第6話 契約

 レオ爺さんとエリーゼの「交渉」は、聞いていて本当に退屈なものだった。


 そもそも拘るところがわからない。例えば「基準貨幣が云々」とか言っていたが、そこに拘る意味がわからない。

 俺たちが普段目にするのは日用銀貨クロイツァー銅貨ペニヒだけなので、この2種類のやりとりだけで問題ない。


 だというのに、レオ爺さんとエリーゼは金貨が云々、銀貨が云々と言いながら静かににらみ合っている。


「ねぇヴォルフ、せっかくお金手に入ったんだしさー、肉入りスープ食べない?」


 俺と同じように、レオ爺さんとエリーゼの話を聞き飽きたらしいヘラがそう尋ねてくる。


「ああ、そうしようか。長引きそうだしなぁ」


「やった! おーい、肉入りスープちょうだーい! 肉多めで!」


 今の俺たちにとって、肉入りスープを頼むくらいは苦ではない。今回の実入りはとても良かった。普段の……おそらく4倍くらいは良い。たぶん、迷宮5階に住んでいるというオルトロスの毒腺が大きかったのだろう。5階より深い階層に住む魔物の素材は、4階までのそれより数倍高く売れる。


 程なくして、たっぷりと肉の細切れが入ったスープが入った木皿を持ったウェイトレスがやってきた。


「おお……なんだか、働いたって実感が湧いてくるなぁ」


「毒を避けながらマウントを取ったあたしの功績を褒めたまえよヴォルフくん」


 そう言って平坦なバストを張るヘラに苦笑しながら、俺たちはスープを平らげた。



「契約を始めましょう」


 そう切り出して私を見るレオは、とてもにこやかな表情をしていた。頷き返すと、彼はさも良心的ですよといった声色で話しだす。


「まず大前提として、支払いの基軸貨幣を決めましょう」


「使いやすい日用銀貨クロイツァーでよいのでは――」


 そう言いかけて、やめた。彼の目がこちらを――貴族たる私を試すような色をしていたからだ。一瞬だけ思考を巡らせる。


「……いえ、計算の段階では金貨を基準にしましょう」


 そう答えると、レオは満足げに笑った。……やはりこの老人、私を試している!


 金貨は流通量が少ないので、貯蓄用や計算用貨幣として扱われる。そして実際の支払いには、金貨と等価の大銀貨だとか、先程彼らが分配していた日用銀貨を用いる。


 であれば最初から銀貨を基軸に計算すれば良い――というわけにもいかない。特に大きな取引をする時には、日々変動する金と銀の交換レートの影響が無視できなくなる。


「金貨で定めた金額を、銀貨でお支払いする。そうですね、週払いで。これで如何ですか?」


「ほほう、もちろん宜しいですとも。なんともお優しいですな」


「こちらは護衛して頂く身ですから、当然です」


 今の銀相場は年単位で下落局面にある。となれば基軸貨幣を銀貨に設定していると、支払われる側が損をする。一ヶ月後に銀貨1枚を支払われるとして、その一ヶ月後に銀貨の価値が半分に下がっていれば、実質的な実入りは半額になってしまうのだから。


 これから命を預ける相手に「価値が下がっていく通貨で対価を計算します」なんて言えるだろうか? 死にたくないなら当然、否だ。


 レオは頷きながらワインを飲む。


「ホッホッホ……年をとると酒に弱くなっていけませんな、少し気分が良くなって参りました……契約のほう、どうぞお手柔らかに頼みますぞ」


 そう言いながらも彼の目は鋭く、未だこちらを試す色が残っていた。


 確信する。今私は、貴族よりも有能な平民に、があるか試されている。これは一瞬たりとも気を抜いてはいけない――気を引き締めたその傍らで、ヘラが怒ったような声をあげた。


「あーヴォルフ、口に食べかすついてるよ!」


 彼女は甲斐甲斐しくヴォルフの口元を拭いてやっていた。レオのこめかみがピクリと痙攣する。


「……隣のアホどもは放っておいて、具体的な護衛内容について詰めましょうか」


「ええ、はい」


 雰囲気の差がひどいな、と思った。


 私がレオに試されている傍ら、ヘラは汗でぺっとりと肌に張り付いた服越しに見える肌と、わずかな胸の膨らみを用いて必死にヴォルフの気を引こうと努力しているのが見えた。


 私は今、恋の駆け引きの隣で貴族の駆け引きをしている。


「最初のうちは、私の祝福が皆さんと対等になるまで――」


「ねぇヴォルフ、もう一杯飲まない?」


「――そして後、護衛というよりは私も戦力にカウントして頂いて――」


「ん……あたしちょっと眠くなってきちゃったかも……肩借りていい?」


 私はレオに試されながら思った。ヴォルフは早くヘラを抱いて黙らせろ。



 俺の肩に頭を預けるヘラから、血と汗の混じった、女の匂いが漂ってくる。


 正直、そそる。だが俺はそっと、彼女の頭を押しのける。


「俺は枕じゃないぞ」


「えー」


 不満げな顔をするヘラは可愛らしい。胸が高鳴る――「こいつは危険だ」と。


 ヘラは間違いなく良い女だと思う。性根は優しいし、気立ても良い。だが、なんだか……怖いのだ。


 幼馴染として、スラム街で唯一信頼できる人間として、彼女のことは良く知っているつもりだ。だというのに、俺の知らない何かを隠し持っている。しかも、知ってしまったら引き返せなくなるような何かを。そんな確信があった。


