第22話 水源

 翌朝、俺たちは未踏領域の調査を続けることに決めた。天候は雨だが、迷宮に潜ってしまえば関係ない。とっとと迷宮に行こう、と思っていると、エリーゼが何やらそわそわしていることに気がついた。


「どうした?」


「いえ、その……」


 ヘラが手を打ち、木の枝と石を拾ってきた。


「これですね?」


「ありがとうございます。……よろしいですか?」


 そう言って小首をかしげるエリーゼ。その程度のこと、エリーゼが雇い主ではなかったり美人でなかったとしても許すが……それ以上に俺も、ダリオなる修道士から奪った魔素がどれくらいのものか気になっていた。無言で頷くと、早速エリーゼは枝を構えた。ヘラが石を地面に置く。


 数瞬後、雨粒に空隙が出来た。それがエリーゼの振り下ろした枝の軌跡だと気づいた頃には、石は真っ二つに割れていた。枝は折れておらず、地面にめりこんでいた。


「……やった!」


 ヘラとエリーゼがきゃいきゃいと喜び合っている中、俺はレオ爺さんに尋ねた。


「追いつかれたかね」


「恐らくはな」


「魔賊がなくならねぇわけだよ」


「全くじゃな。じゃが好都合、これから地下4階の未踏領域に足を踏み入れるんじゃ、エリーゼ様も戦力として数えられるのは頼もしい」


 確かにそれはそうだ。これで俺たちは、エンチャントが使えるプレートアーマーを纏った前衛を手に入れたわけだ。戦術の幅はぐっと広がるだろう。


 噂をすれば、ご丁寧に木の枝を広場の隅に片付けたエリーゼが駆け寄ってきた。


「お待たせしました、行きましょう」


「あいよ。期待してるぜ姫様、今日からあんたも立派な前衛だ」


「任せてください、皆さんのことは私が守ります」


「ハッ、どっちが護衛だかわかんねぇな。まあ、あんたが倒れる前に俺とヘラが敵をタコ殴りにすりゃ良いか」


 そんな会話をしながら、俺たちは迷宮へと向かった。




 迷宮地下3階辺縁、修道士ダリオが守っていた未踏領域――レオ爺さんが「発見者に命名権がある」と、ここは『修道者の小径こみち』と名付けられた――に再びやってきた。鳴子が壊れた様子はなく、昨晩のうちに魔物が這い上がってきた可能性は低そうだ。さらなる地下へと続く坂道が眼前に広がっている。


「さて、行こうか」


 振り向くと、エリーゼが頷いた。隊列は先頭から俺、エリーゼ、レオ爺さん、ヘラの順だ。エリーゼは兜で視界と耳が塞がれているため、俺が前衛斥候を務めるかたちだ。敵を発見したら俺はすぐにエリーゼの右隣に下がり、ヘラは前進してエリーゼの左隣に出る。そういう算段になった。


 慎重に坂道になっている洞窟を降ること(おそらく)数分、道が平らになり、前方に出口が見えてきた。警戒しながら出ると――視界いっぱいに薄暗い森が広がった。天井は、迷宮地下3階を構成していた、仄かに光る岩。


「……未踏領域つっても、基本は地下4階と変わんねえんだな」


「私は初めて地下4階に足を踏み入れましたが……本当に森なんですね。不思議です」


 エリーゼは足元の土を何度か踏みしめた。黒く、ふかふかの土だ。


 ざっと周囲を見渡すと、森の木々がすっかり無くなっている一角を見つけた。そこには、砕かれた岩や砂礫が山のように積まれていた。


「あれか、『修道者の小径』を掘った残骸は」


 レオ爺さんが唸る。


「下から掘り上げたということで確定じゃな。……誰が、なんのために?」


「ダリオではなさそうだな。となると魔物か」


「階層をぶち抜いて穴を掘る魔物なぞ聞いたこともないがの。基本的に魔物は階層を動かぬゆえ」


「ま、その辺はどうでも良いが……気になるのはお宝が眠っているかどうかだ。なんせ未踏領域だ」


「ああ、それについてなんじゃが――」


 レオ爺さんはフィリップの調査経過を教えてくれた。


「……先に言えよ。つまり、なんだ? ダリオが雇った冒険者の死体があるかもしれねえってことか?」


「そうなる。地下4階に潜れる冒険者ではあったようじゃから、そやつらを殺せる魔物が居るということになる。充分に注意せよ。特に、地下6階の魔物に出くわしたら即座に撤退じゃ」


