第27話 前へ

 翌朝、冒険者ギルド前。やってきたエリーゼと俺たちは、今後の方針を話し合うことにした。「まず」とエリーゼが切り出す。


「喫緊の課題は龍貨をどうするかですね」


 レオ爺さんのことから話し始めなかったのは、ヘラへの配慮なのだろう。もしかしたら、ヘラが言い出さない限り、エリーゼから切り出す気はないのかもしれない。


 ともあれ、龍貨だ。一体いくらで売れるのか楽しみで仕方ないが……全員、示し合わせたように冒険者ギルド本部に目をやった。


 そこには、探索開始報告に向かう冒険者たちが列を成していた。しかも、いつもよりかなり多い――彼らの中にはプレートアーマー装備のものもチラホラと混じっている。武術大会に参加する貴族たちが、景気づけに祝福を得に来ているのだろう。


「龍貨とその発見場所を報告すれば、必然的に『修道者の小径こみち』とその先の未踏領域のことが知れ渡ることになります。そして、オーグルが出る領域であるということを踏まえたとしても……」


「貴族連中なら気にも留めねえってか」


「おそらくは」


 オーグルは強敵であった。だが、1体であれば俺・ヘラ・エリーゼという「地下5階に潜ったことのない3人組」でも対処できてしまう相手でもあった。ならば、「地下5階に潜って帰ってこれる」貴族とその郎党であれば、俺たちよりも苦労せずに対処出来てしまうだろう。


「……姫様よ、これはアンタを馬鹿にしてるわけでもねえし、アンタがカネよりも探索自体を楽しんでいることもわかっちゃいる、その上で聞くんだが。貴族の財布から見ても龍貨って魅力的か?」


「魅力的です。伯爵家から見てもそうなのです、末端の騎士からしてみれば、喉から手が出るほど欲しいものでしょうね」


「そんなにか」


「騎士たちの生活も苦しいですからね。領土を切り売りしてなんとか『貴族らしい生活』を維持している者もいるくらいです」


 少し驚いた。あの偉そうに振る舞っている連中のいくらかは、無理してでも貴族の体裁を保っていたのか?


「……夢が壊れましたか?」


「多少はな」


「まあ今のは、小さな村1つしか治めていないような封建騎士の話です。複数の村を治め、大量の地代を徴税できる者なら話は別です……そして最も簡単に地代を増やす、つまり農民の住んでいる封土を手に入れる方法は、その土地を買ってしまうことですね」


「ああ、そこで龍貨が欲しくなるのか?」


「そうなります。あれがいくらで売れるのかはわかりませんが、同量の金貨に換算すれば……小さな村1つならば余裕で買い上げることが可能でしょう」


「ハハッ、少し夢を取り戻した気分だぜ。つまり龍貨をあと3枚見つけりゃ、俺でも地主サマになれるってことだろ?」


 エリーゼはくすりと笑った。


「ええ。それどころか、その村が騎士領であれば、騎士を名乗ることすら出来ます」


「は? マジで?」


「本当ですよ。無論、平民が貴族領を買ったとしても『騎士ではあるけど貴族ではない』という微妙な状態に置かれますけどね。本物の貴族になるには、ここ帝国では皇帝かボヘミア王に叙勲してもらい、その上で貴族社会に馴染んでいく必要があります。……当然、武勲や礼儀作法は必要になってきます」


「面倒くせえな」


「面倒くさいのです」


 ともあれ、とエリーゼは話を戻す。


「龍貨を売るのは、今は避けるべきだと思います」


 俺とヘラは頷き、同意した。カネを得るため、カネの在り処は隠しておく。単純なことだ。


「では、そういうことで。次に決めるべきことは……迷宮探索をどうするか、ですね。レオさんが離脱している以上、未踏領域の探索は一旦取りやめ、どこか別の、比較的安全な場所で魔物を狩るべきでしょうね」


「そうだな。とはいえ、どこが穴場の狩り場かは俺たち知らねえんだよな。そのへんはレオ爺さんに頼りっきりだったからよ」


 その時、ヘラがおずおずと口を開いた。


「あの、エリーゼ様」


「なんでしょう」


に、助言をもらいに行くのはどうでしょう」


 エリーゼは意外そうな、しかし喜色をにじませた顔で、続きを促した。


「見舞いついでというか、その、謝罪の言葉よりも有益な情報のほうがありがたいというか……行った時に意識があれば、の話ですけど」


「……良い案だと思います。では、早速行きましょうか」


 エリーゼは教会へと向かう道すがら、ちらと俺を見て微笑んだ。無言で頷き返す。空を見上げてみれば、昨日までの雨が嘘のように、綺麗に晴れ渡っていた。きっとヘラは冷静にレオ爺さんと向き合える。そんな気がした。


 教会の扉を叩くと、フィリップ助祭が出てきた。


「おはようフィリップ助祭。レオ爺さんは起きてるか?」


「……こちらへ」


 フィリップ助祭は挨拶もせず、何かを押し殺したような無表情で、教会を出て裏手に歩いていった。


「……フィリップ?」


 奇妙に思いながらも、俺たちは後を追った。教会の裏手は、共同墓地だ。嫌な予感がする。


「おい、フィリップ」


 フィリップは無言だった。そして、共同墓地にたどり着いてしまった。彼が立ち止まったのは、冒険者用の共同墓地。墓石の前の土は、掘り返して、埋め直した後があった。湿った土が散らばっているのは、ごくごく最近土をいじったことを示していた。


