第4話

 俺たちの住む街――大和は、旧日本領九州に建設された唯一のコロニー級構造物である。



 日本は巨大隕石落下による余波への対応策としてコロニー建設に舵を切った。



 日本は東京の崩壊による国内の動乱によって世界各国に遅れをとったにも関わらず、東京で建設中だった軌道エレベーター技術を一部流用することで、世界最速の完成に漕ぎ着けた。



 大和コロニーはかつて九州を構成していた旧福岡県、旧大分県、旧熊本県、旧宮崎県に跨がるよう建設された円筒状の巨大構造物であり、その大きさは地下深くから雲の上まで伸びているらしい。



 そしてその巨大構造物は、大和統治機関『大和十華』によって機能、運営されていた。



 大和の全権を握る統治機関、『大和十華』の施設が置かれているのは、先ほど起床鐘を響かせた白く巨大な塔――大和管理センターセントラルホワイトである。



 この塔は円筒状の大和コロニーの中心に位置しており、ケーキを切るように6等分された大和全ての区画に繋がっている。



 そして6等分された区画間の移動には電磁車両『紫電』を使用するのが一般的だ。



 その際はセントラルホワイトの周りを周回する内回りの車両か、コロニーの外縁を周回する外回りの車両、どちらかの紫電を使用する。



 俺と透架が暮らす高層マンションは大和の大多数の国民が暮らす居住区画の中にあり、俺たち学生の目的地である学園は学園区画というたくさんの学園が集められた1つの区画に存在していた。



 この居住区画と学園区画という2つの区画は、区画を隔てる区画間外壁ホワイトウォールを挟んで隣接する別区画となっている。



 学園区画の先には研究区画が区画間外壁を隔てた先にあるが、こちらに向かう人間は限りなく少ない。



 研究区画の人間は研究所に缶詰めになっていることが多く別の区画に移動することが珍しいため、この居住区画の発着駅から紫電に乗車する人間は、そのほとんどが学園区画に移動するために紫電を利用している。



 この混雑を避けるためには自動車を使うしかないが、結局のところ自動車を使えるのは上級市民様だけに限られるので、俺たち一般国民は紫電を使うことを強いられているのだ。



 世の中にはお嬢様のくせに紫電を利用する物好きもいるようだが、それは恐らくイレギュラーであり例外というやつだろう。



 その他にも短距離転送装置なるものが存在するが、俺は飛ばされる感覚が好きになれないため、緊急時にしか使用しないと心に決めていた。






 「毎日のこととはいえ、この光景はいつ見ても気が滅入るねぇ……」



 大和の全区画を周回する電磁車両――『紫電』。



 その外回り車両が発着する居住区画の駅には今日も人が波のように押し寄せていた。



 毎日のこととはいえこの光景を見ていて気が滅入るのは、大和に住まう一般国民であれば誰もが通る道だと俺は思う。



 朝の居住区画の駅では降車する人よりも乗車する人のほうが圧倒的に多く、当然ながら車内は寿司詰め状態になってしまう。



 ――かくいう俺も、 今からその寿司の一部となるわけだが。



 俺は眼前の光景にも怯まず、意を決して人垣の中へ飛び込んでいく。



 「うおっ、ぐ、ぐるじい……」



 決意とともに飛び込んだまではよかったのだが、俺は寿司詰めとなった車内で乗客にもみくちゃにされ――顔を窓に押しつけていた。



 今の俺を外から見れば、それはそれは無様な姿を晒しているに違いない。



 それは出荷される家畜のような哀れみを表現していることだろう。



 そんなことを考えていると、突然紫電の車体が揺れた。



 それは紫電が移動を始めた揺れではなく、窓から徐々に伝わって大きくなっていく微細な振動だった。



 その振動の発生源を探る。



 それは窓の景色を黒く染める質量の塊――隣の路線を走る黒塗りの車両が起こしたものだった。



 黒塗りで無骨、轟音を響かせる車両のことを他の誰も気に止めようとしない。



 それは黒塗りの車両があたかも現実に存在していないかのような扱いだった。



 皆、自分の役割があってこの車両に乗っている。波風を立てずに自分の役割をこなしていれば平穏に暮らせるから、外の景色に思いを馳せることなど忘れてしまっているのかもしれない。



