第2話

 「白兄ー、まだ起床鐘の時間じゃないよねー?」



 同じ家で暮らす異性の家族との付き合い方について真剣に考える俺をよそに、洗面所からかけられた声には、わかりやすく衣擦れの音が混ざっていた。



 「ああ、そうだな。あと十五分で時間になる」



 起床鐘で目覚めて各々の職務に勤しむことは、九州に建設された唯一のコロニーである『大和』に暮らす国民の義務だ。



 規則正しく生きていれば後ろ指を刺されることはない。



 「白兄は相変わらず保険に保険をかける人だよねー。ダサ」



 刺々しい透架の言葉に、自分自身まぁそうだなと思う部分もある。



 俺も1年前までは、ただありのままを受け入れて生きる――大和というコロニーの中で生かされているだけの人間だった。



 しかし流されるように生きていては守れないものがあると気づいてから俺は変わった。



 いや、変わろうと努力しているという表現のほうが正しいだろうか。



 「自ら積極的に行動せず流されるままに生きられる世界なら、それも一つの生き方として理解できるけどな……」



 俺は鳴り響く瞬間を今か今かと待ち詫びる目覚まし時計を止めてから答えた。



 俺の空虚な返答は誰に届くでもなく、理不尽な世界に溶けて消える。



 そんな優しい世界は古今東西、どの現実にも存在しないだろうから。






 俺は乱れたベッドを綺麗にしながら2人の女性を思い起こして感慨に耽っていた。



 「先輩……委員長……俺、一年前から前に進めているかな、一年前から変われているかな――ッ」



 真っ白なシーツを見つめることしばし、俺はシャワーの音で我に返った。



 考えても仕方のないことは後回しでいい。



 いまこの時、大事なことを履き違えてはいけない。



 俺にはやるべきことが、果たさなければならない約束がある。



 「よーし! 今日も最高の朝ごはんを作るぞ!」



 俺は自分に言い聞かせるように言葉を放ち、両手で頬を叩いて活を入れた。



 自室からリビング兼キッチンに大股でズンズンと移動して朝食作りに取り掛かる。



 無機質な白を基調とした空間には木製の家具が置かれ、気持ち程度の観葉植物の緑が世界に色を与えていた。



 それらの素材が見た目そっくりのレプリカなのは残念なところだが、案外人間というものは外見に騙されてしまうもので、たとえそれがレプリカ(偽物)だろうと見る人が見なければわからない。



 そう考えてしまうと人間は至極単純な生き物だなと感じるが、それは決して悪いことではない。



 この困窮したご時世、世界中がCEMの脅威に晒されている中で、俺たちのような一般国民が真贋にこだわるような贅沢は言っていられないのだ。



 俺は冷蔵庫の中を確認して朝食に使用する食材を取り出していく。



 我が家にはエネルギーを料理に変換するフードクリエイターが設置されていないため、食材の調理は必須となる。



 元となる食材も家具や植物同様レプリカだが、上手く調理すれば十分美味しいから問題はない……ないのだ。



 拝啓、お母さん。

 全ての調理がボタン1つの時代に逆行して自炊男子は頑張っています。

 純粋に生きなさいとの言いつけを守りながら、食品に不純物が混じっていないか不安を覚えながら毎日を送っております。



 そんなわけで我が御園家の食事は、食材通販アプリでレプリカフードを注文しては自分で調理して食べるという方式になっていた。




 「うおおおおおおおおおおお! 全ての火力を集中だあああああ!!!」




 俺は今、持てる全ての力を朝食作りに注いでいた――最高の朝は最高の朝食から始まると決まっているし、朝に補充される美味しいという感覚が1日の原動力となる以上、朝食作りに手を抜くという選択肢は存在しない。



