第5話
発車ギリギリに乗車した俺は重い頭を抱えて俯いていた。
それは直接頭に響くオレの声のせいで引いていたはずの痛みが再びズキズキと痛みを主張していたからだった。
そんな俺の頭上から明るい声がかけられる。
「お? 誰かと思ったら御園っちじゃん。おっはー」
「……!」
俺は返事をしようとするが、上手く声が出なかった。
そして喉に焼けるような感覚。
先ほど吐いたせいで喉をやられてしまったのだろう、声が上手く出せない。
「朝なのに御園っちは暗いなぁ〜。ちゃんと朝ごはんで栄養摂取してる? ――いや御園っちに限ってそれはないか。どうせトレーニングのしすぎとかでしょ。努力のオタクっ!」
彼女がやれやれと言った口調で腕組みしていた両手を腰に当てた。
すると両の腕に隠されし栄養の詰まっていそうな双丘がばるんと揺れた。
一般的な体型の女子ならばその圧倒的な差に卒倒してしまうに違いない。
私は栄養満点だぞというアピールだとすれば色んな意味で過激だろうが、こいつはそんなことを考えるやつではないと、俺は知っている。
この目のやり場に困る容姿のくせにボーイッシュな格好を好むツインテール女の名前は黄更一花――俺と同じカラー使いカラードを育成する学校『鬼庭学園』の在校生だ。
彼女と俺は1年前、新入生の時に選択した授業に同じ科目が多かった。
同じ授業が多かったことで仲良くなった。
いや、本当はお互いに授業をさぼり気味だったことで意気投合した――という不純な出会いの経緯がある。
「――ぷは。逆に訊くが、黄更はこの朝っぱらからどうしてそんなに元気なんだ?」
俺は持参していた水筒の中身で喉を潤してから、目の前の栄養満点女に問う。
「ふっふっふっーよくぞ聞いてくれました。それはね――じゃっじゃーん!」
黄更が意気揚々と自前のリュックから何かを取り出したかと思えば、その手に握られていたのは――弧を描く黄色い棒、そのサイズがやたらとでかいのは気になるが……。
「――バナナかよ」
サイズがデカいだけの黄色いバナナだ。どこからどう見てもただのバナナだ。
一点補足するところがあるとすれば、アジア防衛機構産と書かれた仰々しいシールが貼られているということくらいか。
「あー御園っち! いまバナナを馬鹿にしたでしょー。バナナを馬鹿にするものはバナナに馬鹿にされるんだからねー!」
バナナは人を馬鹿にしない。
俺はバナナから連想される答えを思いつきのまま矢継ぎ早に口にする。
「まさか――一部のバナナ好きがバナナだけを食べて生きるという目的のために生涯を費やして完成させたとかいう完全食バナナ、しかしそれは世界中のバナナ愛好家たちが奪い合って行方不明になったとかならなかった幻の一品のことか?」
「ちっがーう! そんなバナナはなーい! 真面目に考えてよ真面目に」
ぷんすかと怒る黄更は顔を近づけて俺に答えを催促する。顔が近い。
腕を組んで目を閉じ、バナナについて真剣に考える俺はかつて読んだダイエットの歴史という本に出てきた内容を思い出した。
「黄更はバナナダイエットをしている――どうだ?」
こいつは胸がでかいくせにその他の部位が細すぎる。それはダイエットでもして無理に体を絞っていなければ考えられない。
黄更の実家は大和を統治する大和十華の一つに数えられる名家だ。食べ物に困って痩せ細ることはありえない。
「ひどーい。女の子に向かってダイエットはないでしょー。まぁバナナ生活をしていることは間違ってないけどさー。バナナは1日3食、この学園に入ってからずっと続けてる!」
鬼庭学園への入学から――つまりそれは1年間だ。
1年間、1日3食のバナナ、それもこのクソデカサイズを、か。
――それはもうただのバナナ狂いでは?
