第3話 救えない者たち
エリーゼの従士たちの遺体は探さずともすぐに見つかった。というのも、アラクネーの脚についた返り血が点々と続き、道になっていたからだ。遺体を回収しながら、レオ爺さんに尋ねる。
「お家騒動中だってんなら、むしろチャンスじゃないか? 従士たちも今こうして死んじまったんだ、俺たちをその代わりに雇って貰うってのは良さそうだ。恩も売りつけたことだし」
「一発で貴族の、しかも伯爵様の従士になるチャンスなんて中々無いよねー」
俺とヘラはそう考えてウキウキしているのだが、レオ爺さんはしかめっ面のまま首を横に振る。
「バカもん、『伯爵位を請求する者』だと言っておったろうが。まだ彼女は伯爵位を手に入れてないんじゃよ。しかも対立候補が居る」
「なら今助力しておけば、なおさら高く恩を売りつけられるじゃねえか」
「彼女が継承権争いに勝てるならそうじゃな? だが考えてもみよ、盤石な伯爵位継承者が迷宮になぞ潜るか? しかも迷宮に不慣れな従士――ろくに祝福を受けていない者を連れて」
「むう……」
確かにそれはそうだ。貴族というのは(主に男性は、だが)若いうちから迷宮に潜って従士ともども祝福を受けるのが普通だ。そうしておかなければ、戦場であっさりと死んでしまうから。純粋な戦闘能力は貴族権力の大前提だ。
しかしエリーゼもその従士も、あまり祝福を受けていないように見えた。少なくとも俺たち3人よりは弱かったのは事実だ。
いつかレオ爺さんが言っていた、『貴族なら5階に潜って生き残るのが大前提じゃ』と(だから俺は早く5階に行きたいのだが)。
「あー、なんだ。つまり彼女は、まともな人材を持っていない?」
「そう考えるのが妥当じゃな。彼女本人はそこそこ武術の心得があるようじゃが、純粋に祝福が足りぬ。貴族としては半人前も良いところじゃな」
エリーゼに武術の心得? 身のこなしから判断したのだろうか。俺にはサッパリわからなかったが。レオ爺さんの観察眼というか知識量は底が知れない。
「ともかく、伯爵位継承争いは彼女が劣勢と見て良いじゃろう。ここで彼女に加担して負けてみろ、彼女とその従士たちは反逆者扱いじゃぞ。連座で絞首刑になりたいか?」
「うへぇ、そりゃ勘弁だな」
俺とヘラで従士の遺体を担ぎ、来た道を戻る。ヘラが残念そうな声を上げる。
「……この生活から抜け出すチャンスだと思ったんだけどなぁ」
「ほんとにな」
「でもさぁ、エリーゼ様はなんか良い人っぽくなかった? 平民のあたしたちにも敬語だったし」
「確かにな。貴族なんてアレだろ、もっと横柄に振る舞うもんだと思ってたぜ」
俺もヘラも、貴族と直接話したのはこれが初めてだ。街で見かけることはあるが、大抵は横柄で、尊大に振る舞っていた。
「このまま放っておくのは可哀想じゃない? 従士さんたちも全滅しちゃったし、これからのことを考えると……」
ヘラがそう言うと、レオ爺さんが怒りを押し殺したような低い声を出した。
「やめよ、情に絆されるのは間抜けのすることじゃ。時には哀れな者を切り捨てることも必要じゃと心得よ」
「……一杯切り捨ててきたよ、あたしたちは。スラムの人間は」
ヘラがレオ爺さんを睨んだ。俺も腹の底がむかむかしていた。
スラムじゃ人を見捨てるのは日常茶飯だ。路端に腹を空かせている子どもが居るとしても、それを無視せざるを得ない。自分が食べるパンすら無いのだから。余るほどパンを盗んで、初めて人に分け与えるという「選択肢」が生まれる。普段は選択肢なんて無いのだ。否応なく切り捨てるしかない。
「……すまぬ、そういうつもりで言ったのでは……」
「わかってるよ」
ヘラがそう返したきり、俺たちは無言になってしまった。
