第44話 武術大会 その1

 武術大会、当日。朝8時から始まった開会式は、主催たる皇帝の挨拶で始まり、観戦に来た選定侯や大司教の挨拶、帝都市長の挨拶……と主だった列席者の挨拶が続き、9時の鐘が鳴る頃になってやっと競技の準備が始まった。


 この大会のためだけに建設したのだという大闘技場は、巨大なフィールドを取り囲むようにして観戦席が設けられている。その観戦席の一角に、俺とヘラは腰掛けていた。


 選手である俺が観戦席にいるのは、ひとえに選手が多すぎて待合室に収まりきらないからだ――なんと2000人近くの選手が登録されているらしい。


「……何も、起きないな」


 ちらと迷宮の方角を見やる。選手のほとんどは迷宮地下5階まで行ったことのある者、すなわち魔素を持っている。それが2000人集まっているが、迷宮で何かが起きたという騒ぎは今のところ聞こえてこない。


「あったら困るけどねぇ。……やっぱり考え過ぎだったのかなぁ」


「それならそれに越したことはねぇが……おっと、第一試合が始まるみてぇだな」


 フィールドの中心に司会役の紋章官が出てきた。そこに2人の助手が付き従い、それぞれ旗を掲げている――片方の旗には白地に赤い薔薇が描かれており、下3分の1が緑色に塗り分けられている。その旗をもつ助手の後を、甲冑姿のエリーゼが歩いていた。


 もう片方の旗には、先程の旗と同じ模様が右半分に描かれ、左半分には黒地に金色の剣が描かれていた。その旗をもつ助手の後ろには、甲冑姿のイザークが歩いていた。


「第一試合はエリーゼとイザークか。……やっぱこれ、仕組まれてるのかねぇ」


「そうらしいね。こういう『見世物試合』を合間合間に挟んで、観客を退屈させないようにするんだ……って隣の人が言ってた」


 ヘラが顎をしゃくって隣に座る男性を示した。彼はエリーゼに向かって「ウオーッ、マジの女騎士だ! 俺は知ってるんだ、エリーゼ様はすっげぇ胸がデカいんだってな!」と興奮していた。


「なんなんだこいつは」


「さぁ。情報通って言ってたけど……」


「ふぅん」


 あんまりうるさいと癪にさわるなと思いつつ、俺たちは「見世物」にされた2人の姿を注視した――。




 紋章官が良く響く高い声で、試合の説明を始めた。


「Aブロック第一試合! 東方に陣取るはエリーゼ・フォン・ローゼンハイム様、彼女はお父上より家督相続の命を受けて修行を積み、なんとこの度は乙女の身にありながら迷宮地下5階から生還なさいました! これはフランスのジャンヌなる乙女以来の快挙であります! さてはて天上の主は、お父上の命を果たさんとする乙女に勝利の栄光をお与えになるのでしょうか!?」


 事前に大司教が私の事績を触れ回ってくれたらしく、観戦席から「エリーゼ様!」と私の名を叫ぶ歓声が上がった。女性の声の比率が多い気がする。観戦席に向かって手を振ってやれば、その歓声は一層大きくなった。


「――対する西方はイザーク・フォン・ローゼンハイム=キルプ男爵! 彼はエリーゼ様の家督相続を認めず、自分こそがローゼンハイム家を継ぐべきだと主張しておられます!」


 観客席から女性によるブーイングが沸き起こり、それと同時に下品な野次が飛んできた。


「イザーク様ァ! エリーゼ様を引き倒して甲冑を脱がしてくれーッ! 大層胸が豊満らしいからなーッ!」


 紋章官はブーイングや野次を気にもとめず、私とイザークを手で指した。


「両者、口上があれば一言どうぞ!」


 最初に口を開いたのはイザークだった。


「エリーゼ。女の身で迷宮に潜り、あまつさえ武術大会の場に出てきた勇気は認めてやろう。だが果たして、公衆の門前で敗北する恥辱に耐える勇気まではあるかな? 今なら名誉ある降伏を認めよう、そうすれば少なくとも、実力差を理解するだけの判断力はあったのだと誇ることは出来るだろう」


 再びブーイングと、下品な野次が飛んできた。


「鎧を剥げーッ! 肌を見せろーッ!」


 私は競技用の木剣でトントン、と地面を突いた。


「ごたごたと女のように話が長いですね、イザーク。女々しさをアピールされても私は手加減しませんよ? ――殴り飛ばすだけです」


 兜の奥でイザークの目に怒りの色が浮かぶ。歓声が上がり、同時に下品な野次が飛んできた。


「その生意気な女騎士の豊満をアババババババーッ!?」


 視界の端で、野次の主が小柄な少女に殴られているのが見えた気がした。


 紋章官は咳払いを1つ、右手を天高く挙げた。


「両者、天上におわす父と子と精霊に祈りを」


 木剣を正中に構え、天を見上げる。


「続いてご観覧の皇帝陛下に礼を」


 観戦席の最上段に設けられた皇帝専用席に座す、皇帝その人に向かって膝をつく。


「両者、対戦相手に向き直って。エンチャントを」


 聖句と共に甲冑と剣にエンチャントを施す。


「……己と祖先の名誉に懸けて、正々堂々たる振る舞いを誓って」


「誓う」


「誓います」


 木剣を構えてにらみ合う。互いに右手をリカッソ――剣身の根本、刃のない部分――に置き、脇と肘を締めた構え。観戦席が静まり返り、緊張が走る。紋章官が息を吸う音が鮮明に聞こえた。