 あの質量の塊が俺にだけしか見えていない幻覚ということはないはずだ。



 彼らは意図して見ないようにしている、あるいは怯えているのかもしれない。




 ――その圧倒的な色の存在に。




 黒塗りの車両が黒い煙を上げて力強く進むその姿には、どこか懐かしさを覚えた。



 同時に過去の光景を思い出した俺は吐き気を催して口を押さえる。



 それは全てを塗り潰す黒の極彩色、黒き極光。



 全てを塗り潰すという個の否定。個人の色は否定され、上書きされ――そこには全てを塗り潰されて冷たくなった寂寞感だけが残される。



 脳に焼き付いた光景、黒き極光――それは死のメッセージ。



 過去から這い出てきたメッセージは俺の頭を引き裂くノイズの奔流となって痛みを生み出し、俺の精神を蝕んでいく。





 この世界では色が強い意味――力を持っている。





 同時に色こそが個であるいう考え方がカラーの研究とともに広まっていた。



 ゆえに個人のカラーを塗り潰すということは――存在の否定、死を意味する。



 頭が割れるように痛い。時間の感覚が曖昧になっている。



 その激痛は体が内側から食い破られそうな錯覚さえ覚えるほどの痛みだった。



 ――その時、車内アナウンスとともに風が俺の頬を撫でた。



 どうやら紫電が停車駅に停まったらしい。



 紫電がいつ発車したのか、先ほどまで走行中だったのか、痛みで感覚が曖昧になっていたせいで気づかなかったがなんとか助かったようだ。



 紫電の扉が開くと同時、俺は頭の中の光景を振り払うようにして車内から飛び出した。人の壁をこじ開けるように進み、なんとか脱出に成功する。




 「おっと」




 前屈みに寿司詰めの車内を飛び出した俺は前方不注意で、紫電への乗車を待って最前列に並んでいた人とぶつかってしまう。



 その相手が俺とぶつかってもびくともしないような大柄の男性だったことは不幸中の幸いといえた。



 これが華奢な女性だったら怪我をさせていたかもしれない。



 俺はその事実に安堵する。



 ぶつかった相手に怪我は無いようだったので、俺はすいませんと一言謝ってから足早に洗面所へと駆け込んでいく――そんな俺の背中に声がかけられた。





 「あなたにも黒天の加護があらんことを」










 「はぁ……はぁ……」



 俺は最悪の気分を振り払うために頭から水を被った。



 冷たい水が悪夢を洗い流すようにして心を落ち着かせてくれる。



 先ほどの黒き極光が俺にもたらしたのはカラーを塗り潰す行為――個の否定はカラーを力に変えて戦う俺たちカラードにとっては猛毒であり、これが俺でなければ即死していてもおかしくはない。



