第8話 2章 はじまりのはじまり
電磁車両紫電の発着駅から学園の大階段前まで歩いた僕――御園透は不安に駆られてため息をついた。
その理由は先日の入学式の日の出来事に起因する。
昨日、僕はこの大階段を登っている際中に倒れた。
まぁ一言に倒れたといっても大きな傷を負ったとか重篤な病気を患っているとか大げさにする話ではない。
僕は単に意識不明になって昏倒した。
まぁ入学試験の時もこの場所で倒れたので2回目にはなるのだが。
登校中に学園前の大階段で倒れた。
ただそれだけの話。
それだけの話、なのだが。
それによって発生した問題は、僕の人生を揺るがすほどに重大なものとなる。
それは昏倒したことにより――入学式に出られなかったのだ。
大階段で昏倒して保健室に運ばれ、真っ白なベッドで丸1日横になっていた僕は、当然のことながらホームルームに出席していない。
そのため誰が新入生で誰がクラスメイトなのかわからない。
それに加えて僕は、知り合いと一緒にこの鬼庭学園へ進学したわけではない。
つまり現状は。
僕のことを知っている新入生の生徒は1人もいないということになる。
僕は――――――開幕ぼっちをきめてしまったのだ。
「はぁ……」
現状を整理した僕は大階段を見上げて再度のため息をついた。
僕の中では、昨日のうちに誰かと話して繋がりを作っておくのが理想だった。
しかし昨日、この大階段で倒れたことで、僕の中の理想は儚く理想のまま、現実に昇華しない。
すでに終わったことを悔いても仕方ない。でも僕のような弱い人間にできることといえば、同じ境遇(ぼっち)の人間を見つけてお互いに協力することくらいだろう。
僕らが通う学園、カラー使いカラードを育成する鬼庭学園には強者と弱者の線引きが明確に引かれているという噂があった。
それは特別科こそが強者であり普通科は弱者というものだった。
この世界には新概念カラーを扱えるものは優遇され、使えないものは冷遇されるという風潮がある。この風潮は全世界的なものらしいので、この噂もそういった流れからくるものだろうと僕は簡単に考えていた。
僕はカラー使いカラードを育成する特別科ではなく、大和に貢献する人材を育成する普通科に入った。
だからそういった扱いを受けることの覚悟が出来ているつもりで入学した。
しかし覚悟が出来ているという自覚があるからこそ、繋がりを持つ――仲間を作るという予防策を考え、すぐに実行するつもりでいたのだ。
たとえ他のやつらに冷遇されたとしても仲間がいてくれれば乗り越えられる。
そう考えていたのに。
僕は繋がりを持たないという恐怖を抱えながら、長い大階段を登り始めた。
「体が、重い……やっぱり無理、なのかな。これを一週間なんて……」
鬼庭学園は新入生にルールを課している。
それは入学してから一週間は特別科と普通科分け隔てなく、この大階段を使用して学園内に入らなければいけないというものだ。
このルールにどういった意図があるのかはわからない。
単純な話、この大階段が登れないのであれば別の入口から入ればいいだけのこと。
鬼庭学園はその広大な敷地から大小様々な入り口が存在するため、大階段を登るのがきついなら別の入口から入ればいいという安易な発想は誰にでも浮かぶはずだ。
このルールはそれを対策するために存在する。
制服を個人の自由にしたり、決められたルールが限りなく少ない鬼庭学園。
その自由な校風を意識する学園が特例として設けているという点からも、大階段を登らせることには意味があるに違いなかった。
しかし今の僕にはその意味を考える余裕すらなく、こうして息も絶え絶えになっているわけだが。
「ああ、ダメだ……。少し、休憩しよう」
正体不明の重圧に押し潰されそうになりながら階段を一段、また一段と登る僕は、ついに限界を迎えて足を止めた。
「ふぅ……そうだ。こういう時こそ、はぁ。魔法を、唱えよう」
あまりのきつさに立ち止まった僕は、呼吸を整えつつある方法を思いついた。
それは家族の魔法を使うことだ。
これは魔法といっても、アニメの中に出てくるようなそれっぽいファンタジー的なやつではなく、どちらかといえば自己暗示のようなものだが。
「透架……」
僕は目を閉じ、大切な家族のことを思い浮かべた。
それから自分の次の動きを頭の中でイメージする。
こうすれば不思議と気持ちが落ち着いて、体が動くようになるのだ。
これは妹が教えてくれた方法なので、僕は家族の魔法と呼んでいた。
だって大切な家族が魔法をかけてくれるような気がするから。
何か困った時に他人を頼ることは憚られても家族なら頼ることができるし、何より家族ならば助けてくれる――僕には家族に対する絶対的な信頼があった。
「よし……いける」
そしてその信頼に応えるように、家族の魔法は僕を支えてくれる。それは透明で目に見えないものだったが、僕を包むぬくもりは間違いなく家族のものだった。
「もう少しで半分だ。一気に登り切ってやる……」
