第37話 邂逅 その2
俺はただちに周囲を警戒した。前回は龍貨に気を取られていてオーグルの奇襲を許したからだ。鬱蒼と茂る木々で視界が悪いので、耳に頼る――小枝を踏みしめる音が聞こえた。
「……クソッ、足音、左! まだ遠いが……」
「ヘラ、開けてください!」
エリーゼがそう言うより早く、ヘラは石に手をかけた。やはりそれは箱だったようで、彼女の怪力で上部が持ち上がると、中が空洞になっているのが見えた――そうしている間に、俺が聴き留めた足音はこちらに向かってきているように思えてきた。
「近づいてきてる!」
「とりあえず回収するね!」
ヘラは箱の中身を確認する間も惜しんで、次々と自分の袋に放り込んだ。ちらと見えたそれは、精密な模様が彫り込まれたナイフや銀のペンダントのようだった。ヘラが全てを袋に納めると同時、エリーゼが命令を下した。
「撤収、駆け足!」
言われるがままにもと来た道を駆け出しつつも、エリーゼに疑問をぶつける。
「いいのか、これじゃこっちの足音も丸聞こえだぞ」
「先程のささやかな戦闘音で気づかれているのです、今更隠したところで無駄でしょう。追手はオーグルではない可能性もありますが、大事を取って全力で逃げます」
「それもそうか……!」
それにさっきちらと見た限り、戦利品が銀細工だとしたら、魔物の素材とは比べ物にならないほどの稼ぎになる。追手がオーグルではない可能性に賭けて探索を続行するよりは、ここで諦めて帰るべきだろう。そう納得出来る程度にはカネになる、はずだ。
獣道を駆けながら、俺はもう一度耳を澄ませてみる。自分たちの足音のせいで精度は下がるが――
「近づいてきてる! それに、右からも新しい足音!」
俺がそう叫ぶと同時、左右の後方からほぼ同時に、木をなぎ倒す音が聞こえてきた。もはや耳を澄ませる必要すらない音量でだ。それは兜で覆われているエリーゼの耳にも届いたらしい。
「全力で逃げて!!」
「あいよ!!」
さらに加速。最も重装甲のエリーゼに合わせつつの速度ではあるが、それでもレオ爺さんがやられたあの日よりは速かった。俺たちはあの日よりも遥かに多く祝福を受け、
そして、獣道を抜けた。
「――前方、敵!!」
「見えてます、そのまま
地下3階へと続く洞窟の前に、一体のオーグルが立っていた。そいつは何故か、俺たちを見て驚いた表情を浮かべた。だがそれは、すぐに狩りを楽しむような好戦的なものへと変わった。
「どけえッ!!」
ヘラがやや左にずれながら、ダーツを投擲した。目を狙ったそれは斧頭で弾かれる――一瞬だけだが視界を塞いだ。並び立った俺とエリーゼが同時攻撃を仕掛ける。俺は潜り込むような斬撃を、エリーゼは胸を狙った突きを繰り出す。
「ッ……!」
俺の斬撃は柄で防がれた。だがエリーゼの突きはオーグルを捉えた――オーグルの左手の平を、エリーゼの長剣が貫いていた。
いや、貫かせたのだ。オーグルは左手を押し込み、長剣の
「まずっ……ああっ!?」
即座に長剣から手を離したエリーゼを、オーグルの膝蹴りが捉えた。彼女は吹き飛ばされ、地面を転がる。
「野郎!」
俺は石斧のリーチの内側に潜り込み、連撃を繰り出した。するとオーグルは斧頭付近を右手だけで持ち、ほとんど拳闘のようなかたちで対応してきた。だがこうして数瞬稼げば良い、ヘラが援護に入ってくるまで時間を稼げば良い。
しかしヘラの援護はなく、代わりに声が響いてきた。
「追いつかれた!」
「なっ……」
咄嗟に視線を後ろにやれば、木々を弾き飛ばしながら、新たなオーグル2体が現れていた。ヘラは右側のそれに対処しており、なんとか体勢を持ち直したエリーゼは、向かってくる左側のそれと対峙した――だが彼女は今、素手だ。
「クソッ……ぐおっ!?」
後ろに意識をやった隙を突いて、オーグルが反撃してきた。短く持った斧と蹴りの2連撃。なんとか回避するが、相手は蹴りを繰り出している間に右手を柄頭のほうへと滑らせ、リーチを伸ばした斬撃を放ってきた。これもなんとか飛び退って回避したが、距離を離されてしまった。
仕切り直し――最悪のかたちでだ。エリーゼの剣は洞窟前の個体の左手に刺さったままであり、奴を倒さない限りエリーゼの戦闘能力は万全にならない。相手もそれがわかっているのか、防御姿勢のまま、俺を追ってこない。
「ジリ貧だね、これは」
そう言いながら、ヘラが下がってきた。彼女が対処していたオーグルも、追撃してくる様子はない。エリーゼのほうに視線をやれば、彼女が対峙していたオーグルも寄ってくる様子がなく、彼女は俺とヘラのほうへと下がってきた。
「ナメられているのでしょうか、これは……」
「……そうみたいだな。そうしたくなる気持ちもわかってきたが」
俺は諦念とともにそう呟いた。複数の足音が、木々の中から聞こえてきたのだ。
果たして、木々をかきわけて6体のオーグルが姿を現した。これで合計9体。直感でも理性でも、勝ち目は一切ないとわかった。低い声で、エリーゼが命じてくる。
「洞窟前の1体に吶喊。誰が吹き飛ばされようとも、助けようとせずに走り抜けなさい。1人でも帰れれば御の字です」
オーグルは強い。その体格と膂力だけではなく、驚異的な戦闘技術がある。そう、奴らはこちらに対処してくるのだ。そしてオーグル視点で考えてみれば、仲間が追いつくまでの一瞬だけ俺たちを足止めする方法は、無数にある。エリーゼの言う通り、1人でも帰れれば御の字だろう。