 ヘラはエールを呷り、リスのように胸元にジョッキを寄せた。


「そういえば、エリーゼ様から貰う鎧下の補修、どうしようね」


「仕立て屋に任せるしかないだろ?」


「うん。だからどの仕立て屋に持っていこうかなって」


「あー……そうだな。まともに服買ったことねぇからな、良い店がわからねえ」


「あたし良いとこ知ってるよー」


 そう言って彼女は笑う。僅かに目を蕩けさせながら。


 ……やっぱり何か怖いんだよな! 本人に言ったら怒るのだろうが、こいつからはレオ爺さんと同じ雰囲気を感じるのだ。言動と本心が一致していない、そんな気がするのだ。


「明日の午前にさ、一緒に行かない?」


「……そうするか」


 明日の午前、エリーゼは従士たちの葬儀式でいない。となれば俺たちは暇なので、断る理由もない。ヘラは「やった」と微笑む。……可愛らしい、可愛らしいんだがなぁ……?


 そんなことを思いながら会話を続けていると、やがてレオ爺さんとエリーゼの「契約」も終わったようだ。何故か微妙にエリーゼが俺に対して冷ややかな視線を送っているが。


 レオ爺さんが咳払いする。


「アホども、契約内容がまとまったから聞け」


「あいよ」


「護衛の期日は武術大会トーナメントの前日まで。始めの数日はわしの監督のもと、エリーゼ様の祝福を我らと同等まで引き上げる。その後は、エリーゼ様を含めて積極的に強い魔物を狩ってゆく――最低でも5階まで行くぞ」


「マジか」


 迷宮5階。「行って、生きて帰ってくるのが貴族のステータス」と言われるライン。レオ爺さんが「まだ早い」と頑なに侵入を拒んでいた階層。ついにか。


「実際問題として、そこまで行かねばエリーゼ様の面子が立たぬしな。……して、肝心の護衛料であるが。寛大にも、エリーゼ様は1人あたま8グルデン支払ってくださるそうじゃ」


「8!?」


 月給4グルデンあれば、中流階級の中でも高給取りと言われる部類だ。その2倍。たった1ヶ月間の護衛で。


「……まあ、これは従士の方々の遺体運搬費などを引っくるめての値段じゃ。それにしても割高ではあるが――」


 エリーゼは少し居心地悪そうにしながら、付け加えた。


「私の命の値段と同義ですので、それより安くすることは出来ないのです。我が家と、我が家を支えてくれる領民の面子にかけて」


「……というわけじゃ。なお細則として、迷宮内で手に入った素材の売価分配には、エリーゼ様が戦った場合はエリーゼ様も混ぜる。つまり4等分になるが、よろしいかな?」


 そう言ってレオ爺さんは俺とヘラを交互に見る。


 断然、よろしいと思う。素材の売価なぞ端金に思えてくるような護衛料が貰えるのだから。


「文句ないぜ」


「あたしもないでーす」


 レオ爺さんは頷き、一枚の羊皮紙を取り出した。何やら文章が書いてある。


「ではこれが契約書になる。既にわしとエリーゼ様は署名済みじゃ、あとはおぬしらがサインすれば完成となる。内容を良く読んで署名するように……いやおぬしら文盲じゃったな。仕方ない、朗読してやろう」


「良いよ、どうせ聞いてもわかんねえ」


 俺はペンを借りるや、さっさと署名した。文字は読めないが、自分の名前だけは書けるのだ(これだけはレオ爺さんに教わった)。ヘラもまた同じように署名した。


「……おぬしら学をつけんと、後で絶対に痛い目に遭うぞ」


「冒険者にゃ今魔物を斬り殺す力のほうが重要だろ?」


「わしはその先の話をだなぁ……まあ良い」


 レオ爺さんは羊皮紙にもう一度目を通してから、エリーゼを見た。


「では明日、これを複写した時を以て契約成立となります」


「はい。よろしくお願いします」


 エリーゼが頭を下げたので、俺たちも倣った。顔を上げたエリーゼは、少し気が抜けたのか、疲労の色をにじませていた。


「……では、今日はここで失礼しますね。明日、葬儀式が終わり次第、ここに来ます」


「おい、宿まで送るぜ」


 そう言ったのだが、彼女は首を小さく振って断った。……まあ、流石に1人にして欲しいか。色々あったしな。


 彼女を見送ってから、俺たちもそれぞれの帰路につくことにした。


「んじゃ俺とヘラは帰るが……爺さんは?」


「無論、娼館じゃ」


 そう言ってヒゲをしごくレオ爺さんへの、文字が読めて凄いなぁとか、難しい契約ができて凄いなぁ、といった敬意は吹っ飛んだ。

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