第38話 解釈と対策 その1

 気づいたら冒険者ギルドに帰ってきていた。


 そう感じるくらい慌てていたのだろう、どの通路を使って迷宮を上がってきたのか、門番とのやり取りはどうだったのか、記憶が曖昧だ。だが全力疾走してきたのだけは確かだ、すっかり息は上がっているし、呼吸するたびに胸が痛む。


 荒い息も落ち着いてきた頃になって、ぽつりとヘラが呟いた。


「なに、あれ」


 異形の少女のことを言っているのだろう。突然現れ、オーグルたちをかしずかせ、殺し、俺たちに魔素を与えた。彼女の発する言葉の意味はわからなかったが、意図を推察する材料は得ている――ダリオの手記に書かれていた太古の言い伝えだ。だが、それでも説明がつかないことが幾つかある。


「思うに、」


 と俺が推論を述べようとしたのを、エリーゼが制した。


「ルッツ伯爵への報告を急ぎましょう。ここで話すべき内容でもないですし」


 周囲を見渡せば、冒険者がたむろしている。確かに誰に聞かれるかわかったものではないし、聞かれてしまったら大混乱が起きるだろう。俺は頷き、エリーゼの伝令使として受付に向かった。



 ルッツ伯爵に取り次いで欲しい、という願いはあっさりと聞き届けられた。個室で話したい、という願いもだ。俺たちは執務室に通され、ルッツ伯爵その人に出迎えられた。


「やあエリーゼ嬢、御機嫌よう。丁度良かった、、例の大司教殿の件についてこちらからも話したいことがありましたからな。……ふむ、しかしその血相を見るに、そちらの要件を急いだほうがよろしいかな?」


「僭越ながら、そうさせて頂ければと。迷宮に関わることですので」


「ふむ? よろしい、続けてください」


 エリーゼは事の次第を話した。未踏領域『修道士の小径』を発見していたこと。由来となった修道士ダリオに襲撃されたこと。その奥で龍貨を発見したこと。修道士ダリオの手記のこと。――そして先程体験したこと。


 話が進むたび、ルッツ伯爵の表情は段々と渋いものになっていった。エリーゼが語り終えると、伯爵は訝るような低い声で問うてきた。


「現物はあるのでしょうな?」


「ヘラ」


 呼ばれたヘラは、石箱から取り出してきた銀細工類を、ルッツ伯爵の執務机の上に並べた。その横にエリーゼが龍貨を置く。


「お確かめください」


「うむ……おーい、誰ぞあるか。天秤と金貨を……そうだな、100枚ほど持ってこい。大至急でだ」


 執務室の扉の向こうから返事が聞こえ、続いて慌ただしく駆けてゆく足音が遠のいていった。その間にルッツ伯爵は銀細工類を手に取り、1つ1つ眺めてゆく――俺たちもじっくりと見る機会はこれが初めてだったので、失礼にならない程度に目線だけでその銀細工を見る。


 銀細工は全部で3つ。1つは銀ナイフで、柄の部分に太陽のような図案が浮き彫りにされていた。もう1つはチェーンまで銀造りのペンダントで、中心に大きな円盤がぶらさがっている。円盤の上部では銀で作られた鷲の爪がルビーを掴んでおり、それを異形の民たちが崇めている、という図案の細密画が彫り込まれていた。最後の1つは指輪で、何やら文字が彫り込まれているが、俺には読めなかった。少なくともアルファベットではないように思えたが。


 ルッツ伯爵は唸り、ゆっくりと銀細工を机に置いた。


「驚いた。これほど精密な銀細工を作れる者は、世にそうは居ないでしょうな。エリーゼ嬢、気を悪くしないで頂きたいのですがね、正直に言えば私は貴女の話を疑っていたのですよ」


