第3話 1章 この世界は
「黒兄さんが作ってくれたと考えれば透架嬉しい!」
「おい」
雰囲気を変えたい意図は理解できるがもっと他になかったのか。
素直に感想を言ってくれるだけでいいのになぁ。
そんなことを思いつつ自分で調理した朝食に箸をつける。
「うん。間違いない味だ」
焼きたてのトーストは端からチーズが溶け出して食欲をそそり、カリカリのウインナーは噛むとパリッという小気味のいい音を立てて肉汁を口の中に溢れさせる。
黄身がトロトロの目玉焼きには醤油をかける。これこそ日本の和の心だ。
レプリカフードで作ったサラダは新鮮さという意味で本物に劣るが、自家製ドレッシングの酸味が真贋を忘れさせてくれる。
まろやかなコーンスープは不思議なくらいにホッとする味をしていた。
我が家2人分の食事――家族の朝食。
「朝食美味しいよ、白兄。ムカつくけど」
「なんでムカついたの!?」
「はぁ〜こんな朝食が毎日食べられて私は幸せだなぁ。もぅ黒兄さんと結婚しちゃおうかな〜」
「結婚しなくていいからね!?」
「でも料理ができるのはポイント高いと思うけどな〜。だってパンが冷めないようにお皿が温めてあるし、ドレッシングが下に溜まらないよう適量になっていて、なによりウインナーが私好みの焼き加減で配慮の鬼かよって感じ」
「配慮を全て指摘されると恥ずかしいね!?」
俺は朝食で女性の点数稼ぎをしようとは思わない。
男としてはもっと別のところで評価してほしいものだ。
「全く見るところはしっかり見て気づいているところはほんと――」
言いかけて着信音が鳴った。どうやら俺宛のチャットが届いたらしい。
「これは叔父さんからだな」
毎日朝一番でチャットを送ってくるのは叔父くらいのものだ。
これには透架もいつものことだと深くは突っ込まない。
俺はチャットアプリを起動する。するとアプリ画面が網膜に投影され、現実の空間に重なるようにして半透明のウィンドウが映った。
そこに表示されたメッセージに目を通す。
「うん。まぁいつもと同じだな」
内容を確認した俺は毎日そうするように、いつも通りのため息をついた。
そのため息は送られてきた内容に起因する。
叔父さんから毎日送られてくるのは、いつもと同じ『変わったことはなかったか』、という現状確認の簡素すぎる一文のみだった。
1年前――俺は学園に通うのをきっかけに1人暮らしを始めた。
それからある日を境に叔父さんから同じ内容のチャットが、毎日欠かさず朝のこの時間に送られてくるようになったのだ。
叔父さんの気遣いは嬉しいが、毎日同じ文面というのは些か機械的すぎやしないだろうか。
「叔父さんは厳格だし言葉にするのが下手だけど、心配性だよね」
「おまえのことが心配なだけじゃないのか。いや、自分で言っておいてなんだが違う気がしてきた」
俺がそう口にするのは叔父さんからメールが送られてくるようになった日が、透架が退院して一緒に住むようになったちょうど次の日だったからだ。
しかしその理由は当てはまらない。だってそれは。
「それはそうでしょ。だって私は――」
そんな俺たちの会話を重低音が掻き消した。
それは街のどこからでも見える白い塔、大和管理センターセントラルホワイトから響く、決まった時間に発せられる鐘の音――起床鐘の音だった。
鐘が鳴り止むと同時に、活動開始を告げるアナウンスが大和の街全体に鳴り響く。
「大和管理センターがお知らせします。本日西暦2301年4月14日、時刻は6時です。天気は快晴、気温26度。本日の天気は固定、変更はありません。快適な日です。本日も安全な大和の中で、国民の皆さんは活動を開始してください」
この大和の街では、毎日朝の6時に鐘が鳴る。
それは定められたことであり、全ての始まり。
変わるもの、変わらないもの、1年が経過して――今日という日が始まった。
部屋の窓から見えるセントラルホワイトの鐘の音が止んだ。
うちは高層マンションの一室なのでそこそこの高さがあるわけだが、セントラルホワイトは大和の中心であり象徴、この大和にセントラルホワイトよりも高い建築物は存在しない。
「さて、まずはニュースをチェックするか」
俺は日課である朝の報道番組を視聴するためにテレビの電源を入れた。するとホログラムで投影されたテレビの画面が壁一面に展開される。
俺はホログラムに手で触れて、画面を見やすいサイズへと調整する。
このテレビ画面は映画を観るときは大きく、テレビ番組を観るときは小さく、視聴する映像のカテゴリや環境に合わせて好みのサイズに調整できる優れ物だ。
チャンネルを合わせた報道番組の画面には爽やかな背景と、最新の出来事が端的に書かれたテロップ、そしてスーツ姿の清潔感溢れる大人の女性が映っている。
そしてこの女性は実在する人物ではなく、AIが作り出したニュースキャスターに相応しい人物像をモデル化したものだというのだから面白い。
AIもなかなかに趣味がいいじゃないか。
「白兄、鼻の下伸びてる。こういう年上の女が好みなんだ、キモ……これだから男の人っていうのは……あ、黒兄さんはべつだけど!」
正面に座る透架がなにやらぶつくさ言っているが、この大和管理センターが運営するチャンネル大和放送局は、ここ大和で起きている出来事を人の命に関わる大きな事件からイベントの開催情報のような小さなものまで幅広く報道している。
いま大和で何が起きているのかをリアルタイムで知るのにはうってつけのチャンネルなのだ。
そしてその報道内容は裏を返せば、大和を統治する機関『大和十華』が何を隠蔽したいのかもよくわかるということなので、俺はチェックを欠かさない。
