かくして彼らは迷宮に願った

第32話 予兆 その1

「ヘラは牽制を。ヴォルフは右翼側に斬り込んでください」


「了解」


「あいよ」


 りんとした声でエリーゼが命令を下すや、俺とヘラは即座に行動した。


 ヘラがダーツ――リボンを括り付けた鉄杭――を矢継ぎ早に投擲すると、こちらを包囲するように動いていた5は回避のため、あるいはダーツの直撃によって足を止められた。術者の手から離れたものにはエンチャントは乗らないため、ダーツはオルトロス――蛇の尾をもつ犬――の毛皮を貫通するには至らない。だが、ヘラの圧倒的な膂力りょりょくで放られたそれは、オルトロスを怯ませるのには十分すぎる威力を持っていた。


「こっちだ、クソ犬ども!」


 俺はオルトロスの群れの最右翼に突進し、怯んでいた一体を一閃のもとに斬り捨てた。奴らの注意がこちらに向き、2体が毒液を吐きかけてきたが、サイドステップでかわしながら接近、手近な1体の首を刎ねて殺す。


 この段に至って、エリーゼが攻撃を仕掛けた。俺に注意を向けていたオルトロスたちの横腹に突進し、長剣で1体、2体と斬り捨てる。残った1体は一瞬で群れが壊滅したことに怯んでか、蛇の尾を逆立てながらじりじりと後ずさる。


「ヘラ」


「はーい」


 指示を受けたヘラが悠々と近づき、毒液を躱し、繰り出された蛇の尾を素手で掴み、オルトロスの身体を俺のほうに投げつけた。


「後始末は俺かよ」


 言いながら、飛んできたオルトロスを片手剣で両断して仕留める。


「だってグーで殴ったら手が汚れるじゃん」


「まあ、破裂するもんな」


 軽口を叩き合いながら、後続がいないか周辺を確認する。ここ、迷宮地下5階は各階層をぐちゃぐちゃに混ぜたような様相で、草原の中に崩れた石造りの塔があったかと思えば、光る岩が転がっていたり、木々が乱立していたりする。魔物が身を隠す場所には事欠かないが――少なくとも周辺にはもう魔物は居ないようだ。


「地下5階とは言っても存外、なんとかなるもんだな」

「それだけ強くなったってことだね」


 初めてオルトロスと遭遇した時、つまりエリーゼと邂逅する直前は、俺とヘラとレオ爺さんの3人がかりで1体を倒していたというのに。今や1人で1体を相手取っても危なげなく倒せるようになった。


「あれから3週間か……」


「とても長かったような、あっという間だったような、不思議な感覚です」


「そうだな」


 兜のバイザーを上げたエリーゼが感慨深そうに呟く。俺に発破をかけられた彼女が決心を固めてから、もう2週間が経った。


 あれから俺たちは毎日のように迷宮地下4階に潜り、帰還したらすぐに武術訓練を行い、夜は勉学に励む……というルーチンを繰り返した。そして今日、俺たちは初めて地下5階に潜った。そして今倒したオルトロスの群れは、帰り際に遭遇したものだ。


「では再び帰途につくとしましょう。ヴォルフ、引き続き警戒をお願いします」


「了解」


 このまま問題なく帰還を果たせば、俺たちは「迷宮地下5階から生きて帰った」――すなわち貴族としての最低限の実力を証明したことになる。エリーゼは伯爵家を継承する条件を、俺は新たに貴族に叙勲される条件を、それぞれ満たすことになる――といっても両者とも、最終的には武術大会で結果を残さねばならないのだが。


 ここで命を落としては全てがご破断だ、最大限に警戒しつつ帰途を歩む……だが結局、魔物と出くわすことなく地上に帰還を果たせてしまった。


「なんだか拍子抜けだな」


「トラブルに遭いたかった?」


「御免被るね」


 冒険者ギルドに帰り着くと、ギルド内は何やら騒然としていた。掲示板の前に人だかりができており、文盲たちが「おい、誰か読み上げてくれよ!」と叫んでいるが、不思議なことに誰も、おそらく貼られているのであろう何がしかの文章を読み上げようとしなかった。


