第34話 予兆 その3

 教会につくと、フィリップ助祭が出迎えて礼拝堂へと案内してくれた。


「ご無沙汰で悪かったな。これは土産だ」


 そう言いながら買い込んできた蝋燭や食料や薪を手渡すと、彼は丁重に礼を言った後、微笑んだ。


「助かりましたよ、ちょうど病人食を作るのに薪が不足していましたので」


「病人食?」


 フィリップ助祭は、施療室のほうに視線をやった。……そこからは複数人のうめき声が聞こえてきた。


「ここのところ負傷者が増えておりまして」


「……武術大会関連か?」


「でしょうね。護衛として雇われた者から、自ら出場する冒険者まで、続々と」


「他人事には思えないな、気をつけるとするよ……と言いたいところなんだが」


 ちらとエリーゼに視線をやると、彼女は頷いて話を引き継いでくれた。


「実は少々、危険を犯す必要が出てきまして。それに際して、助祭様にお任せしていた、修道士ダリオの手記についてお話を伺いに参った次第です」


 仔細を説明すると、フィリップ助祭は渋い顔になった。


「正直、引き留めるかどうか迷うところですが……いえ、先にダリオの手記についてお話しましょう。そうすれば、私の懸念について理解して頂けると思いますので」


 そう前置きしてから、彼は修道士ダリオの手記の内容について語ってくれた。



 ダリオは修道会の仕事の一環で、各地の教会の古文書を整理する作業に従事していた。その作業で発見される書物の殆どは大昔の信者の名簿であるとか、神父の日記だとかで、取り立てて不思議な物事が書いてあるようなものではなかった……だがある日、イタリアの小さな教会の書庫で、奇妙な文書を見つけたのだという――その文書には、迷宮らしき存在のことが書かれていた。


「世界各地で迷宮が『発見』されたのは聖地奪還を目指すほうの十字軍の少し前、400年ほど前の話になりますが、その文書が書かれた日付は1600年前だったそうです」


「……は?」


「その文書には、1600年前の現地人たちが『太古の言い伝え』として迷宮のような存在を語った、ということが記されていた……ご丁寧に、要約したものがダリオの手記に書かれていましたよ」


「ちょっと待て、話のスケールが大きくてよくわからねえよ。1600年前ってどんな時代だ?」


「イエス様が誕生なさるより200年も前、聖書に出てくる『ローマ』が未だ皇帝をいただいていなかった時代です」


「全然わからねえ」


「とにかく大昔と考えてください……ともあれ重要なのは、その大昔、イエス様が誕生なさる前の時代においてすら『太古の言い伝え』として迷宮が語られていた、ということです。……つまるところこの古文書が真実ならば、迷宮とキリスト教はなんら関係が無かったということになります」


 レオ爺さんの話を思い出す。もともと迷宮は呪われた地として流刑地に使われていたが、いつしか教会は迷宮を試練の地として捉えはじめた。魔物を狩って魔素を得ると、人間は強くなるからだ。そして魔素を得ることを「祝福」と呼ぶことにしたのも教会だ。


「……つまり、なんだ。ダリオが見つけちまった古文書は、教会にとって都合が悪いのか?」


「真実ならば、ある程度。……私も聖職に身を置く者です、こういった場合、ダリオのような者がどう考えるかはわかります。即ち『これは偽書である』だとか『古代人の妄言である』と考えます。実際彼は一度そうしたようですが……生真面目な彼は、この古文書の精査を始めたのです。『この妄言を否定する文書が見つかってくれ』と願いながら」


「あいつの最期を見るに、願い通りのものは見つからなかったんだな?」


「はい。それどころか、妄言だと思っていたものを裏付ける古文書が次々見つかったようです」


「それでイカれちまったってわけか」


「いえ、この時点ではさほどダリオの揺らいでいなかったように思います……私の所感ですけどね」


「ふむ? 含みのある言い方だな?」


「キリスト教以前の古代人が迷宮を見つけていた? 聖書――すなわち神と人との契約書に迷宮のことが書いていない? だとすればそれは、神が意図的に隠したのだ――ダリオほど敬虔な聖職者なら、そう考えるはずです」


 迷宮は神が意図的に隠したものである。だが人間――教会は400年前に迷宮を『発見』した。そういうことになっている。そしてフィリップ曰く、それでもなおダリオは捨てていない。とすれば。


「ダリオが疑念を抱いたのは、教会?」


「おそらくは。より正確には教皇でしょうかね。『当時の教皇や公会議は何故、神が隠したもうた迷宮を表沙汰にしたのか?』……そう疑念を抱いたのでしょう」


 ダリオとの会話を思い出してみる。


『……罪でも犯したのかい、修道士サマ』


『そうです、罪です。我々は迷宮に潜ってはならなかった。地上に帰ってはならなかった。我々は罪を犯したのです。神が慈悲深くも地中深くに隠されたこれを、持ち帰ってはならなかったのです』


『何の話をしている」


『魔素。これは祝福などではない。違ったのです、無邪気に信じていたこれは! 地上に出してはいけないのです! あなたがた、地上に帰ってはなりません! ここで暮らし、祈りを! ここで贖罪の日々を過ごしましょう!』


 ……なるほど、合点がいった。フィリップ助祭の推測通りであれば、ダリオの言葉は『神が地中深くに隠した魔素を、教会は祝福と称して流布した。我々はそれを無邪気に信じ、地上に持ち帰った罪人である』とでもなるか。


「だが待ってくれ、なんで魔素を地上に持ち帰っちゃまずいんだ? あいつは俺たちを殺してまで魔素を地上に出すまいとしてたぞ? 何がダリオをそこまで掻き立てたんだ?」


「ダリオの手記の最後には、『迷宮に潜って確かめる』と記されていました……そして、そこで致命的な何かを見た」


「確かめるって、何をだ?」


「ダリオが見つけた古文書に書かれていた『太古の言い伝え』です」


 フィリップ助祭は、その『太古の言い伝え』とやらを語ってくれた――

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