第19話 魔賊 その3
未踏領域調査を再開して100歩も数えないうちに、奇妙な構造物を発見した。床と壁それぞれにロープが張られていたのだ。ロープは杭に結び付けられており、床や壁から数十センチ浮いている。そしてそのロープには、黒い小さな欠片が結えつけられていた。
「鳴子か、これは?」
後方にそう問うてみれば、レオ爺さんとエリーゼがロープの検分を始めた。
「……他の罠には接続されていないようですね。ロープに触れると音が出る、ただの鳴子のようです。しかしこの黒い物体はなんでしょう? 鳴子には木片や石を使うものと思っていましたが、それらには見えませんね」
「虫の外殻に見えなくもありませんな。触れば何かわかるやもしれませぬが」
「毒が塗られていたらコトですし、音を立てるのも得策ではありませんね。ひとまず放置して進みましょう」
俺たちは慎重に鳴子を乗り越え、先に進んだ……ほどなくして、開けた空間に出た。
「ヴォエッ……」
慣れている俺でも思わずえづいてしまうくらい、ひどい臭いが漂っていた。
「興味深い臭いだな? ……おい、大丈夫かよ」
エリーゼは顔を真っ青にして、手で口と鼻を覆っていた。この臭い――腐臭と糞尿の混じった――はお貴族様には辛かろう。広間を見渡してみれば、さらに奥へと続く通路が見えた。だがそれ以上に目を引くのは、広間に一角に積み上げられた、魔物たちの死体の山だ。臭いの発生源はあれに違いない。
「なんだこりゃ……あの修道士が狩ったのか?」
「どうやらそのようじゃな。ほれ、見てみよ」
レオ爺さんは死体の山に近づき、そこに落ちていた1本のナイフと、巨大な黒い虫の死体を手に取った。
「鳴子に使われていたのはこやつの外殻じゃろうな、背甲が切り取られておる……そのために使ったのはこのナイフじゃろう」
レオ爺さんは虫の死体を放り捨て、ナイフの柄を指さした。木製の柄には焼印がしてあった。白黒で模様が描かれた盾と、その周囲をぐるりと囲んむ巻物の意匠だ。
「紋章か? どこのもんだ?」
「ドミニコ会。修道会じゃな」
「へぇ。そのドミニコ会ってのは、迷宮がお嫌いなのか?」
「現時点で異端認定を喰らっていない全ての会派は、程度の差こそあれ迷宮を神の恵みと捉えておるよ。そしてドミニコ会は異端ではない……むしろ異端審問をする側じゃな」
「ふーむ? じゃあ、あいつはなんだったんだ?」
「わからぬ、何か他に手がかりがあれば良いんじゃが」
その時、鼻をつまみながら死体の山を観察していたヘラが声をあげた。
「ねえ、下に積まれてるのアラクネーの死体じゃない? あっ、オルトロスの頭もある」
ヘラが指差すところを見てみれば、確かにそれらの死体があった。しかもオルトロスの頭部は、何箇所か刃物で切り開かれていた。毒腺のある位置だ。
「……毒腺を抜き取ったのか? だけどアイツの剣には何も塗られてなかったように見えたぜ。どこに使った?」
「うーん、この広間には罠っぽいものはないし……奥の通路に仕掛けた、とか?
