第40話 解釈と対策 その3
「エリーゼ様、こちらへどうぞ」
名を呼ばれた私はフィリップ助祭を伴い、大聖堂の控室を出ようとする。ちらと振り返り、護衛として連れてきたヴォルフとヘラに声をかける。
「失礼のない程度に寛いでいてください」
2人はこくりと頷いたが、落ち着かない様子だ。ただの控室ではあるが、大司教の権威を見せつけるためなのであろう、壁はイタリア人の画家に描かせた絵で彩られ、質素だが設えの良い調度類が置かれている。貧民出身の2人にとってはほとんど異国のように感じられるかもしれない。
そしてヴォルフは、どうやら新調したらしい兜を被っていた。頭から鼻までを覆う、流行りのものだ。
「兜も脱いでいて構いません」
「……了解」
ヴォルフは脱いだ兜を、所在なさげに膝に抱えた。鎧っていなければ不安だとでも言いたげな彼を尻目に、私とフィリップ助祭は移動を始めた。
長い廊下を歩きながら、今の自分の装備を確認してゆく。結い上げて香油を塗った髪に薄化粧、首と胸元が開いたドレス。武術大会後の晩餐会で着るために持ってきたものである。――そして自分の直感。
おそらく私は、無意識に人を魅了する力がある。これが最大の武器だ。これを使って、大司教から可能な限りの援助を引き出す。その上で支払う対価はなるべく少なく済ませる。そのために、使える武器はなんでも使う。
大きな扉の前にたどり着くと、大聖堂仕えの助祭が恭しく扉を開けた。その奥、よく磨かれた柱に囲まれた部屋に、2人の男性がいた。1人は先に来ていたのであろうルッツ伯爵。もう1人、柔和な笑みを浮かべた白髪の老人が大司教であろう。ルッツ伯爵が私を手で示す。
「ご紹介しましょう。こちらがこのたび乙女の身で迷宮地下5階から生還した、エリーゼ・フォン・ローゼンハイム嬢です」
私は片脚を引き、軽く膝を曲げる――そして直感に従い、ほんの少しだけ上体を前に傾ける。胸元が揺れる感覚。……なるほど、大司教はこういうのが好みか。
「お噂はかねがね伺っておりますよ、エリーゼ様。実にめでたいことです……なんせ迷宮地下5階から生還した女性は、オルレアンの乙女以来なのですからな。ドイツの誇りとなりましょう」
「恐縮です」
「そして隣にいるのが、フィリップ助祭かね?」
名を呼ばれたフィリップ助祭が無言で跪くのを、大司教は手を振って制した。
「そう畏まらなくて良い、何も取って喰おうというわけではないのだ。楽にしたまえ……勿論エリーゼ様もね。さ、立ち話もなんです、お掛けになってください」
私たちは応接用の長テーブルに案内され、羅紗の敷布がかけられた椅子に腰掛けた。フィリップ助祭と隣り合って座っても、軋みもしない。
侍者たちが水差しから銀のコップへ水を注ぐのを待ってから、大司教は話を切り出した。
「さて、エリーゼ様。凶悪な魔物蔓延る迷宮、それも地下5階から生還したのは、ひとえに天上の父と子が、貴女は余人を守るに相応しい人物であるとお認め下さったからでしょう」
教会としては私を貴族と認める、の意か。
「貴族男子の身であれば、ある意味当然と見做されることではあります。しかし乙女の身でとなれば、これは尋常のことではない。しかも貴女の護衛にはもう1人の乙女がいたと聞く。これは神からの、如何なるメッセージであるか。想像がつきますか?」
大司教の目は柔和だが、こちらを試すような色をたたえていた。……疑っているのだろう、私を。オルレアンの乙女、ジャンヌ・ダルクのような厄介な存在であるか否かを。
「……いいえ、大司教様。想像もつきませんし、父なる神も子も私に何も語りはしませんでした。むしろ私が問いたいくらいです、これは如何なる神意であるのかと」
預言など授かっていない。神の声なぞ聞こえない。教会権威と対立するつもりはなく、対話する意思がある。そう伝えたのだ。すると大司教は満足げに目を細めつつも、首を横に振った。