「――始めッ!」


 お互いに地面を蹴る。祝福を受けた者同士が猛烈な勢いでぶつかり合い、激しい金属音が鳴った。一合して飛び離れる――からんと音を立て、イザークの木剣が地面に落ちた。


「な、なにッ!?」


 イザークは何が起きたのか理解出来ていないようだった。剣を絡められ、膂力差で剣をもぎ取られたことを。私のほうがずっと速く、力が強いから出来たことだ。イザークにとっては予想もしていなかったことなのだろう、あっけに取られていた。


「慈悲を与えます。待っていて差し上げるから、拾いなさい」


 顎をしゃくって地面に落ちた剣を指してやれば、イザークは恥辱と怒りで身を震わせながらそれを拾った。観戦席の反応は、驚嘆と困惑が半々といったところだった――まだ足りないな、と思う。


「……認めようエリーゼ、少々油断していたよ。だが次は」


「男なら口でなく剣で語りなさい」


「……貴様ァ!」


 イザークが突進してきた。その姿をじっくりと見据える――遅い。遥かに遅いのだ、オーグルより。故にいなすのは簡単だった。ぶつかりあった剣を軸に身をよじり、イザークの身体を受け流しながら足を蹴り上げる。


 イザークの身体が勢いよく空中で数回転し、それから地面に落ちた。背中を強打して硬直する彼の股間に、わざとらしいほどにゆっくりと剣を突きこむ。


「ゲホッ、やめ、やめろ!!」


 イザークは尻を地面に擦りながら後退し回避。私はそれを追うように、股間めがけ突きを放ってゆく。イザークは尻を擦って逃げる。観戦席から笑いが起きた。――うん、こういう反応が欲しかったのだ。十分だ。


 十分に、イザークの名誉を傷つけた。皇帝陛下や選定侯、無数の貴族や帝都市民の眼下で、無様な姿を晒させた。その噂は帝国全土を駆け巡り、イザークの名声は地に落ちることだろう。――面子商売の貴族において、それは致命的だ。誰からもナメられる存在には、誰も付き従わないのだから。彼の家督継承のハードルは数段上がったと見て良いだろう。


「やめろと言っているだろうがッ! 僕に、僕に恥をかかせたなエリーゼエエエエエッ!!」


 イザークは何とか立ち上がり、斬りかかってきた。もはや冷静さを完全に失っているのだろう、大上段に剣を構え、脇を大きく開きながら。――その脇に強烈な突きを放つ。肩が砕ける感触。


「がっ……!?」


 肩を砕かれたイザークがよろめくが、紋章官は私の勝利を宣言しなかった。真剣であれば腋窩の動脈を切り裂いていたであろう一撃だというのに……これはつまり、「もっとやって良い」ということであろうか? 興行のため? あるいは誰の差し金でこんな判定を? ……と考えて、すぐに「誰か」に思い当たって笑ってしまう。よろしい、ならばやろう。


 私はつかつかとイザークに歩み寄り、激痛で背を丸める彼の頭を、柄頭で殴りつけた。衝撃で沈んだ頭を、膝蹴りで跳ね上げる。跳ね上がった頭を、柄頭で殴りつける。衝撃で沈んだ頭を、膝蹴りで跳ね上げる。


「グワーッ!? グワーッ!? グワーッ!? グワーッ!?」


 殴る、蹴る、殴る、蹴る。鈍い金属音と悲鳴が連続で響く。観戦席から驚嘆混じりの笑いが起きる。だが私は、訓練を積んだ貴族を玩具のように弄べるようになった自分の力に少し恐怖していた。――だがこれがなければ目的は達成出来ないのだ。ゆえに、使う。私のほうがイザークより貴族すなわち戦士として優れていると、示すために。


 衝撃で目が回っているイザークの前で、私は悠々と剣をうなじのあたりで振りかぶり、上体を右にひねった。剣術に心得のある貴族たちから、ちらほらと笑いがおきた――この構えの名は、「貴婦人の構え」。洒落で選んだ構えだが、洒落が通じる相手だと貴族層に知らしめるにはもってこいだ。そして男を殴り飛ばすのにも、だ。


「終わり、です!」


 上体のひねりを解放し、剣を力いっぱい横薙ぎに振った。イザークの頭を直撃。彼は吹っ飛び、3度地面にバウンドしてから止まった。紋章官がイザークに駆け寄り、気絶していることを確認してから頷いた。


「――勝者、エリーゼ・フォン・ローゼンハイム様!」


 大歓声が沸き起こる中、私は皇帝と大司教を見た。彼らは満足げに頷き、拍手していた。おそらく対戦表に介入してこの組み合わせを作ったのは、2人のうちどちらかなのだろう。私を政治的に利用するための前準備というわけだ。


 ――ならば私も利用させてもらおう。そしてこのまま勝ち上がってゆくだけだ。私は剣を正中に構えて彼らに目礼してから、控室へと戻った。

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