第23話 龍貨
エロ水乾燥完了後、俺たちはエロ小川沿いに探索を再開した。理性では水が下から上に流れることはあるまいと理解しつつも、「本当に傾斜なんてあるのか?」と疑問に思うほど地面は平坦であったが、歩いているうちに、目に見えるほど傾斜がついてきたことに気づいた。
先が見通せれば、もっと早くに気づけたかもしれないなと思う。というのも、エロ小川は時折蛇行し、鬱蒼と茂る木々に遮られて下流が見渡せなくなるのだ。
レオ爺さんがぽつりとつぶやく。
「良くない地形じゃな」
「ああ、先が見通せねえ」
「それもあるが、この傾斜じゃ。川の流れが早くなって水流の音が生じておる」
言われてみてハッとした。よくよく意識を向けてみれば、たしかにせせらぎの音が聴こえた。それほど小さな音だった、というわけではない。徐々に大きくなっていったがゆえに自然と意識に滑り込み、そして無視していたのだろう。敵の足音をかき消し得る雑音を。危なかった。
「……そしてこの傾斜は帰り道には登り坂としてわしらに襲いかかる。エリーゼ様、万一撤退しなければならないような事態に陥った際に、坂を駆け上がる体力が残っているようにお気をつけなされ」
「承知しました。レオさん、まだ走れますか?」
「ホッホ、わしは全身甲冑のエリーゼ様を慮ったつもりでしたが……お心遣いに感謝します、ではもう200歩ほど歩いたら休憩を頂きたく」
「ええ、ではそうしましょう。……私、今日は甲冑の重さが全く気にならないのですよ」
「昨日大幅に祝福を得たお陰でしょうなぁ」
そんなことを話していると、おそらく100歩も歩かないうちに、開けた場所に出てしまった。エロ小川を正面に見て、向かって右側の空間は綺麗さっぱり木々が無くなっていた。下生えすらない。半径は50mほどだろうか。
そしてその空間の中心に、奇妙なものがあった。まずはボロボロ木箱。男なら抱きかかえても両手が触れるな、という程度の大きさ。そしてその横に、盛り土が1つあった。
「……なんだ、こりゃ」
そう言ってから、俺は唾を飲み込んだ。木箱なんて迷宮の中で見たことがなかったからだ。冒険者の「落とし物」はちらほらあるが、冒険者が物の持ち運びに使うのは専ら袋だ。わざわざ箱を持ち込む奴なんてそうそういない。
とすれば、あれは宝箱なのではないか? そう思わざるを得なかった。
ヘラが盛り土を指さした。
「ねえ見て、上に何かあるよ」
盛り土は高さ50cmほど、幅は2m×1mほどだろうか。そしてその上に、何かが光っていた……よく見てみれば、それは銀のロザリオだった。
「……墓、か? なあ、ダリオとかいう修道士野郎、ロザリオ持ってたっけ?」
「そういえば持ってなかった気がするね、聖職者なのに」
となるとあれは、ダリオが作ったものだろうか。誰の墓を? ……護衛として雇った冒険者くらいしか思い浮かばない。だとすれば、墓の横に置いた木箱はなんだ?
もう一度周囲を見渡す。罠が仕掛けられている様子はない。
「調べないって手はないよな?」
そうエリーゼに問うと、彼女は「ええ、ですが慎重に」と言った。よしきた。こういうのは、護衛として雇われている俺たちの仕事だろう。
まずはヘラが、木箱と墓それぞれに小石を投げつけた。どちらも特別な音はしない。次は俺が近づき、剣で木箱を小突いてみた。反応なし。少し押してみる……少し抵抗がある。そして重心が低い。
「何か入ってそうだな、こりゃ……!」
蓋の隙間を見つけたので、そこに切っ先を滑り込ませる。そして恐る恐る開けてみた。
――中には円盤が入っていた。
薄暗い地下4階だと、黄金ってこう見えるんだなと思った。……黄金!
「金だ!」
思わず叫んでしまった。我ながら迂闊だな、と思った時には、俺は既にそれを手に持っていた。かといって罠があったわけでもなく、直径30cm、厚さ2cmほどの黄金円盤は、俺の手の中でずっしりと重みを主張していた。祝福で膂力が強化されていなかったら、とてもではないが片手では持てなかったであろう重みを!