「残念ながら私にもわかりません。人の身で、神の遠大な計画を知ることは出来ませんからな。人の身でその意を知ることが可能だとすれば、それは計画が為された後のことになるでしょう。今わかるのは、神意が働いた可能性が高いということだけです」
「ご尤もです、大司教様。……しかし私は不安なのです、自らの行いが正しいのかどうか、わからないのです。私は糸を紡ぐべきこの手で剣を握り、数多の魔物を屠りました。淑女の行いではないことは確かでしょう」
「それはお父上の言いつけ……ローゼンハイム家を継げとの命を果たすため、必要なことであったのでしょう。であれば安心して誇ってよろしいかと。貴女は父上に従い、神は貴女を守りたもうたのだから」
なるほど。女の身で戦い、まして一家の主になるという「社会通念上まずいこと」を「父親の権威に従った」という文脈で肯定してくれるのか。引き出しうる「教会からの支援」としては最上の言質だろう。念押ししておく。
「ありがとうございます、大司教様。……ですがそうと思わない者も多くいるのです。実を言いますと、そうした者たちからの有形無形の非難が、最も私の心を苛むのです。しかしそうした者たちも、大司教様ほど身分ある御方に諭されれば、きっと……」
「はっは、買いかぶりすぎですが……しかし構いませんとも。ようは『エリーゼ様はお父上の意思を遵守しただけであり、しかも実際に迷宮地下5階から生還したとなれば、神もお認めになったことであるに違いない』……そう公言すればよろしいのですな?」
「もしそうして頂けるなら、ローゼンハイム家はより一層教会に貢献することを厭わないでしょう」
教会への貢献――現金か土地の寄進。そのあたりが私が払える対価だ。痛手ではあるが、必要経費だろう。なにせ私は、皇帝から『もしそなたが武術大会で優勝した暁には、そなたの継承を後援しても良い』という約束しか取り付けられていない。「後援する」ではなく「後援しても良い」なのだ。
世論が私の継承に反対するなら、皇帝は私への後援を取りやめるだろう。皇帝陛下はその余地を残すような約束を提示してきたし、私はそれでも飲まざるを得なかった。であれば、大司教に世論を動かしてもらい、地盤を固めねばならない。
果たして大司教は、満足げに頷いた。
「大変結構、その程度でしたらお安い御用です」
「ありがとうございます、大司教様」
さて、いかほどのカネや土地を要求されるか。心は掴んだはずだ、安く済むとよいのだが。……笑顔を顔に貼り付けながら身構えていると、大司教は目を細めた。
「……お安い御用だ。むしろ安すぎるくらいですな」
「……は?」
「私としては、はっきりと『神意が働いているのだ、エリーゼ様がローゼンハイム家を継ぐべきである。教会は公的に、この継承を承認する』と宣言しても良いと思っているのですよ」
何を言い出すのだこの老人は、と心の中で叫んだ。不躾な表情を浮かべてしまわなかったか気がかりだが、丁重に断らねばならない。
「……いえ、大司教様。そこまでして頂く必要はありません」
それをやったら皇帝と戦争になるからだ! 貴族家の継承問題を、皇帝を飛び越えて教会が承認する? ――冗談ではない。面子を潰された皇帝が黙ってはいまい。皇帝がイザークを支援し、教会と私に戦争を仕掛けるのは目に見えている。
大司教ともあろう人が、その程度のことがわからないはずあるまい。だというのに大司教は笑顔で続ける。
「異なことを、エリーゼ様。皇帝陛下が曖昧な態度をとっている以上、貴女に必要なのは強力な後援者のはずです。私では――教会では役不足ですかな?」
「いえ、そんなことは。むしろ……」
言葉に詰まると、大司教はにっこりと笑い、「続けなさい。もはや遠慮はいりませんよ」と言った。わかっていてやっているのだ、この老人は!