 この行為が周囲の人々に対して行われていれば大惨事になっていたはずだ。



 紫電の他の乗客たちが黒き車両を認識していなかったのは、認識を阻害する何かがあってセーフティーとして機能していたのかもしれない。



 セーフティが俺にだけ機能しなかったということか。それは――



 「ぐっ」



 黒い車両のことを考えると頭が痛んだ。今は考えるべきではない。



 俺にはやるべきことがある。



 今、優先すべきもののために全力を尽くせ。



 「ふぅ……死ぬかと思った」



 俺は冷静さを取り繕って先ほど起きたもう一つの出来事を振り返る。



 自分に余裕がなかったとはいえ、ぶつかった男性には申し訳ないことをした。



 機会があればきっちり対面して謝りたいところだが、彼はすでに紫電へ乗車した後だろう。



 この数千万の人間が暮らす巨大な大和コロニーの中で名前も知らない特定の人物を探すのは難しい。わかりやすい特徴でもあれば別だろうが……。



 そういえば先ほどぶつかった男性は礼服のような黒い服装に数珠のようなペンダントをしていた。



 これらの特徴から推測できるのは、どこかの宗派の神父ということくらいか。



 確か大和にもいくつか教会があったはずで、そのいずれかに所属している可能性は高いだろう。



 もしも教会に足を運ぶ機会があれば、彼を探してみるのもいいかもしれない。



 信仰を持たない俺がそんなことを思ったのは、彼に謝りたいという気持ちよりも彼が放った最後の言葉が気になったからだ。



 ――あなたにも黒天の加護があらんことを。



 「黒天の加護か……。今日、このタイミングというのが妙に引っかかる」



 黒き極光のイメージに苦しめられる俺と、偶然降りた駅で偶然居合わせた男にかけられた言葉の奇妙な合致。



 黒き極光と黒天の加護――ただ単に同じ黒というだけで、まだ偶然で片付けられるレベル……のはずだ。



 ――なに甘いこと言ってんだ、俺。どう考えても怪しいだろうが。あんなやつはさっさと始末するに限るだろ。



 洗面所の鏡に映る俺の顔が、もう一人のオレに変わる。俺の考えていることは全てオレには筒抜けになっていて、オレの声は俺にしか聞こえない。



 「ただの偶然の可能性もあるし、確定的な証拠はないんだ。それだけで始末するなんてのは理論が飛躍しすぎだ」



 ――別にお前が動かないのならそれでいい。代わりにオレがやるだけだ。オレは目的の障害になるやつは徹底的に排除する。先輩の願いを叶えるんだろう? オレは人を誑かして自分は何もしない神とは違うぜ?



 もう一人のオレは暴力的な解決を好む。手っ取り早く、結果を手に入れるのが好きだった。協力してくれるならもっと俺の考えに寄り添ってほしいものだが。



 「もう黙ってろ。先輩を助けるのは俺の誓いだ。お前じゃない」



 俺はもう一人のオレを否定するように鏡を叩く。トイレに設置された鏡の機能を持つミラースクリーンが俺を嘲笑うように揺れた。



 ――ククク。いつまで強気でいられるかな。お前の心が弱れば、オレはすぐにでも体を乗っ取ってしまうぞ。いいか、オレからお前が生まれたんだ。覚えておけよ、俺。お前は白き神の力が生み出した仮の存在、その価値を証明し続けなければ吹いて消えるちっぽけな存在だ。お前が先輩の願いを叶えられないのならば、オレがやってやる。そうならないようにせいぜい足掻くことだなぁ。ヒヒ、ヒャヒャヒャヒャ!!!



 歪むミラースクリーンの中で、歪んだオレが笑う。



 一年前、俺の中で覚醒したもう一人のオレ。



 そいつは俺が生まれたときからずっと俺の中にいて、眠っていた。



 俺の絶望によって目覚め、覚醒したオレは体を乗っ取ろうと画策している。俺が弱ったときを狙い、体のコントロールを奪うつもりなのだ。



 俺は暴力で全てを解決しようとするもう一人のオレに体を明け渡すつもりはない。



 それは俺が、俺自身が受け取った願いを叶えるために行動しているからだ。



 しかし話してみれば、もう一人のオレも願いを叶えようとしているらしい。



 オレは頑なに理由だけは話してくれないので、俺はどう接すればいいのか迷ってい

た。そして考えてみれば――こいつも、俺なんだよな……。


 

 「言ってろ。あと体は渡さないからな」



 もう一人のオレと議論しているうちに、次の車両がホームに到着する胸を伝えるアナウンスが聞こえた。



 学園の始業まではいくらか時間に余裕があるとはいえ、先ほどぶつかった彼を探している暇はない。



 俺は会話を終わらせる一言でオレに対して釘を刺してから、後続の車両に飛び乗るのだった。

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