かつて1年前に起きた出来事が隠蔽されたことを、俺は知っている。
「巨大隕石が地球に落下して101年、落下の余波とCEMの侵攻による現在の世界情勢は――。『天津』との対『大阪』戦略構想の交渉は決裂、富士機械化要塞の攻略に成功した天津は強気の態度を崩さず――。大和軍コロニー外遠征部隊は中国地方の制圧を完了し一部の学徒を動員して陸路、消滅した『四国』の海路の二方面から大阪が支配する京都要塞攻略へと――。大和十華は華族代表として黄更黎元氏が先のCEM大戦および『東京』消失時の犠牲者に慰霊の言葉を述べ、同意に管理センターの意思決定人事の刷新を――。同盟国『オーストラリア』からの『CED』開発企業誘致について緑川研究所は反対の声明を――。学園区画で一年前に発生した失踪事件について捜査当局は被害者の情報を求め――。区画間通路内で発生した謎の爆発により交通機関の遅延が――」
俺が関心のある話題といえば失踪事件についてだが、今日取り上げられたのは続報が入ったという理由からではなく、1年前の今日起きた事件ということで時間の経過を知らせるものだろう。
行方不明者が見つからないまま1年が経過した学園区画の失踪事件。
行方不明者が見つからないのは俺からすれば当然の内容だった。
それは1年前の今日、俺の目の前で――
「白兄まーた難しい顔してる。黒兄さんのイケメン顔が台無し」
この話題は俺にとってデリケートなものなので、自然と表情が硬くなっていたようだ。
「ああ、すまん……ちょっと考えすぎていたかもしれない」
考えても失ったものは戻ってこない。
考えても仕方ない。
わかっている。理解している。
でも――頭から離れない。
人間は理解することも納得することもできるが、この2つは同義ではないということを身に染みて実感する。
しかし自分がどう考えていようと、家族に心配をかけるべきではないのも事実だ。
「続きまして国家斉唱――」
俺は大和国民の国防意識を高める歌が流れる前にテレビの電源を切った。
俺が守りたいのは国ではなくて、自分の周りにいる大切な人だけだから。
「万が一ってこともあるし透架も気をつけろよ。この大和の中でさえ安全とは言い切れないからな」
俺は透架に気休め程度の言葉を伝えた。
透架には本当の意味で万が一というレベルの話だろう。それでも俺は家族には無事でいてほしいのだ。これが俺の本音で間違いない。
俺は家族のことをできる限り守りたいと思っているが、いついかなるときも1人の人間を守るなんてことは現実的に不可能だし、誰もが憧れるスーパーヒーローを名乗るほど俺は強くない。
それに透架は――――――から。問題はないはずだ。
「はいはい。過保護な白兄、どうもどうも。ごちそうさま〜」
俺の諫めるような言葉を適当に躱した透架はいつの間にか朝食を食べ終えており、手を合わせてごちそうさまを唱えていた。
その佇まいや凛とした表情は、すでに外行きモードへの切り替えを終えている。
「毎日のことながら食うの早すぎませんか透架さん? ちゃんと噛んで食ってね???」
「は? 白兄があれこれ考えて食べるの遅いだけでしょ。だいたい食事が遅い女が好きとかとかいつの時代の話なの? 女だって食事を早く済ませるもんなの。ざーこざーこ。では、行ってまいります」
「そこまで言ってないし食事が遅い女が好きってそんなやつがいたら逆に見たいわ!」
俺はツッコミと共に食事を一旦止めて、透架を見送りに玄関まで出ていく。
「あぁ、いってらっしゃい」
透架は玄関先で謎の見下した蔑みの一瞥を俺にくれてから出て行った。
「毎度ながら玄関先で相手に向ける顔じゃないよ、ほんと」
玄関の扉が自動で閉まるプシュっという音が、俺と透架を隔てるように虚しく響いた。
透架を見送った俺はパンをスープで流し込み、同じくごちそうさまを唱えて2人分の食器を片付ける。バタバタと忙しない音を立てながら家の中を行ったり来たり、顔を洗い、服を整えて――鏡に映る自分を見た。
普段と比べて特段変化はないように見える自分の顔、その表情。
だがそれは緊張と震えを取り繕って、無理に表情を作っているようにも見えた。
俺は今日という日のために、1年間を過ごしてきた。
今日は特別な日だ。
でも、だからこそ。いつも通りでいたいと思う。
先輩、俺は1年前と変わっていますか?
俺、笑えていますか……?
俺は姿見の前で白と黒が調和した一張羅のスーツをその身に纏った。
そして玄関から外へと一歩を踏み出して円形の扉が自動で閉じたことを確認する。
そして――飛んだ。俺は宙空にその身を投げ出す。
俺は高層建築の200メートルはあろうかというマンションから飛び出した。
これは俺が毎日行っている自殺未遂――ではなく、体の調子を確認するための作業で――――過去を乗り越えるための、繰り返さないための修行だ。
この程度の高さからの落下であれば自分のカラー、先ほど透架に使ったスケルティック・ウォールを行使することで衝撃を吸収することは造作もない。
だからこそ、着地にカラーは使わない。
常にカラーを使うことに馴れてしまえば、カラーが使えなくなった場合に戦えなくなってしまうからだ。
俺はその身に風を感じながら、着地する瞬間に地面で一回転して勢いを殺し、無事着地に成功する。
「よし、調子に問題はない」
俺は日々の鍛錬の成果を実感しながら、何事もなかったかのように学園へと足を向けた。
「世界が――穏やかでありますように」
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