 「目玉焼きとウインナーいっちょ上がりぃ!」



 古風な飲食店ばりの大きな声で出来上がりを家中に響き渡らせれば、洗面所から聞こえてきていた自動乾燥装置の人工的な風の音が止んだ。



 もうしばらくすれば髪を乾かし終えた透架が戻ってくるはずだ。



 さらに時を同じくして、美味しい焼き上がりを計測する古めかしいトースターの目盛りが、完成へのカウントダウンを進めていた。



 それはかちり、かちりと世界に音を刻んでいく。



 5、4、3、2、1――



 「えいっ」



 トースターの目盛りが0になると同時、柔らかな膨らみが俺の背中に当てられ、ぷにっという音がした。



 果たしてトースターはこのような音を立てる機械だったか――俺は黙考する。



 いや、冷静に考えればわかる。我が家のトースターは前時代的なチーンという音を鳴らすタイプだ。



 中古ショップで安く購入した影響がこんなところに出てしまったか……。



 「最新の家電製品は本来の目的以外のところでも競争しているようですよ。我が家の専用家電の性能に関して何か感想はありますか――黒兄さん」



 透架が後ろから抱きつくようにして俺の肩に顔を乗せている。



 その少し背伸びをする姿に可愛さを感じてしまう自分が悔しいのだが、いつも音を立てずに近づいてくるあたり忍者の才能でもあるのかもしれない。



 俺はたおやかな膨らみが発生させる外的刺激に耐えつつ、平静を装って朝食を皿に盛りつけていく。





 「…………………………」





 透架の体が俺に与える刺激が強すぎるせいで、食事を皿に盛り付けるという神聖な作業に精彩を欠いてきた。



 透架はずっと入院していたせいで初等部と中等部に通っていない。



 それでも家族へのスキンシップくらいはもう少し学んでほしいものだと思う。



 「ちょっと黒兄さーん、無視しないでくださいよー」



 いかに家族の距離感について無知だとしても、悪戯っ子には相応の対応が必要だ。



 そこには一切の手加減をしなくていいと古事記にも書かれていることだろう。



 「俺はシンプルイズベストを信条としている男だ。まずはその専用家電とやらの不要な機能を取り外すか」



 目をきらりと光らせた俺は、体のバネを利用して透架を背負い投げた――



 「きゃっ――」



 透架の体は投げられたことによって宙に浮かび、綺麗な放物線を描きながら椅子に向かって進んでいく。



 このままでは慣性に従って椅子に激突することは避けられない。



 俺は定められた運命を変えるべく――力を行使した。





 「オーダー・スケルテック・ウォール!」





 俺が紡いだ祝詞によって、半透明の壁が宙空に現れた。



 光の屈折によって空間が歪んだように見える半透明の壁は、着替えた透架の服にシワを作らないよう丁寧に体を包み込み、衝撃を吸収してクッションの役割を果たす。



 これが透明という俺の色が生み出した奇跡、世界の新たな概念『カラー』の力だ。



 俺はカラーで作り出した透明な壁によって衝撃を吸収し、透架を半ば強引に椅子へと座らせることに成功する。



 透架は発生した事象に驚くことはなかったが、不満げにその口を尖らせた。



 「黒兄さん成分を摂取していたのにぃ〜。これも立派な朝ごはんなんだから〜」



 そんな朝食は古今東西聞いたことがない。どんな栄養だよ。



 「変なこと言ってないで俺の作った朝食を食え。謎の成分が必要ないくらいに、な。あと俺は俺だ。もう一人のオレじゃない」



 「いやいやいや、アニニウムは代替不可エネルギーで――」



 「い・い・か・ら」



 俺はドスの効いた声を出して透架の謎理論を封殺し、テーブルに朝食を並べていく。



 「ウザい、キモい、黙って、白兄。早く黒兄さんを出して」



 それだというのに、透架は言われると傷つくワードの三連コンボで応戦してきた。



 晴天が土砂降りに変わるような透架の態度の変化には笑うしかない俺だが、この会話程度は御園家の日常会話なので本気で凹むわけではない。多少は凹んでいるが。



 家族で食事を共にするのが我が御園家の日課で、母の教えの一つだった。



 いつも調理するのは俺だが、美味しそうに食べる透架の顔を眺めるのは悪くない。



 これは料理を作った人間の特権というやつだろう。



 しかし食事の時間を笑顔で見守っていると、キモいという言葉を浴びせられるので注意が必要だ。



 まぁ先のことを考えれば透架にも料理を覚えて欲しい気持ちはある。



 いや、先のこと、か。



 「そういえば白兄。家でカラーを使っちゃってさ、学校でバテるよ。補助デバイス無しでカラーを行使するなんて、カラードのくせにどんだけオロカ〜なの?」



 透架の問い。確かに俺が使えるカラーの量、その総量は透架よりも少ない。



 補助デバイス無しでカラーを行使すれば、当然消費されるカラーの量も大きくなる。



 そしてカラー使い――カラードを育成する学園に通っている俺たちは、当然のことだが学園でカラーを使用する。



 これは透架なりに俺のことを心配してくれているのだろう。



 「この1年間みっちり鍛えてきたから大丈夫だ。それに今のだって無駄じゃないさ。なんたってかけがえのない家族のためだからな」



 「そういうセリフを臆面なく言えるのは才能だね。白兄は彼女でも――あ、ごめん」



 透架は呆れて皮肉のつもりで言おうとした言葉を飲み込んで謝罪した。



 透架にはいつも冷たい態度をとられているが、俺にとって彼女という存在が地雷だということは理解しているようで、その点は気を遣ってくれる。



 一年前のあの日からすれば、こちらの心情が理解できるようになってきている。



 これは俺との関係を考えれば、大きな進歩だと思う。



 「気にしなくていい。さぁ冷める前に食べよう」



 「うん……」




 俺たちは気を取り直して席に座り、両手を合わせた。




 「「いただきます」」




 毎日食事ができることに感謝を。




 些細なことに幸せを見出して感謝することが、人を人たらしめる精神だと、俺は思う。




 世界がどんなに劣悪で悲しみに溢れていたとしても、俺は自分の世界を少しでも変えるために行動する――それが人としてできることだから。

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