第42話 清算

「おい、どういうことだよ!」


 エリーゼとフィリップ助祭が戻ってきて、大聖堂をあとにする道すがら。会談の内容を聞かされた俺は、思わずフィリップ助祭の肩を掴んで叫んでしまった。彼が聖職者を辞めるという理由に納得できなかったからだ。


「いまお話しした通りですよ。私には聖職者たる資格がなかった。覚悟がなかった。だから辞める、それだけの話です」


「わかんねぇよ! ……おい姫様、実は大司教サマに変な圧力かけられたとかじゃないよな?」


 教会の教えとは違うものを発見し、報告したのだ。異端審問するぞと脅されたのではないか。そう考えたのだが、エリーゼは首を横に振り、厳しい目で俺を睨んできた。


「口を慎みなさいヴォルフ。イエス様に誓って、そのようなことはありませんでした。……彼の自由意志なのですよ、これは」


「ッ……なら、尚更わかんねぇよ。なあ正直に言うよ、俺が信頼してる聖職者はお前だけなんだよ。俺たちスラムの貧民に目をかけてくれた聖職者はお前だけだからな。……教会放り出してローマで遊んでるクソが司祭やってるんだぜ、それに比べりゃお前のほうが百倍は立派に聖職者やってるじゃねぇか」


「口が過ぎますよ、ヴォルフ。……私は臆病なんですよ。どうしようもなく神の裁きが恐ろしい。貧しい方々に寄り添ったのも、裁きが恐ろしかったからです。……ですが神やイエス様の教えに命をかける覚悟はなかった。おかしな話ですよね、死後の裁きを恐れているのに、同じくらい死を恐れているのですよ、私は」


「誰だって死ぬのが怖いのは当然だろ」


「その恐怖を乗り越えるべきなんですよ、聖職者は。そうでなければ……そうでなければ、恥ずかしくて人の前になど立てません。まして人々に教えを広めるなど」


「……お前が恥じてようがなんだろうが」


 小盾に目を落とす。初めて迷宮に潜る時、フィリップ助祭がくれたものだ。無数のひっかき傷や凹みがついてボロボロになったそれを、彼に見せる。


「見ろよ、お前がくれた盾はこんなに俺の命を守ってくれた。ありがたいと思ってるよ。……お前は人を助けられるんだよ、お前が恥ずかしいと思ってようがなんだろうが。なあ、それじゃダメなのか? それじゃ神様は許しちゃくれねぇのか?」


 フィリップ助祭は苦笑し、それから力なく首を横に振った。


「……そうかよ。クソみてぇに偏狭なヤツだな、神ってのは。気に入らねえ。それを信じてるお前もな!」


 俺は駆け出した。「ヴォルフ!」と叫んで、ヘラが追ってくる。俺は彼女を無視して走り続け――鍛冶屋の前で止まった。親方が店の前で金槌を振るい、鉄板を叩いている。


「親方」


「ああ? ……ああ、昨日兜を買った兄ちゃんか。なんだ、不具合か?」


「そうじゃねえ、追加の買い物だ」


 俺が欲しいものを伝えると、親方は店の奥に入って在庫を持ってきた。それを言い値で買い上げる。ほくほく顔の親方が尋ねてくる。


「いやあ、作り置きしておいて正解だったぜ。お前さんも武術大会に向けて新調ってクチだろ? そういうヤツのために幾つか作っておいたんだ」


「そうかい。だが残念だけど違うんだよなぁ」


 そう答えて、俺は鍛冶屋を後にした。ヘラが俺の横に並び、目を細めた。


「……ふーん」


「なんだよ」


「いや、あたしやエリーゼ様のときとの差はなんだろうなって。あたしたちが心折れかけたときはさ、優しくしてみたり相手が泣くまでぶつかってみたり、もっと熱い感じだったじゃん?」


「……男にはそこまでしてやらねぇ。それに信仰だなんだって言われたら俺には手の出しようがねぇよ」


「あたしたち神様信じてないもんねぇ。……でも、フィリップ助祭に教会に留まって欲しいって思いはあたしも一緒だよ。それがダメならせめて元気でいて欲しいって気持ちも」


 ヘラは俺の財布に手を突っ込んだ。直後、少しだけ財布が重くなった。


「おい?」


の半額ぶん、入れておいたから。……ヴォルフが死んでたら、あたしも死んでたからね。一緒にお礼させてよ」


「……好きにしろよ」


 俺たちはフィリップ助祭たちとわかれた辺りに戻り、それから教会への道を辿って駆けた。ほどなくしてフィリップ助祭とエリーゼの後ろ姿が見えてきた。


「フィリップ助祭!」


「……もう助祭じゃありませんよ」


「じゃあフィリップ。これやるよ」


 そう言うと彼は振り向き、俺の手の中にある小盾を見て困ったような顔になった。


 俺が差し出したのは、新品の小盾だった。縦に引き伸ばした八角形で、幾本かの筋が入っている。親方曰く「最近流行りのスタイル」らしい。


「お前のことは気に入らねえが、それは借りを返さないで良い理由にはならねぇからな。受け取れよ。それでおさらばだ、あとは好きにしろ」


「……いえ、これは貴方が武術大会で使うべきです」


 俺はフィリップから貰ったほうの、円形の小盾に目を落とす。


「俺はこのかたちのもので慣れちまったからな、大会1週間前に変えたくねぇ。だからこれは俺がもらう。そいつは代わりの品だ」


「しかし……」


 ヘラが俺の横に並び、小さな胸を張った。


「どっか荒野に行くんでしょ、山賊に襲われて死んだらあたしたちの目覚めが悪くなるから、黙って受け取りなよ。……ちなみに半額はあたしが出したから。だからこれはあたしたちからの、今までのお礼ってことね。……フィリップ、貧民にもプライドはあるって知ってるでしょ?」


 俺も頷く。フィリップはため息をつき、それから苦笑した。


「……わかりました、ありがたく受け取りましょう」


「よし、これで貸し借りなしだ。……引き留めて悪かったな、要件はそれだけだ。あとは好きにしやがれ」


「ええ。……武術大会の日まで教会にいられるかわかりませんが、健闘を祈ってますよ。ではお達者で、ヴォルフ、ヘラ」


「言われなくても元気に生きてくよ。……じゃあな」


 フィリップは手を組み、何事か短く祈った。それから彼は俺たちに背を向け、去っていった。人混みが彼の姿を覆い隠すと、エリーゼが「さて」と切り出した。


「私たちは武術大会に向けて、訓練するとしましょう」


「ああ。……迷宮で何が起きてようが、誰が去ろうが、究極的には俺たちには関係ねぇ。大会で勝たにゃ何も始まらねえからな」


 ヘラとエリーゼは頷いた。――こうして、俺たちは大会前日までひたすら戦闘訓練に励むことになった。

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