33

 

 ◇

 

 意識を失って倒れたかなめを抱きとめたのは楽美だった。楽美はひょいとかなめを抱きかかえる。そうして茫然と座り込んだままの万妃を見て、ニヤリと口元を歪めた。

 万妃はすぐにハッとして立ちあがろうとしたものの、満身創痍の身体にはうまく力が入らない。そんな万妃を楽しそうに見つめて、楽美は夜の街へと消えていった。


「っ——ちっ、くそ」


 固く握り締められた拳が勢いよく地面へと振り下ろされる。無意味な痛みが万妃の右手に走った。今ここで怒ったところで仕方がないことはよく理解している。それでも怒りは収まらない。それは楽美を取り逃したことか、かなめを守れなかったことか、それとも。

 わなわなと震える拳をもう一度地面にぶつけて、万妃は大きく息を吐いた。

 これ以上ここで立ち止まっているわけにはいかない。

 ゆっくりと顔を上げて、万妃は後ろを振り返った。


「おい、見てたんだろ」


 万妃の呼びかけに、一人の少女が姿を現す。ボロボロのセーラー服に身を包んだ可憐は、自身以上に傷ついた状態の万妃から目を逸らした。楽美を止められなかった罪悪感からか。かなめの正体と本心を知ったことによる動揺からか。可憐はただ万妃と目を合わせることはなく、暗い表情で地面を見つめていた。

 そんな可憐を、万妃は真っ直ぐに見つめる。


「アンタはこれからどうするんだ」


 万妃の問いかけに、可憐はぐっと両手を握りしめる。万妃から目を逸らしたままで。俯いたままで。


「……不老不死なんて、ごめんでーす」


 だろうなと頷こうとして、可憐がまだ何かを言うつもりでいることに気がついた万妃は口を閉じた。俯いたままの可憐は、握り締めた両手を小さく振るわせながら口を開く。


「それに、九季せんぱいを巻き込むのも、殺すのも嫌でーす。だから」


 だから、と可憐が顔を上げる。元の自然な焦茶色に戻った瞳が、真っ直ぐに万妃に向けられた。


「かなめを助ける、か」


 万妃の言葉に、可憐はこくりと頷く。その態度に、万妃の口元がわずかに緩んだ。


「ああ、アタシもそのつもりだ。意見は一致してるな。でも可憐」


 緩んだ口元が再び引き締められる。射抜くような視線が、可憐に向けられた。


「かなめを助けた、その後はどうするんだ」


 ぴくりと、可憐の肩が震えた。万妃は可憐から目を逸らさない。


「アタシを殺すのか? それとも、また殺されるためにアタシと戦うのか?」


 可憐の瞳が小さく揺れ動いた。


「まだ他にもグールになったやつがいるんだろ。そいつらを助けるために、自分が死ぬためにアタシを殺すか。それとも」


 その先の言葉を言わずに、万妃は可憐を黙って見つめる。可憐は何も言わずに、万妃から目を逸らした。無言の時間。けれどそれは長くは続かなかった。


「っ、血分せんぱいも、わたしは殺しませーん」


 ぎゅっと、可憐はスカートを握り締めた。


「他の人たちは、グールになってしまった人たちは、殺さなきゃ助けられませーん。わたしも、死ななきゃ救われない。だけどそのために、血分せんぱいを殺すのは、違うって、わかってます」


 可憐の視線は地面に向けられている。どこか泣きそうな表情を浮かべて、血まみれの歩道を見つめている。


「たしかに血分せんぱいを殺すのが、一番手っ取り早い方法だとは思いまーす。けど、それは、正しくはないって。間違ってはいないだろうけど、正しくはないって、思いまーす」

「……なら、どうするんだ」


 ゆっくりと、可憐が顔を上げた。真剣な瞳が万妃に向けられる。視線が合った瞬間、万妃は小さくため息をこぼした。可憐の決意は固いと、そう、理解してしまったから。


「責任を、取ります。グールになってしまった人たちは、わたしがちゃんと殺しまーす。グールになってしまった人たちだけじゃない。あの人も、あいつも……わたしが、殺します」

「その、後は?」


 訊ねる万妃の声が、わずかに震えた。

 万妃の問いかけに、可憐は小さく笑みを浮かべる。悲しげな笑みに、万妃は思わず顔を逸らしそうになってしまう。けれど、それは許されないと思い直して、万妃は可憐を見つめ続けた。