やがてエリーゼのところに戻ると、レオ爺さんは3人めの従士――俺たちの目の前で殺された槍戦士――の遺体を担いだ。
「では、戻りましょうか」
「ええ」
エリーゼは従士たちの遺体を見て唇を噛んだ。だがそれも一瞬のこと、「お願いします」と頭を下げた。
迷宮の出入り口に向かって戻る。俺とヘラはやや不機嫌で無言、レオ爺さんは「関わるな」と言った手前なのか口を閉ざしたまま。気まずい雰囲気だ。それに耐えかねたのか、エリーゼから話しかけてきた。
「あ、あの……皆様はどうして冒険者になったのです?」
「どうしてって、そりゃあ……」
強くなって傭兵になるか、貴族に従者として雇って貰うためです、とは言えなかった。「なら私が雇います」なんて言われたら困る。
悔しいが、レオ爺さんの言い分は正しい。巻き込まれるのは得策ではなく、切り捨てるのが正しい。
しかしここでヘラが割り込んできた。
「他の選択肢は『盗人として生きていく』しか無いからですよ」
「おい、ヘラ」
「いいじゃん本当のことなんだし。……あたしとヴォルフは孤児なんですよ。スラムで育ちました。そんな身元も知れない奴ら、どこも雇ってくれませんから」
エリーゼは面食らったようだった。
「きょ、教会は助けてくれなかったのですか? これほど大きな街の教会です、孤児救済に手を打つ資金力はあるはずでは?」
これほど大きな街というのは、この迷宮を抱える都市『フィラハ』のことだろう。数万人が住んでいる大都市であり、皇帝の居城でもある。いわゆる帝都というやつだ。だが。
「はん、カネは全部大聖堂の建設に使っちまったんじゃないですかね。少なくとも司祭様より上の奴らが、孤児のために何かしてくれたことはないね」
「フィリップ助祭は優しいけどねー」
フィリップ助祭というのは、何かと俺たち孤児を気にかけてくれる人だ。パンをわけてくれたり、寒い冬に暖炉を貸してくれたりと、恩義がある。……だが、教会関係者で俺たち孤児に何かしてくれたのは彼だけだ。
「つーか司祭様を見たことがない。聖都に行ったきり、デカい行事以外では帰ってこねえってフィリップが言ってたな」
またもやエリーゼは面食らったようだった。
「……そう、とは。すみません」
そう言って頭を下げてくるのだから、今度はこちらが困ってしまった。貴族に頭を下げられたらさぞ気持ち良かろうなと妄想したことはあるが、実際されてみると居心地が悪い……というより、エリーゼが世間知らず過ぎて、なんだか悪いことをしている気分になってしまうのだ。
「やめてくれ、頭を上げてくれ」
「そ、そうですよ! あたしもそんなつもりで言ったんじゃ……!」
そう言うと、エリーゼは顔を上げた……そしてその瞳には、何故か決意が宿っていた。
「……おこがましいことかもしれませんが、私ならあなた方を助けられるかもしれません」
「なんだって?」
「私の護衛として、雇われて頂けませんか? それなりの金額は出せます……何か商売を始めるには充分なほどに。あるいは従士として雇い入れても構いません。何せ、私の従士は全滅してしまったので……」
ここでレオ爺さんが割り込んできた。
「お心遣いはありがたいですが、商売を始める元手は充分あるのです……何せほら、この遺体移送料とこの道中の護衛料――いやそんなに法外な金額は請求しませぬが、ともあれソレと貯蓄を合わせれば充分な金額になりますので!」
「えっ!? あ、いえ、そうですよね。遺体移送もこの護衛もタダではありませんよね……失礼しました、早とちりして」
あ、両方タダ――つまり完全な善意だと思ってたなこの人。……なんというか、本当に世間知らずだな。
