第27話 2章 色に溺れる

 僕は慎重に行動するべきだと考えていた。




 それは出所のわからない漠然とした不安が僕の心をざわつかせていたからだ。




 そしてこの時、僕は先輩の登場に安堵していた。




 それは僕を救ってくれた存在が目の雨にいるという現状に甘えていたからだ。





 だから僕は動けない――動かない。





 そして――僕の考えと甘えは、最悪の形で現実に影響を及ぼした。





 「あっ、ひっ――いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」





 べちゃり、と音が響いた。



 委員長の体が粘液――カラースライムに塗れる。



 目の前で起きたことの衝撃の強さに、僕は反応することができなかった。



 いや理解することを拒んでいたのかもしれない。


 

 最初に緑川が、カラースライムを先輩に向けて放った。



 それを先輩が両断して、真っ二つになったカラースライムが委員長の足元に飛んだ。



 そのカラースライム、正確には半分だが、死んでいなかった。



 それは半身を求めるよう、元に戻ろうとするように委員長へと――絡みつく。



 誰もが間に合わなかった。



 両断されたカラースライムのことなど誰も気にしない、死んだものと扱っていた。



 人間に備えられた思い込みという機能のせいで、反応が一瞬遅れてしまう。



 それは致命的な遅れに他ならなかった。



 それはすでに――始まっていた。



 取り返しのつかない何かが動き出していた。



 委員長の体に付着した粘液の塊は絡みつくように全身に広がり、発色を始める。



 開始された怪物の胎動――僕らはその意味を理解できない。



 カラースライムは再生する。



 緑川が叩き潰した個体が再生するのを僕らは見たはずなのに。



 CEMは人間を捕食する。



 ダヴィンチ先生の授業で聞いていたはずなのに。



 「いや、いやぁ……あっ――ああっ!」



 僕は知らない、わからない。



 こんなのは知らない。



 こんなことになるなんて知らなかった。



 こんなはずじゃなかった。



 早く、早く動かないと。



 目の前の光景に、動けと自分を急き立てるが、僕の体は動かない。



 勇気を意識して、委員長を助けるんだろ!



