第39話 2章 禁忌の果ての悪夢

 「ソウルコアがあれば勝てる。俺は勝てる! 魔女になど負けんのだ! デュアルの力で俺はあいつに勝ってやる!」



 石土さんは先輩から引き抜いた不定形の何かを握りしめて、確かめるように呟く。



 石土さんのそれは強迫観念に駆られた何かに見えたが、今の僕にはそれを、先輩以外の存在を慮る余裕などなかった。



 「石土さん! 僕にはそれが何かわからないけど、先輩に返してください! それは大事なものなんでしょう! 先輩が! 先輩の命が!!!」



 僕は泣き叫ぶように声を張り上げた。



 喉が潰れたって構わなかった。



 後先は考えられない。



 僕にとっての最優先――大事なのは先輩の命だから。



 「黙ってろ御園、魔女は人類の敵だ。存在の全てを賭けて殺さなければならんことは凪沙も理解している。その上で自身の魂であるソウルコアを俺に捧げたのだ。普通科のお前には理解できんことだろうが――特別科の俺たちは命を賭けて戦っている。これが現実だ。そしてこの行為はお前たちを守るためでもある。凪沙はお前のために自分を捧げたということでもあるんだぞ」



 石土さんの突き放す言葉に僕は二の句が継げなくなった。



 お前は違う、俺たちとは違う、お前にはわからない。



 そんな、僕はただ、先輩に……生きて欲しい。



 それだけなのに。



 「あ、あぁ……うっ、あぁ……」



 逡巡する先輩の姿を思い出す。



 先輩はこうなることをわかっていたのだ。



 その上で僕たちを守るため、自分を捧げたのだ。



 「僕に力があれば、力さえあれば……。なんで僕はカラードじゃない。先輩のために戦える存在じゃない。くそっ、僕は無力だ。なんで世界は僕に力を与えなかった……くそ、くそぅ」