「あいよ」


 俺たちは最大限に警戒しながら、探索を始めた。獣道のようなものを発見したので、まずはそれを辿ってみる。2度魔物と遭遇したが難なく撃破し、歩くことしばし。


 泉を発見した。木々が開けたその一角は、中心部に直径3mほどの窪みがあり、そこに水が貯まっていた。


 水は底のほうから湧いてきているようで、あふれた水は一方向に流れ出し、小川を形成していた。


 エリーゼが目を輝かせて泉に近づこうとしたのを、俺は引き留めた。


「待て、迷宮の水源はロクなもんがない。そうだろ、爺さん?」


「ふん、よく覚えておったのう? ……エリーゼ様、地下2階の大河を除けば、迷宮の水源は人間にとって毒であることが多いのです。まずは確かめてみましょう」


「まあ……お願いします」


 迂闊な行動を恥じてか、エリーゼは顔を赤らめて一歩下がった。


 レオ爺さんは手近な小石を掴み、泉に投げ入れた。石はとぷんと音を立てて泉に沈む。


「次じゃ」


 今度は小枝を泉に投げ入れる。特別な反応はなし。小枝の先を泉に浸し、先程狩った魔物の毛皮につける。これも特別な反応なし。同じようにしてナイフの切っ先に泉の水をつけてみる。反応なし。


「……ダリオが3ヶ月近く自活出来ていたんじゃ、絶対に手近な水源はあるはず。それがこれ、という線は充分にある」


「つまりこの泉は安全ってことか?」


「最終的には飲んでみないことにはわからんな。じゃが、もう1つ検査が残っておる」


 レオ爺さんは手ぬぐいを取り出した。そしてその端を1cmほどナイフで切り取り、泉に放り込んだ――――切れ端が溶けた。


「これは……!」


「なんだ、布が溶けたぞ!?」


 ヘラとエリーゼも興味津々でその様子を眺め、レオ爺さんに解説を請うた。


「お爺ちゃん、この水なんなの?」


「飲用にしても何ら問題はない、ただ植物繊維だけを溶かすという特別な水じゃ。その名を」


 珍しくレオ爺さんは興奮した様子で、ごくりと唾を飲み込んだ。


「その名を?」


「エロ水という」


「は?」


 エロ水。


「これは高く売れるぞ。エロ水を普通の水と混ぜてな、侍女にぶっかける遊びが貴族の間で流行ったことがあるんじゃよ。今でも好事家の間では高く取引されておるぞ、本来は地下5階の辺縁でしか手に入らぬゆえにな」


 ヘラとエリーゼの視線が、興味から軽蔑へと変わった。そんなことはお構いなしに、レオ爺さんは自分の水筒の中身をぶちまけ、泉の水を汲み始めた。


「ほれ、何をしとる! おぬしらも汲むんじゃ! 売ってよし使ってよしじゃぞ!」


「使いはしねえが、カネになるんならまあ……」


 俺も水筒の水をぶちまけ、泉の水を汲んだ。ヘラとエリーゼも倣ったが、非常に冷ややかな様子だ。


「貴族の男ってバカなんですね」


「…………父上もやってました」


 やってたのかぁ。


 俺は泉から水筒を引き上げ、ボロ布で拭き上げようとして、レオ爺さんに引き留められた。


「アホ、布が溶けるぞ。自然乾燥させるんじゃ」


「おっと、いけねぇ」


 なるほどな、拭くための布すら溶けるんなら道理だな。俺は水筒を地面に置き、濡れた手を服の裾で拭こうとし……すんでのところで止めた。


「……これもダメか」


「当たり前じゃ。おぬしはギリギリ踏みとどまったが、身体を拭いたり隠そうとして被害を広げる奴が多くてのう……侍女にぶっかけるとの、胸や股を隠そうと布を当てた先から溶けて、それはそれは扇情的な光景が」


「エロジジイ……」


 エロ水をかぶって慌てふためくヘラとエリーゼを想像して股間が反応しかけたが、頭を振って妄想を振り払った。そして俺はあごをしゃくって、ヘラとエリーゼの視線に気づかせてやった。レオ爺さんは咳払いをした。


「……あくまで一般論です」


「エロジジイ」とヘラ。エリーゼはノーコメント。


 レオ爺さんはばつが悪そうに、話題を変えた。全員の水筒と手が乾くまでの雑談という意味もあるのだろうが。


「見てみよ。泉の周辺に木々が無いのは、エロ水が木を溶かしてしまうからじゃな。そして溢れた水は小川を形成して、やはりその周辺には木が……」


 レオ爺さんが口を開けたまま固まった。


「どうしたエロジジイ」


「うるさいぞ、川が出来ているんじゃ。つまりここには傾斜があるということじゃ!」


「ふむ?」


 小川を見やる。小川の両脇は確かに木が無い。傾斜がついているようには見えなかったが、水が流れているということは、目ではわからない程度には傾いているのだろう。水は上から下に流れる、その程度のことは俺でもわかる。


「つまりこの小川を辿ると、ゆるやかに下っていくことになる?」


 さらに下――地下5階――に向かって流れているとすれば、この小川を辿れば地下5階への通路が見つかるかもしれない。


「なら、この小川に沿って探索してみるか」


「周辺の安全確認もしたいところじゃが……如何なさいますか、エリーゼ様」


「ふむ……他にアテもありませんし、ひとまずこの小川沿いに進みましょう」


 そういうことになった。俺とレオ爺さんは、ヘラとエリーゼが「男ってほんとバカですよね」と話すのを聞き流しながら、手と水筒が乾くのを待った。……なんで俺まで罵られているんだろう。妄想は口には出してなかったよな?

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