 動かないといけないのに。



 それを理解しているはずなのに。



 僕の体は動かず、その視線は委員長に釘付けになっていた。



 「入ってくる、入ってくるよぉ! だっ、だれか、誰か助けてぇぇぇぇぇぇぇ!!!」



 耳をつんざくような悲鳴を上げる彼女をよそに、粘性の液体は委員長の体内に侵入、浸透していく。



 その体は異物を拒むようにビクン、ビクンと跳ねた。



 僕は自分の心から勇気を出力して――動こうとした。



 「い、委員長! いま……助けに――うっ」



 しかしやっとのことで捻り出した勇気の中には何か黒いモノがいて、僕の心は犯される。



 僕の体は金縛りにあったように動かない、動けない。



 そんな僕の目の前を横切る影があった。



 「私のせいで、ごめん。私はまた失敗した」



 その影は先輩だった。



 僕は先輩の行動に何の反応も示さない。



 先輩が何をしようとしているのか考えることができない。



 それは僕が、先輩に気を向ける余裕がなかったからだ。



 僕は黒いモヤのかかる自分の視界の中で、ただただ怪物に侵入され続ける委員長を、目に、脳に、心に、焼き付けていた。




 『キミハアレヲドウオモウ。タスケタイ? モットヨクミテ、ホラキレイデショ。ウツクシイデショ、ソウオモウデショ。ウヒヒキヒヒアヒャヒャヒャ!』




 「私っ、いや、体が、ああっ、ああああっ、いやああああああああああ!!!」



 委員長の悲鳴が世界に響いた。



 僕も、片桐くんも、緑川も、その取り巻きたちも、動かない。



 苦しむ委員長を前にして各々が反応を見せてはいるが、動かない。



 動いているのは先輩だけだ。



 先輩だけが動いて、委員長の元へと向かう。



 僕には世界がスローモーションのように見えていた。



 「美しい……うつくしい……ウツクシイ……Uツ9死I……」



 僕は委員長を助けなければいけない、動かなければいけないと、再び自分に言い聞かせる。



 それでも僕の足は言うことをきいてくれない。



 それが震えて動けないというならば、仕方ないねと弱者の言い訳をすることもできただろう。



 だが、もしも、僕が心の片隅でその光景を美しいと感じて、続きを見たいと思う醜い自分が心の中にいるのならば、それは――最悪で最低だ。



 不条理な世界よりも、醜く汚い自分に吐き気がする。



 僕は自分でもわからないまま、犯される委員長を見ていたいという黒い感情に支配されていた。



 「あ、ああ……だめだ。委員長を助けないと……僕は……ボクハ……」



 僕が自分自身を嫌悪している間にも、委員長の体はCEMと、世界と同化するように青くなっていった。



 ――委員長は色に溺れていた。



 色に溺れる委員長は、次第にその輪郭を歪ませていく。



 「彼女はもうダメね――状況対応――処理を開始――CEDウェポン起動」



 《リリース――》



 先輩は哀れむように告げると、腰につけていた立方体に手を伸ばした。



 先輩が纏う色に包まれた立方体は変形の合図の機械音声を発しながら細長く伸び、先端に傘のような突起を持つソレへと変形した。



 その形状は槍と呼ばれるものだった。



 実際に実物を見たことはない。


 本の中で得た知識だ。



 古来より人間が使ってきた武器の一種で、戦うための道具。



 ――なぜ、いま武器が必要なのか。



 先輩の発したもうダメ、処理という言葉の意味。



 それを理解したくないと思いながらも、僕の冷静な部分が答えを導き出す。




 ――先輩は、委員長を殺す気だ。




 「だずげで、いやだいやだ、じにだぐないじにだぐない」



 ぐずぐずと音を立てて崩れ、人間とは違う何かに変わっていく委員長。



 その中でも生きることを望む彼女にかつての面影はなく、ただただ青く、声を発するナニカニカワッテイク。



 「い、いいん、ちょ、う」



 声が震えてまともに喋ることができない。



 人が――崩れていく。



 眼前の光景に震えが止まらず、歯がカチカチと音を鳴らした。



 こんなことが現実にあっていいのか。



 こんなことが許されていいのか。



 委員長はただ、緑川たちを止めるためにここまでやってきた。



 なのに、どうして。



 委員長がこんな目に遭わないといけないんだ。



 僕のせいだ。



 僕のせいで。



 僕が弱いから。



 委員長が、こんな……姿に……。



 「ハッ、ハハ、ハハハハハ! これだよ、これ。これが学園の求める展開だろ。ありがとよ青峰、お前のおかげだ。だからさ――俺のために死んでくれ」



 緑川は狂気に満ちた笑みを浮かべながら委員長に近づいていく。



 元々緑川のほうが委員長に近かったこと、先輩の進路を塞ぐように緑川が移動したことで、先輩は武器を振るおうとした体勢のまま移動を止める。



 「あなた一体――」



 「部外者は黙っててくれよ」



 笑いながら木の棒を振り上げる彼は――狂っているのだろう。



 だって、自分と同じ人間を、喜々として殺そうなんて。



 そんなのは常人にできることじゃない。



 「緑川! てめぇ何言ってやがる! お前のせいで、お前のせいで凛歌は――」



 沈黙していた片桐くんが緑川を静止しようと緑川に掴みかかる。



 僕はまたしても動けず、ただひたすら自己嫌悪の思考を巡らせるだけだ。



 緑川の行いは非難されても仕方がない。



 じゃあ僕は、僕はどうなんだ。



 この醜い心の内を晒されていないだけで、本質的には緑川と同類じゃないか。



 こんな僕に彼を非難する資格なんてない。



 そうだ、僕には資格がない。





 色に溺れる委員長の姿を――美しいと感じていた僕には。





 「そこの男子2人、処理の邪魔よ! どきなさい!」



 先輩が片桐くんと緑川を突き飛ばす。