「マジで!?」
ヘラたちが駆け寄ってきたので、黄金円盤を見せてやった。ついでに俺も、それをじっくり観察してみる。円盤には、太陽のようなシンボルが刻まれていた。それを取り囲むようにして文字のようなものも彫られている。
「なあレオ爺さん、なんて書いてあるんだ?」
「わからん、見たこともない文字じゃ。しかしこの意匠……裏返してみよ」
言われた通りに黄金円盤を裏返してみると……そこには、ドラゴンの横顔が彫られていた。レオ爺さんが息を呑んだ。
「龍貨。第四回迷宮十字軍が地下7階で発見したとされるものじゃ! 片面に太陽、その裏にドラゴン! 間違いない!」
「おお……ってちょっと待て、第四階迷宮十字軍って地下7階で壊滅したって言ってなかったか?」
「したよ。ドラゴンに遭遇してのう。ほとんど一方的な虐殺だったそうじゃが……ともあれ数少ない生き残りが龍貨の存在を伝えたんじゃが、現物は十字軍と一緒にドラゴンに燃やされたらしくてのう、実在するかは疑われていたんじゃ。正直わしもおとぎ話じゃと思っておったよ」
だが、おとぎ話は実在していた。今この瞬間、俺たちが証明したのだ。「あるかもしれない」が「ある」に変わる瞬間って、こんなに胸が高鳴るものなのか。世界が広がったような感覚さえ覚える。
レオ爺さんとエリーゼは元から知識があるぶん、俺よりずっとそういう感覚が強いのかもしれない。2人して、感慨深そうにしていた。
ヘラは黄金円盤をまじまじと見ながら、「売ったらいくらになるのかなぁ?」と呟いた。ああ、それも楽しみだ。同量の
もちろん、本当に遊んで暮らすために使う気はない。盗みで大金をせしめ、遊んで暮らした奴の末路なんざ山程見てきたからな。たった数年のあいだ貴族の気分を味わうためだけに浪費するんじゃ勿体ない。本当の貴族になれば、ずっと貴族の気分が味わえるんだからな! ひとまず装備を整えて、あとは文字や礼儀作法の教師を雇うのも良いな。
空想が止まらない。
だから、その足音に気づけたのは、ほとんど奇跡だったように思える。巨大なものが液体を押しのけたような、水音。
「川! 敵!」
そう叫びながら、水音の正体を観察した。それは人のかたちをしていた。だがその体躯は2m50cmはありそうな巨体で、筋骨逞しい。肌は茶とも緑ともつかぬ不気味な色。
「爺さん、あれは――」
「――森を突っ切って逃げるぞ! オーグル、地下6階の魔物じゃ!」
そう言ってレオ爺さんが指し示した方角の木々が弾け飛んだ。石斧を振り抜き終わったオーグル、その2体目が俺たちを見据えた。伏兵。そして1体目のオーグルは、人間を遥かに越える歩幅で、悠々と俺たちの背後に回ってきた。挟まれた。
「……逃してくれそうな雰囲気じゃあねえな」
オーガたちはすぐには襲いかかってこなかった。石斧を弄び、こちらの出方を待っているようだった。狩る者の余裕だ――そう感じた。冷や汗が頬を伝う。
エリーゼが固い声で言う。
「やるしかなさそうですね……私が片方を抑えます、皆さんはその間にもう片方を仕留めてください」
「雇い主を囮に出来るかよ……! 身軽な俺が囮になる」
ヘラが反論する。
「あたしのほうが身軽だよ。避け続けるだけなら、なんとか……!」
さらにエリーゼが反論しようとしたのを、「馬鹿者どもが!」というレオ爺さんの怒号が遮った。
「全員、己が責務も戦力配分も間違えておる。最も適切な配分は、わしが1体を抑えている間に、残り3人がもう1体を始末することじゃ」
そう言って彼は小剣を抜いた。
「ボケるのはまだ早いぞ、あんた一人で何が――」
「わし一人で二重詠唱と剣が使えるんじゃ、実質三人前なのがわからんか?」
「屁理屈を!」
「理屈じゃ。そしてエリーゼ様、貴女の今の実力では、その甲冑はオーガの前にほとんど役に立ちませぬ。奴らは膂力に優れるうえ、エンチャントを使いますゆえ。軽歩兵を上手く使いなされ。用兵の基本ですな」
「ッ……」
エリーゼが兜の奥で大きく息を吸い込んだ。そして固く、低い声を絞り出した。
「……ヴォルフさん、ヘラさん、私を援護して正面の1体に当たってください。レオさんは反対側を抑えてください」
「御意に」
レオ爺さんはそう返事をしたが、俺とヘラは無言だった。レオ爺さんが唸る。
「ここで逆らっても、残るのは『傭兵としてすら不適格』という烙印だけじゃぞ。感情に流されるな」
「……クソが! わかったよ。ヘラも良いか?」
「……うん」
覚悟を決め、エリーゼの隣に並ぶ。俺たちの雰囲気が変わったのを察したのか、オーグルはニヤリと笑って石斧を構えた。
背後のレオ爺さんに声をかける。
「すぐ助けに行く」
「はん、その前に自前で倒しておくわい」
4人それぞれが笑みを浮かべたのがわかった。
そして、一瞬の静寂。――張り詰めた空気を、エリーゼが破った。
「攻撃開始!」
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