第41話 2章 ただひたすらに理想へと手を伸ばす
『シロキヒカリニテヲノバシテ』
キクナ、メノマエニシュウチュウシロ。ヤルベキコトヲオモイダセ。
先輩への想いを強く意識したとき、白い光が僕を照らした。
僕はそれを無視して先へと進む。
今は自分がやるべきことに集中しろ。
「やあああああああ!」
僕は先輩のソウルコアを手にして強く、強く握りしめて駆け出した。
どうか見ていてくださいと、一緒にいてくださいと。
愚直に周囲を警戒しつつ、魔女に彩られた先輩への距離を詰めていく。
勝算のない突撃のことを小説の登場人物に言わせれば、それは勇気と無謀を履き違えているとか、蛮勇と形容したりするだろう。
だがこれは、この行動は、無謀でも蛮勇でもないと確信していた。
「ッ、――そうくるよ、ねっ」
僕の接近に対して、魔女は巨大な水龍1体を水面から呼び出した。
黒き雷を纏う青き水龍は魔女の色に先輩の色が取り込まれているように見える。
それはあまりに大きく、その存在感に僕は圧倒される。
僕が水龍と正面から戦っても、勝ち目どころか勝負にすらなっていない。
だが僕は見てきた……2人の戦いを。
そして考えて。
考えて考えて考えた。
どのように絶望的な状況でも、僕の頭は冷たく思考を続けていた。
見てきたこと、体験したことで今の僕があるのだと。
常に考え続けたことは無駄ではなかったと。
大事な先輩を守るために。
その成果を今、現実に出力するのだ。
「うわあああああああ」
僕が叫ぶのと同時、黒き雷を纏う巨大な水龍は僕を目掛けて突進を開始した。
――眼前に死が迫った。
圧倒的な死が齎されようとしている。
それでも僕は進むことをやめない。
頭の中で、思いと共に組み立てた理想を実現するために。
目の前の死を乗り越え、先輩の生を掴み取るために!
「うおあああああああああああ!」
そして――水龍は僕の脇をあっけなく通過する。
これは僕が水龍への対抗策として、出鱈目なジグザグ走りをしたことが功を奏した結果だった。
しかし一度の成功で喜んでいてはいけない。
一度の成功で全てが解決するほど、この青き悪夢は甘くない。
それは水龍を回避する行動の一つを取っても同じだ。
僕は水龍の突進を回避することに成功した。
これは僕が生きていることから事実なのは間違いない。
だが、僕の体は痺れと痛みに襲われていた。
どうやら突進による直撃を避けることには成功したものの、水龍が纏う黒き雷に接触してしまっていたらしい。
僕は黒き雷に触れた代償を支払う。
体が痛い。
全身が痺れる。
脳が警告を発している。
勝てない、だめだ。
止まれ、逃げろ。
でも、僕は先輩を諦められない。
それにまだ、僕は生きている。
僕はまだ、動けるのだ。
体の痛みも痺れも動けるのなら安い。
先輩を取り戻すことができるのならば――全てが安い。
それが等価交換であるというならば、喜んで差し出してやる。
「ぐっ――まだ、まだ動けるぞ……」
水龍は幾度となく突進を繰り返してきた。
僕はひたすらに回避を続ける。
ジグザグに走り、水龍の纏う黒き雷に打たれながら、魔女への距離を詰めていく。
直線距離にしてみれば大したことのない距離が、まるで雄大な山の山頂を目指しているかのように遠く感じられた。
だが、僕は自分を信じてここまできた。
魔女までもう少し……あと1回、あと1回水龍を躱せば魔女――先輩の体に肉薄できる距離へと近づける。
僕は痛みに耐えつつ意識を前に向ける、痛む足を前に出して走る。
しかしラストスパートと意気込みたいところで、僕はふらついて転倒しかけた。
なんとか踏ん張って転倒を回避したが、体の動きがおぼつかない。
思い当たる原因は一つしかなかった。
どうやら僕はここまで辿り着くのに水龍の纏う黒き雷に触れすぎたらしい。
僕が回避を目的に走り回るように、相手もこちらを狙って攻撃を放っている。
僕にとっては水龍を躱すだけでもファインプレーなのだ。
ファインプレーは長く続かない。
戦いにおいて必要なのが奇跡ではなく地力であることがよくわかる。
今の僕には黒き雷を回避するほど俊敏に動く力が残っていない。
僕の体は蓄積した痛みと痺れで痙攣して、全ての感覚が消えつつあった。
もう僕の体はもたないのかもしれない。
