第16話 遭遇

 まず俺たちは、分岐する通路をそれぞれ見比べた。地図によれば、本来の道はゆるやかに左にカーブを描いているらしい――つまり右が新しい通路だ。


 両方とも、仄かに発光する岩が壁を形成している。だが右の通路の壁は、岩の角がやや尖っていた。かすかにコケが生えているが、根が浅いのか簡単にそぎ落とせた。


「……最近掘られたように見えるな。数ヶ月ってところか?」


 壁面をいじる俺の横に、ひょこっとヘラが滑り込んでしゃがみ、地面をなぞった。


「なんだか今までのところと土質が違う気がする」


「魔物どものフンがたまってないんじゃね?」


「そうかも。岩を切り崩したときに出た、砂礫だけみたい」


 レオ爺さんがふむ、とヒゲをしごきながらエリーゼに話しかける。


「掘ったのだとすれば、そのぶんの岩や土塊をどこかに運んだはずですな。じゃがここには見当たりませぬ」


「……より奥に運んだのでしょうか。この地点は既に辺縁部ですし、この通路はさらに辺縁の奥へと続いているように見えます。つまり辺縁部側から掘り進めた? 人の手によるものではない気がしますね」


「塩気の混じった岩を舐めたり、岩に生えるコケを毟って食う魔物はおりますが、少なくとも地下3階に穴掘りをする魔物はおりませぬな」


 へえ、ちょっと意外だな。


「洞窟みてえな場所なのに、穴掘りする魔物いねえのか」


「地下4階にはおるよ、マオルヴルフもぐら型のがな」


ヴォルフオオカミよりは弱そうだな。……で、どうするよ姫様。魔物が掘ったかもしれん未踏領域、行くか?」


 エリーゼは目をつむり、一瞬悩んだようだった。だが開目した時には、その瞳には強い光が宿っていた。


「行きましょう。人の目に触れたことのない領域、そこに一番に踏み込める機会なんてそうそうありません――もちろん、迷宮十字軍が見つけたような財宝も見つかれば最高です」


「違いねえ。んじゃ行くか!」



 俺たちは未踏の通路を進んでいた。かなり長い通路だ。いや、そう感じるだけかもしれない。


 地下3階に居るはずのない――つまりはより下層の強力な魔物、あるいは新種の――魔物がいつ飛び出してくるかも知れぬ場所を進むのは、神経がすり減る。


 それに迷宮には陽の光も差さなければ、時刻を教えてくれる教会の鐘もない。一体何分、何時間歩いたのかわからない。とんでもなく長い時間歩いた気もするし、そうでない気もする。


「……さん」


 魔物への警戒もそうだが、財宝が落ちていないか目を光らせているのも、余計に集中力を使って時間感覚を鈍らせているのかもしれない。そういえば集中してる時って時間の進みが早く感じるよな。じゃあ思ったよりもかなりの時間が経っていて、俺たちはかなり歩いている可能性が――


「ヴォルフさん!」


「うおっ」


 エリーゼに肩を叩かれて我に返った。彼女は目を細めて微笑んでいた。


「そろそろ休憩が必要なのではないかなと思いまして」


「……悪い、そうみたいだ」


 俺たちは通路が少し広くなっている場所――案外と適当に掘ったようで、通路の幅は一定していなかった――を休憩地点に定め、先頭を進んでいた俺と、最後尾を守っていたヘラが腰掛ける。隊列中央にいたエリーゼとレオ爺さんは、進路方向と退路方向をそれぞれ見張る。


「どれくらい歩いたかな」


「んー、たぶん20分くらいじゃないかなぁ」


「マジで? もっと時間経ってると思ってたぜ。レオ爺さん、どうなんだ?」


「1500歩は歩いたからの、ヘラの言う通り20分といったところじゃろ」


「マジかよ」


「こういう場合、時は長く感じるもんじゃな」


「集中してる時って時間が早く感じるもんだと思ってたぜ」


「集中と緊張は違うからのう。まあ、油断するよりは良い。次からは”すり減った”ことに自分から気付けるようになると、より良いがの」


「あいよ」


 素直に応じたことが意外だったのか、レオ爺さんは一瞬だけ俺を見た。ヘラも少し目を見開いて、俺を見つめている。


「……なんだよ」


「皮肉の1つも出ないなんて、ほんとに疲れてるんだね。大丈夫?」


「そりゃ疲れちゃいるが、ちげーよ! ちゃんと反省してるんだよ! さっきの状態じゃ魔物の足音にも気づけなかっただろうしな、危なかったぜ」


「なるほどねぇ」


 にまにまと笑うヘラは、ほんの少しだけ頬を染めていた。なんなんだこの女は。


 俺は大きくため息をついた。そして大きく吸い込む。湿っていて不快な空気だが、少し頭がすっきりする。音も良く聞こえる、天井からぽたぽたと垂れる水滴の音や、ヘラの息遣い、エリーゼの鎧が擦れる音、レオ爺さんのすかしっ屁、遠くで砂礫を踏みしめる音――


「足音! 前方!!」


 俺は叫びながら立ち上がり、片手剣を抜き放った。エリーゼが見張っていた方向だが、彼女は兜のせいで音の聞こえが悪いのだろう――しかし俺の警告を聞いてか、即座にバイザーを閉めて長剣を抜き放っていた。


 ヘラも跳ぶように立ち上がり、俺と一緒になってエリーゼを守るように前に歩み出た。レオ爺さんの「耳遠くなったかのう」というぼやきが聞こえるが、自分の戦闘準備を終えたゆえの余裕だろう。


 俺たちは一瞬にして戦闘態勢を整えた。前方、通路の奥を睨む――忍び足のようなゆっくりとした足音は、気づかれたことを悟ったのか、やや早くなった。


 やがて、1つの人影が見えてきた。レオ爺さんが少し緊張した声で警告を飛ばしてきた。


「人型の魔物は地下1階のゴブリンを除けば、地下5階と6階以降の存在じゃ。注意せい。地下6階の魔物なら逃げるぞ」


「あいよ……!」


 目を凝らして前方を見ていると、やがて人影の全容が見えてきた――修道服を着た、男性だった。


「は? 人間?」

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