第33話 予兆 その2

 ルッツ伯爵は迷宮の地図を取り出して広げてみせ、1箇所を指さした。地下3階の1点――だが『修道者の小径』から遠く、ほとんど真反対の辺縁部と言ってもよい場所だった。


「近頃は武術大会に出場する貴族らが良い狩り場を占拠するせいで、平民の冒険者どもは辺縁部に押しやられていたのですが、それが奏功した……いや、発見した当人らにとっては厄災であったとしか言いようがないか」


「厄災、と言うと」


「『下から上がってきた魔物』がいたそうです。オーグルが出現し、突入した冒険者4人のうち3人が未帰還となり……生き残りが、この未踏領域の存在を知らせたのです。彼らはまだ地下5階に挑んだこともない奴らでしたからな、オーグルは荷が勝ちすぎた」


 俺たちと同じだ、とその冒険者たちを気の毒に思った。俺たちはレオ爺さんが1人でオーグル1体を抑えてくれたから生き残れたが、彼が――彼の犠牲がなければ俺たちはあの時点で全滅していただろう。


 エリーゼは『修道者の小径』の存在も含め、俺たちの経験を隠すことにしたようで、「気の毒なことです」と前置きしてから質問した。


「生還者たちは今どこへ?」


「私が保護してますよ、帰ってくるなり『未踏破領域が見つかった!』と言いふらして大混乱を引き起こしたのでね」


「ああ……」


「お陰でギルドの受付が機能不全に陥った。そこで苦肉の策ながら、ああいった張り紙をしたというわけです」


「なるほど。冒険者ギルドとしては、それらの未踏領域をどう扱うおつもりで?」


「全容を把握するため、幾つかのパーティー――貴族を選抜しました――に調査依頼を出しました」


「正しい判断に思えます、貴族相手ならそうそうする者はいないでしょう」


「どうだか。調査隊に選ばれなかった貴族は不満を抱いているでしょうし、平民でも迷宮十字軍の歴史を知っているなら、あそこが金銀財宝の在り処だと目をつけているでしょう」


「……血が流れますか」


「私兵を投入して防ぐつもりではおりますがね、限界はある」


「ご苦労をお察し申し上げます」


 エリーゼはそこで話を切り、ルッツ伯爵に礼を述べてから冒険者ギルドを後にした。俺たちは外に出て、人気のない広場に移動してから作戦会議を始めた。


「少々まずいことになりましたね」


「まさか未踏領域が他にもあったとはね」


「ええ。……このぶんだと、私たちの龍貨は早めに売ったほうが良いかもしれません」


「どういうことだ?」


「他にも龍貨が見つかったら、そのぶんだけ価値が目減りします」


「なるほどな、じゃあ明日にでも売り払うか……と言いたいところだが」


 エリーゼとヘラ、それぞれの目を見る。どうやら考えていることは同じようで、俺たちは頷きあった。


「その前に『修道者の小径』にもう一度潜って、可能な限り龍貨なりなんなり、財宝を探す」


「そうしましょう」


「賛成」


 俺とヘラは切実にカネが欲しい。カネがあれば1週間後に迫った武術大会に向けて装備を整えられるし、そもそも武術大会でコケてしまったとしても、莫大なカネがあれば領地を買うという選択肢が選べるようになるのだ。貴族にはなれなくとも地主にはなれる、という保険だ。


 だが、エリーゼはどうだ? 何故こんな……オーグルが出るとわかっている、危険な領域へ踏み込むことに賛同してくれるのだろう?


「なあ姫様、これは失礼な物言いかもしれねぇが……」


「あら、私だってお金は必要なのですよ。領地を継いだとして、イザークがなおも異議申し立てするなら戦争になります」


 思考を先読みされた僅かな不快感と、以心伝心の快感の不調和に戸惑うが、エリーゼは茶目っ気のある笑みを浮かべた。


「それに、お金があれば皇帝陛下や大司教様のお心を買うことだって出来るかもしれませんからね」


「……ははっ、存外俗っぽいじゃねえか」


「現実主義と言って頂きたいですね。さて、ともあれ明日は『修道者の小径』をもう一度探索する、これでよろしいですね?」


 俺とヘラは頷き――しかしヘラが「あっ」と声をあげた。


「『修道者の小径』で思い出した! フィリップ助祭のところに行きません? ここ2週間、怒涛の毎日ですっかり忘れてたけど……」


「あー……」


 そういえばフィリップ助祭は、修道士ダリオが遺した手記の解読をやってくれていたのだった。「数日したらまた来てください」と言っていたのに、もう2週間も空けてしまった。待ちぼうけを食らわせてしまったか?


「俺もすっかり忘れてたわ。姫様、どうするよ」


「行きましょう、何か新しい情報があるならそれに越したことはないです。……とはいえご無沙汰してしまいましたし、何か手土産を持っていくとしましょう。彼が喜びそうなものは?」


「蝋燭が定番だな。あとは食い物と薪かね。炊き出しが出来る」


「……敬虔なお方ですね、本当に」


「珍しい奴だよな。まあ、現金でも喜ぶと思うけどな……教会の備品が買えるって喜ぶ奴だよ、あいつは」


「なら私からは献金にしておきましょう。お二人は蝋燭と食料と薪を」


「あいよ」


 俺たちは市場で買い物を済ませ、それから教会へと向かった。

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