第47話 それぞれの思惑

 ヴォルフとヘラの覚悟は決まった――だが問題は、私の武器が木剣だということだ。流石に未知の敵と木剣で戦いたくはない、何か武器はないか――と周囲を見渡していると、眼前に旗が投げ込まれた。


「これは……」


 私が拾い上げたそれは、2mを超す鉄の槍に、旗が取り付けられたものだった。旗には十字架と、交差した鍵が描かれていた。


「大司教の旗?」


 旗が飛んできた方向を見やれば、観戦席の一角に僧服に身を固めた一団がいた。魔物たちの襲撃に応戦し、踏みとどまっている。一団の中心にいる老人――大司教の姿が見えた。私は彼らに向かって十字を切ると、兜を脱ぎ捨てた。そして長い金髪を風になびかせながら、旗槍を大きく振り回して叫んだ。


「勇気ある貴族諸兄よ聞け! 我、敵の首魁を発見せり!」


 私の高い声は、喧騒の中にあってもよく響いた。フィールドで散発的に戦っていた数人の騎士たちがこちらを見る。ヴォルフとヘラに露払いを任せ、旗を振りながら叫ぶ。


「共に討ち果たさんとする者は、この旗のもとに集え! 皇帝陛下、大司教、そして天上の主がご覧になっている! 十字架の旗のもと、今こそ我らの武勇を示そうぞ!」

 

 騎士たちが魔物を始末しながら集まってきた。さらに、幾人かの男が観客席から降りてきた。彼らは騎士たちの従士なのだろう、主に剣を手渡した。代わりに自分は主から木剣を受け取り、そばに侍った。――こうして、ヴォルフとヘラを含めて12人が私の旗の元に集った。


 騎士の1人が声をかけてくる。


「敵の首魁とやらは?」


「あれです」


 私が指した先に、異形の民の姿があった。彼女はときに未知の言語で叫び、ときに剣で指して魔物たちを指揮していた。


「見たことがない種類の魔物ですな」


「ええ。あれはとても強い、不思議とそうわかります。ですが同時に、倒せると確信しております」


「……啓示か?」



 盛大に嘘をつく。そしてきゅっと旗槍を抱いてみせる――そうすべきだと本能が告げたからだ。すると折よく風が吹いてきて、旗がなびいた。十字架がゆらゆらと揺れる。それを見た騎士たちは何を思ったのか、互いに顔を見合わせた。


「……たまには主を信じてみるか」


「悪くない。おっと、もとより私は敬虔だがね」


「嘘をつけ。貴卿、さっきは待合室で主の肛門を呪っていただろうに」


「今から贖罪するんだよ。……それに、ふふふ。下手をすれば大会で優勝するよりも名が上がるぞ、これは」


「違いない」


 騎士たちはゲラゲラと笑い、それから私に問うた。


「で、何か作戦はあるのですか?」


「単純明快、突撃します。首魁への道を拓いてください。その後は露払いをお願いします」


 異形の民はこちらの動きに気づいたのか、魔物の一部を壁のように並べていた。そこには幾匹かのオーグルが混じっている。


「……オーグルがおりますが」


。先程も一匹仕留めました」


「ああ、はそういうことで。ははは、いよいよ面白くなってきた!」


 先程私とヴォルフで倒したオーグルを見て、騎士たちは笑った。覚悟を決めたのか、彼らは私の前で戦列を整えた。4人の騎士が最前列を構成し、その後ろに6人の従士たちが並ぶ。――流石に現役の騎士だ、一度やると決めれば話が早くて助かる。


 ちらと皇帝を見る。彼は護衛に守られながら、私たちを睥睨へいげいしていた――ふと、彼は腰に吊った剣を抜き、私に向けて投げ放った。


 はしと掴み取ったそれは流石に皇帝の帯剣だ、鍔と柄に金銀細工の施された見事なものだった。私は剣を右手に持ち、左手には旗槍を持った。――帝権と教権の象徴が、私の諸手もろてにある。自然と笑みがこぼれた。


「大変結構」


 無理やり整えた舞台にしては、上出来ではないか。


 それと同時に、狂気の沙汰だとも思う。潰えた夢を、無理やり紡ごうとしている。そのために12人を狂わせた。


 ……否、と小さく首を振る。この考え方は傲慢なのだろうな。彼らは自由意志でここに集ったのだ。ヴォルフやヘラがそうだったように、私たちはたまたま思惑が重なっただけなのだ。だからこそ共に歩んで、狂気の沙汰に仲良く身を委ねられる。


 領民たちに死ねと命じて後悔し、それでも進む――そう決めたことを思い出す。思えばあれもひどく傲慢な考え方だった。


「皆さん」


 騎士やその従士たち、そしてヴォルフとヘラに声をかける。


「共に歩んでくださって、ありがとうございます」


 彼らは笑って頷いてくれた。笑みの中のぎらぎらとした眼差しが、とても好ましく思えた。――ああ、きっと私も同じ目をしているのだろうな。


 私は意を決し、号令をかける。


徒歩かち襲撃用意、目標正面! 己が名誉と十字架に懸けて、敵を斬り裂け! ――突撃!」



「大司教様、お逃げください!」


 司祭の1人が私にそう叫んだ。私が引き連れてきた随伴員は10人。そのうち2人は魔物に襲われて死んだ。今は、残った8人で円陣を組んで「抵抗」しているところだ。


「無理だろうね、これでは」


 観客席を見渡してみれば、大量の魔物が観客らを無差別に殺していた。しかも魔物たちの一部は闘技場の出入り口を塞ぐように動いていた。無力な者たちは逃げ場がないというのに、いずこかに微かな希望を見出しては無秩序に逃げ回っている。


