第21話 教会にて

 私ことフィリップは、21時を知らせる鐘を鳴らした。控えめに、だ。スラム街――貧民や冒険者などが多く暮らす――に隣接するこの教会では、夜の時報を大きく鳴らすと「うるせぇぞ!」という怒声が飛んでくる。


 数年前、時報は聖職者の大切な仕事だと思っていた私はひどく憤慨し、怒声の主に詰め寄った。それがヴォルフとヘラとの出会いであった。


 懐かしいな、と空を見上げるが、ちょうど分厚い雲が月を覆い隠したところであった。途端にこの街区は真っ暗になる。ろうを使えるほど裕福な者は然程多くないし、松明を持った衛兵も滅多に巡回しにこないからだ。私は鐘塔を降り、礼拝堂に戻った。


 この後は祈りの時間だ。月明かりがなくなったので、蝋に火をつけようと燭台しょくだいに近づいたその瞬間。


Neakネァク」の声とともに、ひとりでに蝋に火が灯った。


「……脅かさないでくださいよ、レオさん」


「サプライズじゃ」


 燭台を掲げると、果たして礼拝堂の一角に腰掛けるレオの姿があらわになった。彼は口角を歪めながら、燭台を指さした。


「祈りのためだけに蝋を使うのは勿体なかろう。少し借りるぞ」


「ご自由に」


 私がそう返事するよりも先に、彼は書見台を燭台の近くに移動させていた。そしてそこに羊皮紙の束とインク壺を据えた。


 曇天や雨天の夜はいつもこうなのだ。何やら書き物をするため、明かりを借りにやって来る。


「よく曇るとわかりましたね、月が隠れたのは今しがたですよ」


「天候が読めんで戦争が出来るか? ちなみに明日は雨じゃぞ、多分な」


「相変わらず、衰えていないようで」


 レオは肩をすくめ、ペンを走らせ始めた。そしてそのまま話を続ける。


「……で、ダリオなる修道士については何かわかったか?」


「まだ冒険者ギルドに問い合わせただけですが、彼は偽名を使い、3ヶ月前に3人の護衛の冒険者を雇い、迷宮に潜っていたようです」


「偽名?」


「意図ははかりかねますが……ともあれ受付の方が『修道服をまとった男が来て、数日で行方不明になった』と覚えていたので、それを起点に調べてもらったのです」


「ふむ」


「しかしわかったのはそこまでです。護衛に雇われた冒険者たちも一般的な……まあ、『地下4階まで潜る実力はあるけど……』という方々で、特別な意図があって選んだようには思えません。そして誰も救助・遺体回収契約を交わしていなかったため、捜索はされていませんでした」


「そしてわしらが発見した、と。……どの時点で一人になったかはわからぬが、3ヶ月も迷宮で自活していたことになるか。過去に迷宮に潜った経験は?」


「18歳頃に、親の手引で地下5階に到達しています。まあ、貴族ですしね」


「ずぶの素人ではなかった、と。じゃがやはり、意図がわからんな」


「ええ。私は明日、ダリオが泊まっていた宿に聞き込みに行って参ります。何か掴めると良いのですが」


「悪いが、頼む」


 そう言って彼は黙った。ペンが走る音だけが響く。……さて、祈りの時間だ。私はレオのように会話と物書きを同時にするような芸当は出来ないし、何かの片手間に祈るような真似はしたくなかったのだ。


 手を組み膝を折り、精神を集中させる――どれくらい経っただろうか、レオの声が飛んできて我に返った。


「真面目な男じゃな、おぬしも。祈りなら昼間でも出来るじゃろうに」


「……『戦う人』と『耕す人』は昼間、仕事の折々に祈っているでしょう。そして夜は眠る。故に彼らが眠っている間こそ、我ら『祈る人』の出番なのです。神への祈りは片時も絶やすべきではない……神学科の教授の受け売りですけどね」


「ふん、代わりに祈ってくれる者がおるお陰で、今夜も安心して眠れそうじゃよ」


 レオが立ち上がり、書見台を元の位置に動かす音がした。


「終わったのですか?」


「今日のところはな。老いるとすぐに目が疲れていかんな」


「お疲れ様でした。よい夜を」


「おぬしもな」


 レオが玄関に向かう足音が響き――ふと、止まった。


「……赦されると思うか?」


 それは心細そうな声であった。時たま、彼はこうして尋ねてくる。彼が書いている物について言っているのだ。


「私は未だ至らぬ助祭の身、確かなことは何も言えませんが……回りくどいことをするより、直接言ったほうがよろしいかと」


「確かなことは何も言えぬ、とのたまう割には自信を感じる物言いじゃな?」


「まあ、あなたよりもヴォルフとヘラとの付き合いは長いので。というか彼ら文盲ですし」


「……本気になれば字を覚えるじゃろ」


 そう言って、彼は再び歩き出した。扉が開き、閉じる――寸前、レオはぼそりと呟いた。


「いずれにせよ、全ては貴族の目に留まる程度の武力を身に着けんことには始まらん。迷宮よ、彼らを高めたまえ」


 ……逃げたな、と思った。それと、せめて神に祈ってほしかった。ここは教会なのだから。

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