第18話

 何もしなくていいのだから、それ自体に難しいことはない。




 でも、僕らはどうしようもなく人間で、子供だった。




 「待機っていつまでだよ」「暇すぎー」


 「つまんない」「俺にだって」



 一部の生徒から不満の声が上がった。



 それが恐ろしいものだと言われても、実際に自分の目で、肌で感じなければ実感がわかないものだ。



 僕らはCEMとの戦いを知らない。


 僕らはその恐怖を知らない。



 僕は先生の指示が絶対だと思うけど、声を上げた生徒たちの気持ちも多少は理解できるような気がした。



 その一方で沈黙するその他の生徒たちは、ただただこの空気をやり過ごそうとしていた。



 先生に逆らって何になる。


 危険が迫っているならば安全な場所にいるべきだ。



 声を上げたのは一部の生徒たちで、彼らは同じ場所に固まって座るグループを形成していた。



 それはこのクラスの生徒数から考えれば二割に満たない数だが、多少の人数がいるようだった。



 しかし無視できる数ではないのも事実で、先ほどから委員長と呼ばれていた青峰さんが何か言いたげに彼らのことをじっと見つめ、拳を握ったり開いたりしていた。



 「学舎という性質上、生徒の自主性は尊重したいところだが、今回に限ってはおまえたちに意見は求めていない。教室で待機の指示は大和管理センターからの指示であり、絶対だ。教室内でどのように過ごすかは自由とする。これは生死に関わる問題だということを忘れるな」



 先生は淡々とした口調で告げる。



 教室に入ってきたときの疲れた雰囲気は消え去り、温度のない言葉だけが乾いた唇から放たれていた。



 僕はそれが坂村先生の生徒に対する真剣な態度の裏返しのように映った。



 だって先生という存在は生徒に厳しくあっても、その行動は生徒のためを思ってのことなのだから。



「坂村センセー、さっき外に向かっていった新入生がいましたよー?」



 不満を漏らしていた女生徒が立ち上がり、先生にくってかかった。



 金髪のポニーテールと青色のシュシュが目に止まる。



 先生はその生徒の言葉に、一瞬だけ苦虫を噛み潰したような表情を見せたが、すぐに感情を殺したような無表情に戻って淡々と返答する。



 「それは特別科の新入生だろう。彼らは戦闘には参加しないが、先のことを考慮して戦場の空気を肌で感じてもらうことになっている。実際にCEMの処理を担当するのは特別科の在校生と卒業生たちだ」



 先生のいう 『先のこと』というのは、特別科の新入生もいずれは実戦へと赴くことを指しているのだろう。



 これはいわば職業見学のようなものだろうが、だとすれば嫌な職業見学もあったものだと僕は思う。



 命懸けの職業見学。



 どれだけの覚悟があれば自分の命をかけられるのだろうか。



 たかだか十数年生きただけの僕らがどうすれば覚悟を持てるのか。



 僕にはわからなかった。



 それでも特別科の在校生と卒業生は戦うんだ――僕らと年齢は一つか二つしか違わないのに、怪物と命のやり取りをするんだ。



 特別科在校生――食堂で出会った楯無さんと白義さんのことを思い出す。



 僕には彼らのように成長した自分の姿が想像できない。




 そして、当然その戦場には先輩もいる――っ。




 先輩のことを考えると、頭の中に痛みが走った。



 気づけば僕は先輩のことを思考している。



 そんな痛みを感じている僕のことなど知る由もなく、教室の会話は続いていた。



 「でもでもー昨日の今日、入学したばっかりで今の普通科と特別科の生徒に違いがあるとは思えないんですけどー?」



 金髪ポニテの女生徒はなおも食い下がっていた。



 グループと思われる周りの生徒も同調して、そうだそうだと言葉を重ねる。



 それが褒められた行為ではないにしても、先生に確固として意見をぶつける強さを、自分が前に立つ強さを、その生徒は持っていた。



 それがたとえ的外れな意見だったとしても――弱い僕とは対極の存在だと思えた。



 自分の我儘を主張できる傲慢ささえ、弱い僕には羨ましかったのだ。



 「そう思っているのはおまえたちだけだ。特別科の新入生は覚悟を決めてこの学園に入学している。学園はその適性を、覚悟を見定めた上で入学させている。覚悟のないものはじっとしているべきだ」