 特別科の先輩の力は、自分よりも体格の良い男子を突き飛ばすことくらい容易なようだった。



 先輩は自分の得物を構え、狙いを定める。



 そして変態を続けるソレへと、躊躇なく槍を突き刺した。



 ぐちゃり――粘液の爆ぜる嫌な音が響く。



 「いってーな。こんなの俺でも――」


 「お、おい緑川……それ……なんだよ」



 緑川が反論を口にしようとして、声を震わせる片桐くんの指差した場所にあったもの、その指差す先――緑川が先ほどまで立っていた地面にはポッカリと穴が穿たれていた。



 その中心には青い色を発する巨大な棒が突き刺さっている。



 「は? な、なにが。なんで……」



 状況が飲み込めずに困惑する緑川を嘲笑うかのように、ソレは姿を現した。



 人間を優に超える巨大な影が、上空から現れたのだ。



 それはブーンという耳障りな音と強風をまき散らしながら僕らを見下ろしていた。



 その姿は青く、人より巨大で青い粘性を帯びていた。



 発達した大あごに毒々しい青色の腹部、その下には鋭利な針があり、2対4枚の翅を羽ばたかせている。



 僕は産声を上げた怪物の姿に言葉を失った。



 思い出されるのはダヴィンチ先生の授業、その内容だ。



 ダヴィンチ先生は言っていた。



 『CEMは人を食って進化する。人の遺伝子、及び魂の情報からカラーを吸収して糧にする』



 授業中は全く現実味のなかった先生の言葉が、いま目の前で起きている現実と重なる。



 僕は理解する。



 これが、これこそがCEMの真の姿なのだと。



 僕たちは現実に現れたその圧倒的な存在感、それを前にして理解する。



 これが残酷な世界の真実なのだと。



 「巨大な……青い蜂。これがCEM、なのか。じゃあさっき穴を空けたのも、こいつが……?」



 「ね、ねぇ……これはヤバいんじゃない」


 「緑川サン、どうすればいいんすか!?」


 「あれが、あの化け物が本当に青峰……」



 真の姿を現したCEMに人の面影は欠片もない。



 ただ現実に現れた脅威――怪物として認識される。



 緑川の取り巻きたちもその危険性に気づいたのか、どうしていいのかわからず緑川へと判断を仰ぐ。



 しかし緑川はそれらの声に反応しない。



 緑川には彼らの声が聴こえていないようだった。



 「怪物を始末する。あれは怪物、人間じゃない。あれは怪物……殺すべき人類の敵……俺が殺すべき、超えるべき相手……そうしたら俺は……俺は認められる……」



 緑川は譫言のように怪物を殺すと呟いていた。



 あの怪物は人ではないと自分に言い聞かせているように見えた。



 目の前の怪物。



 青く、巨大な、蜂。



 いや、違う。



 あれは、あの生物は。



 だって。



 だって。



 僕はその生物の腹部に何か浮かび上がるものを見つける。



 ……それは。



 その顔、は。



 「あ、あぁ……そんな、あれ、は……」



 それは紛れもない人間の顔だった。



 何かの間違いであってほしいと思った。



 委員長はどこかに倒れていて無事で、僕らが考えていたことは全部想像で、目の前の怪物はどこからかやってきた個体で、委員長とは何も関係なくて。



 そうあってくれればいいのに。



 でも、僕がその顔を見間違えるはずがない。



 緑川たちを連れ戻そうと結託し、その強さを見せてくれた彼女のことを間違えるはずがないのだ。



 それは紛れもなく、委員長の、顔、だった。



 怪物の腹部に浮かび上がる委員長の顔――その表情は恐怖と苦痛に満ちており、委員長の苦しみが、痛いほどに、伝わって、くる。



 僕が助けれなかった――笑顔にできなかった顔がそこにはあった。



 「ランク2カラーインセクトに進化したか――それならッ!」



 先輩の動きは怪物の反応を許さないほどに早かった。



 何かを唱えながら槍を構えて柄の部分に球体を取り付ける――すると槍は認識した色を帯び、青き世界に黄色の光を解き放つ。



 《イエロー・カラー――チャージ》



 宙空へと飛び上がった先輩と怪物の視線が交差したときにはすでに、勢いよく放たれた黄色に輝く槍が、いとも簡単に委員長――巨大な蜂の頭部を串刺しにしていた。



 頭部に槍が突き刺さった怪物は悲鳴を上げながら墜落していく。



 そして止めとばかりに、新たな言葉が紡がれる。



 「――オーダー・ボルテックス・アウト」



  《イエロー・カラー――ブレイク》



 先輩の紡ぐ新たな言葉に槍が発色を強めたかと思えば、次の瞬間には怪物の体が急激に膨張して破裂、爆散していた。



 その爆散によって怪物の肉片と粘液が辺り一面に撒き散らされ、それらは次第に世界に溶けて消えていく。



 ばらばら。



 ごろごろ。



 じゅうじゅう。



 この一帯に怪物の最期が撒き散らされた。



 それらは五感を通じて僕らに情報を叩きつける。



 戦場に慣れていない僕らには衝撃的な光景だった。



 五感を通して入ってくる情報は過負荷になって、まともな思考が働かない。



 僕の目の前にも怪物の一部が転がってきていた。



 それも他の場所に転がる一部と同じように、白煙を上げながらじゅうじゅうと音を立てている。



 白煙は広がることなく、ただ真っ直ぐに空へと昇っていく。



 それはまるで魂が天国に還るような光景で。



 僕は見る。



 異臭を発する焦げた肉がそこにある。



 目を逸らさなければと自分の中の嫌悪感が体を動かそうとする一方で、これは自分の行動の結果で過ちなのだと、直視しなければと思う自分の思考がせめぎ合う。



 


 その時――白煙を上げる怪物の肉片と目が合った。





 それは――黒焦げになった委員長の――顔だった。

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