迷宮に願う者たち

しげ・フォン・ニーダーサイタマ

第1部

1章 かくして彼らは仲間になった

第1話 3人の冒険者

 岩壁の中にレンガが混ざっているのか、レンガ壁の中に岩が混ざっているのか、判然としない。そんな不思議な壁をもつ洞窟の中を、俺たち3人は歩いていた。松明は不要だった。何せ岩がほのかに光っているから。


 先頭は鉄の鉢金と革鎧、それに片手剣と小盾バックラーを持った俺――ヴォルフ。中央に魔法使いのレオ爺さん。小柄な茶髪の少女――革鎧とナイフを装備したヘラが最後尾、という縦列。閉所ではいつもこの陣形だ。


 俺は岩陰から岩陰へと視線を走らせながら、奥へと進んでゆく。緊張感のある無言――を切り裂くように、レオ爺さんが「そういえば」と声をかけてくる。この爺さんは雑談という名の蘊蓄うんちく語りが大好きなのだ。


「ヴォルフ、迷宮ダンジョンが何故地下牢ダンジョンと呼ばれているか知っておるか?」


「知らねぇよ」


 俺がそう答えると、レオ爺さんは黙った。ぶっきらぼうな返答に閉口したのではなく、後ろのヘラに「おぬしは?」と視線をやったのだろう。迷宮探索中なのだから集中しろと言いたいが、生憎と俺の前方数十メートルには魔物の陰も罠も見当たらなかった。


「知らないよー」


 ヘラがそう答えるやレオ爺さんは「ふむ!」と嬉しそうな声を上げた。見なくてもわかる、嫌味ったらしい長い髭を、これまた嫌味ったらしくしごいているのだろう。蘊蓄を語る時のお決まりの仕草だ。


「では教えてやろう。はるか昔、未だ迷宮の仕組みがわかっていなかった時代――今もわからぬことのほうが多いが――迷宮は罪人の刑地として使われておったのだ。迷宮内で規定の日数を生き延びれば罪を減じる、といった具合にな」


「そりゃあ趣味が良いな。武器防具の持ち込みは?」


「なしじゃよ。罪人に武器防具を与えたら刑吏に牙剥くに決まっておるじゃろ」


「じゃあ実質死刑じゃねえか」


「そうじゃよ」


 迷宮には危険な魔物がうじゃうじゃいる。おまけに生存に必要なもの――メシと水――は少ないうえに、あったとしてもろくでもない効能を持っていることが多い(大抵人間には毒だ)。武器防具なしでは、迷宮最弱とされるゴブリン1匹に見つかっただけでも死ぬだろう。何せ奴ら、石器とはいえ武装してるしな。人は石で殴られると死ぬ。普通は。


「で、言いたかったのは、俺たちが現代に生きる死刑囚だってことか?」


 そう皮肉ってやる。俺とヘラは衛兵に逮捕されたことがないだけで、それなりに罪を犯して生きてきた。2人ともスラム出身で、そうしなければ死んでいたからだ。だがそれではいつか捕まって、良くて利き腕切断刑、悪ければ絞首刑になるのは目に見えていた。だから迷宮に潜る冒険者になった。


 迷宮で腕を磨けば、最低でも傭兵の倍給兵になれる。良ければ貴族の従士として雇ってもらえる。そして最上なら騎士として叙勲され、貴族の仲間入りを果たせるのだ。


 スラムのケチな犯罪者で終わるよりは余程夢がある話だ。俺とヘラは夢を見ているのだ……まあ俺たちに限らず、冒険者になる者は大体同じ夢を見ている。平民なら大抵はそんなものだ。レオ爺さんも似たようなものだろう。蘊蓄と比較すれば、自分のことはあまり語らない老人ではあるが。