 抜け殻のような先輩を抱きしめながら、何もできない自分を、何者でもない自分を呪う。



 力が全てを支配する現実という世界において無力な僕にできることは、持たざる者として世界を呪うこと、それだけだった。



 「魔女よ、待たせたな。今度こそお前を叩き潰す。俺の新たな力の実験台になるがいい――これが人の放つ色、その究極だ!」



 石土さんがソウルコアと呼ばれるものを天に掲げた。



 先輩の黄色と不気味な黒を放つそれを、石土さんが自分の武器にねじ込む。



 ソウルコアは不定型の状態から石土さんの武器に馴染む形へと変化して、秘めたる黄色と黒色を解放していく。



 その瞬間、ドリルの回転力が爆発的に上昇して発色――黒き雷を纏う。



 「う、ぐっ――ここまでの出力とは。いいぞ凪沙。お前のカラーは俺が使いこなしてやる。身を滅ぼすほどの力でなければ魔女には勝てん。人間の底力を見せてやる」



 ソウルコアから放たれた色と出力に石土さん自身も驚きを隠せずにいるようだったが、すぐに切り替えて魔女を見据える。



 魔女は石土さんの行動に反応を示して視線を僕から石土さんに戻した。



 面白いものを見たというように笑う魔女が再び悪夢のコエを奏で始める。



 「オロkな。しン海あク夢そウ」



 魔女のコエを合図に、新たに出現した6体と二人がソウルコアのやりとりをしていた間に出現した16体――合計24体の水蛇が石土さんに狙いを定めた。



 複数の水蛇による空間的な同時攻撃に、それを石土さんが躱せる隙はどこにも見当たらない。



 「ふん。数が増えた程度でッ。ソウルコアは――人間の色は伊達ではないぞッ! オーダー・ボルテックス・ブレイクッ!!!」



 《ソウルコア・イEロロロー、CHAOS――チャージ。イEロー・ダークライトニング――ブレイク》



 直後、色が――黒き轟雷が放たれた。



 24体の水蛇は黒き轟雷による一撃によって、一瞬のうちに水泡へと帰した。



 数を揃えた水蛇はその連携攻撃を始める前に、全ての個体が消し飛ばされていた。



 しかし忘れてはいけない。



 水蛇は倒しても再生するのだ。



 どれだけの攻撃を加えても、そこに水がある限り水蛇は再生する。



 目の前には水が張られている。



 ということは――



 「再生……しない?」



 水蛇は再生しない。



 僕は水面を注視する。



 パチっという音がした。


 同時に発光が見えたことで僕は気づく。



 地面に張られた水には、電気が流れていた。



 水面に流れる黒き雷が再生しようとする水蛇すら破壊していたのだ。



 「あの雷を発生させている黄色は、確かに今までに見た先輩の色だ。だけどあの黒は――違う。僕はあの黒が、怖い」



 黄色に纏わりつく黒色は不快で、僕の心をざわつかせる色だった。



 「この力は素晴らしい。すごいぞ凪沙、お前はすごい。これがお前の存在証明だ」



 ――黒き雷を纏ったドリルは空気を震わせて、重ねられた色が青き世界を切り取らんと螺旋を描く。



 それは圧倒的な色で水蛇を消し飛ばしていた。



 その色、黄色と黒。



 そこから生まれた黒き雷がもたらす不快感に、僕は覚えがあった。



 僕はこれを、どこかで……。



 「ひひひ、アヒッ、イヒヒヒヒヒ、深海悪夢ryu」



 魔女はその光景に歓喜の笑みを浮かべてから、ピタリと両手を合わせた。



 そのコエに呼応するようにして新たな8体の水蛇が現れたかと思えば、さらに8体、またさらに8体と数が増える。



 「数を揃えたところでッ。また消しとばしてや――な、これは」



 そしてそれらは1つとなって大きく、巨大化していく。



 それはもはや蛇とは別種の生物――龍だった。



 水蛇の合体により生まれた巨大な水龍は魔女を守護するように頭上で咆哮し、向かってくる石土さんを威嚇する。



 「たとえデカくなろうと結果は変わらん! 俺たち特別科を舐めるな、俺たち人間を舐めるな、俺たち人間の覚悟を、舐めるなああああああ!!!」



 石土さんは覚悟を口にして魔女との間合いを一気に詰めようとする。



 しかし水龍が魔女を守護しているため、魔女を攻撃することはできない。



 魔女を守護する巨大な水龍と、黒き雷を纏うドリルを振るう石土さんが正面から激突する。




 「おおおおおおおおおおおお!!!」

 「キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!」




 魔女の操る巨大な水龍は石土さんを飲み込もうとするも、ドリルの回転に加えられた黒き雷撃が竜の顎を拒むようにして押し留める。



 一方で黄色と黒のカラーは凄まじい回転力となって破壊の力を石土さんにもたらしていたが、その力を持ってしても魔女が生み出した水龍を完全に打ち破ることはできていない。



 お互いにその場から動かず、力は拮抗しているように見えた。



 そしてその拮抗は色による破壊を辺りに拡散させる。



 生み出された衝撃に大地は震え、突風は木々をへし折り、飛んでくる水によって僕は踏ん張るのがやっとの状態になっていた。



 水のせいで僕は目すら開けていられない。



 「先輩ッ……先輩ッ……」



 僕が一方的に高台に置いてきてしまった片桐くんと緑川の様子は確認できない。



 僕は先輩への衝撃を減らすために自分の体を低くかがめつつ、冷たくなっていく先輩の体を強く抱きしめていた。



 その行為は先輩がどこへもいってしまわないように、彼女が僕にくれた温もりを返すためのものだった。



 先輩を繋ぎ止めるため、僕は衝撃に耐えた。



 僕はひたすらに耐えた。



 一瞬でも気を抜けば吹き飛ばされてしまうそうな衝撃が全身を襲っている。



 「う、うぅ……」



 でも。



 それでも僕は耐える。



 先輩のことを想って、想って、耐える。



  「くうぅ……先、輩っ」



 たとえソウルコアという先輩の大事なものが失われたとしても、先輩の体はここにある。



 だとすれば僕のやるべきことは、先輩の体を守ることだ。



 いま僕が先輩のためにやれることを完遂する、してみせる。





 そして――激突する破壊の中で、黒き雷が青を引き裂いた。





