第43話 決意と決別
とうとう武術大会の前日になった。エリーゼとの護衛契約の最終日でもある。
俺はこの1週間、毎日戦闘訓練に励んできた。エリーゼを相手に幾度も幾度も模擬戦闘を行ったのだ。そこで1つ、問題が発生していた――ほとんどエリーゼに勝てないのだ。
「一本、ですね」
「チイッ……!」
俺は喉元に木剣を突きつけられ、降参だと両手を挙げた。
「もう一度だ!」
「構いませんよ」
距離を取りなおし、木剣を構えて相対する。エリーゼは全身に甲冑を纏っており、有効打を与えるには甲冑の隙間を突く必要がある。祝福の量が同じになってしまった現在、力押しでぶっ叩いて昏倒させるという手は使えなくなっていた。エリーゼもそれはわかっているので、防御は全て甲冑に任せ、甲冑で覆っていない脇や肘は締めて隠すような構えをとっている。
「いくぞ!」
小盾を前面に押し出しながら突進。長剣の突きが飛んでくるのを小盾で流し、こちらの片手剣を兜のスリット目掛け突き込む。エリーゼは僅かに首を傾け、切っ先をスリットから外して受ける――だが視界は揺らいだはずだ、この隙に足を掬ってやろうと一歩踏み込み、小足払いを仕掛ける。
「おらッ……ぐおっ!?」
小足払いを繰り出した脛に痛みが走る。エリーゼの鉄靴による蹴りだ。こちらの動きを読んでのカウンター。彼女は長剣を握る両手に力を込め、腰の捻りで長剣を横薙ぎに振った。小盾で受けるが、左腕の力だけでは支えきれず、しかも片脚は蹴りの痛打で怯んでいたため踏ん張りが効かず、俺は投げ飛ばされるようにして引き倒されてしまった――倒れた俺の首筋に長剣が添えられた。
「一本」
「クソッ……」
「……ヴォルフ、迂闊に踏み込み過ぎです」
「わかってる、わかってるよ」
わかってはいる。だが、踏み込まないことには勝てないのだ。エリーゼは未だにレスリングが苦手なので、密着して投げ飛ばしてしまえば俺が勝てる――だが彼女もそれは理解しているので、徹底してレスリングの距離に踏み込ませないように戦う。そして踏み込めたとしても、頭突き・肘打ち・パンチ・膝蹴り・足蹴りといった「鉄で鎧った打撃」を繰り出してくるのだ。これをいなさないことには、俺はエリーゼに組み付けない。有効打を取るまでの障害が多いのだ。
「やっぱり甲冑が厄介だよ、俺も買っておけば良かったな……」
「1週間程度では、甲冑を着た時の動きに慣れるのには足りませんよ。剣術の体系まで変わってしまいますしね」
「わかってるよ、言ってみただけだ。……畜生、これが貴族か」
武術大会で当たるであろう相手の多くは貴族だろう。エリーゼと同じように全身に甲冑を纏っているはずだ。つまりエリーゼに苦戦するということは、貴族相手だと苦戦するということになる。
「とはいえ、きっと祝福の差なのでしょうね。ほら、見てください」
エリーゼが視線をやった先では、同じように戦闘訓練に励んでいる貴族たちがいた――だがその動きは、俺たちに比べれば幾分緩慢だ。
「祝福の差なのでしょう、普通の貴族ならあの程度なのです。苦戦はすれど、気をつけて立ち回れば勝てるのではないかと」
「……異形の民のお陰か」
「そうなのでしょうね」
異形の民がオーグル9体を屠り、魔素を吸わせてくれたから。たった9体だが、オーグルは地下6階の魔物だ。普通の貴族たちが狩る、地下5階の魔物がもつ魔素とは量が違うのであろう。俺たちは桁違いに強化されているようだ。
「とはいえ」
エリーゼは俺を立ち上がらせ、木剣を杖にしながら目を伏せた。
「……ヴォルフ、お話があります」
「なんだ?」
「武術大会、辞退してくれませんか?」
「……はぁ?」
「最初からわかっていたことですが、大会では私たちは敵同士になります。そして私は優勝しなければ話になりませんが、貴方は『目覚ましい戦いをして貴族に目をつけてもらい、騎士に叙勲してもらう』が目標でしょう。優勝する必要はありません」
「……それで?」
エリーゼは自分の胸に手を当て、俺の目をまっすぐ見つめてきた。
