第2話 救援

 曲がりくねった洞窟を100mも進まないうちに、開けた空間に出た。


 そこでは1人の軽装備の槍戦士と、重装備――全身をプレートアーマーで鎧った――剣士が、じりじりと下がりながら、全高3mほどの巨大な蜘蛛と相対していた。


 プレートアーマー! 俺は内心で歓喜した。あれを纏えるのは、相当に成功した冒険者か貴族しかいない。そして巨大蜘蛛の身体にはほとんど傷がついていなかった。成功した冒険者なら、低層――4階までをそう呼ぶ――で出てくる魔物に手傷を負わせられない、ということはないはずだ。レオ爺さんに確認する。


「あの魔物は?」


「アラクネーじゃな。やはり5階の魔物じゃなぁ。まあ単体なら、今のおぬしらくらい祝福を得ておれば勝てるじゃろ。どうにもやっこさんらにはキツかったらしいがの」


「よしきた」


 であれば、あれは貴族だろう。身体を鍛える目的で迷宮に潜る貴族は多い。さしずめ、充分に祝福を受ける――魔素を取り込む前に、強力な魔物に出くわしてしまった。そういう状況だと推察する。


 槍戦士が切羽詰まった声で叫んでいる。俺たちにはまだ気づいていないようだ。


「姫、お逃げください! ここは私が囮になります!」


「ダメ! あなたまで失っては、私は……」


 姫という単語、そして重戦士の兜の中から響いてきた声が女のそれだったことに少々驚く――これは大当たりだ。助け甲斐がある。女貴族を救ったとあれば大変に名誉なことだ。ひょっとすれば、貴族に相応しいと推挙されてもおかしくないほどに。


 俺がそんな損得勘定をしている間に、ヘラが2人に声をかけた。


「そこのお2人、加勢は必要ですか!?」


「何奴!?」


 2人がこちらを振り向いた――あ、これはズブの素人だな。戦闘中に後ろを振り向くバカがいるか? だが重剣士のほうは即断したようで、兜の中で叫んだ。


「頼みます!」


「よっしゃ!」


 俺とヘラが飛び出し重剣士を下がらせると同時、アラクネーが槍戦士に向けて脚の1本を突き出した。先端についた杭のような爪が彼の身体を貫く。ああほら、よそ見してるから。


 気分が悪くなるが、助からないものは仕方ない。気持ちを切り替える。


 アラクネーは軽戦士の身体から脚を引き抜きながら、残る7本の脚で身体を安定させ、尾を俺に向けた。めちゃくちゃ嫌な予感がしたので、横に飛ぶ――直後にアラクネーの尾から白い糸が吐き出された! レオ爺がのんきな声をあげる。


「糸に当たったら行動不能になると思え。ありゃ奴の顎腺液でないと溶けぬゆえ」


「先に言え!!」


 そう叫びながら、念のため防具に魔素を走らせる。鉄の鉢金、革の胴鎧、革の脛当て。盾と剣はオルトロス戦でエンチャント済み。そのままアラクネーの頭に向かって突っ込む。アラクネーは脚で迎撃してくる。小盾バックラーと剣で弾く。やはり重い。交互に繰り出される前脚の攻撃で、俺はその場に射すくめられてしまう。


 だがその間にヘラがアラクネーの胴体のもとに滑り込んだ。ナイフを突き込む。


「ん、意外とヤワい」


 ヘラは早業で数か所を刺してゆくが、彼女の持つナイフは刃渡り20cmほどだ。3mの体高をもつアラクネーにとっては文字通りのかすり傷でしかない。


「こっちはだいぶ硬いぞ」


 俺はアラクネーの脚を剣で弾くついで、断ち切れないか試してみた。だが刃は脚の外骨格にうっすらと傷をつけたのみ。逆に、奴の攻撃を受け続けている俺のバックラーは凹み始めた。これが5階の魔物の力か!


「あんま長くは保たねえ!」


「了解、いま捕らえ――うわっ」


 アラクネーはヘラに糸を吐き出し牽制すると、巨体に似合わぬ機敏な動きでヘラから離れた。もちろん俺からも。勘が良いな――そう思った矢先、レオ爺さんが魔法を飛ばした。氷の礫が飛び、アラクネーの脚の1本の関節にぶち当たり凍結させた。


「さてお若い方々、トドメの準備に移ってよいかのう?」


「任せた!」


 一瞬つんのめり動きが鈍ったアラクネーに、俺とヘラが迫る。俺は真正面を担当。脚の攻撃を引き付ける。その間にヘラが、再びアラクネーの胴体に取り付いた。ナイフを捨て、先程つけた傷口に指を突っ込み、しっかりと握り込んだ。


「い……よいしょぉッ!」


 掛け声とともにアラクネーの身体が振り回され、壁に叩きつけられた。身長150cmにも満たないヘラが、3mあまりの巨大蜘蛛をぶん投げる姿は壮観だ。ヘラは武器防具へのエンチャントが苦手だが、代わりに膂力が大幅に強化されている。