そしてレオ爺さんは商売を始める元手があると言っていたが、絶対に嘘だ。だって迷宮から帰るなり真っ先に「娼館に行く」と言って消えてしまうのだから。カネが貯まるわけがない。
だがまあ、打診を断る理由としては妥当か。後ろ髪を引かれるが、話を合わせよう。……だがその時、ヘラがエリーゼに問いかけた。
「エリーゼ様はなんで迷宮に潜ってたんですか?」
レオ爺さんが無言で「やめろ」と視線を送るが、ヘラは無視する。
「女性貴族なのに珍しいなって」
「……お恥ずかしい話ですが」
そう言ってエリーゼが語ったのは、具体的な「お家騒動」の話だった。
ある戦争で、エリーゼの兄が戦死した。彼がローゼンハイム伯爵本家で唯一人の男子継承者だったという。老齢の父たる現ローゼンハイム伯爵は後継者にエリーゼを指名したが、そこに親戚――傍系の男子が異議を唱えた。曰く、女にローゼンハイム家の当主は務まらぬと。
「……という次第でして。私はなんとか家を継ぎたいのですが、戦いに慣れた騎士や従士は兄と一緒に尽く戦死してしまいまして、対立候補たちが武力で押し通そうとしてきた場合、勝てるか怪しいのです」
「おおう……」
こうして聞いてみると中々に絶望的だな。だが疑問が2つある。
「ちょっと待ってくれ、対立候補たちと戦争になりそうなのか?」
「最悪そうなります」
「だとして、あんたとこの……死んじまった従士3人だけを鍛えても焼け石に水じゃないのか? 戦争って数千人規模でやるもんだろ、素直に祝福受けた傭兵を雇ったほうが良いんじゃ? そもそもだ、迷宮に潜るにしても祝福受けた傭兵雇ってりゃこんなことにはならなかったろ?」
従士の遺体をゆすりながらそう問うたのだが、レオ爺さんがため息混じりにつぶやいた。
「少なくとも迷宮に潜るのに従士を差し置いて傭兵は使えまい。従士にも面子というものがある」
「面子ぅ?」
「スラムの悪童だった頃を思い出せ、悪童のリーダーがおぬしらを差し置いて、見ず知らずの用心棒を雇ったらおぬしはどうする?」
「……用心棒に喧嘩吹っ掛ける。俺より弱いなら雇う意味ねーし、強くても新顔がデカい顔するのは許せねえ。なんにせよ一発
「全く子供じみたことじゃが、同じことを従士も思う。そしてどう転んでも従士との関係に禍根を残す」
エリーゼが頭痛がするとでも言うように、そっと目を伏せた。事実なんだな。
「なるほど、理解した」
……貴族と従士も案外面倒くさい関係なんだな。というか俺たちスラムの人間と同じ理屈で動いていると思うと、なんだか……夢にヒビが入ったような感じだ。
「まあそっちはわかったよ。じゃあ話を戻そう、戦争するんなら、従士3人だけを鍛えてもあんま意味なくねえか?」
「戦争をするならそうです……ですが内戦となれば戦場は我が領地です。守るべき領民たちに血を流させ、彼らが耕した畑を燃やすような所業は避けたい。……そこで私は策を打ちました」
「策?」
「皇帝陛下に直訴したのです。私と対立候補とで決闘を執り行い、勝った方をローゼンハイム家の継承者としてお認めくださいと。対立候補にしても、女に挑まれた決闘を断れば『逃げた』と見做されます、絶対に受けると踏んでのことです」
「へぇ、剛毅だな! だがなるほど、それで手っ取り早く強くなるために迷宮に潜ってたってわけか」
「はい。……ですが皇帝陛下は難色を示されました。『ただ一度の決闘のみで継承者を決めては貴族社会に混乱が生じる』と」
レオ爺さんが「そりゃそうですなぁ」と頷く。そうなのか? スラムの悪ガキ社会じゃそれで問題ないんだが。やっぱ貴族ってわからないな。なんだか夢のヒビが塞がって、神秘性が戻ってきたような気がする。
「しかし続けて陛下はこう言いました、『だが、もしそなたが
「なるほどなぁ……っておい、まさかその武術大会って、この街で開かれるやつか?」
