第19話

◇◇◇

 私、姫園琥珀は学園からの指示に困惑していた。



 特別科の教師として5年ほど教鞭を執ってきたが、このように不可解な指示は初めてだった。




 『学園区画内にCEM出現の報告あり。特別科は卒業生および在校生に処理を担当させ、新入生にはそれを見学させること――』




 この指示はなんだ。


 学園区画にCEMが出現? 


 卒業生と在校生で対応しろ?



 異例のことばかりで私は頭を抱えてしまう。



 それはこの指示を現場レベルに噛み砕くとこういう意味になるからだ。



 『コロニー外遠征を外された中堅レベルの実力の卒業生と、実戦経験の乏しい在校生で学園区画を守れ。戦力にならない新入生を命のやり取りをする戦場に連れていけ』



 指示の内容はあまりに馬鹿馬鹿しすぎて、頭が痛くならないほうがおかしいレベルだった。



 この大和にCEMが出現したというだけでも耳を疑うというのに、学園のトップである学長は何をやっているんだ。




 いや、鬼庭学長はコロニー外遠征に同行しているのだったか。




 つまり現状で学園の指示を出しているのは、大和管理センターのやつらということになる。



 教育の現場を知らない部外者が学園の方針に口出しするのは、現場の担当者からすんれば全くやれやれと言うしかない。



 とにかく現状は指示に従うしかあるまい。


 私が今やれることを全力でやるのだ。



 この学園区画内に、動ける教師と戦力として数えられるカラードを効果的に配置しなければ。



 これには命がかかっている。



 将来ある子供たちの、命が脅かされている。



 私は現状で動かせる戦力の計算を始めた。



 鬼庭学園特別科の教師は私のように軍隊上がりのカラードも多いが、その人数はせいぜい三十程度だ。



 この数で生徒を守るのは不十分だといえる。



 対処の手が足りなくなって生徒のカバーに支障が出る恐れがある。



 くそ。



 私は学園からの指示――その内容に歯噛みしていた。



 この指示が学園の防衛のみであれば、恐れがあるという表現でため息をつくだけだった。



 学園を守るのに100パーセントの保証はできないぞと、大和の上層部に文句を言ってやるだけだったのに。



 『新入生を見学させること』この指示には続きがあった。




 『この事態に関して大和警備軍は他区画の防衛を優先するため学園区画には配置されない。学園区画は区画防壁を利用しつつ学園戦力をもってCEMを殲滅せよ』




 馬鹿げている。足手まといの新入生は地下体育館にでも集めておけばいいものを、わざわざ守る対象を増やされては手が足りないどころの話ではない。



 学園は大和の一部だ。学園がカラードを育成する教育機関として多少の戦力を有しているからといって、自分達のことは自分で守れ、新入生は参加させろ、などと無理を言ってくる。



