第25話 レオ

「爺さん! ……野郎ッ!」


 俺は隻腕のオーグルに向かって突進した。奴と目が合う。顔面に酷い火傷を負っていた。


 オーグルは形勢不利と見たのか、斧で木々をなぎ倒しながら逃げ出した。倒れてくる木々が邪魔で、追撃の足が遅れる。体格の差もあり、もう追いつけないだろう。


「クソがッ!」


 地団駄をひとつ踏み頭を冷やし、レオ爺さんのところに駆けつける。既にヘラとエリーゼが傷の確認をしていた。


「状態は?」


「肋骨何本かやられてる……! 血ィ吐いてるからモツも傷ついてるっぽい」


 レオ爺さんは木に寄りかかり、荒い呼吸をしながら、時折少量の血を吐き出していた。


「担いで帰るしかねえか」


 レオ爺さんを肩に担ごうとしたが、エリーゼに制止された。


「肋骨が折れているなら担ぐのは危険です、担架を作りましょう。待っていてください」


 エリーゼはそう言うと、オーグルがなぎ倒した木の一本に幾度か長剣を振り下ろし、板を切り出した。取っ手も何も無いが、担架としては機能するだろう。


「こちらに」


「なるほどな。よしヘラ、やるぞ」


「うん」


 ヘラと息を合わせ、レオ爺さんの身体を即席担架に移した。レオ爺さんが呻く。


「痛いわアホめ……丁寧に扱え……じゃが姫様が設えてくださったベッドというのは悪くない……」


「軽口は叩けるみてぇで安心したよ」


 そのまま俺とヘラで即席担架を持ち上げようとしたが、再びエリーゼに制止された。


「ヴォルフさんは前衛斥候として先行してください。私とヘラさんで運びます」


「おいおい、お貴族様に運ばせるわけには――」


 兜のヴァイザーを上げたエリーゼの顔は、今にも泣き出しそうになっていた。俺は一瞬困惑しつつも、レオ爺さんを護送する間も魔物が襲ってくる可能性があると気づく。エリーゼが正しい。前衛斥候の最適任は俺だ。


「わかった」


 ヘラとエリーゼが即席担架を持ち上げたのを確認し、俺は先行して駆け出した。レオ爺さんは時折咳込みながら、独り言のようなことを言い始めた。


「盾の凱旋……いや、美女2人に運ばれるんじゃ……ワルキューレのお迎えか……ゴボッ」


「何をわけのわからんこと言ってんだ。っていうか寝てろ」


「寝たら血が喉に詰まって、本当に死ぬわい……寝かせるな……むしろおぬしらから話しかけよ……」


「そうかよ……そうだ、エロ水役に立ったぜ。エロ水プレイのこと教わってなけりゃ、思いつきもしなかったが」


「誉れのない戦い方じゃ……おぬしのような奴が居たせいで……騎士は馬上槍ランスを捨てるハメになったのじゃ……ゴホッ」


「笑えるぜ。にしてもあんたもすげぇな、あと一歩のところまでオーグルを追い詰めてたじゃねーか」


「魔法を撃ちすぎたわ……多少なり魔素を消費するゆえ……もう3発減らしていれば、耐えられたわい……」


「そうかよ」


 地下4階を駆け抜け、地下3階『修道者の小径こみち』へと入った。ヘラもレオ爺さんに話しかける。


「施療院直行でいいよね?」


「ダメじゃ、ドイツ人のクソヤブ医者に診られたら本当に死ぬわい……わしはアラブ人の医者しか信用しておらん……」


「じゃあどうすんのさ」


「教会で良い……ゴボッ……気胸はおきておらんな、これは……いずれにせよ、寝て治すしかあるまいよ……」


「わかったよ。……っていうかアラブ人の医者に診てもらったことあるの?」


「戦友がな……あれはコンスタンティノープルでの出来事じゃったな……」


「どこそれ」


 エリーゼが「レオさん、貴方は……」と何か言いかけたが、それきり黙り込んでしまった。


 俺たちは地下3階、2階、1階と、足早に駆け抜けた。途中魔物と遭遇したが、この階層の魔物は既に俺の敵ではなかった。襲撃される前に仕掛け、一方的に殺せた。エリーゼの判断は正しかった。


