第30話 決心

 翌朝。エリーゼは冒険者ギルド前の広場に、平服で現れた。


「まだ甲冑は直ってないのか」


「ええ、残念ながら」


 嘘だな、と思った。昨晩、俺とヘラはエリーゼの様子について話し合ったのだ。どうにもエリーゼは迷宮に行きたがっていない――というより、俺とヘラを危険に晒したがっていないように見える。そしてその理由については、察せる。


「なあ姫様」と切り出そうとした俺を遮って、エリーゼが「朝はまだ冷えますね、少し身体を動かして温めましょうか」と言い、自ら木剣を借りに向かった。運動を口実に俺に喋らせない気か。少しカチンときたが……まあいい、そっちがその気なら、こちらにもやりようはある。そう思い直し、戻ってきたエリーゼから木剣を受け取った。


「軽い打ち込みから始めましょう。ヘラさんは後でレスリングの稽古をお願いします」


「はーい」


 ヘラは地べたに腰掛けながら、俺にアイコンタクトを送ってきた。俺は頷きながら、エリーゼと木剣を合わせ、打ち込みを始めた。


 振り下ろし、受け、突き、受け流し、突き、回避、振り下ろし……と、ゆっくりとした動きで攻防を繰り返す。レオ爺さん相手だと5手以内に詰まされたものだが、エリーゼ相手だと攻防が続く……いや、昨日までは俺が詰まされていたが、今日は違う。


 互いの首筋に木剣を当てる。引き分け、仕切り直し。数手の攻防が続き……今度は俺が勝った。で、俺はエリーゼの手首に当てた木剣を引きながら、声をかける。


「お互い、手の内は出し尽くした感じだよな」


「そうですね」


 エリーゼはあっさりと認めながら、それ以上の会話は許さぬとばかりに打ち込みを再開した。コン、コン、コン、と木剣がスローテンポでかち合う音が響く――今度も俺が勝った。鍔迫り合いの状態から俺がエリーゼの手を掴み、封じ込めたのだ。


 お互いの手の内が知れている、すなわち初見殺しが飛んでこない状況下で、俺がエリーゼに勝つ。これは少しいびつだ。何せ剣術の年季ではエリーゼの方が上なのだから。


「もう一度」


「あいよ」


 仕切り直し。エリーゼは焦っているのか、打ち込みの速度が早くなってきた。相手の技を見てから対応を考え、実行するまでの時間が短縮される――だが、またしても俺が勝った。鍔迫り合いの状態からエリーゼの首に手をかけ、投げる寸前のところで動きを止める。


「なあ、俺は弱いか?」


「……嫌味ですか?」


「言い方が悪かったな。これでも俺は前衛として頼りないかって話だ」


「信頼していますとも」


 言いながら、エリーゼは打ち込みを再開した。先程よりもずっと速い。ほとんど実戦と同じ速度だ。だが、俺は全ての攻撃をいなしながら距離を詰めてゆく。互いの肩に触れる距離になるとエリーゼは手詰まりになり、苦し紛れにレスリングに移行しようとするが、俺はそれも簡単にいなし、エリーゼの肘を極めた。


 エリーゼは、ごく至近距離では弱い。「女だから」と身を案じられて、レスリング技を教えて貰わなかったからだろう。ヘラと訓練するうちに改善されるだろうが、今はその弱点につけ込む。


「信頼してるんなら、なんで俺を前に出さない? あんたは甲冑のぶんだけ自分のほうが防御に優れてるッて言うがよ、俺だって剣一本でここまで戦えるんだぜ」


 だんまりを決め込んだらしいエリーゼの腕を解放する。


「……レオ爺さんを殺したのは自分だと思ってるのか?」


「ッ……」


「図星かよ……だからもう、自分の指揮下で人が死ぬのは見たくないってか? なあ、あの作戦を立てたのはレオ爺さんだし、死ぬかもしれねえッて危険も承知だっただろうよ。俺とヘラだって……」


「それでも! ……いかに貴方たちが承服していようと、自分の命令で人が死ぬのは、嫌なのです」


 そう言ってエリーゼは俯き、肩を落とした。


「私の従士たちが死んでしまったときは、本当に胸が張り裂ける思いでした。それでも彼らの死を無駄にはすまいと頑張って、貴方たちを雇って……正直に言いましょう、見ず知らずの冒険者なら、死んでも心は痛むまいと思ったのです。ひどい話でしょう?」


「……だけど、そうはならなかったんだろ。あんたは自分の命令でレオ爺さんが死んじまって、後悔してる」


「甘くて、惰弱なのでしょうね、私は」


「考えようによっちゃそうかもしれねえな。……おいヘラ、俺たちが姫様に護衛契約を持ちかける時、レオ爺さんに止められたよな?」


「そうだったねぇ」


「あの時に爺さんなんて言ってたか覚えてるか?」


「あたしの記憶力ナメないでよ、一言一句覚えてるよ」


 ヘラは咳払いをひとつ、レオ爺さんのしかめ面すら真似しながら口を開いた。


「『やめよ、情に絆されるのは間抜けのすることじゃ。時には哀れな者を切り捨てることも必要じゃと心得よ』……だね」


「あの時はマジでクソジジイだと思ったな」


「ほんとにね。あのひと、困ってるエリーゼ様を見捨てようとしてたんですよ。あたしたちはそれが嫌だったから、今こうしているんです」


 エリーゼは力なく笑った。


「おそらくレオさんのそれが、貴族として正しい対応でしょう。不運な者にいちいち心を痛めていては、貴族の責務は務まらないでしょうから。……私には無理なようです。出会って数日の貴方たちすら切り捨てられないのです、領地を継げば、少数の領民を切り捨てねばならぬこともあるでしょうが……私には耐えられません」