いまこいつの体を絞ったらバナナジュースが出てくるのではなかろうか。
俺はそんな感想を胸にしまい、至極当然の疑問を問うことにした。
「その食生活、逆に栄養が偏っているんじゃないか?」
バナナは糖質の補給に優れ、他の栄養素も摂取できる万能果実だ。
しかしバナナがいかに優れていようと何事も取りすぎは毒であり、食事とはバランスである、というのが料理を嗜む俺の自論だった。
バナナが優秀なのは認めるが、当然バナナからは摂取できない栄養が多く存在するのもまた事実だろう。
「あーはいはい。御園っちってば、いま頭の中で色んな視点から理論を組み立てて考えてるんでしょー。御園っちはいつも考えすぎー。このバナナの秘密、悩むことは何もない。ヒントは目の前にあるんだからー」
黄更の言葉に俺は思考を一旦止めた。
確かに考えすぎるのが俺の悪い癖なのは認めるが、これは一年前からの習慣なのだ。これを変えるのは難しい――
「なにがヒントだって――あっ」
俺はバナナを注視して気づく。
そこにはアジア防衛機構、いまや世界最大の資源国家群の名前があった。
「このバナナはアジア防衛機構産なんだけど――」
きゃっきゃっと高めのテンションで長い説明を始めた黄更だが、話の内容をまとめるとこういうことになる。
地球の勢力争いは資源戦争といわれた第三次世界大戦の後、巨大隕石の落下とCEMの出現に伴い劇的に変化した。
世界情勢は、アメリカ合衆国を中心に南北アメリカ大陸がヒーローという概念でまとまった『アメリカ英雄連合』。
ロシアと中国が欧州からのCEM流入を防ぐために手を組み、近隣のアジア諸国を取り込みながら軍事政策を推し進める『中華ロシア軍事同盟』。
巨大隕石落下の余波とCEM侵攻によって多くの被害を受けた欧州諸国がグレートブリテン島を拠点に新たな宗教――『色彩教』を興してまとまった『ヨーロッパ聖教国』。
オーストラリアが盟主を務め、中華ロシア軍事同盟の考えに否定的な多数のアジア諸国が集った『アジア防衛機構』。
大阪国民による世界の統一を掲げ、旧日本の本州とハワイ諸島および朝鮮半島を瞬く間に占領した『大阪』――この5つに分けられる。
旧日本領に建設された2基のコロニー、北海道に位置する『天津』は『中華ロシア軍事同盟』に参加していて、俺たちの暮らす『大和』は『アジア防衛機構』に参加している。
ここでようやくバナナの話――食糧事情についての話になるが、アジア防衛機構は各勢力の中でも食品の品種改良に力を入れており、アジア防衛機構参加国は生産効率と栄養価の高い品種を優先して入手できるという恩恵を得ているのだった。
「その品種改良された成果物がバナナ……ね」
我々大和の人間は品質の良い食糧を入手できる環境にある。
そしてその中で黄更が恩恵を受けているのがバナナである……ということか。
しかしその品質の裏側には単価の高さがあり、俺のような一般国民が口にできるものではないということを黄更は知らないようだった。
「そーいうこと。バナナの偉大さがわかったかなー御園っち。それでね、オーストラリア産のバナナは日本人が食べていたフィリピン産に比べて味が素朴だったんだけど――」
「わかったわかった。おまえの言いたいことはわかった――」
黄更の延々と続きそうなバナナうんちくを止めた俺の言葉を遮るようにして、軽快な音楽とともに車内アナウンスが流れ始めた。
『ただいま学園区画全駅を通過致しました。次は研究区画各駅に停車いたします。これより当車両は区画間走行モードへと移行いたします。照明の明滅にご注意ください』
「なぁ黄更……」
アナウンスをきいた俺はがっくりと項垂れて深いため息をついた。
「あはは……学園の駅、通り過ぎちゃったね……気付いたら周りの人、誰もいないや」
電磁車両紫電は旧式のリニアモーターカーを改良したものであり、今となっては最先端の技術ではないものの、その速度は折り紙付きで各駅間の走行に1分とかからない。
そしてアナウンスの中にあった区画間とは区画を隔てる区画間外壁ホワイトウォールの中のことであり、そこには一般人が普段立ち入ることのない施設および機能が詰め込まれているらしく、整備や点検のための無人駅が存在するのだが……。
「暗い車内でただただ待つだけの時間……虚無だ」
本来ならば通過するだけの無人駅。
しかし学園区画と研究区画の区画間にある無人駅だけは特別なのだ。
大和を周回する紫電は、その1周ごとに無人駅で簡易的なメンテナンスを受けるために停車する。
つまりそれが学園区画と研究区画の区画間にある無人駅で行われるわけで……。
「もーそんな顔しないでよ御園っち〜バナナあげるからさ〜」
「なんでバナナのせいで遅刻ギリギリに登校しなといけないんだよぉぉぉぉぉ!」
俺はあまりの理不尽に叫んだ。しかしその声は無人駅でシステムチェックを行う車両の中において、何の意味も持たない。
俺と黄更は真っ暗な車内に二人きりとなってしまっていた……。
しばらくの時間が経過して、ようやく紫電が動き出した。
俺たちはその時間を二人きりで過ごして研究区画の最初の停車駅で紫電を降りる。
そして俺は折り返しの車両に急いで飛び乗った。
「はぁ……なんかどっと疲れた気がする。今日という大事な日にこんなゆるい感じでいいのかね……」
ちらりと時計を見て現在の時刻を確認する。
学園に到着するのは始業ギリギリになりそうだった。
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