 学園は政治的なしがらみに囚われず生徒の命を守ることを最優先すると思っていた。



 それが教育者の――大人のあるべき姿だと思っていた。



 子供が経験を積むために死ぬなどあってはならない。



 大和を作った【三天】の一人である学長さえいてくれれば。



 このCEM出現がコロニー外遠征のタイミングと重なったことを悔やまずにはいられない。



 学園からの指示、大和管理センターの指示の裏側には、私のような一介の教師に知り得ない深い闇が根を張っている。



 そんな気がした。



 しかし、いまの私にできることは――この手で生徒を守ることだ。



 大和の闇を探ることではない。



 私はいま自分のやるべきことを思い直し、行動を開始する。



 コロニー外遠征によって人数の減った自分の卒業生クラスを大階段前に移動させる。



 その時、廊下で普通科の先生とすれ違った。



 少しくたびれた感じの男性で、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。



 恐らく普通科には別の指示が出されているのだろうが、私は彼の心中を察した。



 鬼庭学園普通科の教師は大和の一般人の中から公募で集められた人材であり、特別科の教師のようにカラードや従軍経験者というわけではない。



 よってほとんどが戦闘能力を有していない――ごく普通の一般人だ。



 それはつまり生徒を導く教師という職にありながら、この非常事態に際しては自分の力で生徒を守れないということになる。



 それが教師にとってどれだけ歯痒く、無力さを感じさせることだろうか。



 私はあなたの気持ちを完全に推し量ることはできないし、学園の指示はあまりにも不可解で理不尽だ。



 だが、だとしても。



 私があなたの分まで。




 ――姫園琥珀が全力で生徒を守る。


 大人として、教師として。






◇◇◇

 時刻は昼下がり。


 雲の多い空は夜が待ち遠しいというように世界を薄暗く覆っていた。



 大階段前付近には特別科の新入生が50〜60人ほど集まっており、その集団の周りには武器を持った生徒が20人ほどいた。



 武器を持っている生徒は、その纏う雰囲気からして在校生か卒業生だと思われる。



 そしてその誰もが表情に緊張を滲ませていることから、いま起きている事態が楽観視できないものだと雄弁に語っていた。




 そして――そこから少し離れたところに、場違いな集団がいた。




 その集団は在校生や卒業生たちが放つピリピリとした空気に反して、これから始まる出来事を楽しむために集まった、いわゆる野次馬のような風体をしていた。




 ――緑川とその取り巻きたちである。




 その集団の中にあって、当の緑川だけは神妙な面持ちで大階段を見つめており、その眼差しにはどこか怒りさえ滲ませていた。



 「なんだあいつら」「普通科らしいよ。状況をわかっているのかな……」


 「姫ちゃん怒ってる」「やれやれ……好奇心は猫をも殺すっていうのに」



 特別科の生徒たちは緑川たちの集団を見下すというより、もはや呆れたという感じで遠巻きに様子を窺っていた。



 そのような雰囲気の中で緑川は、特別科の先生と何かを話しているようだった。



 「普通科のあなたたちが、なぜこんな場所にいるのかはもはや問いません。悪いことは言わない、早く教室に戻りなさい。いまの私たちはあなたたちに割く時間の余裕があるわけではないですから」



 特別科の先生は嗜める言葉を緑川たちにかけつつ、武器を持った特別科の生徒たちに指示を伝えていた。



 どうやら緑川たちを注意することはしても、追い返すことに割く余裕はないらしい。



 「もちろんわかっていますよ姫園先生。俺たちは特別科の生徒が集まっているから気になって見にきただけっすよ。すぐに帰りますって。ねぇ緑川サン」



 緑川の取り巻きの男子の一人が先生に対して取り繕うように説明する。



 「ああ……そうだな」


 「龍ちゃん、全部説明を雪ちゃんに任せてるぅ〜」


 「俺はいいですって。黄金音さん」



 緑川は興味がなさそうに相槌をうつだけで、金髪ポニテの女子がそれを茶化す。


 彼女の名前は黄金というらしい。



 「はぁ……とりあえず1つだけ忠告しておきます。何があっても禁止区域には近づかないこと。あのエリア一帯は私たち教師がカバーできていませんから」



 そのような空気の読めないやり取りで談笑する彼らに、呆れを通り越した先生は頭を抱えながら最後の警告を告げる。



 「やだなぁ先生。俺たちは教室に戻りますよ。あははは。ですよねぇ黄金音さん」


 「ねー雪ちゃん」


 「なー」「おー」



 雪ちゃんと呼ばれた男子は僕と同じくらいの痩せ型で力が強そうにも見えないし、他の生徒のような柄の悪さは出していなかったが、彼がグループの中で浮いているようには見えなかった。


 緑川との関係が良いのかは読み取れない。


 しかしグループを代表して先生との会話を任されているということは、グループから一定信頼がなければできないことだ。



 それにグループのナンバー2らしき女子――黄金さんに、それを囲う二人の男女とも仲が良さそうなところを見ると、僕には何故かそれが羨ましく思えた。



 「なら、何も問題はない、ですか。すぐに私たちは移動します。ではあなたたち、次の特別科クラスが集合を始める前に早く自分達の教室に戻ること、いいですね」



 姫ちゃんと呼ばれていた特別科の先生は射抜くような瞳と言葉で緑川たちを気圧すと、特別科の生徒たちを引き連れて移動を始めた。先生が指揮して新入生を中心に在校生と卒業生が周りを囲う様は、まるで軍隊の隊列のような印象を抱かせる。



