第16話 2章 教室で僕は眠り、研究者は笑った
僕の意識が自由になったのは――先生が授業の終わりを告げて退室した後、生徒達が教室の喧騒を取り戻してからのことだった。
「透くん、お疲れ。初めての授業はどうだった?」
「ああ、まぁ……ええと」
僕の返事は曖昧だった。
だってそう答えるしかない。
それは授業中、痛みを訴え続ける頭を抱えながら、先輩(あなた)の横顔をずっと見つめていたからだ。
そこには理解できない何かの圧力があった。
しかし、今考えてみれば大階段を登っているときの圧力に少し似ていたかもしれない。
先輩を見つめていた意識は次第に曖昧になっていき、そこで途切れてしまった。
つまり僕は途中まで先輩を見つめながら授業を聞き流して、最後には意識を失っていたのだ。
結局のところ授業をまともに受けていないし、その痛みの原因も定かではない。
僕はこの痛みの原因に関して明確な答えを出すことはできなかったが、一つわかったこともあった。
それは何か――僕が忘れている内容が、大事な出来事――ということだ。
「透くんさー授業中に私のこと見てたでしょ。私そういうところ鋭いんだよねーって……あ、メモに何も書いてないじゃん」
僕の心の中は、ずっと先輩を見ていた事実を知られていたことやメモをとっていない罪悪感よりも、自分が何を忘れているのかという疑問で埋まっていた。
そんな僕の心情など知る由もなく、先輩は話を続ける。
「あの先生は授業スピード早いもんね〜。授業ログの見方わかる? あとAIが作った授業の重要箇所ハイライトがあって――」
僕の弱さをいいように解釈して、先輩は僕に優しさを与える。
あなたはどうしてそんなに優しいの――そう言いたかった。
「あ、ありがとうございます……」
「じゃあ〜、今日のことはホワイトサンダー十本おごりで許してあげるっ」
彼女は茶目っ気混じりに笑いながらそんなことを言うと、チャットアプリに僕のIDを登録して授業ログのURLを送った。
それから次の授業教室へと足早に駆けていくのだった。
「助かりまし…………あ、十本は多いよ先輩……はは」
先輩の行動の早さに最後までお礼を言えなかった。
先輩に渡すお菓子の量が多いことに気づいたのも、もう今更かという感じで笑ってしまった。
先輩――家族以外の女性と、初めて連絡先を交換したことに気づかないほど、僕の頭は疲弊していた。
僕は先輩の残り香の香る机に突っ伏して、再び解けない疑問に支配される。
いくら考えても疑問は解けない。
僕を蝕む痛みの原因はなんなのか。
なぜ先輩から目を離せないのか。
忘れていることは、その大事だと思える記憶は何なのか。
――わからない。
僕の意識は色んなことを思考しているうちに、いつの間にか闇の中に落ちていった。
その闇の中に答えは存在しない。
どれくらいの時間が経過しただろう。
5分や10分、あるいは1時間か。
眠ってしまっていた僕の視界に、カラータグの通知機能が次の授業の情報を表示する。
どうやら設定していたスケジュール機能が自動的に通知を送ったらしい。
僕は授業に出なければと、授業のスケジュールを設定しておいた自分に感謝しながら重い腰を上げて立ち上がった。
少し眠ることができたせいか頭の痛みは引いていた。
「痛みの原因について考えたいけど、次のコマは休むわけにはいかないからな」
僕は痛みの原因の究明を頭の片隅に追いやって、教室を後にする。
そして次の授業――ホームルームが行われる教室へと向かうのだった。
◇◇◇
物事には全て予兆があるものだ。
例えば雨が降る前の空気、地震の前の動物たちの行動など、こと自然現象に至っては多くの事例が報告されている。
ボクことダヴィンチの本職は教職ではなく――研究者だ。
元々はオーストラリアでカラーの研究をしていたが、いまは訳あって日本で教師も兼任している。
今日という日はボクという研究者にとって特筆すべきことはないはずの、なんでもない1日になるはずだった。
しかし今は――記録すべき日に変わっている。
それはボクが受け持つカラー基礎の授業を始めて半分以上の授業時間が経過した頃のことだった。
2人の生徒が遅刻してきて、そこからボクの今日が狂い始めた。
ボクは授業中に見た光景を脳内で反芻する。
遅刻してきた生徒の一人に御園透という新入生がいた。
彼の第一印象を簡潔に述べるならば、臆病そうな暗い男子というものになるだろう。
クラスに1人や2人はいそうな気の弱い男子に分類されるキャラクターだ。
しかし彼のカラーを見たボクは驚愕した。
彼のカラーは異常としか言いようがなかったからだ。
ボクはこの鬼庭学園内で教師という格好をとっているが、基本的にはカラーの研究を主な仕事としている。
これは大和で働く上で教師を務める代わりに自由な研究を行うことと、それに関する予算の融通を、大和を運営する大和十華に許可を取り付けてあった。
だからボクの研究を咎めるものはいない。
だからボクの興味を咎めるものはいない。
ボクは研究の一環として――情報収集をすることにした。
