第12話 舌戦
俺たちは無事に迷宮を出て、冒険者ギルド本部へと帰ってきた。戦闘時間はほんの数十分ほどであったが、移動時間が長かったせいか、陽が傾いていた。既に帰還報告や戦利品売買を済ませたのであろう冒険者たちが、次々と本部から出てくる。
戦利品が文字通り山のようにある俺たちは、出入りの邪魔にならないように、しばし人の波がおさまるのを待っていた……その時、本部から出てきた一団に声をかけられた。
「おや……おやぁ? そちらにおわすは、エリーゼではありませんか?」
金髪を几帳面に切りそろえた、プレートアーマー姿の男がそう言った。その背後には筋骨隆々の男が一人、それから揃いの鎧を着込んだ二人の男が立っていた。
ヘラに小声で話しかける。
「貴族かな」
「たぶん」
するとレオ爺さんに背中を小突かれた。
「そう察したのなら背筋を伸ばして黙っておれ、エリーゼ様がナメられるじゃろ」
面倒くさいな、と思いつつも背筋を伸ばしてみる……だが、いつまで待ってもエリーゼは男に返答しない。男は訝しみ、揃いの鎧を着込んだ男たち――従士だろうか――に尋ねた。
「おい、エリーゼだよな?」
「そうかと思われます、鎧に刻まれた紋章はローゼンハイム本家のものですし、ご容貌もエリーゼ様で間違いないかと……」
「……エリーゼ、無視とは良い度胸じゃないか。それともまさかこの僕、イザーク・フォン・ローゼンハイム=キルプ男爵を忘れたわけでは……」
遮るように、エリーゼが冷たい声をあげた。
「男爵、あなたの無礼を聞かなかったことにして差し上げた、私の配慮を無下にするのですか? 私はプラッハ城伯にしてローゼンハイム伯爵領を継ぐ者、エリーゼ・フォン・ローゼンハイムです。男爵ごときが私を呼び捨てにすることは許しません」
「む……」
プラッハ城伯なんて称号、持ってたんだな。でも最初に会ったときは名乗ってなかったよな……と思っていると、男は舌打ちし、顔を屈辱で歪めながら、渋々といったていで頭を下げた。
「これは失礼しました、城伯閣下……昔のよしみで、つい……」
しかし従士たちが男に駆け寄り、「まずいですよ」と肩を掴んで頭を上げさせた。
「イザーク様、我々はエリーゼ様がプラッハ城伯職を継承することすら認めていないでしょう。そうでないと、そもそも係争が成り立たないので……」
「なんだと!? 先に言え馬鹿者が!! ……エリーゼ、貴様ァ、プラッハ城伯を
「はて、いま一瞬、私をプラッハ城伯とお認め頂いたと思うのですが。殿方が言葉を翻すのですか?」
「誰にでも言い間違いというものはある!」
「言葉に重みの無いお方ですね。国元に帰って修辞のお勉強をされては如何でしょう」
「貴様ァ……この僕を田舎貴族と愚弄するか……!」
「そこまでは申していませんが、自覚をお持ちなのは好ましいことですね?」
……すっげぇ、何言ってるか全然わからねぇ。
「……すっげぇ、何言ってるか全然わからねぇ。ヘラ、わかるか?」
「わかんない」
「お前らはマジで黙っておれ」
レオ爺さんに頭を叩かれたので黙っておく。……イザークとエリーゼはその後もわけのわからない言葉の応酬をしていたが、傍目に見ていてもイザークが劣勢なのは明らかだった。やがて彼は、急に話題を変えた。
「フン! そのようなみすぼらしい護衛を連れている女に、伯爵の格があるとは思えないねッ! 見よ、僕が雇ったこの男を!」
イザークは背後に控えさせていた大男を指さした。
「帝都フィラハ最強の冒険者、スヴェンだ! この男は凄いぞ、一人で地下5階の魔物をなぎ倒せるんだからな。お陰で大量の祝福を得ることが出来たよ……それに比べてエリーゼ、お前の護衛が持っているそれはサラマンダーの皮か? 地下2階の魔物だな? 大丈夫かね、そんな調子で
イザークの背後で、従士たちが憎々しげにスヴェンを睨んでいた。……あー、これか。従士をさしおいて護衛を雇うと揉めるってのは。たぶんスヴェンが強すぎて喧嘩には至っていないんだろうけどな。
エリーゼが拳を握りしめたのが見えた。
「……なるほど大した観察眼ですね。ですが周囲に気を配ることも覚えたほうが宜しいのではなくて?」
「なに?」
「そこは冒険者ギルドの入り口です。……そうですね、ギルド長?」
イザークが訝しみながら振り向くと、そこには青筋を立てた身なりの良い男――冒険者ギルド長が立っていた。その背後には、ギルドから出たいのであろう冒険者の群れが、殺気立ちながらごった返していた。イザークたちに通せんぼされていたが、貴族だと察して何も言えなかったんだろうな。
ギルド長は笑顔でイザークに歩み寄り、肩に手を置いた。