 そういえば特別科の先生方は軍隊経験者が多いと聞いたことがある。



 あの先生も軍隊経験者で、強い人なのだろう。



 僕は先生の勇ましい指揮に、力強い姿に羨望を抱く。



 僕にも力があれば……。





 その光景を談笑しながらじっと見守っていた集団が動く。



 それは数分の時間が経過して、特別科の生徒が完全に視界から消えた時だった。



 「さて、俺たちもいくぞ。怪物狩りの時間だ」



 「いっくぞ〜」「行きましょう!」


 「よっしゃ!」「行くよ〜」



 緑川の声に呼応して取り巻きたちも声を上げる。



 先ほど先生に気圧されていたのは演技だったのか、彼らが先生に語った言葉とは裏腹に、彼らは学園とは真逆の方向へと歩き出した。





 そしてその方向の先にあるのは――『禁止区域』、だった。





 僕は先生と緑川たちの話を大階段前の植え込みに隠れて盗み聞きしていた。



 そしていま、自分が向かうべき場所を定め、建物の影に潜みながら目的地――禁止区域に向かって進んでいる。



 僕が禁止区域に向かうのには理由がある。



 おそらく――委員長は先生と緑川たちの会話を聞いていた可能性が高い。



 それは僕が植え込みに隠れて会話を盗み聞きしているときのこと。



 緑川たちが大階段前から移動を始めた頃、木陰で翻る美しいハーフアップの青髪とその髪に留められた蝶の髪飾りを僕は見た。



 委員長がその場で彼らを止めなかったのは、大階段前で揉め事を起こしては特別科の人に迷惑がかかるから――委員長ならそう考えていると、教室での勇気ある行動から僕は推測した。



 姫園先生のクラスが移動した後には次の特別科クラスがやってくる。



 大階段前で説得するのは難しいと委員長は考えたのだ。



 そういった思考の中で導き出された結論――委員長は緑川たちを止めるために禁止区域に向かったと思われる。



 そして翻る青髪を見たとき、それは緑川の進行方向と別の方向に向かっていた。



 委員長の目的は緑川たちを連れ戻す説得をするためだ。



 緑川の目的地が禁止区域だということは委員長も理解しているはず。



 別の場所に向かうとは思えない。



 だとすれば迂回するように緑川たちを先回りするつもりなのだろう。



 であれば僕は、委員長と同じく緑川を迂回するように禁止区域に向けて進むことで、先回りしている委員長に会えるはずだ。




 僕はその推測を元に行動を開始していた。




 昼なのに薄暗い世界が僕を不安にする。




 これはなにかの予兆のような気がして震えが止まらない。




 「頼む。このまま何も起こらないでくれ……」




 目的の場所に向かう途中で、色んなものが五感を通して伝わってきた。




 それは音や風や臭いと様々で、改めて自分が非日常の中に置かれているのだと実感する。




 そしてその実感は僕の中で警鐘を鳴らしていた。





 ――危険が迫っている。




 いまの学園区画は危険だ。




 白が作り出した平和な日常は、黒き非日常に塗り潰されようとしていた。




 僕は焦燥を抱きながらただただ先を急ぎ、尋ね人――委員長の無事を願った。





 この時の僕は甘かった。


 考えが浅かった。




 たとえ怪物が出てこようとも、委員長1人を連れ戻すくらいはできるだろうと考えていた。




 勇気と無謀を履き違えて、地獄の入り口へと進んでいたのだ。




 この時の僕は知らなかった。


 想像力が足りなかった。




 この行為が、これから起こる惨劇への第一歩だと。

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