 先生は語気を強めて言葉を発する。


 ――おまえらには覚悟がない、そう言っているのだ。



 その瞳の奥には、有無を言わせない凄みがあった。



 「だからって危険なのには変わりないじゃん、なんなの」



 金髪ポニテの女生徒は先生の視線に耐えかねたのか、不満げに顔を逸らして着席した。



 どうやら彼女はその後に続く言葉を持ち合わせていないようで、先生への抗弁を諦めて周囲の生徒と何かを話し込んでいた。





 「では以降、指示通り教室で待機するように」



 先生は待機の指示を残して教室を後にした。





 一部の生徒が先生に抗弁するも、それに屈する先生ではなかった。




 僕は先生と生徒のやり取りで、結果何も起こらなかったことに安堵する。




 そして教室が静寂を取り戻し、生徒たちもそれに倣うように自習の時間が訪れるのかと、そう思ったのとき――





 「先生もいなくなったことだし、CEMを見にいくぞ」



 1人の男子が言葉とともに立ち上がった。



 柄物Tシャツにジャケットを羽織り、金色のネックレスをつけた男子。


 一見してラフに見える格好だが、その服や装飾品は相当に値段の張るものだった。


 緑髪の彼は身長が高く、体は鍛え上げられているのが服の上からでもわかるほどに盛り上がっている。




 彼は強い。


 一眼見てそう思った。


 その強さに見合うように、お金も、人を集めるカリスマ性も持ち合わせている。




 僕のように持っていないやつは何も持っていないのに。


 彼のように持っているやつはなんでも持っているのだ。




 「いきますかぁー」「いこいこ」


 「面白そうー」「緑川さん俺らもお供しますっ!」



 立ち上がった緑髪の男子に倣うようにして数人の生徒が立ち上がり、教室から出て行こうとする。



 その中には先生に言葉をぶつけていた金髪ポニテの生徒もいた。



 最初に立ち上がった緑髪の男子が先頭を切って、それに寄り添うように金髪ポニテの子が続いた。



 そして金髪ポニテの子を囲うように固める男女三人、その後ろに柄の悪そうな男子が四人続く。




 総勢九名の男女グループが教室を出ていこうと移動を開始する。



 彼らが教室の扉の認証へと手を伸ばそうとしたとき、1つの声がそれを制した。




 「あ、あなたたち待ちなさい」



 美しい青色の短髪が揺れた。


 同じく揺れる瞳には緊張、不安が見てとれる。



 教室を出て行こうとする生徒の集団は、お世辞にも柄がいいとは言えない。



 そんな集団に対して、この青髪の女生徒は自分の震えを押さえつけ、1人勇気を出して立ち上がり、声を上げたのだ。




 『世界を変えるためには、どんなに不恰好でも行動しなければならない』




 「あぁん? なんか文句あんのかよ青峰」



 青髪の女生徒は威圧するような声に一瞬怯むも、沈黙することはなかった。



 「あるわ。あなたたち教室を出ようとしているみたいだけど、学園からの、ひいては大和管理センターからの待機指示を無視するつもり?」



 青峰さんは緑髪の生徒に気圧されながらも事実確認の言葉を紡ぎ、先生から伝えられた指示をリーダーと思われる緑髪の生徒にぶつけた。



 「なんだよ青峰。委員長サマのいい子ちゃんアピールか。大和からの指示なんて俺には関係ねーな」



 緑髪の生徒は咎められていると理解していながらも、その様子はどこ吹く風で聞き流しているようだった。



 「いい加減にして。いま学園の外に出ることが危険だってわからないの?」



 「外が危険だあ? おいおい笑わせんな委員長サマよ。大和の指示通り教室で待ってろってか? 全く、ここで怖気付くようなやつは全っ然っダメだ」



 おまえは何もわかっていないと、リーダーとおぼしき男子は首を左右に振った。



 「緑川、あなた何を言っているの……」



 彼らの言動は興味本位、もしくは先生への反抗だと僕も思っていた。



 僕と同じように考えていたと思われる青峰さんは、煽る言い方で委員長と呼ばれたにも関わらず、その言葉に怒るでもなくただただ困惑していた。



 対して緑川という男子は何らかの持論を持っているようだった。



 彼は横柄に両手を広げ、まるで演説でも始めるかのように教室のクラスメイトへ語りかける。



 「いいか。何も考えられない無能なお前らに俺様が教えてやる。学園は普通科と特別科を分けちゃあいるが、カラーの授業を普通科にも受講させている。これがどういう意味を持っているのか……わかるか委員長」



 どこか確信めいた自信を覗かせる緑川から青峰さんへと投げられる問い――その意味するところは一体。



 「それがなんだっていうのよ。大和で生きる上で知っておいて損はないことでしょ。世界の新概念であるカラーのことを学習するのは理にかなっているもの。他に何があるっていうのよ」



 「わかんねぇか……三下委員長ならそうだよなぁ青峰。いいか、教えてやる。これは試験なんだよ。俺たちは学園に、大和に試されている。カラーという新概念を知って、世界の情勢を知って、怪物の存在を知って、お前はどうするんだと言われてんだ。入学試験ではカスだった俺らに与えられた這い上がるチャンスなんだよ、これはな」



 試験? 試されている? 


 緑川は僕たちが知らない何かを知っているのか……?