それでも、だとしても。
今までの戦いを見てきた僕だからできることをやるんだ。
大事なのは動き続けること、見続けること、考え続けること。
僕はそのおかげで生きている。
――魔女が8体の水蛇を使わなかったのはなぜか。
8方向からの多次元的攻撃なんて訓練を積んでいない僕に躱せるはずがない。
その攻撃を放てば一撃で僕は終わる。
では、あの狡猾な魔女がその手段を選択しなのはなぜか。
おそらく今の魔女にとっては、小さく複数に力を分散させるよりも、大きく単体の力を操るほうが容易なのだ。
つまり今の魔女は力を制御できていないと予想できる。
それが先輩の体を使用していることの反動なのか、それはわからない。
それでも僕は、そこに一筋の勝機があると考えていた。
そんな魔女の次手が僕の読み通りならば。
僕が見てきたこと、考え続けたこと、積み上げられたそれらによって導き出された僕の分析通りなら。
「――――」
魔女がコエとともに手を掲げる。
それを合図にして巨大な水龍が水面から現れた。
水龍は一体、他に水蛇は出てこない。
予想通りの一手が――きた。
その水龍がさきほどよりも、一層巨大化しているという点を除けば、だが。
「ここまできて……こんなことって」
結局、僕程度の無力な人間が相手の動きを予測できたところで、より大きな力はそれを容易く理屈ごとねじ伏せてしまう。
僕は自身の身体能力と目の前に迫る水龍の動きを頭の中でシミュレートしてみる。
無理だ、あれは躱せない。
無理だ、あれは捌けない。
無理だ、あの先にいけない。
でも、それでも、確率なんて1%以下で構わない。
その可能性に全てをかける。
その可能性を手繰り寄せる。
そのために僕の全てをかける。
刹那――響く。
「おおおおおおおおおおおおおお」
魔女の支配する世界に人間の咆哮が響いた。
雄々しき声は大気を揺らし、青き世界を震えさせる。
そればかりかその声は、出現した水龍を消失させていた。
「ぐァ――な、ニ?」
世界に充満する霧の中で、魔女の背後に大きな影があった。
その影には片腕がない。
――隻腕の影はたった1本の腕で魔女の首を締め上げている。
鍛え上げられた肉体が魔女を拘束し、動きを封じていた。
「石土礫は魔女を殺す。腕の1本くらいは安いものだ」
「ハナ、セッ――こノ、カとウ、せいブツ、ガ」
黒き雷が魔女を中心に何度も落ちるが、その攻撃は隻腕の男に当たらない。
「全く当たらんぞ。やるなら本気でこい」
「ニンゲンンンンン!」
隻腕の男に煽られた魔女は怒声を発した。
それに呼応して隻腕の男と魔女の周囲には、雷と水の柱が先ほどよりも激しく乱立する。
その数ある一撃の多くは命中することなく外れるだけだが、時に男の背中を、腕を、足を、撃ちつけていた。
狙いの雑な一撃も、魔女の技となれば話が変わる。
人間にとってそれは、当たるだけで致命傷となりうる威力を秘めているからだ。
しかし、何度身体を撃たれようとも――隻腕の男は倒れない。
まるで肉体が鋼鉄で出来ているかの如く、男は傷つきながらも魔女の拘束を緩めることはなかった。
「こんなものでは俺を殺せんぞ! もっとだ、もっと撃ってこい!!!」
「ころす、こロすコロス殺ス――」
魔女の意識は完全に隻腕の男へと向いている。
チャンスは今しかない!
僕は走る、全力で走る。
痺れと痛みが全身を駆け巡るが――止まらない。
歯を喰いしばって体を殴りつけ、痺れをさらなる痛みで上書きし、よろめきながらも前へ、前へと進む。
進む。
進み続ける。
そして。
「ぬ、ぐ――かはっ」
青き世界に鮮血が散る。
ついに男の巨体は地面に倒れて、魔女は拘束から解放された。
魔女は解放されると同時に隻腕の男を殴り飛ばしていた。
その力は圧倒的で、男の体は一直線に宙を飛んで街路樹に激突する。
樹木はその衝撃によって折れ、メキメキと音を立てながら倒れていく。
魔女はその光景を満足そうに見守っていた。
魔女の視線は倒れて動かなくなった隻腕の男に注がれて、その表情――心は満足で満たされているように見えた。
「今しかない……!」
僕は拘束から解放された魔女の安堵を見逃さない。
隻腕の男が作り出した、執念とも奇跡とも言える魔女の隙。
僕はこの一瞬を無駄にしない!