 俺もヘラも、エリーゼも、何も言えなかった。言ってしまったら、嫌な憶測が本当になってしまう気がしたから。認めたくなかったから。


 だがフィリップ助祭は、そんな俺たちを無視して、そして何かに赦しを請うような表情で小さく十字を切ってから、告げた。


「遺言に従い、早朝のうちに埋葬しました。曰く『おぬしらに死に顔を見られたくない』と」


「……嘘だろ? 昨夜は喀血も治まって、静かに寝てたじゃねえか」


「深夜、高熱が出ました。レオさんも予見していましたが、ひどい骨折をした方にはよくあることです」


「解熱薬は飲ませたって言ってただろ」


「効果には限りがあります」


 頭が真っ白になった。不思議と、涙は出なかった。悲しむ以前に、そもそも受け入れられないのだ。レオ爺さんの死が。


 殺しても死にそうにない、なんでも出来るレオ爺さんが。恩すら返させてくれない、心底嫌味なレオ爺さんが。死んだ?


 呆然とする俺をよそに、フィリップは無表情でエリーゼを見た。


「3人それぞれに遺言を預かっております。まずはエリーゼ様、『契約書の第12条の履行を求めます』とのことです」


「……。レオさんと交わした契約の第12条。迷宮内における戦傷、戦病、戦死などの理由で戦闘に従事出来ない人員が発生した場合でも、その数が1名を超えない場合は、雇用を続けること。承りました」


 フィリップはヘラを見た。


「ヘラさん。『すまない』とのことです」


「……それだけ?」


「それだけです」


「……本当に、馬鹿なひと。謝罪なんて最初から受け入れる気なんて無いんだよ、こっちは。でもあたしの知らないお母さんの姿とか、馴れ初めとか、そういうのは聞きたくて。だから、話し合おうって思ってたのに。なのに、なんで」


 ヘラはその場にへたりこんでしまった。ぽたり、と涙が地面を濡らした。


「なんでだよぅ……」


「……逃げたんですよ、あの方は。向き合うことから」


 フィリップはそう吐き捨て、俺を見た。


「ヴォルフさん。『ヘラを頼む』とのことです。それと、こちらを」


 フィリップは分厚い冊子を懐から取り出し、俺に差し出した。


「……これは?」


「レオさんがしたためた本です。題は書いてません、装丁を施すのが間に合わなかったからなのでしょうが……ざっと見たところ、礼儀作法、武術、そして領地経営のノウハウなどが書かれていました」


「……文盲の俺に、それを?」


「はい」


 真っ白になっていた頭が、回りだした。レオ爺さんの声が聞こえるようだ、「悔しかったら字を覚えろ」と。悲しみを通り越して、怒りがわいてくる。


「フィリップ助祭」


「はい」


「俺に字を、教えてくれ」


「……そうしたいところですが、この教会には私にしか出来ない仕事が多すぎる。時間を割けたとしても、深夜になるでしょう」


「構わねえよ」


 その時、俺の肩にエリーゼの手が置かれた。


「助祭様を煩わせるのは酷です。私が引き受けましょう」


「……良いのか?」


 エリーゼは頷いた。何故か彼女は、赦しを乞うような、悲愴な表情を浮かべていた。


「そう、させてください」


「……ありがとう。頼む」


 エリーゼに頭を下げてから、俺は墓石に向き直った。


「おい、レオ爺さん。俺はあんたのことが本当に嫌いだ。普段から嫌味な奴だったし、ヘラをほったらかして死にやがるし、置き土産で俺を手玉に取ろうとしやがった。そもそも俺に色々教え込んだのはヘラのためで、恩を与えたとも思っちゃ居なかったんだろうが、俺は本当に心苦しかったし、腹がたったよ。乞食だと見做されてた気分だ」


 声が震える。怒りで顔が歪み、それでいて、不思議と涙が流れてきた。


「……だから遺言は請けてやらねえ。ムカつくからだ。そもそもあんたに言われなくても、ヘラの面倒は俺が見る。俺の夢に干渉するんじゃねえ、クソジジイめ。勝手すぎるんだよ。詫びの一言が欲しいところだが……その代わりにこの本を頂いておくぜ。ざまあみろ」


 ヘラが立ち上がり、目元を拭った。


「その解釈でいこう、本当に腹が立つ。お父さんの計画になんか乗ってやるもんか。あたしたちは、誰に言われなくても勝手に前に進むよ」


「ああ。……つーわけで姫様、迷宮行こうぜ」


「よろしいのですか? その、何日か喪に服しても構いませんが……」


「いらねえよ。つーか、あんたも従士サマがたが死んでもすぐに迷宮に行こうとしてただろ。なら俺たちもウジウジしてらんねーよ」


 そう言うと、エリーゼは何故か、何かに怯んだように一瞬固まった。


「姫様?」


「……いえ、なんでもありません。わかりました、行きましょう」


「よし。ああそうだ、フィリップ助祭。爺さんのことで色々世話をかけたな」


「あの方からは、本当に。……ああそうだ、修道士ダリオについてですが、彼が身をおいていた宿を訪ね、彼の手記を見つけていたのですよ。色々あってまだ読めていませんが、今夜から少しずつ読んでいこうと思っています。何日かしたら、また訪ねてきてください」


「助かる。……あるいは、俺が直接それを読めるようになる方が早いかもしれねえな?」


 フィリップはくすりと笑った。


「残念ですが、ダリオの手記はラテン語で書かれています。レオさんの本を読むよりもずっと難しいですよ?」


「チッ、格好つかねぇな……わかったよ、そっちは任せるよ。俺はドイツ語から始めるよ」


「そうしてください。……応援してますよ」


 俺は軽く手を振り、迷宮に向けて歩きだした。

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