「死刑囚と同じにするでない! ……ワシらは自分の意志で地下牢ダンジョンに囚われ、あまつさえそこで夢を見ておる。死刑囚よりもっとタチの悪い存在じゃろうて」


 レオ爺さんはくつくつと笑って、話を続ける。


「――続けよう。ある時、1人の囚人が迷宮内で30日を生き延びた。ただそやつは迷宮に入った時と同じ、無手の状態で刑吏の前に現れたそうな」


「30日か」


 計算は苦手だが、頭を巡らせてみる――運が良ければ1日に15匹は魔物と遭遇して、倒せる。それが30日だと……。


 俺の思考を遮るようにヘラが声を上げる。


「その人、めっちゃ強くなってたんじゃない?」


「ご明察じゃ。その囚人は拳の一振りで、鉄で鎧った刑吏を殴り殺した。その後街に飛び出し、完全武装の騎士6人、従騎士14人、歩兵数多をも殺したという。素手でな」


 レオ爺さんに尋ねる。


「囚人に殺された奴らはのか?」


「そうじゃ。まだ迷宮が呪われた地だと思われていた時代ゆえにな。祝福を受けたのは、実質囚人たちだけだったのじゃろう」


「じゃあ仕方ねぇな……おっと」


 俺は足を止めて左手に小盾を構え、右手の片手剣を握り直した。レオ爺さんが尋ねてくる。


「ヴォルフ、敵か?」


「ああ、あそこ」


 前方の岩陰に不自然な影が見えた。片手剣の切っ先でそこを示す。目を凝らしてみれば、淡く光る茶色い岩の陰に同化するように、茶色の毛皮が見えた。その奥に、蛇の尾のようなものがゆらゆらと揺れている。


「……ふむ。オルトロス、かのう」


「どんな魔物だ?」


「本来はもうちっと深いところに棲んでいるんじゃが、犬……」


「来るよっ!」


 ヘラが叫ぶ一瞬前、そいつは岩陰から飛び出してきた。獰猛に走り込んでくるそれは、確かに犬ではあった。平均的な上背をもつ俺と殆ど同じかそれ以上に大きな体躯をもち、目と尾が蛇のそれであったが。俺の腹を狙って前足を突き出してくる。爪は黒く、杭のように尖っていた。


「チッ!」


 舌打ちしながら、剣と盾に素早くを走らせる。これで剣も盾も本来の数倍固くなる。ひとまずエンチャントはこれで充分。他の防具は後だ。


「おらあッ!」


 殴りつけるようにして突き出した小盾とオルトロスの前足がぶち当たる。重い。エンチャントしていなければ小盾がひしゃげていただろう。だが小盾は形を保ったままオルトロスの前足を弾いた。


 そのまま俺はオルトロスの下に潜り込むようにして身をかがめ、下段から片手剣の突きを繰り出す――オルトロスは横に飛んで回避。


 そこに、ナイフを鞘走らせたヘラが飛び出す。翼を持たぬ魔物は、地から足が離れている間は回避行動が取れない。その瞬間を狙った攻撃だ――同時、レオ爺さんが叫ぶ。


「飛べッ!」


「うえっ!?」


 困惑しながらもヘラは飛び上がった。2m近く。その瞬間、オルトロスは口から黒い液体を吐き出した―― 一瞬前までヘラの顔があったあたりに。その液体は地面に落ちると、不穏な蒸気を発した。


「あっぶな!?」


「毒に気をつけよ!」


「先に言ってよもう!」


 その間に俺はオルトロスの尻側に回り込む。奴の尻尾が、空中のヘラを捕らえようとしていた。すかさず片手剣を振り下ろし、尻尾を根本から切断。


「尾にも気をつけよ!」


「先に言え!」


 尾を切り落とされたオルトロスは苦悶の悲鳴をあげつつも身をかがめた――レオ爺さんに向かおうとしている。俺はオルトロスの尻側、カバーしに行けない。


 だがその時ヘラが落下し、オルトロスの背に乗った。すかさず右肩にナイフを突き刺す。右側に倒れようとするオルトロスの左側に移動し、左腋にもナイフを突き刺してから飛び離れた。一瞬の早業だ。


「ほい仕上げ」


 そう言ったレオ爺さんは右手の人差し指を突き出していた。そこから小さな火の玉が飛び出し、前足が利かず動けないオルトロスの口に放り込まれた。


「GAURRRRRRR……」


 オルトロスは口から煙を吐き出しながらさお立ちになった後、力尽きて倒れた。俺は小盾を構えながらオルトロスに近づき、首を片手剣で突き刺す。まだ死んでいないからだ。


 左胸に剣をねじ込み、肋骨を割りながら切っ先を捻ると、オルトロスの身体から淡く輝く、青い光の粒が幾つも飛び出した。それらは俺、レオ爺さん、ヘラの身体に吸い込まれていった。


「討伐完了だな」


 魔物は死ぬと「魔素」と呼ばれるものを放出し、それは付近にいる人間の身体に入り込み、その身体を強化する。あるいはレオ爺さんのように魔法を授かる。これを「」と呼ぶ(少なくとも教会はそう呼ぶように言っている)。


 ヘラがオルトロスの死体からナイフを引き抜き、続けてその身体を解体しながら嘆息する。


「いやー危なかったね。毒に尾は厄介だよー」


「ワシが警告した通りじゃろ?」


「レオお爺ちゃんは警告を先に言ってれば文句なかったんだけどねー」


「本当にな」


 俺とヘラが非難すると、レオ爺さんはむすっとした顔で反論してきた。


「何を! 本来はもうちっと深いところに棲んでおる、それも重要な情報じゃろうが! 逃げるか否かの判断材料になる!」


 確かに迷宮の魔物は、奥に棲んでいるものほど強力になる。オルトロスの尾を斬ったからわかることだが、おそらく魔素で強化していない武器では奴の身体に傷をつけることは難しかっただろう。とはいえ。


