第15話 変化
俺たちは、いつものように迷宮地下3階にたどり着いた。
いつものように――つまり主要通路を歩いていると、時たま背後を狙う魔物に襲われる――だ。しかも地下2階で、地下2階に住む魔物に。
3日前から、下の階から強力な魔物が上がってくるようになっていた。ゆえにもとの階の弱い魔物たちは主要通路から辺縁部に逃げている。そういう前提で作戦を立てていたというのに。
俺は今しがた下ってきた、地下2階と3階にわたる坂道を見やる。
「……下から魔物が上がってくる現象、終わっちまったのか?」
レオ爺さんが不満げにヒゲをしごきながら唸る。
「わからん。そもこういう現象は時たまあるものじゃが、理由は解明されておらんし、いつ始まっていつ終わるのかもわかっておらん。わかるのは、今がその時かもしれぬ、ということだけじゃ」
「あんたでも、わからねぇことはあるんだな」
「いかに聡明で博識なわしとて、所詮は人の子じゃからな。……いや、そもそも迷宮について、人間が知っていることの方が少ないんじゃよ」
「そうなのか?」
「何故各階で様相が全く違うのか? 何故魔物は基本的に階層を移動しないのか? 何故魔物は迷宮を出ないのか――何故迷宮を出ると死んでしまうのか? 地下7階より下がどうなっているのか? 数々の憶測はあれど、確かなことは何もわからぬよ。聖書にもギリシアの古典にも書いておらんしのう」
「なら、いま辺縁部に魔物の過密地帯が残っているかは?」
「わからぬが、調べてみる意義はあるじゃろうな。今後のために」
「そりゃ違いねえな」
俺たちは辺縁部を目指す行軍を再開した。
地下3階は全体にわたって洞窟になっており、時折分かれ道と開けた空間がある。
俺は地下3階があまり好きではない。薄暗くて、狭くて、曲がりくねった道。どことなくスラム街のような雰囲気を感じてしまうのだ。そのぶん道は覚えやすいし、どこに魔物が隠れているかも簡単に検討がつくのは利点ではあるのだが――良い気分ではない。
しばらく歩いていると、1つの分岐路に差し掛かった。そこでレオ爺さんが「待て」と言って立ち止まり、古びた地図を開いた。
「この分岐路は知らんぞ。はて、道を間違えたかのう」
ヘラも地図を覗き込み、ある一点を指さした。こいつは記憶力が良い、辿ってきた道と地図を照らし合わせれば、現在地点を割り出せるだろう。
「今ここのはずだよね」
「うむ」
「うーん、地図上だと確かにここに分岐路はないはずだね。お爺ちゃんが
「わしは常に聡明じゃからな。しかしどうしたことか、迷宮の道が増えたなぞ聞いたこともないぞ」
俺は左右に伸びる通路をそれぞれ観察してみる。だが、どちらも「新たに人の手で掘られた」ようには見えなかった。むかし下水道のどぶさらいの仕事をした経験が活きた――あそこはたまに横道が増えるのだ。
「……そも、どっちが本来の道なんだ?」
「地図上のカーブ具合を見るに、右のはずじゃ」
「じゃあそっちに進めば良いんじゃねえの?」
「それはそうなんじゃが、道が増えたともなれば一大事、そこは誰も足を踏み入れたことのない領域ということじゃ……遥か昔、第一回迷宮十字軍の時に人類は初めて迷宮3階に到達したが、そこでは金銀財宝や得体のしれぬ鉱物が見つかったという」
「カネになるってことか!」
「そういうことじゃ。……じゃが今はわしらはエリーゼ様の護衛の身じゃ、あるかもわからぬ財宝のために道を逸れるわけにはゆくまい」
自然と、エリーゼに視線が集まった。彼女も彼女で、自前の地図とにらめっこをしていた。
「……うーん。私も懐事情が良いわけではありませんので、財宝があるなら探しに行きたいところですが……この道はそうではない気がします」
彼女は自分の地図を差し出し、レオ爺さんの地図と比較を始めた。
「私の地図にはこの左側の道が記されています。しかしレオさんの地図には記されていませんね。……ちなみに私がこの地図を買ったのは数週間前ですが、レオさんのは?」
「……50年前ですなぁ」
「50年の間に新たに発見された道か、あるいは写本のミスか」
レオ爺さんとエリーゼの地図を見比べてみる。レオ爺さんのは明らかに手書きだが、エリーゼのは何箇所か印刷の掠れがある。木版画なのだ。
レオ爺さんの肩を叩いてやる。
「50年前の写本屋と、今の木版画家。どっちを訴えに行く?」
「カーッ、訴訟のやり方も知らぬくせによく言うわい! じゃが信ぴょう性が高いのは今の木版画のほうなのは確かじゃな。間違っていれば冒険者ギルドに叩かれるか、冒険者に殺されかねんしのぅ。……クソッ、あの写本屋め。辺縁部は誰も行かぬと踏んで適当に描きおったか? もう死んでおるじゃろうがな」
レオ爺さんが忌々しげに地図を畳み、懐にしまった。ともあれ進むべき道は決まった。右だ。俺たちは分岐路を右に進む。
歩きながら、エリーゼが少し弾んだ声をあげた。
「とはいえ未踏領域、お目にかかってみたいものですね。手つかずの金銀財宝という夢もありますが、誰も見たことがない景色というのは……少し憧れます」
「たしか、地下6階の辺縁は完全に調べきったわけじゃないんだっけか? あと地下7階より下も殆ど情報がないんだろ? いつか行ってみるか?」
レオ爺さんにそう尋ねてみると、低い声で返答された。
「地下6階からは軍隊でもないと死ぬわい。地下7階に至っては第四回迷宮十字軍がそこで壊滅して以降、誰も足を踏み入れておらぬ」
「怖いねぇ……っておい、次の分岐はどっちだ?」
通路の先に分岐路が見えてきたのでそう尋ねると、レオ爺さん・ヘラ・エリーゼは順に「む?」「え?」「おや?」と声をあげた。
「……どうした?」
ヘラが首を傾げる。
「いや、次は分岐じゃなくて広間に出るはず……そうだったよねレオお爺ちゃん?」
「わしの地図でもエリーゼ様の地図でも、そうなっていたはずじゃ」
エリーゼが地図を取り出し、確認する。
「そうですね。それに、広間にしてもずっと先のはずです。……つまり」
全員で顔を見合わせた。未踏領域?
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