第7話 ヘラの小さな胸中

 小さなボロアパートの一室、藁束にボロ布をかけただけのベッドで、あたしはヴォルフの背に身を寄せて寝ていた。


 幼少期から幾夜幾晩も同衾どうきんした――これはスラム育ちにとって特別なことではない、そうしないと凍死するからだ――が、今まで彼に抱かれたことはない。別に彼は、あたしのことが嫌いだとか、容姿が気に喰わないという訳ではないようだ。それは幼馴染の長い付き合いで確信していた。


 この身の平坦な胸でさえ、そそらないわけではないということは確認済みだ。汗で少し胸元の肌を透かしてやったり、押し付けてやれば、股間を膨らませるのだから。


 だというのに、抱いてくれない。好意をほのめかすような言葉さえ言ってくれない――まあ彼は皮肉屋だ、その一言を吐かせるには時間がかかるだろう――いずれにせよ、なと思う。


 もう一息で落ちそうなのに、落ちない。何故だろう? そうだ、彼はあたしと接する時、何かを恐れているようだった。


 この関係が失われるのが嫌なのかな、と思う。唯一心を許せる幼馴染という関係が。それは、あたしが彼の心の中で「失いたくないもの」として空間を占有していることを意味する。そそる。


 ならもう少しだな、と思う。


「うん、じゃあ明日からはもう1段進めよう」


 小さく頷き、あたしは睡魔と手を取りながら戦略を練った。



 翌朝、軽く朝食を摂ってから、俺とヘラは教会へと向かった。エリーゼの従士たちの鎧下ギャンベゾンを受け取るためだ。


 エリーゼは昨晩泣きはらしたのであろう、少しだけ目元が赤くなっていた。従士たちの遺体から鎧下を剥がしながら、問うてみる。


「なあ、葬儀式に参列させてくれよ。装備を譲り受ける以上、ちょっとは義理ってもんがある」


 ちらとヘラを見る。一緒に仕立て屋に行くと約束していた手前、駄々をこねるかと思ったが、彼女は俺に同調するように、真摯に頷いていた。


「流石に気が引けますからねー」


「いいえ、そこまでして頂く必要はありませんよ。その……あまり、みっともない姿をお見せしたくないので」


「……そうかい」


「ですがそうですね、少しだけ祈って頂ければ、彼らとて悪い思いはしないでしょう。もちろん私も」


 エリーゼがそう言うので、俺とヘラは従士たちに短く祈った。祈りの作法も文句も知らないので、黙祷だ。心の中で「あるなら天国に行ってくれよな」と祈る。


 フィリップ助祭に後のことを任せ、俺とヘラは仕立て屋に向かった。仕立て直しを注文すると、職人が採寸を始めた。身体に巻き尺を当てられながら、尋ねる。


「どうだい、布地は足りそうかい?」


「むしろ余るくらいですね。どれも結構な大穴が空いてしまっていますが、3人ぶんありますからねぇ。2人ぶんに仕立て直すには充分です」


「そりゃあ良かった」


 職人は羊皮紙に木炭で図面と数字を書き、腕を組んだ。


「ふむ、このぶんだと余った布地で綿入頭巾コイフが作れそうですけど、どうします? 鎧下の仕立て直しとまとめれば、お安くしますよ」


「いくらだ?」


「併せて30クロイツァー。鎧下の仕立て直しだけなら25クロイツァーで承ります」


 1グルデンすなわち60クロイツァーが、貧乏人が一ヶ月なんとか暮らしていける額だ。一ヶ月の生活費が半分吹っ飛ぶと考えると痛手ではあるが、ほとんど誤差みたいな値段で綿入頭巾までつくなら、得に思える。


 しかも今や8グルデンの臨時収入が確保されているし、これは買いだろうと思う。何より、のだ。いかに祝福で身体が丈夫になっても、頭を揺らされれば目も回るし気絶もする。カネがあるなら防具をつけておくに越したことはない。


 一応ヘラに尋ねてみる。


「俺は良いと思うが、どうする?」


「うん、あたしも良いと思う」


「じゃあ決まりだな。綿入頭巾もつけてくれ」


 代金を渡すと、仕上がりは1週間後だと言われた。そしてついでとばかり、職人は幾つか吊るしの服――下っ端の練習作か、中古だろう――を手に取ってヘラに見せた。


「可愛らしいお嬢さん、今はこういうデザインの服が流行りなのですが、ご興味ありませんか?」


「んー、今はいいかな。もうちょっとお金が貯まったら考えるよ」


「……左様ですか、お待ちしておりますよ。冒険、頑張ってくださいね」


 ヘラも職人も、あっさりと断り、あっさりと引き下がった。てっきり、「これどうかな?」と延々とファッションショーに付き合わされると思っていたので、ありがたくはあるが。


 2人で冒険者ギルドへと向かいながら、聞いてみる。


「普段着は仕立てなくて良かったのか?」


「今は貯金したほうが良いと思ったんだけど、どうだろう。そんなに?」


 ヘラはその場でくるりと回転してみせた。ところどころほつれや継ぎ当てはあるが、それは貧民の服としては普通のことだ。


「いや、別に」


「そっか」


 ヘラはそう答えたきり、また前を向いて歩き出した。……なんだか今日はやけにあっさりしている気がするな。俺が何か気に障ることをしただろうか? いや、していないはずだ。少し不安になるが、対応策を練る前に冒険者ギルドについてしまった。


 既にレオ爺さんが来ていて、庭先でなにやら木の枝を数本並べて吟味していた。


「よぉ爺さん、何してんだ?」


「おう、来たか。これはアレじゃよ、エリーゼ様は気丈に振る舞っておられるが、あれで落ち込んでいないわけがないじゃろ。護衛ありとはいえ気もそぞろで迷宮に潜るのは危険じゃ」


「ならどうする、慰めるのか?」


「出会って幾ばくもないわしらの言葉が慰めになると思うか? それに彼女は貴族、戦士じゃ……少なくともそうありたいと願っているのであれば、前を向かせる善き方法は、これよ」


 レオ爺さんは木の枝を一本手に持つと、べしべしと地面を叩いた。


「しばく」

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