「毒と尾をいなせなきゃ逃げる前に殺られるだろうが」


「いなせたから問題なかろう」


「…………」


 むかつくが、俺は口論をやめることにした。レオ爺さんはやたらと口が強いのだ。こちらがどんなに有利でも何故か最後には爺さんが俺を言いくるめてしまう、そういうことが何度もあった。であれば、時間の無駄だ。


「……で、オルトロスは本来何階に棲んでる奴なんだ?」


「地下5階以下じゃったと思う。少なくともワシが若かった頃は」


「今は3階だよな?」


「うむ。……これはボーナスが期待できる情報じゃぞ。の命を救う情報とでも言えば、ギルドも高く買ってくれるじゃろうて。では証明として奴の首と尾を持って帰ろう……というわけでヘラ、そんなに丁寧に解体せんで良いぞ」


 ヘラはオルトロスの腹を割いているところであった。平坦なバストを覆っている革の胸当てに、オルトロスの血が飛び散っていた。


「えー、肉とかモツとかは?」


「毒が回っておるゆえ使い物にならん。そして毒が欲しければ頬の毒腺から取ったほうが純度が高い」


「はーい」


 ヘラは手早くオルトロスの首を切断し、軽く血抜きしてから麻袋に放り込んだ。


「では帰るとするかの」


「もう? 今日はまだコイツ含めて5体も狩ってないだろ」


「ダメじゃダメじゃ、5階の魔物が出てきているんじゃ、事態が解明されるまで深入りは危険じゃ」


「だが倒せただろ」


「オルトロスは5階でも弱い部類なんじゃよ、しかも本来なら群れで出てくる。今回は単体ゆえ何とかなったがの」


「ちぇっ……」


 レオ爺さんは「5階はまだ早い」と頑なに4階より深く潜ることを拒んでいる。ブランクがあるらしいが、彼はベテラン冒険者だ。素直に従っておくのが賢明か。そう思い、俺は帰路につこうとした――が、足を止めて手を挙げた。


「待て。何か聞こえる」


 耳を澄ましてみれば、洞窟の奥のほうからかすかに金属音が聞こえた。続いて人の声。何かを叫んでいる。段々とこちらに近づいてきている。


「戦闘の音だ。こっちに逃げてきている」


「はて、ここらを探索している冒険者はワシらだけのはずじゃが?」


 冒険者ギルドでは、迷宮に潜る冒険者は決められたテリトリーを守るよう指示されている。魔物の取り合いで揉めるからだ。無論、それを無視する本当の無法者もいるが。魔物も冒険者も殺して一石二鳥、という手合だ。


「レオお爺ちゃん、この洞窟ってどこかと繋がってる?」


 ヘラがそう尋ねると、レオ爺さんはぐるりと目を回す。記憶を辿っているのだろう。彼は迷宮の地図を一通り頭に叩き込んであるのだという。


「あー、2箇所で4階と繋がっておるな。……あれか、こんなところにオルトロスが出るんじゃ、奥にもっと危険な魔物が出てもおかしくはない。奥に潜っていた冒険者がそれと出くわしてこちらに逃げてきた、という可能性はあるのう」


「んじゃあ」


 俺は一瞬、考えを巡らせる。損得勘定を。


「……助けに行こう。加勢して倒せそうなら恩を売れるし魔素も稼げる、無理そうならそいつらを囮に逃げりゃ良い」


「ワシは反対じゃ、無法者の可能性も捨てきれんし、助けることになったとしてもなんだかんだ揉めるぞ。そも強力な魔物じゃったら逃げ切れるかもわからん。リスクが大きい」


 レオ爺さんは反対。必然、ヘラに視線が集まる。ヘラは俺とレオ爺さんを交互に見た後、俺の方を向いた。


「あたしは……ヴォルフに賛成かな。困っている人がいるなら助けるべき。そうでしょ?」


「……俺はそこまで崇高な理念は持っちゃいないがね。だが少なくとも、確かめもせずに見捨てるのは目覚めが悪くなる」


 そう言うと、レオ爺さんはため息をついた。


「お人好しどもめ。いつか足元救われて死ぬぞ」


 相変わらず嫌味な爺さんだが、1人で帰ろうという様子はない。承諾したと受け取る。


「んじゃ、行こうか」


 陣形を組み直し、俺たちは音のする方へと走っていった。適度にカネを持っていて、恩を理解してくれる冒険者だと良いのだが――そんなことを思いながら。

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