僕が家族の魔法によって歩みを進め、一気にラストスパートをかけようとしたその時、耳元で声がきこえた。
「階段で立ち止まるな、邪魔」
それは冷たく刺々しい声だった。
その声の主と僕との距離は近く、聞こえた声の方向に振り返ろうとした僕の肩と相手の肩がぶつかった。
「うわっ……」
そこにあったのは漆黒だった――――白が大部分を占める学校指定の体操服を身につけていても、彼女の艶やかな漆黒の髪と瞳の強さの前では鳴りを潜める。
健康的な肢体からは汗が滴っており、それが一層彼女の艶やかさを助長していた。
彼女の双眸が一瞬だけこちらを向く。
その漆黒の瞳には強さと鋭さと――があった。
「すっ、すいません……大丈夫でしたか?」
悪いのは僕の方だと思ったので謝罪の言葉を伝えるが、相手はこちらのことなど気にも留めていない様子で、一時的に緩んだ速度を再び上げる。
「ふん。なよっちいやつ」
体操着の彼女は去り際に感想のような一言を残して階段を段飛ばしに登り切り、大階段の向こうへと走り去っていく。
艶やかな黒の短髪が揺れるていた。
そのイメージが僕の視界に焼き付いて離れない。
その力強い後ろ姿に僕は、彼女のように伸び伸びとこの場所を駆けていけたらいいのに、そんなことを思わずにはいられなかった。
「ふぅ……登らなきゃ、さっきの女の子みたい、にっ」
僕は何度目かわからないため息を吐きながら、上を目指して大階段を登る。
家族の魔法に支えられて、困難に立ち向かう。
先ほど見た彼女の力強い走りを思い浮かべ、次の段へ、次の段へと足をかける。
その時、再び僕の体を重圧が襲った。
「――っ」
僕は直感する――これは僕の身体とか心の不調からくるものではなく、何かわからない巨大なものが僕に触れたことで発生した圧なのだと。
昨日は一瞬で気を失ったために気づくことはなかったが、今日は二回も重圧に襲われたことで感覚的に理解できたのだった。
僕は何か巨大なものに触れられている。
例えるなら相手が象で僕が蟻なのだろう。
仮に像が蟻を認識できたとして、大きな像が小さな蟻とコミュニケーションをとろうとした場合、象はどの程度の力加減で握手をすればいいのか。
握手をしようとしているのに、間違って押し潰してしまわないだろうか。
その巨大な相手からは悪意を感じない。けれどもかけられた圧は僕を推し潰さんとするほどに強い。
相手と意思疎通する方法がわからない。
「僕はあなたを認識してるっ、だからもうやめてっ、これ以上は――」
僕は巨大な存在に向けて声をかけた。
直後、視界が明滅する。
白い光が、色の全てを内包した白が僕を包むようにして覆い被さってきた。
「――、――、――」
何かが聞こえる。何かを言っている。
しかしそれが何かを聞き取ることも、考えることも僕にはできなかった。
僕は重圧のあまりの強さに自分がどこに立っているのか、地面がどこにあるのかすらわからなくなっていた――思考するという余裕がなくなっていた。
この感覚は昨日倒れたときに感じたものと似ていた。しかし全く同質というわけではなく、とても近しいのに似て非なるモノ、そんな気がする。
やがて僕は僕の体を支える限界に達して、自分の体を制御することを放棄していた。ゆっくりと、スローモーションのように世界が斜めに傾いていく。
ああ、僕はまた倒れるのか。
たどり着くべき場所に手が届かないまま、地面を転がるのか。
僕程度の人間が必死に手を伸ばしても、届かない。
だとすればこの行為は、むやみに体を傷つけるだけで何も達成できていない、無意味な行為だ。
僕は自分の人生において何も達成できていない。
じゃあ僕の人生は――無意味じゃないか。
こんな意味のない人生ならば、このまま死んでしまうほうが楽じゃないか。
挑むのは疲れる。
挑むのにはエネルギーが必要だ。
強者なら簡単にできてしまうことが、弱者にはできない。
挑むのは自由だ。
やめたっていい。
挑むことが無駄ならば、やめてしまえばいい。
マイナス思考の僕はそう考える。
でも、一人残された妹はどうする?
僕というたった一人の家族を失った妹はどうなる?
それは、だめだ。
それだけは、だめなんだ。
ああ、死ねない。
まだ、死ねない。
このまま死んではいけない。
どれだけ自分が無様な人生を歩んでいても、妹のために生きなければ。
だからどうか――このまま無様に地面を転がるとしても。
お願いします――ボロボロに傷ついたとしても。
――――――僕の人生を終わらせないで。
僕は願った。
どんな痛みも受け入れるから、このまま人生を続けさせてくださいと。
僕は願った。
どんな無様な人生でも、このまま人生を続けさせてくださいと。
僕は願った。
傾いていく世界の中で――願った。
そして――覚悟を胸に抱いた僕を襲ったのは。
痛みの衝撃ではなく、柔らかな――――だった。
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