「……じゃあどうするんだ?」


「ローゼンハイム伯爵位の継承争いからは身を引き、修道院にでも入ろうと思います」


 そこまで思い詰めていたのは想定外だったので面食らってしまうが、俺は一周回ってイライラしてきた。


「なあ。俺もたいがい後先考えないタチだがよ、レオ爺さんも姫様も、お貴族様っていうのはどうしてこうも後先考えないのかね」


「……?」


「爺さんが後先考えずに好き勝手やった結果は、見たよな。んじゃ次はあんたのことを考えよう。あんたが継がなかったら、あんたの家はあのイザークとかいう野郎が継ぐんだろ? 従士が死んでもヘラヘラしてるクソ野郎が。あれにコキ使われる領民のことは考えたのか?」


「それは……考えましたが……」


 エリーゼは言葉に詰まり、目を逸した。


「心残りなんだな、それが? で、あんたは責任ブン投げたことを修道院で後悔し続けるわけだ。……おい、ちょっとついてこいよ」


 俺はエリーゼの手を引き、歩き出した。


「ちょ、ちょっと、どこへ!?」


「教会だよ。フィリップ助祭に聞きにいこうぜ、お貴族様が責任ブン投げて、その結果、領民がクソみてぇな目に遭っても神様が赦してくれるのかをよ!」


「……赦されるわけがないでしょう!? 助けられたかもしれない者を見捨てるなど、イエス様の御心みこころにかなうわけがない!」


「わかってんじゃねぇか! じゃあ助けろよ、テメェの領民をよ!」


「それは私の手を領民の血で染めることに――」


「ならイザークの手がテメェの領民の血で染まることは良いのか!?」


「良いわけないでしょう!? わかっているのです、どちらにせよ私は……!」


 顔を真っ赤にし、目尻に涙を浮かべるエリーゼは、ほとんど叫ぶようにして食ってかかってきた。つられるように俺も叫ぶ。


「どっちにせよテメェは後悔するわけだ! ならもう一度考えてみろよ、どっちのほうがマシな後悔だ!? 『私が殺してごめんなさい』か『イザークに殺させてごめんなさい』か、選べよ!!」


 そう詰め寄ると、エリーゼは涙を浮かべつつも睨んできた。だが、彼女はそれ以上口を開こうとしない。それはますます俺を苛立たせた。彼女の襟元を掴み、揺さぶる。


「最初から選択肢がねえ俺たち平民と違って、テメェらお貴族様は手を汚すかどうか選べて良いよなァ!? そのクソ贅沢な悩みを、ご立派な知識が詰まったアタマでもう一度考えてみろって言ってんだ!!」


「――私だッ!!」


 エリーゼがそう叫ぶと同時、彼女の左腕がムチのようにしなった。瞬間、俺の右頬に衝撃と激痛が走った。


「いって……」


 殴られたと気付いたのと、揺れる視界の中でエリーゼの右腕がムチのようにしなったのは同時だった。左頬に衝撃と激痛が走り、俺は地面に倒れた。


「手を汚すのは、私だッ! 私が、お前や領民に、死ねと命じるッ! 私は死ぬほど後悔するッ! そちらのほうがマシだッ!!」


 エリーゼは、彼女のものか俺のものかわからない血で染まった拳を開き、ヘラを指した。


「ヘラ!」


「は、はいっ」


「迷宮に潜ります。差し当たって私の甲冑を取りに行きます、ついてきなさい!」


「しょ、承知しました~…」


 覚悟が決まって豹変したエリーゼに、ヘラは完全に気圧されているようだった。続いてエリーゼは俺を睨みつけた。


「ヴォルフ!」


「お、おう……」


「返事は『はい』だ、平民!」


 平手打ちが俺の頬にぶち当たり、甲高い音が響いた……だが、痛みはそれほどではなかった。わざと音が大きくなるように叩いたのか? 意図が読めず困惑していると、エリーゼは俺の髪をひっつかんで顔を近づけた。


「返事」


「は、はい」


「赤い血の分際でよく私に講釈を垂れましたね。その度胸は嫌いではありませんが、無礼を見過ごせるほど私は甘くない」


 彼女はそう言ってから、俺の耳元に口を近づけた。


「……衆目を集めすぎました、今は私に合わせてください」


 周囲を見渡してみれば、冒険者や一般市民たちが立ち止まって俺たちを見つめていた。……なるほど、ヒートアップして大声で叫び合っていたもんなぁ。つまり俺は公衆の面前で貴族と口論して……エリーゼのメンツを汚していたことになるのか、と理解する。


 エリーゼは俺を突き放し、尻もちをつかせた。


「平民。許しを請い、カネか、血すなわち戦働き、どちらであがなうか選びなさい」


 正式な詫びの入れ方などわからないので、俺はひとまず両手を組み、頭を下げながら答えた。


「申し訳、ありませんでした。血で贖わせてくれ……ください」


「……よろしい。私のために身命を賭して励みなさい」


 そう言い残すと、エリーゼはヘラを伴って広場を出ていった……去り際にちらと俺を振り返り、申し訳無さそうに会釈してから。

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