「追撃よろしく!」


「あいよ!」


 叩きつけられ身を捩るアラクネーに向かって、俺は突進した。目指すはヘラが掴んでいた部分――ナイフで割かれ、バカ力で広げられた傷口。そこに片手剣を深く突き込み、柄を両手で握って思い切り斬り払う。


 こうして徹底して1つの傷を広げてやれば、やがてどんなデカブツにとっても致命傷になってゆく――この目論見は当たったようだ。防御行動なのだろう、アラクネーは苦しそうに全ての脚を折り曲げて丸まった。移動に使う脚さえも使って。


「動きを止めたな」


 にやりと口角を釣り上げながら、俺はアラクネーから飛び離れた。ちらりとレオ爺さんを見やれば――彼は頭上に、巨大な火球を作り上げていた。


「ほいトドメ」


 火球が飛ぶ。アラクネーは震えながら防御姿勢を解き、避けようとするが間に合わない。一瞬にしてアラクネーの身体が炎に包まれ、全身を焼き焦がしていった。


 アラクネーがのたうち、転げ回るのをたっぷりと眺めていると、やがてアラクネーの身体から魔素が放出され、俺たちの身体に吸い込まれた。呆然としている重剣士にもだ。


 魔素は付近にいる人間に分配される性質がある。ゆえに下手に介入すると魔素の取り合いで揉めることになるのだが、このぶんなら大丈夫そうだな。そんなことを考えている余裕など無いように見える。


「討伐完了」


「ぜんぜん強くなかったねー」


 ヘラがアラクネーの体液がべっとりとついた手を挙げて駆け寄ってきたが、気にせずハイタッチしてやる。


 ちらとレオ爺さんを見やれば、未だぼんやりとアラクネーの死体を眺めている重剣士のそばに寄っていた。交渉事は彼に任せるのが良いだろうと思いながらも、俺とヘラもそちらに向かう。


「さてさて、見るからに高貴そうなお方! お怪我はありませんか?」


「あっ、え、ええ……助かりました」


「それは何より。まあ、従者の方々は残念ではありましたが……」


 レオ爺さんがちらりと槍戦士の遺体を見やる。


「従士は彼だけですかな?」


「いえ、奥でもう2人殺されました。……全て、私のせいです。こんなに強い魔物が出てくるなんて思いもしなかった、私の……」


「実際これは異常事態ですからなぁ、仕方ありますまい。実は我らも先程、階に似合わぬ強力な魔物と出くわしまして、なんとか撃退した矢先に貴卿らが戦う音が聴こえたのです……満身創痍ながら、同じような目に遭っている人が窮地に陥っているやもと思えばいても立ってもいられず、こうして馳せ参じた次第です」


 レオ爺さんはペラペラとまくしたてる。ほんの少しだけ話を盛って恩を売りつける気だなこれは。


「まあ、そうでしたか……」


「こうしてお救い申し上げられたのも何かのご縁、神の導きでありましょう。よろしければ従士の方々のご遺体を回収し、貴卿とともに地上までお送り致しましょう!」


「いえ、そこまでして頂いては流石に」


「いいえ、従士の方々の遺体が魔物に食い荒らされるのは見過ごせませぬ! 早急に持ち帰り教会で葬儀を執り行わねば、貴女様を守るために散った彼らが報われますまい……是非、お任せを」


「……ご尤もですね。今や彼らには、それくらいしかしてあげられませんから。申し訳ありませんがお願いします」


 レオ爺さんが頷き、俺とヘラにウィンクした。……やっぱ凄いなこの爺さん、貴族に恩を売りつけた上に、教会の覚えが目出度くなるように仕向けたぞ。


「承知致しました。では、そういった契約を結ぶにあたって、貴女様のご尊名を伺いたく」


 あ、ちゃっかり契約というテイにしたな。名乗った瞬間に契約が成立したことにするつもりだ。しかも具体的な値段は棚に上げたままに。


「おっと、命の恩人に名乗らないのは無礼でしたね。お許しください」


 そう言いながら重剣士は兜のバイザーを上げた。金髪がこぼれ、青い瞳をたたえた女の顔が顕になった。


「エリーゼ・フォン・ローゼンハイムと申します。ローゼンハイム伯爵位の継承権第一位にして、その位を請求する者です」


 レオ爺さんはその名を聞いて一礼すると、「では従士の方々のご遺体を運んで参ります」と言い残し、俺とヘラを連れて洞窟の奥へと向かった。そしてある程度歩いてから、俺たちにこう言った。


「ハズレじゃハズレ!」


「あ? どういうことだ?」


「ローゼンハイム伯爵家はお家騒動中なんじゃよ! 直系の女子が継ぐか傍系の男子が継ぐかで揉めとるんじゃ! 関わると面倒に巻き込まれる、カネ毟ったら穏当に身を引くぞ!」

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