念のため一旦戻って修道士の死体を調べてみたが、毒は持っていなかった。となるとやはり奥の通路に仕掛けたか。
「奥の通路はいっそう罠に警戒しながら進んだほうが良さそうだな」
臭いに慣れてきたらしいエリーゼが、険しい表情で頷く。
「罠もそうですが、魔物にも警戒したほうが良さそうですね。アラクネーやオルトロス、地下5階の魔物の死体があるのですから」
「それもそうだ」
俺たちは戦闘態勢を整え、奥の通路へと進んだ。すると、50歩も歩かないうちに罠を発見した。地面スレスレに張られたロープが壁を伝い、天井へと伸びている。そして天井には、巨大な虫の背甲が吊るされていた。それは凸面が地面を、凹面が天井を向いていた。
「何が入ってると思う?」
ヘラに問うてみると、彼女は茶色の髪の毛をひと撫でして、肩をすくめた。
「少なくともエールではなさそうだね。頭にかかったらハゲそう」
ヘラは定期的にエールを髪にかけて色を抜いているのだ。彼女は手近な石ころを手に取ると、ロープ目掛けて投げつけた。
石ころはロープに命中し、罠を作動させた。天井に吊られた虫の背甲が落下し、中の液体がぶちまけられた――真っ黒なその液体は、地面に染み込みながら不穏な蒸気を生じさせた。
「ハゲじゃすまなかったな……ともあれ、オルトロスの毒腺の行方はわかったか」
「だね。……にしてもさ、こんなところに罠を仕掛けるってことは、奥から魔物がやってくるのを警戒してたってことだよね。一体どこに繋がってるんだろうね?」
「答え合わせをしにいこうぜ」
俺は自分の心臓が高鳴っていることに気がついた。ここは地下3階の辺縁部で、地下4階へと繋がる通路からは最も遠い場所にある。だが、アラクネーなど地下5階の魔物の死体があった。もしかすると。
罠を踏み越えてすぐに、それは見つかった。
魔物の身体の断片や血痕が散乱するその一帯は、真っ直ぐな下り坂になっていた。小石を投げ込んでみれば、それが視界から消えてなお、小石が転がる音が響いてきた。ずっとずっと下まで続いているようだ。
「……地下4階への通路。しかも地上の誰も知らないやつ。だよな、きっと」
レオ爺さんはせわしなくヒゲをしごきながら頷く。珍しく興奮しているようだ。
「だとすれば大発見じゃ。仮にこの坂が直線だとすると、地下4階の地図の外に出ることになる」
「マジの未踏領域じゃねえか……! 行こうぜ!」
「待て、おぬしの武器が万全ではないことを思い出せ! 一旦退いて、準備を立て直してから挑むべきじゃ」
逸る気持ちが強いが、ぐっとこらえた。レオ爺さんが正しい。下階の魔物が上に上がってくる現象が終わったとも限らないのだ。目下2階層下の魔物までは確認している――ということは、地下4階には地下6階の魔物が出てもおかしくはない。
「わかったよ。だが最終判断は姫様、あんたが下すんだぜ」
そう仰ぐと、エリーゼは即断した。
「引き返しましょう、どうせこのような辺縁部に来るのは私たちだけです、誰かに先を越されることはないでしょう……それに、気になることもあります」
「なんだ?」
「ここに散らばる魔物の身体の断片、おそらく先の修道士さまが倒したものでしょう。……彼は未踏領域を発見して尚、その情報を地上には伝えず、ここで下から上がってくる魔物と戦っていたことになります。魔素や未踏領域に眠る宝が目当てだったとは思えないのです」
「魔素を地上に持ち帰るな、みてぇなことは言ってたが……確かに魔賊やトレジャーハンターの類にしちゃ言動がおかしかったわな」
「ええ。何かをせき止めようとしていた、そのように感じるのです」
魔素を地上に持ち帰ってはいけない。魔素を持つ冒険者を殺す。魔素は祝福ではなく呪い。贖罪。下から上がってくる強力な魔物との戦い――確かに何かをせき止めようとしていたように思えなくもない。
「何かを、ねえ……言葉通りなら魔素になりそうだが」
「魔素を、なんのために? ……わからないことが多くてモヤモヤします。ひとまず彼の遺体を持ち帰って、身元を調べてみましょう」
「フィリップ助祭に聞いてみるか。あいつなら修道士の死体を持ち帰っても『お前たちがやったのか!』とは言わねえだろ、話がスムーズだ」
俺たちは来た道を引き返し、途中で修道士の死体を拾い、地上を目指した。
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