「ちゃんと、自分で終わらせます」

「……死ぬことが罪を償う方法だと、本気で思ってるのか?」


 万妃の視線は鋭い。可憐の言葉を取りこぼさないように気をつけているような、可憐の逃げを許さないような瞳。その瞳を、可憐は真正面から受け止めていた。


「本当はただ死んで逃げたいだけだって、自分が楽になりたいだけだって、わかってまーす」


 悲しげな瞳をしながらも、可憐は万妃から視線を逸らさない。


「それでも、わたしはそれしかできない。生きて償うなんて、わたしには、とてもじゃないけどできませーん」


 首を振る可憐から、万妃は顔を逸らした。


「大丈夫です、血分せんぱい。ちゃんと全部やり切りまーす。ちゃんとあいつも、殺しますからー」


 可憐の言葉に、万妃は再び顔を上げる。可憐は少しの間黙り込んだ後、へにゃりと力なく笑った。


「あの人のことは憎いけど、だからこそ、わたしが殺してあげなきゃいけませんからー」


 その笑顔に、ぐらりと万妃の心が揺らいだ。

 目の前の少女はまだ中学二年生。罪を背負うには幼すぎる。そもそもその罪は可憐の意思で発生したものではない。なのに彼女はそれを背負おうとして、潰れて、生きることさえ諦めてしまっている。それでも死ぬ前に少しでも罪の償いをしようと、自分の手で全てを終わらせようと。

 そんなのは、ないだろう。

 ぎり、と万妃は知らず知らずのうちに歯を噛み締めていた。


「なあ、本当に生きるつもりはないのか。かなめの血はともかく、アタシの肉を喰べる気は」


 ないのかと問いかけた万妃に、可憐は力強く首を横に振った。


「化け物のまま生きるのは、わたしには辛すぎますからー」

「そう、か」


 なら、彼女にできることはない。それが悔しくて、けれども仕方ないことではあると、万妃は喉まで出かかっていた説得の言葉を飲み込んだ。


「……血分せんぱいは、九季せんぱいを殺さないんですねー」


 可憐の言葉に、ああ、と万妃は頷く。かなめを殺すつもりは、万妃にはなかった。そもそも積極的に誰かを殺すつもりは、万妃には最初からない。生きて償わせる。それが、万妃の基本方針だから。


「かなめには責任を取らせないとな。たとえそれがかなめにとってどれほど酷なことであったとしても、どれほど辛いことなんだとしても、それでも責任は取らせる。生きて償わせる。誰に何を言われても、アタシはやり方を変えるつもりはない」

「ふぅん。わたしのことは諦めたのに、九季せんぱいのことは諦めないんですねー」


 悪戯っ子のような笑みを浮かべて、可憐は万妃の顔を覗き込む。それに、万妃は申し訳なさそうに顔を逸らした。そんな万妃を見て、可憐はくすりと笑みをこぼす。


「別に責めてませんよー。ただ、なんでかなーって」

「それ、は」


 たしかに、公平ではない。正しくもないだろう。それでも可憐のことを考えれば、可憐をこれ以上無理に生かし続けることはできない。それに可憐は自分の意思で、自分のやり方で罪の償いをしようとしている。意思は固く、変えられそうにない。たとえ間違っていると思っても、それを止めることは万妃にはできなかった。

 けれどかなめは違う。彼女もたしかに死ぬことで罪の償いをしようとしていたのかもしれない。けれどかなめには可憐ほどの意志の強さはないというのが、万妃の考えだった。心の底から死を望んでいるわけではないと、万妃は確信している。それでもかなめのことを考えれば、無理矢理生かして罪の償いをさせるなんて酷い話に違いない。けれどかなめはきっと、死にたくはないはずだと、まだ納得できる自身の罪の償い方を見つけていないのではないかと、そう思って。

 でも万妃の本心は、きっとそうではなくて。


「別に。かなめは死にたくないだろうから。それだけだよ」


 そう、万妃は本心を誤魔化した。


「本当ですかー? って、いたっ」


 にやにやと笑みを浮かべる後輩の頭をぽかりと殴って、万妃はそっぽを向く。


「ともかく、だ。グールの処理、手伝ってやるよ」


 ちら、と。アメジストの瞳が可憐に向けられた。可憐は意外そうに目を見開いて、でも、と口を開きかける。それを、万妃は首を振って黙らせた。


「アンタ一人にやらせるわけにはいかない。一人で全部できるとも、思ってないだろ」


 万妃の言葉に、可憐は気まずそうに顔を逸らす。万妃の言う通り、一人でグールたちを殺し切る自信は可憐にはなかった。


「なら決まりだな。グールたちの処理が終わったら、アイツのところに案内してくれ。いいな」


 可憐と万妃の視線が交わる。可憐は真剣な瞳で、はい、と力強く頷いた。

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