 「試験ですって? 意味がわからないわ。先生の指示通りに教室にいるべきよ」



 青峰さんは緑川の発言を取り合うことなく、学園からの指示を、ルールを守ることを再度伝えた。



 「あのなぁ……だったらなんで先生は教室から出て行った? 生徒を守りたいならずっと監視していればいいじゃねぇか」



 「そんなの関係ないでしょ。先生には職務があるのだから仕方ないじゃない」



 「ハッ――笑わせる。命がかかっているとかホザいて生徒をほったらかしか。いいか、もう一度言うぜ。学園は俺たちを試している。この安全が約束された大和って世界でのうのうと育ってきたクソガキどもに、いざってときに自ら危険に飛び込む覚悟があるのかってなァ。だから俺様が試されてやろうってんだ。この――緑川龍志様がな」



 緑川の語る先生の行動に関しては理解できる点もあるが、それを学園が僕らを試しているなんて考えにしてしまうのは、ただの論理の飛躍にすぎない。



 その考え方には無理があると僕は思った。



 だがもしかすると緑川は他に何か、学園が僕らを試していると彼を確信させる情報を知っているのかもしれない。



 そうでなければ、授業の内容や先生の行動程度で自分の命が危険に晒される判断には至らないはずだ。





 いつの間にか僕は、緑川が知っているかもしれない真実が気になっていた。





 「ちょっと。あ、あなたねぇ――」



 「もういいだろ。優等生のいい子ちゃんは教室で大人しくお勉強でもしてな」



 結果として1人立ち上がった委員長の説得もむなしく、緑川と数人の生徒たちは教室を出て行った。





 緑川たちが教室を後にした直後のこと。


 沈黙が支配する教室に声が響いた。



 「……私は職員室に行って彼らのことを先生に報告してくる。これは委員長としての仕事だから、みんなは教室で待機していてね」



 委員長は重い口調で言葉を残して駆けるように教室を出て行く。



 翻る美しい青髪と蝶の髪留め――垣間見えた委員長の瞳には、決意が宿っていた。



 「み、みんな! 自習とか好きなことしてよう? こんな雰囲気絶対よくないし!」



 再び暗い沈黙に沈んでいくと思われた教室の中で、1人の女子が周りを気遣うように声を上げた。



 その声を発したのは――



 その愛らしい声からその色が想像できてしまうような、可愛らしいピンク色の髪に愛嬌のある笑顔の女子だった。



 おそらく彼女は人とのコミュニケーションが得意なのだろう。



 彼女はできて2日目というクラスの中で、クラスメイト一人一人にしっかりと向き合い、笑顔で声をかけていく。



 やがて彼女の献身はクラス全体の雰囲気を変えた。ピンク髪の女子はその笑顔で数十人の暗い沈黙を穏やかな静寂へと変えてしまったのだ。



 僕はそんな彼女の明るさには敵わないなと思いつつ、次の自分の動きをイメージしていた。



 家族の魔法を使用して、今やるべきことを思い描く。



 ピンク髪の女子によって落ち着きを取り戻した教室の中――僕は機を見て立ち上がった。



 「くこぉ……すぅ……兄ちゃん、頑張るから……ぐう……」



 目の前の席では先ほどのひりつくやり取りなどなかったかのように、赤髪の男子が大きないびきをかいて眠っている。



 僕はお手洗いに行くとピンク髪の女子こと――桃花鳥(とき)さんに伝えて教室を後にする。



 彼女に声をかけようとして名前を教えてもらったのだが、とても美しい名前だと思う。



 僕は彼女に嘘をついたことに罪悪感を覚える。



 桃花鳥さんを心配させまいとついた嘘だったが、それでも嘘は嘘だ。




 けれど――どうしても委員長の瞳の奥に見えたものが気になったのだ。




 そして職員室で委員長のことを坂村先生に確認してみると、案の定委員長は先生の元を訪れていないという。



 委員長は緑川たちを追いかけていったのではないか、という僕の予想はこの時点でほぼ的中したと言っていい。



 だったら僕が取るべき行動は決まっている。



 僕は委員長の動きを確信しながら学習棟を抜け出して、学園の外を目指す。



 正直な話をすると、僕は目の前の席で我関せずと眠っていた赤髪の彼のように、今日起こるかもしれない何とも関わらず、教室で安全に過ごしていたかった。




 それが――僕の偽らざる本心だ。




 でも――今日の僕はいつもの僕でいたくなかった。




 それは、先輩の言葉が胸の中で強く響いていたからに他ならない。




 『前に進むために勇気』




 僕の中の白い何かが警鐘を鳴らす。




 それでも――僕は。




 今日という日、僕が変わるきっかけになるかもしれない日だ。




 先輩が変えてくれた日常には、何かが変わる期待と、何かが起こる不安があった。


 その中で知らされたCEMの出現、緑川たちと委員長のやり取り。




 僕の中の不安は増大し、世界に黒い影をちらつかせる。




 それは僕に、より一層の危険を抱かせた。




 でも、それでも。




 心の中でちりちりと燻る感情に勇気という名前を与えて、僕は行動する。





 ――何かを変えるために。

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