 迷宮の門番が引き留めようとしてくるのを、エリーゼがひと睨みで黙らせ、俺たちは地上に出た。レオ爺さんの要望通り教会へと駆け込むと、即座にフィリップ助祭が診断を始めた。彼は大学で医学をかじったらしく、いつも貧しい病人が世話になっている。


「肋骨が折れて胸が潰れかけてますが……吐く血の量は?」


「だんだん減っておる……」


「では念のため止血薬と、胸の通りを良くする薬を……あとは解熱薬か」


 俺は財布を取り出し、フィリップ助祭に渡した。


「必要なら使ってくれ」


「ありがとうございます」


 フィリップ助祭は紙になにやら書き留めると、教会の手伝いに来ていた娼婦に紙とカネを渡し、買い出しに行かせた。


 レオ爺さんは施療用のベッドに移され、胸に包帯を巻かれて寝かされた。


「あとは喀血かっけつが収まるまで待つだけです」


「……助かるんだよな? 他に何か出来ることはあるか?」


「祈ってください」


「おい」


「体力次第、ということです」


「そうかよ」


 舌打ちひとつ、レオ爺さんを見る。顔色は悪いが、喀血の頻度と量は減っていた。


「……今夜は熱が出るじゃろうな……そこが峠か」


 レオ爺さんはそうつぶやくと、俺とヘラを交互に見た。


「おぬしらに伝えておきたいことがある」


「……なんだよ」


「わしの真の名と、ヘラの出自を」


「なに……?」


 レオ爺さんの本当の名前は気になるが、ヘラの出自とはどういうことか? 当のヘラも困惑していた。レオ爺さんは咳込みつつも、話し始めた。


「わしの真の名はレオンハルト・フォン・ルクセンブルクという」


 エリーゼが「えっ」と声を上げた。「フォン」とつくということは貴族ということだ。……レオ爺さんの知識量は確かに平民ではあり得なかったから、実は貴族でした、と言われても然程驚かない……だというのに、エリーゼはひどく困惑しているようだった。


「姫様?」


「……今のは先代皇帝家の、外戚の名です」


「は?」


 レオ爺さんは特に誇ったような様子もなく、話を続ける。


「そしてヘラ、おぬしの母マリアには悪いことをした」


「待って待って、なんであたしのお母さんの名前が出てくるのさ」


「……マリアはわしのめかけじゃった。美しい女じゃったよ」


 俺とヘラとエリーゼが絶句する中、フィリップ助祭だけが俯き、僧服の裾を握りしめていた。


逢瀬おうせは一度だけじゃったが……彼女は身籠った。そして産まれた子が、ヘラ、おぬしということになる」


 ヘラの顔面は蒼白で、手は震えていた――やがて彼女は怒りの形相に代わった。


「ふっざけんな!!」


 ヘラはほとんど絶叫していた。


「なんでお母さんとあたしを見捨てた!! お母さんがどんな思いで生きて! 苦しんで! 死んでいったと思ってるんだ!!」


 彼女は拳を握りしめてレオ爺さんに殴りかかろうとした。俺は彼女を羽交い締めにしようとしたが。


「うわっ、やっぱこいつ力強いな!? 姫様!」


「は、はい。ヘラさん、落ち着いて……!」


 俺とエリーゼの二人がかりでヘラを抑え込んだが、彼女は落ち着く様子がない。


「娼婦に身をやつしてまであたしを育てて! 病気になって! 死んだんだぞ! なんで銅貨の一枚も送って寄越さなかったんだ! お前だけは、お前だけは許さない! 殺してやる……殺してやる! いや、そのまま死ね! お前の死体は燃やしてから野良犬に喰わせてやる!」


「ヘラ、落ち着け……!」


 ますます暴れだすヘラを、俺とエリーゼは礼拝堂まで運び出した。施療室の扉が閉まる直前、レオ爺さんは小さく「すまん」と言った。

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