駆け出す。
魔女への最短距離を駆け抜ける。
魔女が正面から向かってくる僕を視界に捉えた。
だがすでに拳が届く間合いに入っていた僕は焦らずに足をしっかりと大地につけ、体重を拳に乗せて振りかぶる。
魔女は僕を認識しただけで、その対応は間に合わない!
「先輩を、返せえええええええ!!!」
僕は魔女目掛けて先輩のソウルコアを握った拳――先輩の黄色を纏う渾身の拳を振り抜く。
僕の全てを賭けた、希望の拳を振り抜いた。
「ア?」
でも。
それでも。
ここまできて。
ここまでやっても。
残酷な現実が――僕を苦しめる。
「ドウシた、ニンゲン。モウおわリか?」
そこには確かな手応えがあった。
だから拳は届いたのだと、手に伝わる感触の違和から目を逸らしていた。
たとえ魔女を倒せなくても、何らかの成果を期待していた。
僕の努力は報われるものだと、自分の頑張りには必ず相応のリターンがあるのだと、無邪気で無知な子供のように、僕は考えていたんだ。
「そん、な……こんなはずじゃ……」
ここは子供を守る大人が作り出した――子供が庇護される理想の空間ではない。
ここは人間に敵対的な怪物が作り出した――どこまでも残酷な現実なのだ。
「ソノていド、コうゲキ、ふセグ、ヒツよウ、ナシ」
僕の拳に手応えがあったのは間違いない。
しかしその手応えの正体、僕が殴ったのは――水の鎧だった。
魔女の体は全身が水の鎧で守られていて、僕の放った拳が届くことはなかった。
波打つ水面の向こうには先輩の、魔女の顔がある。
「ヨワイ、人間……カトウ、ソンザイ」
魔女は下卑た笑みを先輩の顔に貼り付けて僕を嘲る。
「だから……なんだよ。弱いから、下等だから、なんなんだよ!」
僕は世界の理不尽さに苛立って水の鎧を殴る。
何度も、何度も。
「弱いから願いが叶わないなんて、奪われるだけだなんて、間違ってる!」
その水で出来た鎧にどの程度の効果があるのか、僕の拳は全くの無駄なのか、数百数千と殴れば壊れてくれるのか、そこらの石ころを拾って叩きつけたほうがいいのか、何か方法があるなら僕に教えてほしい。
水の鎧は硬くて、それを殴り続ける僕の拳は血塗れになっていた。
今のところ水の鎧に変化はない。
これだけ殴っても変わりなく、僕と魔女を隔てている。
「ムダ……人間コウドウ、フかカイ」
僕はそれでも殴ることをやめない。
やめることはできない。
拳を前に突き出す。
何度も、何度も。
前に、前に。
だって先輩は目の前にいる。
こんなにも近くにいるのだから。
諦めるわけがない。
諦められるわけがない。
「先輩……帰ってきてよ。お願いだから……」
だが、僕の意思とは反対に。
僕の体は動かなくなっていた。
ダメだ……意識が薄れてきた。
体の感覚がなくなったどころか、意識が朦朧としてきている。
もうどれだけ殴ったのかもわからないし、自分の身体が無事なのかさえ把握できていない。
視界が朧げになり、目の前しか見えていない。
それでも僕は目の前だけが見えていればいいと、先輩に手を伸ばす。
がむしゃらに、ひたむきに。
ただひたすらに理想へと手を伸ばす。
その中で声が――聞こえた。
『オマエハナゼタタカウ?』
誰かが僕に問う。
以前に聞いたことのある声だが、思い出すことはできなかった。
何かを考える余裕すら失われつつあったからだ。
視界が、思考が、世界が。
全てが曖昧になっていく。
すでに五感の機能は僕に何も伝えてくれず、僕の認識は世界から切り離される。
最後の一瞬、黒く染まっていく僕の視界に見えたのは水の鎧を纏う魔女――青く染まった先輩の姿ではなく、水龍が大きな口を開けている姿だった。
――そこで、僕の意識は色を失った。
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