生徒のカラーを見るために自分で開発を行った特殊なメガネを常に身につける――これによって生徒たちのカラーを確認することが可能になり、カラードの養成を推し進める大和の生徒――彼らの生のデータを取ることできるのだ。
普段は成長していくカラードをみるだけで楽しい。
彼らは若い。
伸び代がある。
そんな彼らのデータを収集することは僕の好奇心をいくらか満たしてくれる。
たまに優秀なカラードたちの学園のトップクラスの生徒を見て刺激を得るような、なんでもない1日になるはずだった。
だが、これは――異常事態と形容するレベルの出来事だった。
御園透のカラーには、白と黒を基調とした極彩色が渦巻いている。
現在のカラー研究の定石では1人の人間にカラーは1色、例外を含めても2色というのが人間の限界とされていた。
それ以上は人間にとって過負荷となってコントロールができず、肉体的精神的にも壊れてしまうことが研究で判明していた。
だが、御園透はどうだろう。
彼の中に宿り拮抗する白と黒は互いに極彩色を秘めて渦巻いている。
例えるなら、天気図で二つの台風がせめぎ合っているような状態だろうか。
彼は授業中、ずっと体調が悪そうにしていた。
しかしそれは、あれほどのカラーが渦巻いていることを知れば当たり前のことだと納得できる。
むしろ意識を失う程度なのがおかしいのだ。
――普通の人間ならば即死している。
ボクは希少な、むしろ異常なカラー保持者の登場に胸を躍らせる。
授業を終えたボクは学校の地下に建設された研究所――通称『ラボ』へと急いだ。
異常なカラーの保持者の存在。
その出現は何かが起こる予兆に違いないと、ボクはそう確信したからだ。
そしてその確信は現実として、ラボのデータに現れる。
ラボが観測する大和コロニー内のデータ。
この学園区画内のエリアカラー係数が急激に跳ね上がっていたのだ。
カラー係数は人間であれCEMであれ、カラーを使用すれば、その一帯のエリアの数値が上昇する。
しかし今回観測された数値上昇、その上昇値の規模は、生徒がカラーを使って演習をしているというレベルの数値ではなかった。
それはカラーを使用する生物が、この大和――学園区画に大量発生したことを示していた。
これは急いで各方面に警告を出さなければならない。
最悪の場合は大惨事となるだろう。
しかし――火急の案件が発生したにも関わらず、ボクの口角は釣り上がっていた。
ボクは自分の内側から湧き上がる好奇心を抑えるので精一杯だった。
特異なカラー保持者の登場と、それに重なるように観測された安全の生活を謳う大和コロニーでの異常なカラー係数。
このボクが真に真っ当な研究者ならば、この事態にデータを取るべきだろう。
そこに人の感情がどうとかヒューマニズムを語るのは筋違いというもの。
研究をするのが我々の仕事であり、この状況は格好のサンプルとなるはずだ。
ボクだってデータくらいは取るさ。
しかしボクが見たいのは事態の全体像だ。
この事態に大和十華はどう動く?
この事態に大和の闇に潜んでいた者達が動き出す可能性は?
――調べなくては。
ボクはデータの収集程度では満足できない。
真っ当な研究者人生ではボクの好奇心は満たされない。
全てを解き明かさなくては気が済まないんだ。
ああ、これは楽しい。
楽しくなるなぁ。
その後、各方面に連絡を入れたボクはあまりの状況に愕然として、ついに笑いを抑えられなくなった。
「くく、くすくすくすくす。いやいや、これは。あまりにも、あまりにも出来すぎているなぁ。誰だい? この絵を描いたのは」
関係各所のデータを漁り、判明したことがあった。
現在、大和の主力部隊及び戦える学園生のほとんどはコロニー外遠征に駆り出されて不在の状態だ。
そして頼みの綱である区画警備の部隊は、なぜか出撃できない状態だった。
大和コロニー内の明らかな戦力不足。
これがカラー異常に合わせて意図的に起こされたものだとしたら?
CEMと戦うにはカラードの力が必要不可欠。
CEMとは銃火器やドローン兵器でも戦えるが、天津が運用する二足歩行戦車カラーギアくらいの戦力がなければ対抗策とはなり得ない。
これがコロニー外遠征の遠征先で起きたことなら、素直に侵攻を諦めて撤退すればいい話だ。
だがこれは大和という皆の家(ホーム)で起きたことだ。
皆の家で発生した脅威は全て取り除かなくてはならない。
安全は確保されなくてはならない。
――つまり今日、これから起こることは。
主戦力を欠いた上での脅威への対処。
跳ね上がったカラー係数のエリア数値から考えれば、発生したCEMの数や質は欧州レベルに高いと想定できる。
ボクは笑う――これはいいデータが取れそうだ、と。
ボクは予感する――これは死人がでる、と。
ボクは願う――どうかボクの好奇心を満たしてくれ、と。
学園の地下研究所、通称ラボにて、1人の男が動き出した。
今日起こる出来事――その事象の全てを記録するために。
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