第20話 交錯

 ヴォルフに「よぉフィリップ助祭」と気楽な声をかけられた私はしかし、戦慄した。明らかに首の骨が砕けて頭がぶらぶらとしている修道士の死体を担ぐヴォルフはへらへらと笑っており、隣を歩くヘラもまた気楽な様子で「やっほー」と手を振っている。


 その後ろで、レオとエリーゼが深刻そうな顔をしているのだ。


 やってしまったのか、と思った。


 ヴォルフとヘラの2人組と、レオとエリーゼは生きてきた社会の階層が違う。当然ながら倫理観も違う。私に求められているのは、彼らに罪を罪と気づかせることだろうか?


 私は唾を飲み込み、声がかすれないよう祈りながら、ゆっくりと言葉を吐き出した。


「人払いを、したほうがよろしいですか?」


 これにはエリーゼが頷いた。


「お願いします。内々に処理すべきお話ですので」


 ――いかにしてヴォルフとヘラを法の裁きから守りつつ、悔い改めさせるのか。そういう話なのだと思った。



 教会の奥、フィリップ助祭の私室として充てがわれた一室で、俺たちは事の経緯を話した。最初は神妙な様子で聞いていたフィリップ助祭は、少しずつ困惑した表情になり、それから両手で顔を覆ってしまった。


「――って感じで撃退して、まあ殺すしかなかったわけだが……おい、どうした? 大丈夫か?」


「申し訳ありません。本当に申し訳ありません」


「あんたが謝ることじゃねえだろ。コイツとはなんの関係も無いんだからよ」


 床に転がした修道士の遺体――エリーゼが目元に布をかけてやった――を指さしてそう言ってやったのだが、フィリップ助祭は首を横に振るばかりだ。それどころか、「償いをさせてください」と言い出す始末だ。流石にこちらも困惑する。しかしエリーゼがしびれを切らしたのか、本題に入った。


「ともあれ、この修道士さまの目的を知りたいのです。彼が守っていた『奥』については私たちで調べられますが、何故、何のために守っていたのか、という部分の手がかりについては、助祭さまにお尋ねしたほうが宜しいかなと思いまして」


「……神学の領域で、ということでしょうか?」


「あるいは人脈で。私たちでは、このお方が誰なのかもわかりませんので。情報はこれだけなのです」


 そう言って彼女は、ドミニコ会の紋章が入ったナイフを差し出した。フィリップ助祭はそれを検分してから、修道士の顔にかかった布を取り払った。


「ドミニコ会の方々との人脈は少ないのですが……うん? いや、まさか。そんな!」


 フィリップ助祭の顔が青ざめた。今日のコイツは表情がコロコロ変わって忙しいな。


「なんだ、どうした?」


「……すっかり変わり果てていますが、いや、しかし……他人の空似でなければ、私は彼を知っています。ダリオ……私の大学時代の学友です」


「マジで?」


 俺、フィリップ助祭のダチを殺しちまったのか。不可抗力とはいえ、少し申し訳ない気持ちになる。両腕両脚を斬り飛ばす程度にして、生け捕りにしておけば良かったかなぁ。


 しかしフィリップ助祭は、謝ろうとする俺を手で制した。


「謝ることではありません。私はもはやあなた方のことを疑いません、不可抗力だったのでしょう」


「まあ、そうだが。で、そいつはどんなヤツだったんだ?」


「信仰にあつい男でしたよ。同じ学生の身にありながら、彼の精神性にはいたく薫陶くんとうを受けたものです……彼は司祭になり聖界とのパイプになるよう親から言われていたのですが、それを振り切って修道士になるほどに、信仰に真摯しんしでした」


「確かに信仰心はご立派だったな、『ここで祈り、贖罪しょくざいの日々を過ごしましょう』とか言ってたぜ。迷宮の中でなけりゃ、ちょっとは考慮に値したんだがね」


「そこが問題なのです。信心篤きダリオがその思想……祝福、魔素を呪いと捉え、それを得ることが罪と考える――はっきりと言ってしまえば異端的な思想に陥ってしまったのが不思議でならないのです。少なくとも在学中は、そのような兆候はありませんでした」