「……強力すぎるのです、その支援は! 私は皇帝陛下と対立することまでは望んでおりません!」
「ふーむ……」
大司教は椅子にゆったりと身を委ね、ルッツ伯爵に視線をやった。
「ルッツ伯爵。皇帝陛下の直臣であらせられる貴卿のことだ、私がこうすることは予測して、皇帝陛下に伝えているだろう?」
「勿論」
「皇帝陛下はなんと答えた?」
「『好きにしろ、ただし余計なことはするな』と」
「気に入らないね」
急に砕けた物言いになった大司教の意図が読めず混乱していると、大司教は孫をあやすような顔で微笑んだ。
「おっと申し訳ない。悪く思わないで頂きたい、エリーゼ様。……正直に言えば私はね、『制御できるジャンヌ・ダルク』が欲しかったのですよ。でもこれはダメですなぁ。貴女は頭が回りすぎる」
「だ、大司教様……?」
「考えてもみてください、腑抜けの王太子をフランス王に導いたジャンヌ・ダルクですよ? それと同等のものが教会の手元にあったら素敵ではありませんか? 次代のドイツ王、神聖ローマ皇帝を教会主導で定めるのだ。事実上、教会がドイツを手中におさめるに等しいじゃないか」
大司教はとんでもないことを平然と言ってのける。だというのに、皇帝直臣であるルッツ伯爵は苦笑を浮かべる程度だ。そのルッツ伯爵に、大司教が問う。
「で、『好きにしろ、ただし余計なことはするな』というのは、皇帝陛下もエリーゼ様を駒として使いたいから、ツバつけるのは良いけどやり過ぎるなって意味かね?」
「そうでしょうな」
「じゃあエリーゼ様の案が限界か。本当につまらないね」
思わず私は話に割り込んでしまった。
「ちょっと待ってください、皇帝陛下が私を……?」
「そりゃそうでしょう。皇帝陛下の立場になって考えてごらんなさい、ローゼンハイム家の継承問題は彼にいかなる利をもたらす?」
「……貴族家の継承問題に、皇帝権を介入させること」
「うん。どうしようもないアホだが男ではあるイザークと、優秀だが女であるエリーゼ様。どちらに肩入れしても、『ローゼンハイム家の継承問題に皇帝が介入した』という前例は出来上がる」
一度出来た前例は、簡単には無視できない。これからローゼンハイム家は、代替わりのたびに皇帝の介入を受けることになるのだろう。それは最早覆しようがない。
「その上で皇帝陛下としては、どちらに肩入れするのが得かをギリギリまで見極めたいのでしょうな……正確には、エリーゼ様に肩入れするのが得かもしれないと思い始めているのかな。どうなんだいルッツ伯爵?」
「まさにその通りですな。皇帝陛下にとっても『ドイツのジャンヌ・ダルク』というのは魅力的ですので」
「結局、考えてることは教会と同じというわけだ。嫌になるね。この場合エリーゼ様を取り合うよりは、共同で後援するのが穏当なんだろうね」
「ご理解頂けて嬉しいですよ、大司教殿」
「全く気に入らないけどね。……で、あたかも皇帝の使者のように振る舞っているルッツ伯爵。なんだかんだ貴卿も、私と皇帝陛下を天秤にかけている蝙蝠野郎だろう? 利益は十分に引き出せたかね?」
「ドイツのジャンヌ・ダルクを見出した男、という名声だけで十分過ぎますな。降って湧いた幸運にこれ以上を求めるのは強欲というもの」
私は思い違いをしていたようだ。私は支援を請う立場で、切れるカードも少ないと思っていた。如何にして少ない出血で、大司教から利益を引き出せるかを考えていた。だが私は皇帝陛下にとっても教会にとっても、貴族家の継承問題に介入するための駒で――今や『ドイツのジャンヌ・ダルク』という付加価値があるらしい。であれば。
「大司教様、ルッツ伯爵。ようはこの状況、私は何も支払う必要はありませんね? 皇帝陛下も教会も、私が武術大会で勝つ限りにおいては、勝手に利益を得る算段でいらっしゃるのだから」
大司教は頷いた。
「寄進がしたいというのなら、喜んで受け付けますがね? ですが貴女の仰る通り、我々は勝手に利益を得る心づもりだ。むしろ貴女を手懐けるための対価を、こちらから支払っても良いとすら考えている……ふふ、だというのに貴女ときたら! 私に何を要求されるのか案じていらっしゃる様子で、おまけに色仕掛けで値下げの下準備までしていた」
見透かされていたかと思いつつ、澄まし顔を保つ。
「すっかり道化になっていましたね、お恥ずかしい限りです。……ですがなすべきことは再確認できましたし、後顧の憂いも断てました」
「ええ。ようは貴女は武術大会で勝たねばならない。そうしなければ何も始まらぬ、という状況は変わっていない。だが勝ちさえすれば、あとは私と皇帝陛下が万事よろしく計らいましょう」
皇帝と教会の介入。独立領主としては好ましくないが、この状況なら――大司教が言っていたように、私は『私を手懐けるための対価』を要求できる。最初よりもずっと良い。
「さて、と。余興は十分ですな、本題に入りましょうか」
大司教はフィリップ助祭に視線を定めた。
「迷宮について。より正確には、迷宮を今後どう扱うべきかについて――ですかな」
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