さっきまで普通に見えていたのに――うわっ!」
僕は世界の変容に気を取られて足元が疎かになっていた。
区画整備の遅れのせいで長く放置されていたからなのか道路には所々穴が空いていて、僕はそこに片足を突っ込んでしまい、体ごと落ちそうになっていた。
「御園ッ大丈夫か!?」
地面に空いた穴に落ちそうになった僕を、片桐くんが引っ張って引き上げてくれる。
僕が足を取られたのは一際大きな穴で溝といってもいいほど深く、線を引くようにここら一帯に伸びていた。
「――っ平気だよ、ありがとう。それにしても、これ穴にしては不自然じゃない?」
この大きな穴――何か違和感がある。
これは他の小さな穴とは違う気がする。
「自然にここまで綺麗な溝にはならないよな。ここらに何か置いてあったのか、というよりこの溝の深さだとバカでかい何かがあったことになるよな」
「そういえば禁止区域には内と外を隔てる巨大な壁が設置されているって話が――ん?」
僕は溝の斜面で何かが光ったことに気づいた。
僕は何かに惹かれるように手を限界まで伸ばして、それを拾ってみる。
これは……。
「どうした? 何かあったか」
「これ、委員長が付けていた髪留めだ。委員長がこの先に連れていかれたのは間違いないみたいだね」
溝の端に引っかかっていたのは委員長がつけていた蝶の髪留めだった。
彼女がこれを自然に落としてしまったのか、意図して目印にと落としてくれたのかはわからない。
でもこれで僕は、この先に委員長がいると確信できた。
「そうか……ってことは緑川たちが日和って素直に学園に戻るとか、上級生や先生に止められて学園に戻されるっていう可能性はナシになったってことか」
「うん、そうなってくれたらよかったけど……僕たちは進むしかない。委員長は間違いなくこの先にいる。気をつけて進もう」
僕たちは進まなくてはならない。
怖いけれど、怖いからこそ委員長を助けることを諦めるわけにはいかない。
それは、いま一番怖い思いをしているのは委員長だから。
自分の意思に反して禁止区域にいること。
自分の行動が自由ではないこと。
ここには怪物がいるということ。
これらの状況に置かれて恐怖を抱かない人間がいるとは思えなかった。
確かに委員長は強い。
それでも、一人の人間なのだ。
僕は彼女の保険だ。
だから彼女を助ける。
だって保険は助けるためにあるのだから。
僕は一度深呼吸をしてから息を整え、歩みを再開する。
嫌な風が踏み出した僕の頬を撫でた。
それでも僕は溝の先へと一歩踏み出す。
――同時、カラータグの警告音が鳴った。
『警告。侵入禁止エリア。引き返してください。禁止エリアへの侵入は大和法第――』
僕はけたたましい警告を鳴らすカラータグの機能をオフにした。
片桐くんも同じだったようで、お互いに顔を見合わせる。
この警告を無視して先に進むことは、真に危険へ飛び込むことを意味する。
しかしその警告を止めたことで、僕らはこの先に進むことを世界に示した。
僕らは示し合わせたように同じ行動をとって、笑った。
「禁止区域に入ったみたい……だね。さっきの溝が境界線だったのかな」
「かもな。噂じゃあ禁止区域は壁で隔てられて入れないって話だったが、どうやらその壁はどこかにいっちまったみてぇだな」
「片桐くんがそういう噂に詳しいのって意外な気がする。ははっ」
「笑うな馬鹿野郎、俺じゃねぇよ。噂話が好きな兄妹がいるってだけだ」
「あぁごめんごめん。話が逸れちゃったね。やっぱり、ここに壁はあったのかな」
片桐くんの意外な一面に話が逸れてしまったが、僕はいま話すべきことを再確認する。
「なぜなくなっているのかはわからないが、まぁ気にしても仕方ねぇだろ。帰りには閉まっているとかないよな?」
「それ、最悪なパターンだ……」
無事に委員長を連れ帰ることができたとして、帰りの道が閉ざされていました、そんな展開は笑えない。
「まぁここで考えても進まないもんな。最速で委員長を連れ帰ろうぜ」
「うん。委員長はこの先にいるはずだ――必ず助けよう」
「おう。委員長には笑顔でいてほしいもんな」
僕らは進む。
ここから先は、学園区画内侵入禁止エリア――禁止区域だ。
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