「出入り口を塞ぐのはやめて貰えるかな、ローゼンハイム=キルプ男爵。私は冒険者ギルド長、ルッツ伯爵だ。はじめましてになるね……君が今まで挨拶に来なかったから」
イザークの従士が耳打ちする。
「ルッツ伯爵は無領地ですが皇帝陛下の直臣です。……私は挨拶回りをすべきだと忠言しましたからな」
「……あー。ルッツ伯爵殿、出入り口を塞いでしまったことは大変申し訳なく思います。しかしですね、私は一人の男として、不遜な女をたしなめていたのです。これは男性貴族として当然の……」
「口を回す前に脚を動かせ馬鹿者がッ! そこを! 退け!」
イザークたちがサッと脇に避けた。冒険者たちがイザークに悪態をつきながら出ていく。エリーゼとイザークは、出ていく冒険者の列を挟みながら睨み合う。
やがて列が途切れ、イザークが何か言おうとしたが、それをギルド長が遮った。
「さてエリーゼ嬢、戦利品を清算したいのですな? 中へどうぞ」
「ご高配、痛み入ります。さ、皆さん、行きましょうか」
エリーゼが促すので、俺たちはギルド本部の中へと入った。背後から、イザークの怒声が聞こえてきた。
「武術大会で相まみえるのが楽しみだよエリーゼ! 君を完膚なきまでに叩きのめして、誰がローゼンハイム伯爵を継ぐのに相応しいか、皇帝陛下にお見せする日がねェ! もっとも、僕と当たる前に」
ギルド長が扉を締め、イザークの言葉を遮った。
「……品のない男ですな」
「分家とはいえ、我が家の恥です。大変申し訳なく」
ギルド長は返答せず奥の方へと消えていった。エリーゼは頭を下げて見送る。
「……なぁレオ爺さん、結局どういう話だったんだよ?」
「どこから説明すれば良いんじゃ」
「全部。なるべくわかりやすく」
「端的に言えば、学と品の無い田舎小領主が、本家の大貴族に格の違いを見せつけられたんじゃな」
「ウケる」
「ちなみに、仮におぬしが武術大会で優勝するなりして貴族になったとして、イザーク以下の格じゃからな」
「……」
「学と品を身に着けい。さてヘラ、戦利品の清算に行くぞい」
「はーい」
ギルド本部の広間に、俺とエリーゼが取り残された。
「……なあ、俺って貴族になってもイザーク以下なのか? 俺の血筋が卑しいのはわかるがよ、学と品ってそんなに大事か?」
「えっ」
エリーゼは少し悩んだ後、右手を左肘に当て、ほんの少し肩をすくめながら、困り顔で目を伏せた。
「……立派な殿方が、淑女を困らせないでください」
うん????
……くっそ、なんであの質問にこの答えなのか、意味わかんねえ。意味わかんねえけど、なんかすっげえ上品な気はする!
「おわかり頂けましたか、これが品です……いや私も苦手なのですけれどね……」
そう言うエリーゼは、心なしかげっそりしていた。
「なんとなく、生きてる世界が違うんだなぁってことはわかったよ。あんなの、ヘラは絶対言わねえもん」
「そういうところですよヴォルフさん」
「何が?」
「……ともあれ、生きている世界が違う、というところが重要です。……そうですね、例えばスラム街で、私のような喋り方をする子供がいるとしましょう。その子は周囲に溶け込めるでしょうか?」
「無理だな、気味悪がられるかバカにされて、
「そういうことです。逆に、上流階級の中でスラム街の言動をすれば、浮くのはわかりますよね。品のある言動とは、上流階級でコミュニケーションを取るための合鍵、格下に見られないための最低条件のようなものです」
なるほどな、俺が貴族の輪に飛び込んでも格下・除け者扱いされる理由はわかった。……だが、品と言われてもなぁ。
「品ってどうすりゃ身につくんだ?」
「私だって身についてはいませんが、知識としては習いました。母上や侍女に」
「身内に貴族もいなけりゃ従士も侍女もいねぇな……」
「あとは家庭教師……あるいは地方貴族向けに、礼儀作法を記した本もありますね」
「字が読めねえ」
「……学の必要性が理解出来ましたね?」
「クソッ……」
「まあ、そこまで回りくどいことをしなくとも、レオさんに教えて頂いたら良いのでは? あの御方、おそらく大貴族の家庭教師としても通用するレベルですよ」
「あの爺さんがスゲェ人だってのはわかるがよ、そこまでか? ともあれだよ、一番重要なのは、あの爺さんに品がなんだと言われたくねえってことだよ」
ヒゲを嫌味ったらしくしごく仕草を真似してみせると、エリーゼは噴き出した。彼女は茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべてから、目を伏せた。
「立派な殿方が、淑女を困らせないでください」
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