「ご尤もな反応だと思います」


「ですがこれは……詐欺にしてはカネがかかりすぎる。こんな代物を作るカネがあるのなら、皇帝陛下に直接賄賂を送ったほうが余程実りがある。そしてこの図案……」


 ルッツ伯爵は、ペンダントに描かれた異形の民を指さした。山羊の角、蝙蝠じみた皮膜のある羽、そして蛇のような尾を持つ人間だ。


「これの実物を見た、そう仰いましたな?」


「はい。意図は測りかねますが、彼女は私たちの目の前に現れ、オーグルたちを傅かせ、殺しました」


「話しぶりから察するに、貴女はその……修道士ダリオとやらの手記にあった『太古の言い伝え』と関連があると思っている。そうですな?」


「もしかしたら神の遊び心、即ち偶然の一致に私たちが惑わされているだけかもしれません。しかし正直なところ、偶然と切り捨てるよりは、そうだと考えたほうが納得出来てしまうことが……」


「言わんとすることはわかりますとも。魔素が呪いだとすれば、異形の民がそれを、地上へと帰る貴女たちに与えるのは合理的に思える」


 異形の民は、俺たちに吸い込まれてゆく魔素を見て笑っていた。「強くしてあげる」などという純粋な善意と捉えるよりは、含むところがあると考えたほうがしっくりくるのだ。


 ルッツ伯爵は話を続ける。


「だがわからないことがありますな。だとすれば、何故迷宮の魔物は人を襲う? 魔素を振りまきたいなら、貴女たちにそうしたように、冒険者たちの目の前で魔物を殺すなり自害するなりさせれば良かったはずですが、今まではそうしていなかった。魔物は古来より、迷宮に踏み込んだ者に歯牙を向けてきたのです……迷宮十字軍なぞ、ほぼ全滅したのですぞ?」


「そこは……はい、今ある情報だけでは説明がつきません。ですが……」


「わかる、わかりますとも。嫌な憶測を重ねれば、嫌な解釈は出来てしまう」


 オーグルは、異形の民に殺されることに抵抗する素振りを見せていた。異形の民とオーグルの意思は違うのだろうと推測できる。オーグルたちは元々俺たちを殺そうとしていたし……レオ爺さんは実際に殺されたのだ。それが異形の民が現れると、彼女の意思に従いだした。


「……統制が取れていなかった?」


 ついそう呟いてしまって、俺は慌てて口を塞いだ。だがエリーゼは咎めることなく頷いた。


「異形の民が迷宮のどこから来たのかはわかりませんが、基本的に魔物は自分が住む階層から移動しません。仮に異形の民が魔物たちを従えるような上位者であるとして、数百年、ひょっとしたら数千年も上の階に上がってきていないとしたら、魔物たちも異形の民の存在を忘れてしまっているのでは? 故に今までは統制が取れていなかった」


 ルッツ伯爵も頷く。


「そして魔物たちは己の生存本能に従い、侵入者たる人間を攻撃する、と。憶測を重ねた結果に過ぎないにせよ、一応の説明はつきますな。だが、何故今なのか? 何故魔物たちが階層を超えて上がってきて、未踏領域――どうやら地上に向けて通路を伸ばしているらしい――が見つかり、異形の民などという存在まで出てきたのか?」


「……地上に魔素が満ちているから、だとしたら」


「信じたくはありませんな」


 今は武術大会が間近で、ここ帝都には武勇で鳴らした者たち――当然魔素を持っている――が多く集まってきている。『お前たちのように、自らを呪い歪めた者たちが地を満たした時、お前たちを解き放とう』――太古の言い伝えが頭を過る。


 嫌な憶測に全員が黙り込んでいると、ルッツ伯爵の従士が秤と金貨を持ってきた。ルッツ伯爵はそれらを受け取ると従士を退室させた。


「……エリーゼ嬢、この案件は私だけでは判断しかねます。皇帝陛下と、大司教殿に相談しなければなりません」


「はい、そうなさるべきかと」


「そしてその大司教殿から、貴女へと言伝を賜っております。『明日、大聖堂でお会いしたい』と。先日話した件ですな。この機会に、フィリップ助祭でしたかな、その者も連れてきて頂きたい。大司教殿なら、我らが知り得ぬ何かをご存知かもしれませんからな」


「承知致しました」


「……では我々は差し当たって、わかりそうなことを調べるとしましょう」


 そう言ってルッツ伯爵は、天秤の片方に龍貨を載せ、もう片方に次々と金貨を載せていった。


 ――金貨100枚を載せてなお、天秤は龍貨のほうに傾いていた。

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