「私が貴方を騎士にします。正確には、騎士領を1つ差し上げます。勿論それだけでは正式な騎士たり得ませんので、皇帝陛下にかけあって叙勲の手続きもして差し上げます。……それで退いて頂けませんか?」
ぐらりと視界が揺らいだような気がした。俺の手元には既に十分な現金がある。農地を買い上げて、地主として生きていくには十分なほどに。ひょっとしたら貧乏騎士の領地を買い上げることだって出来るかもしれない。
だがエリーゼはそれを、タダでよこすというのだ。しかも皇帝にかけあって、正式な身分までくれるという。
「なんで、そこまでしてくれるんだ?」
「私にとって最も危険な相手はあなただからです。私の手の内や戦い方の癖を知っていて、祝福の量も同じなあなたは、武術大会で最も当たりたくない相手です。それを騎士領1つで落とせるなら安いものです」
ヘラが歩み寄ってきて、俺の手を握った。
「……ねぇヴォルフ、受けた方が良いんじゃないかな。破格の条件だよこれ」
「そう、思うか?」
「うん。だってあたしたち、あのひとの本で勉強したとは言っても、結局は『無教養な貧民出身者』なんだよ。それを理解してなお騎士にしてくれるなんて、エリーゼ様くらいしかいないんじゃないかな」
エリーゼが頷く。
「平民を新たに騎士、貴族に叙することは、貴族層からの反発が大きいでしょう。
富は既に手に入れた。それに加えて欲しいものは、名声と身分だ。名声があれば、人からバカにされない。身分があれば、選択肢が増える。『素性の知れない貧民だから』と誰にも雇ってもらえないなんてことは、なくなる。
エリーゼはそれらを全て与えてくれるという。ここで頷けば、俺の、俺とヘラの夢はすっかり叶ってしまうのだ。顎を少し引くだけで良い、それで叶う――だが、それが出来なかった。
――腹から込み上げてきたのは、怒りだ。反発心が柱となり、首筋をすっかり固定してしまったかのようだ。
「……ヘラ。これは俺たちの夢なんだぞ?」
「そうだよ。今、叶うんだよ」
「違うんだよ。生きるためにはしょうがねえって言いながら盗みをやってた俺たちが、自分で選び取った夢なんだぞ?」
「ッ……」
俺と心中することすら覚悟の上で、俺と一緒に歩むことを決めてくれたヘラ――彼女はその夢がレオ爺さんの掌の上にあったことを知って、激怒した。ならば俺の怒りがわからないわけがない。
「叶えてもらっちゃ意味がねぇんだよ。わかるだろ」
――ああ、なんでこんなにも怒りが込み上げてくるのか、わかった。レオ爺さんが癪にさわった理由も、異形の民に強化されて感じた不快感の理由も、フィリップが気に食わなかった理由も、わかった。
「これが正しいんだと信じて許可も取らずに勝手に人様の夢に干渉しやがったレオ爺さん、魔素を恵みやがった異形のクソ女、くっだらねぇ信仰で自分を縛ったフィリップ。そりゃ勿論奴らには助けられたさ、でも全員気に食わねえ。そして姫様、あんたもだよ。……俺が本当に欲しいのは、自由だよ」
「ヴォルフ!」
ヘラが必死に止めようとしてくるが、構わない。もう俺の心は決まっていた。
身勝手だなとは思う。欲をかいて死にかけたことだって記憶に新しい、あの時は異形の民に救われたが――それすら気に食わないのだ、俺は。本当に身勝手で、笑いが込み上げてきた。
「自分で選んで、自分でつかみ取りたいんだよ俺は。『生きるためには仕方がない』『施しに縋るしかない』なんてのはもう嫌なんだ」
「エリーゼ様は、そうならないでも良いような身分をくれるって言ってるんだよ!?」
「恵んで貰ったら乞食と同じじゃねぇか! 投げ渡される小銭がどんだけ屈辱的か、お前は知ってるだろ!?」
「そうだけど! ……そうだけど、ここで我慢すれば、もうその先はそんな思いしなくても良くなるんだよ!」
「それが不確実なんだよ。……おい姫様、あんたが言った条件は、結局のところあんたが武術大会で優勝して、家を継がなきゃ叶えられねえだろ?」