 レオ爺さんがフンと鼻を鳴らした。


「今日日、公然と異端とわかる行動をする者はおるまいて。そういうヤツはあらかたボヘミアで死んだじゃろ」


「それは……そうかもしれませんが……」


「大学を出てから交流は無かったのか?」


「残念ながら。……そして、これはドミニコ会に問い合わせるのも憚られますね。内部から異端者を出したとなれば、政治的な問題に発展しかねません」


 レオ爺さんがニヤリと笑った。


「おたくの司祭様は喜んで政争のタネにしそうじゃがな?」


「残念ながら、そうでしょうね。ですが私はそれを望みません」


「亡き友のためにか?」


「それもありますが……僧侶が死人をダシに諍いを起こす姿など、見たくはないのですよ」


「おぬしが出世できない理由もわかるが、ご尤もじゃな。ダシにされる死人は聖書に書かれている連中だけで充分じゃ」


 人の悪い笑みを浮かべるレオ爺さん、ノーコメントを貫くフィリップ助祭、困ったような笑みを浮かべているエリーゼ。……話が進まねえなこいつら。


「んで、情報はそれだけかい?」


「今のところは。ですが私のほうで少し調べてみましょう、ドミニコ会を避けつつ……ふむ、迷宮に潜っていたということは、まっとうなら冒険者として登録していたはずです。そちらから調べてみましょう。あとはご家族への連絡も」


「悪いな、頼んだわ」


 そういうことになり、ダリオの死体を預け、俺たちは教会を後にした。早めに迷宮探索を始め、そしてダリオに遭遇して早めに切り上げたせいで、陽はまだ高かった。俺は剣を研ぎ直しに出した後、せっかくだからとエリーゼと技術交流をすることにした。


 互いに技を教え合い、ときにヘラとのレスリングを挟み、ときにレオ爺さんによる剣術講座があり……と充実した午後になった。


 夕日が城壁の向こうに沈みかけたころ、そろそろ解散にしようという話になった。


「さて、俺は剣を受け取りに行ってくるが。どうするね、その後飲みにいくか?」


 ヘラはどうせ俺についてくるだろうと思ってエリーゼにそう尋ねたのだが、エリーゼは首を横に振った。そして彼女の傍らにヘラが寄った。


「私とヘラさんは少々予定がありますので、ここで失礼します」


「なんだ、女子だけで秘密の会合か?」


 そうおどけると、ヘラは平坦な胸を自信まんまんに張った。


「べつに秘密ではないけどね~? あたしはこれから、エリーゼ様に礼儀作法を習うのです」


「……明日は雪か? まだ春だぞ」


「失礼な、むしろ雪解けだよ! あたしは淑女として芽吹くのだ。さ、品の無い男は放っておいて、行きましょエリーゼ様」


 そう言って、ヘラとエリーゼは俺に背を向け、どこへらや行ってしまった。エリーゼが「先程のは『野性的な殿方』と言いましょう」と教えているのが憎たらしい。


 俺はレオ爺さんにポンと肩を叩かれた。


「おぬしも誠に貴族になろうと宣うのなら、礼儀作法は学んでおくべきじゃぞ。そも、今の粗雑さでは恥ずかしくて貴族どころか従士としても起用できんわい」


「……じゃあ、あんたが教えてくれるのかい?」


「丁寧に請われれば」


 そう言ってヒゲを嫌味ったらしくしごくレオ爺さんは、小憎たらしくて仕方ない。


 とはいえ悪い話ではないのはわかっている、エリーゼの話を聞くに、こういうのは貴族の親を持つか、優秀な侍従侍女を持つ家系に生まれるか、さもなくば家庭教師を雇わねば学べないのだ。だというのに、レオ爺さんはおそらく、タダで教えてくれるのだろう。


 だが、教師が嫌味なレオ爺さんであるという点に加えて、やはり教師がであることが嫌なのだ。


「授業料は?」


「わしを褒め称えるだけで許してやろう」


 ほらな。この爺さんは何も受け取らないのだ。受け取ってもせいぜいワインの一杯程度だ。フィリップ助祭でさえ、教会への寄付というかたちで恩返しを受け取ってくれるのに。この爺さんは何も受け取らない。それだと俺は、と何ら変わらないのだ。無償で武術を教えてもらったが、それだって何も返せていないのに。


「文字通り褒め殺しちまったら後味が悪い、遠慮しておくよ。んで、あんたはこの後娼館か?」


「……そうじゃが」


「たまには奢ってやろうか?」


「若者に奢られた女を抱くなぞ、不名誉極まりないわ!」


「娼館通いは不名誉じゃないのかよ……んじゃな、俺はダチと飲んでくるわ」


 俺はスラム街の方へと足を向けた。背中に、「アホめが」という言葉を投げられた気がした。

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