 「はぁ……はぁ……はぁ……」





 音が――波が――止まった。




 シンと静まり返る世界は力と力の激突で発生した霧に満たされている。




 そしてその中心には2つの影があった。




 「はぁ……ぐっ、魔女め……これで、終わりだ……」




 霧に満たされた視界が明瞭になっていくにつれて、影の正体が明らかになる。




 石土さんも、魔女も、その場に立っている。




 だが――魔女の体の中心には遠目からわかるほどの大きな穴が開いていた。




 体の中心に大きな穴が開けられてしまっては、それがたとえ怪物の頂点たる魔女だとしてもかなりの負傷――ダメージを負ったはずだ。




 魔女の明らかな負傷は、この長い戦いに決着がつけられた、ということだろうか。




 「俺を――人間の色を甘くみるからだ。くっ」




 一方の石土さんは無傷に見えるが、その体はふらついていた。




 僕からは武器を杖代わりに立つのがやっとの状態に見える。




 確かにあれだけの大技を放ったのだから、その反動が発生するのもまた自然なことだと考えられる。




 それを差し引いても、魔女の負傷は致命的なものに見えた。




 生物にとって負傷すること、回復が困難なレベルのダメージを肉体に負うことは、生命の終焉――死へと繋がる。




 魔女も生物の一種であるならば、この負傷は無視できないもののはずだ。




 「ヒヒ、ひひ、いヒヒ、ニンゲン――オロカ」




 魔女は大穴の空いた体でケラケラと笑っていた。




 体に空いた穴からはドロドロとした青黒い液体が絶え間なく滴り落ちている。




 その状態にあって魔女の顔に痛苦の表情は欠片も感じられず、吊り上げられた口角は嗜虐的な笑みを崩していない。




 そればかりか魔女の表情は今までで1番その笑みに含まれる感情を濃くしているように思えた。




 果たしてそれは魔女の死に際の悪あがきなのだろうか。




 死に際に一層の笑みを浮かべる魔女。




 僕はその笑みがとてつもなく恐ろしかった。




 石土さんの勝利は確定しているはずなのに、魔女の敗北は明らかなはずなのに、まるで自分が戦場をコントロールしているかのような、自分の想定通りのような、そんな笑みに見えたから。




 「黙れ……もう、終わって、いろ……オーダー・ボルテックス・ブレイク」




 石土さんの言葉と共に黒き雷撃が放たれ、魔女の体を焼き尽くす。




 「キヒャヒャヒャヒャヒャヒャ――」




 魔女の体は蒸気となって霧散するように広がり、青き世界の霧の中に溶けて消える。




 僕は見た。




 魔女は自分の体が焼き尽くされる瞬間にも、その笑みを崩さなかったことを。




 笑みの意味はわからない。




 しかし事実として魔女は消えた。




 ということは――もう。




 ここに敵は。


 戦うべき、倒すべき敵は。


 いない。




 「石土さん! 先輩の治療を! そのソウルコアを早く先輩に戻してください! ――?!」



 魔女が消えたならソウルコアはもう必要ないはず、それは先輩に返すべきものだという直感からの発言だったが、僕は考えを言葉にしてから根本的なことに気づいた。



 それは、先ほどまで強く抱きしめていたはずの先輩の体が、愛しい先輩の体が僕の腕の中から忽然と消えていたのだ。




 ソウルコアが戻ったとしても、体がなければ意味がない。




 ソウルコアはどこに戻るのだという話になる。




 先輩の体が消えた。




 なんで、どうして、意味がわからない。




 僕が必死に守った、守り抜いたはずの先輩の体がどこにもない。




 僕が想いを糧に守り抜いた先輩が見当たらない。




 焦燥に駆られた僕は必死に辺りを見回す。




 「先輩どこですか! 返事を――え……?」




 尋ね人の姿は簡単に見つかった。




 それはあまりにもあっけない。




 人間だから地面に立っているはずだ、立っていなくても、せいぜい地面に横たわっているくらいのはずだ。




 そんな固定観念があったのは間違いない。




 ここは非日常に侵された世界。




 ちっぽけな人間の常識など簡単に覆されてしまう場所だった。




 僕は先輩を見つける。




 そこは地面ではなく、空――見上げて。




 先輩の体は空中で静止していた。




 その体は完全に脱力している。




 先輩の意識が回復して自らの意思で空中にいるとは思えない。



 誰かの意思が介在しているのは間違いない。



 では誰が。



 魔女は倒されたはずだ。



 僕が先輩の周囲を観察しても、怪物がいる気配はない。




 ただその、磔にされた先輩の姿は。


 


 ――これから裁かれるのを待つ罪人のようであった。



 「先輩っ!!!」



 僕は声を張り上げて先輩のことを呼ぶ。



 しかし先輩は僕の言葉に反応を示すことはなく、叫びは虚しく青い霧に溶けていった。



 あれ、おかしい。



 魔女が倒されて、破壊を生み出す行為はなくなったはずなのに。



 なぜ霧は晴れることなく存在し、世界は青さに侵されたままなんだ?



 世界の青さが魔女の色と同じことで魔女が発生させたのだと思っていたが、それはただの先入観で思い込みなのかもしれない。



 だがこの霧は魔女が発生させたものだ。



 魔女が出てくる前はなかったものだ。



 ということは。



 ああ、まさか。



 そんな。



 僕の疑念に答えを与えるように、その耳障りなコエは奏でられる。



 「クロキチカラハ、ワレラノチカラ」



 コエ――恐怖を煽る悪夢の声が聞こえた。



 それは青き世界に消えたはずの魔女の声に他ならない。



 「魔女めっ、まだ生きていたか。どこだ、どこにいる。出てこい!」



 石土さんはよろめきながらも、黒き雷を纏ったドリルを構え直して周囲を警戒する。




 しかし、魔女の狙いは石土さんではなかった。

 



 「イタダキマァス」




 黒き世界は僕に対して、さらなる悪夢を提示する。

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