 そんな中でも――貴族や大会参加者なのだろう―― 一部の者たちは果敢に戦って魔物の群れに抗っていた。だがそれは砂浜に突き立った枝のようなもので、いずれは土台の砂ごと波にさらわれる運命にあるのは目に見えていた。人の波、あるいは魔物の波に飲まれてはどうしようもない。


「せめてをどうにか出来れば、と思うのは希望的観測だろうかね」


 フィールドの一角に、「異形の民」がいた。エリーゼが報告した通りの姿であったため、すぐにわかった。どうにも、あれが魔物たちを指揮しているように見える。


 だが、あれを始末するには兵力が、組織力が不足していた。各所に分散して警備にあたっていた衛兵たちは、人と魔物の群れに飲まれて集結することもままならない。皇帝を含めた貴族たちは自分の身を守るので手一杯。


 もちろん武術大会の場である、騎士ならその辺に転がっているし、実際に各個に抵抗してはいるが、土壇場で部隊を編成して戦術行動を取るなど、帝国の軍制では不可能であった。


「この状況でどうにか部隊らしきものを編成できるとすれば」


 私は席の下に転がしておいた槍を持ち上げた。そこに、旗を括り付ける。どちらも閉会式の挨拶の折、部下に掲げさせるために持ってきたものだ。


 仕立てた旗槍を、フィールドにいるエリーゼのもとに投げてやった。祝福を受けているとはいえ高齢の身、肩や腰が痛んだが、賭けの代金としては安いものだろう。


「……それは貴女だけでしょうな、『ドイツのジャンヌ』殿」


 自分たちで仕立て上げた偶像に、彼女の持つカリスマに、賭ける。なんと身勝手なことかと、笑いが込み上げてきた。


「だ、大司教さま……?」


 独り言が過ぎたか。きっと私が狂気に陥ったのだと思ったのであろう、司祭の1人が心配そうに声をかけてきた。


「ああ悪い、正気だとも」


「そ、それは僥倖です……して、大司教さま。やはり逃げましょう、これではいずれすり潰されるだけです! 我々が道を切り拓きます!」


「ああきみ、それはダメだ」


「何故!?」


「皇帝が逃げていない」


 皇帝専用席の周辺では、魔物の群れに囲まれながらも近衛兵や護衛の騎士たちが抵抗を続けていた。もちろんその中心にいるのは、皇帝その人だ。


 まあ、逃げられまい。大会責任者は他でもない皇帝その人なのだから、真っ先に逃げては後で何を言われるかわかったものではない。後があればの話だが。ともあれ。


「神聖ローマ皇帝がだぞ? ――教皇猊下に戴冠して頂いて初めて権威を手に入れたような男が、まだ逃げていないのだ! ドイツ王風情が! ここで教皇猊下の門下にある我々が逃げてみたまえ、教会権威は地に落ちるだろうね?」


 故に私も逃げられないのだ。因果なことである。恨むとすれば教会に身をおいた自分を恨むしかない。


「し、しかし……」


「命が惜しいかね? だがはっきり言おう、教会のためにここで死にたまえ。過ぎるほどに現世利益は貪っただろう、それを命を以て返す時が来たのだと思え。……そうだな、加えて言うなら」


 旗を拾い上げたエリーゼが何やら叫び、そこに少数ながらも騎士たちが集まってゆくのが見えた。


「祈りたまえよ、それが本分だろう?」



 教会前の道は、死屍累々といった有様であった。そのほとんどは魔物の死体であるが、無辜の市民のものも混じっている。私は瞑目し、小さく十字を切った。


 一息ついて、1人の冒険者が声をかけてきた。教会の施療室で療養していた者だ。


「フィリップさんよ、無事かい?」


「ええ、なんとか。皆さんは?」


「ちょっと傷が開いただけだ」


 幾人かの冒険者がゲラゲラと笑った。


 ……迷宮から、魔物の大群が湧き出してきた。その殆どは闘技場の方へと向かったようだが、少なくない数の魔物が帝都中に散ったのであろう、私の勤める――正確には勤めていた――教会の前にもやってきた。


 後任の助祭がやってきて引き継ぎが終わり、さてに11時半の鐘を鳴らすのを最後の仕事にしようか、と思った瞬間にこれだ。


 その後任は魔物の群れを見るや、地下室へと引っ込んでしまった。お陰で、逃げ惑う市民を教会へと収容しつつ魔物を撃退する役目を、私が負うことになってしまった。施療室にいた冒険者たちが手伝ってくれたので、なんとか果たすことは出来たが。


「……」


 そんな冒険者の1人を見やる。僧服とみまごうようなローブを纏った、白髪の男だ。その背に声をかける。


「行かないのですか? ここはもう私たちだけで大丈夫でしょう」


「……行ってなんになる」


「鐘楼から見た限り、とてつもない数の魔物が闘技場へと向かっていましたよ」


「奴らの実力なら上手く逃げおおせられるじゃろうて。そもそも参加者も観客もとてつもない数じゃろ、奴らを見つけ出すことなぞ……」


「それでも助けに行くのが親でしょう」


「…………」


「ここで行かないのは、逃げるも同義でしょう。また逃げるのですか?」


「ふん、教会組織から逃げようとした者に言われると堪えるのう」


 男は盛大にため息をついてから、とことこと闘技場へと歩きだした。私は小走りで彼に追いつき、その手に小盾を握らせた。ヴォルフから返された小盾――先程いくつか傷がついたが、まだ新品の輝きを保っているそれを。


「ついでです、届けてやってください」


「……卑怯者め」


 そう言いながらも、男は小盾を受け取って歩き出した。そして少しずつその歩速が早まり、やがて祝福――あるいは呪い――を受けた者特有の、猛烈な速度の疾駆へと変わった。

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