正式に家督を継がないことには、土地の配分なぞできようもない。皇帝にかけあって俺の騎士叙勲を認めてもらうにしても、『ローゼンハイム領主のエリーゼ』でなければ取り合って貰えないだろう。
「つまりここで頷いたら、俺は俺の夢を、あんたに賭けることになるわけだ。あんたが勝ち上がるかどうかハラハラしながら、指をくわえて観戦してろってのか? ……御免だね、そんなの。だったら俺は、俺に賭ける。自分で戦って勝ち取る」
エリーゼの表情が険しくなった。だがそれと同時に、困惑の色も伺えた。
「……ヴォルフ、冷静に考えてください。貴方が勝ち上がるより、私が勝ち上がる可能性のほうが高い。それはこの1週間で嫌というほどわかったでしょう?」
「ああ、それでもあんたには賭けない」
「ここで断られて、あとで『やっぱり騎士にしてください』と言われたとしても、はいよろしいですよと頷くほど私はお人好しではありませんよ」
「理解してるよ」
「……頑固者」
「ああ」
エリーゼと睨み合っていると、不意にヘラが笑い出した。
「……ふふ、やっぱり無理だよエリーゼ様、ヴォルフを操るなんて。この人、合理的な判断とか全部蹴っ飛ばして力技でどうにかしちゃう、正真正銘の馬鹿だからさ。もう何言っても聞かないと思いますよ」
「ヘラ。ここで彼を説き伏せねば、その妻となる貴女の人生も棒に振ることになりますよ。地主の妻より、騎士の妻になりたくないのですか?」
「あたし、とっくの昔にヴォルフと心中すること決めてるんで。地主の妻どころかお先真っ暗でも、2人一緒ならそれで良いんです。馬鹿で粗野で女の子を泣かせる本当にひどい男だけど、あたしと一緒にいてくれたのは彼だけで、あたしもそれに添い遂げるって決めたんです」
ヘラは左手を自分の平たい胸に当て、右手を俺の左手に重ねた。
「それが、あたしの恋だから」
エリーゼは天を仰いだ。
「悪い男に騙されてるだけですよ、それは」
「わかってますよ」
「……2人とも本当に馬鹿で、頑固者です。ヘラに至っては裏切り者です、ヴォルフを絆すのに協力すると約束したのに」
それは初耳なんだがとヘラを見たが、彼女はくすりと笑って俺にウィンクし、それからエリーゼに向き直った。
「それはごめんなさい。でもねエリーゼ様、あたしは貴女の『無意識に人を操る』なんて力、本当は信じてなかったんですよ。信じたくなかった、っていうほうが正しいですね。だってそんな力があったら、あたしたちの自由意志なんてどこにも無いじゃないですか。それは――とってもムカつく」
「…………」
「気に食わないから、否定します」
「私を?」
「はい」
エリーゼは大きなため息をつき、それから苦笑した。
「……私は傲慢だったのかもしれませんね。うっすらわかってはいたのです、たまたま目的が噛み合っていただけのものを、私への恵みだと勘違いしていただけなのかもしれないと。でもね、ヴォルフ」
「おう」
「それでも私は踏み越えていきますよ。私はひどい勘違いをしていて、あなたたちの夢を踏みにじったのだとしても、私は全ての領民のために青い血の責務を果たさねばなりません。そのために打てる手は全て打ちます。……最後にもう一度聞きます、武術大会を降りませんか?」
「嫌だね」
「……よろしい。であれば、あなたは今この瞬間から敵です。護衛契約も満了したとみなし、その任を解きます」
エリーゼは俺とヘラに、今週ぶんの護衛料を手渡した。
「……大会で会いましょう。全力で叩き潰します」
「それはこっちのセリフだ」
エリーゼは寂しそうに微笑み、去っていった。
俺とヘラは手を繋ぎながら、その背が見えなくなるまで見送った。
「……やっちまったなぁ」
「やっちゃったねぇ」
「正直すまねぇと思ってる」
「謝らないでよ。あたしは全部納得ずくでヴォルフに賭けてるんだからさ」
「……ありがとう」
「うん」
ヘラは俺の腕にそっと身を寄せた。俺は繋いだ手を、少しだけ強く握り返した。
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