「……畜生」
武術大会まであと1週間、夢を叶える舞台まであと一歩のところまで来たのに。最後に欲をかいたのが間違いだったか? 後悔がよぎる。そして、仮に俺だけが生き残ってしまったらどうする? ヘラが死んでしまったら、俺1人で成り上がったとして、何の意味があるのだろう。
「そうだな。そうだよな……おい、姫様。やるよ」
俺はエリーゼに片手剣を投げ渡しながら、ヘラに声をかける。
「ヘラ、ダーツ1本くれ。直接喉元狙ってみるわ」
「うん。……ありがとう、ヴォルフ」
「礼を言うのはこっちだよ」
付き合わせて悪かった、とは言わなかった。ヘラは全てを理解したように微笑んでいたからだ。ダーツを受け取り、握りしめる。
エリーゼは俺の片手剣を手に収め、俺とヘラを交互に見た。
「……ごめんなさい。そしてありがとう、2人とも」
「いいよ。まあ、最後まで足掻いてみるがね」
そして俺たちは、洞窟前に陣取るオーグルに向き直った。エリーゼが小さく「こうなるのですね」と呟いた気がしたが、すぐに「では、参りましょう」と準備を促した。
大きく息を吐き出しながら、上半身の力を抜く。オーグルを睨む。緊張の糸が引き絞られる。鋭く息を吸い込み、脚に力を込める。エリーゼとヘラが息を吸い込む音も聞こえた。
今だ、と思ったその瞬間――後方でオーグルの悲鳴が上がった。
何事かと思い振り向くと、俺たちの背後を包囲していたオーグル8体のうち、1体が崩れ落ちていた。そいつは腰のあたりで切断され、上半身が下半身から滑り落ちるようにして倒れた。
「は……?」
事態が呑み込めないでいると、切断されたオーグルの下半身も、ばたりと倒れた。その背後に、1人の少女が立っていた。
その少女の頭には、白い髪をかきわけるようにして、山羊のような巨大な角が生えていた。背には被膜が張られた羽。彼女の身を包む純白の
少女は金色の瞳で、オーグルの死体を眺めていた。
「異形の、民……?」
エリーゼがそう呟いた。ダリオの手記にあった、太古の言い伝えに残る者たち。異形の少女は、その描写と一致していた。
少女はエリーゼの言葉に小首をかしげた。だがすぐに頭を振ると、右手に持った黄金色に輝く片手剣――あれでオーグルを斬り裂いたのだろう――の切っ先で、オーグルたちを指した。オーグルたちは一斉に
そして少女はオーグルの1体に近づき……その首を斬り落とした。魔素が飛び出し、俺たちの身体の中に吸い込まれてゆく。少女は魔素を見送り、それから俺たちを見て、にっこりと笑った。
「何……何が起きてるの……?」
ヘラが恐怖を滲ませながら呟く。状況が呑み込めなかった。何故こいつは、オーグルを殺している? 何故俺たちを助けている? 魔素を吸い込む俺たちを見て笑ったのは、何故だ? 理解出来ないという恐怖に押されて、脳が回転を始める。
「
少女はそう言いながら、また1体のオーグルの首を
……太古の言い伝えにはなんとあった? ――異形の民は自らの過ちを認め、ここから出すように乞い願った。しかし神々はほくそ笑んで曰く、「お前たちのように、自らを呪い歪めた者たちが地を満たした時、お前たちを解き放とう」と――。
「祝福を、魔素を……いや、呪いを……?」
少女はまた1体のオーグルの首を刎ねた。魔素が飛んでくる。オーグル、地下6階の魔物の魔素は相当な量なのだろう、身体に力が漲ってくるのがわかった。それは武術大会を目前に控えた俺には喜ばしいことのはずだ。だが、直感が警鐘を鳴らしていた――ここにいてはいけない、と。
「姫様」
「……逃げましょう」
エリーゼがそう言ったと同時、1体のオーグルが立ち上がり、少女に向かって抗議するように叫んだ。少女は微笑み、そいつの胴を斬り裂いた。魔素が俺たちの身体に――
「走って!」
エリーゼの号令で駆け出す。さっきよりもずっと速く走れた。洞窟の前に陣取るオーグルは立ち上がり、道を塞ごうとした。だがその顔には、悲嘆の色が浮かんでいた。
しかし後方から少女の声が響いてくると、オーグルは破れかぶれになったように
「なんなんだよ、これ……ッ!」
俺は握りしめたダーツを、オーグルの腹に直接突き刺した。ほとんどパンチのような一撃だったが、オーグルの身体がわずかに浮いた。
ヘラはオーグルの左腕にチョップを繰り出した。骨が折れる嫌な音が響き、オーグルの左腕はだらりと垂れた。ヘラは自分の力に驚愕しながらも、その手からエリーゼの両手剣を引き抜いた――そうしている間にも、次々と俺たちの身体には魔素が飛び込んできていた。
エリーゼが片手剣でオーグルの脚を斬り飛ばしながら叫んだ。
「充分です、逃げます!」
崩れ落ちるオーグルの横をすり抜け、俺たちは洞窟に飛び込んだ。少女の声が響いてくる。
「
背後から熱風と、オーグルの断末魔が飛んできた。そして魔素も。異形の少女は魔法も使うのか、という驚愕を置き去りにするように、いっそう脚が速くなる。それが今は、どうしようもなく恐ろしいことに感じた。
俺たちは洞窟を、『修道者の
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