「……なんだありゃ? トラブルか?」


「ここでぇ? うーん、あたしの背じゃ見えないや。ヴォルフ、見える?」


「俺でも見えねえ。どうする、姫様? あんた……いえ、貴女は帰還報告に向かわれるとして、私が人をかきわけて掲示物を見て参りましょうか?」


 俺は、レオ爺さんが遺した本から礼儀作法を学びつつ、エリーゼに「正しい言葉遣い」を習った。そして人目のある場所では、それを実行することにしたのだ。


 エリーゼは微笑んでから、首を横に振った。


「いえ、結構です。事情を知っている人に直接聞いたほうが早いでしょう」


 エリーゼがちらと視線を送った先、ギルドの受付には、冒険者ギルドの長たるルッツ伯爵が控えていた。


 エリーゼが受付に向かうと、彼女とルッツ伯爵は礼を交わした。俺とヘラも作法通りに片膝を床につき、目を伏せる。するとルッツ伯爵が声をかけてきた。


「ああ君たち、起立してよろしい」


 俺とヘラは無言で立ち上がりつつも、俺は視線をルッツ伯爵のやや上に向け、逆にヘラはやや俯くように視線を下げた。貴族と正対した時は目を合わせないこと――レオ爺さんの本に書いてあったことだ。


「ふ……エリーゼ嬢、傭兵をよく教育なさったようですな」


「まだ荒いですが、飲み込みの早い者たちです。じきに、侍らせても恥ずかしくない域に到達するでしょう」


「彼らのことは覚えておくとしましょう、昨今は作法のなっていない者が多いゆえに」


「おや、引き抜きですか?」


「逆ですな、冒険者は皆この私の部下なのですよ……名目上は、という枕詞がつきますが。実際に私が持っている権利としては、非常時に際して冒険者の指揮権を得る、などという曖昧なものでしかない。今まで一度も使ったことのない権利ですな」


「それでも権利は権利でありましょう。この身の不見識を恥じるばかりです」


「なんとも奥ゆかしいお方だ、昨今の貴族にはない資質ですな。それでいて武勇も優れていれば、と期待してしまうが……して、今日は何階に潜ってきたので?」


 そう言ってルッツ伯爵は、にやりと笑った。エリーゼは頷き、ヘラに視線を送った。


「お見せしなさい」


「はい」


 ヘラが袋を取り出し、地下5階の魔物から剥ぎ取った素材をいくつか手にとってみせた。するとルッツ伯爵は、大げさに驚いたような仕草をしてみせた。


「なんとまあ。地下5階から生還した女性は、フランスの聖女以来ですぞ! しかも同時に2人とは。斯様かような慶事に立ち会えるとは、神に感謝ですな! ううむ光栄の極みだ、そこな青年、彼女らの伴をできた君もそう思うだろう?」


 急に話を振られた俺は、動揺が顔に出ていないか心配しつつも、声だけは平静に聞こえるように努力しながら答えた。


「はい、まことに」


「そうだろうとも、羨ましい限りだよ!」


 そう言ってルッツ伯爵は喝采してみせた。エリーゼは「大げさですよ」などと謙遜してみせるが……なるほど、てっきりルッツ伯爵はエリーゼの帰還を待ち構えて「わざわざ待機していてやった」と恩を売りつけるものと思っていたが、俺の考えはまだまだ浅かったらしい。とすれば、たぶんルッツ伯爵が売りつけようとしている恩は、もっと大きいのだろう。


 果たしてルッツ伯爵は「謙遜はおよしなさい」と前置きしてから、


「きっと殿。そのうち面会の先触れが来るでしょうな……恐らく、武術大会の前には」と言った。


 対するエリーゼは小さく首を横に振ってみせる。


「恐縮するばかりです。それに、仮にそうなったとして、私一人で清らかなるお方にお会いするのは気が引けます。貴卿に仲立ちして頂けるのなら、これほど心強いことはないのですが」


「勿論、喜んでお引き受けしましょう」


 ルッツ伯爵は、「わかっているじゃないか」とばかりに会心の笑みを浮かべている。これが本物の貴族のやり取りか……まだ真似できそうにはないな。


 この話はここで一旦終わりを迎えたようで、一瞬の間が生じた。するとエリーゼが小首をかしげてみせた。


「ところでルッツ伯爵、あの騒ぎは一体?」


 そう言って彼女は、掲示板の前に押しかけている冒険者たちを手で示した。


「ああ。あれも1つの慶事とも言えなくもないのですが……実は、迷宮で未踏領域が見つかりましてな」


 エリーゼは自然に「まあ」と驚いてみせたが、俺は無表情を貫くのが精一杯だった。


 未踏領域が見つかった? まさか、修道者の小径が他の冒険者に発見されたのか? あそこはレオ爺さんが死んでから一度も踏み込んでいなかったが、まだ財宝が眠っている可能性はあるのだ。地下5階を突破できる実力を身につけた今こそ、再び潜る時が来たといえるのだろうが――誰かに先を越された?

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