「はい。一ヶ月後にここ帝都フィラハで開催されるものです。帝国全土から猛者が集まる武術大会です」
随分と無理をふっかけられているな、と思う。だがエリーゼの目は本気だった。従士が全滅してなお。そこまで世間知らずなのか、あるいはそうせざるを得ないのか。俺はだんだん彼女に興味がわいてきてしまった。その最も大きな理由は――
「……実は俺も出る予定なんだよ、その大会」
「まあ!」
「あれは平民でも出れるし、優勝すりゃ皇帝も出席する祝賀会に呼ばれるんだろ。そこで皇帝陛下に目をかけてもらえりゃ一発で騎士になれるかもしれねえ。途中敗退でもそれなりに強さを示せりゃ、貴族に雇って貰えるかもしれねえからな」
「なるほど……では」
エリーゼは悲しそうな顔をした。
「私たちは将来の敵同士、ということになりますね。すみません、そういうことでしたら、雇うという話は無理ですよね……」
ヘラがぶんぶんと首を横に振った。おそらく、俺と同じことを考えている。
「違いますよ! 確かに大会では敵ですけど、それまでは助け合えるじゃないですか! 迷宮で一緒に魔物を狩って、エリーゼ様は祝福を手に入れる! あたしたちは護衛料を手に入れる!」
エラはうんうんと頷きながら続ける。
「それに対立候補さんも皇帝陛下もムカつく! 女には無理とか、上から目線で武勇を示せとか! 女ナメてるの? 強くなって全員ぶっ飛ばしてやりましょう!」
「い、いや対立候補はともかく皇帝陛下ぶっ飛ばし遊ばせるのはちょっと……ともあれ、護衛を引き受けて頂けるのですか……?」
俺は頷く。
「構わねえよ。迷宮内での護衛だけなら、反逆云々って話にゃならんだろ。なぁ爺さん?」
レオ爺さんはしかめっ面のまま、ため息をついた。
「睨まれはするだろうが、刑罰を下すには根拠として弱いのは事実じゃな」
「じゃあ問題ねえな?」
「結論を急くな、一言だけ言わせてくれ。……おぬしらアホか? マジで武術大会で勝てると思っとるのか? 帝国どころか他国からも腕利きが集まってくるんじゃぞ?」
「三言言ってるぞ」
「うるさい!」
「……まあ、無理かもしれねえ。いや無理なんだろうよ、だがそれくらいの夢を見なきゃ生きていけねぇよ。それに、ちょっとでも上に行きたいって思うのは当然だろ?」
ヘラもうんうんと頷く。
「あとエリーゼ様が対立候補と皇帝をぶん殴るところも見たい」
「ぶん殴るのは対立候補だけです! ……あと、あくまで私は本気で優勝する気でいますよ。ローゼンハイム家を継がなければならないので。今まで私を支えてくれた領民たちのために」
レオ爺はぐるりと目を回し、「救えんアホども」と呟いた。それからたっぷりと嫌味ったらしく髭をしごいてこう言った。
「おぬしらを放置すれば、無理して深層に潜って死ぬのは目に見えておる。それは目覚めが悪い……仕方ない、ワシが後見してやろう。今までどおりワシの忠言にはしっかりと耳を傾けるんじゃぞ」
「つまり?」
「エリーゼ様の話をお受けしても良い、と言っておる」
「素直じゃないな、最初からそう言えよ」
「うるさいぞ! ……ただしエリーゼ様、契約書はしっかりと書いて頂きますぞ! 護衛の期間は武術大会前日までとし、それ以降は互いに無関係であると明記すること。よろしいですな?」
「私が負けてもあなた方に累が及ばないようにするため、ですね。もちろん問題ありません。では皆さん、街に帰り次第詳細を詰めましょうか」
「仰せのままに」
――こうして、俺たちはエリーゼと護衛契約を結ぶことが決まった。迷宮の中、死体を担ぎながら。
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