17

「寝不足?」


 給食後。昼休みの開始と共に秋菜が私の前の席へと座る。昨日のことがあったから、しばらくは口を聞いてもらえないかもしれないと思っていた。だからこうして心配してくれて、話しかけてくれてすごく安心している。


「うん、ちょっとね」


 そっか、と秋菜は呟いて、そうしてじっと私を見つめる。


「あの、あのね、かなめ。昨日は、ごめん」


 謝罪の言葉を口にして、秋菜は机にくっつきそうなくらい頭を下げた。


「何のこと、秋菜。私、別に何も気にしてないよ」


 秋菜はゆっくりと視線を私に向ける。ね、と笑みを向けると、秋菜は安堵のため息を吐いて顔を上げてくれた。


「ん。ありがと、かなめ。で、昨日の話の続きなんだけどね」


 どうやら秋菜はまだ諦めていないらしい。まあ、実際に何かが起こらない限り、秋菜は事件に首を突っ込むのをやめないだろう。それはわかりきっていたことだ。それだけ、秋菜はこの事件を、五年前の事件を解決したいと思っている。それだけ、秋菜はあの事件に囚われているということだ。それをどうにかすることは、私にはできない。いや、本当は何も方法がないわけではない。それでもそれを選ばないのは、ただ私が弱いだけだ。

 秋菜は私に顔を近づけて、内緒話の体勢をとった。その視線は私を通り過ぎて、後ろの方へと向けられている。何かを睨みつけるような目をしたまま、秋菜は周囲には聞こえないような声で話し始めた。


「今回の事件の犯人、血分さんなんだって」


 どくりと心臓が脈打つ。どうして秋菜が、そんなことを言うのか。


「なんで、そう思うの?」


 動揺していることを悟られないように気をつけながら言葉を紡ぐ。秋菜は特に何かに気がついた様子もなく、すんなりと理由を教えてくれた。


「昨日、伴場先生に教えてもらったの」

「——え?」

「あ、もちろん証拠は見せてもらったよ。だから、嘘じゃないと思う」


 どうして伴場先生がそんなことを。なんで万妃が事件に関わりがあると知っているのか。いや、それよりも証拠って。

 すう、と秋菜は小さく息を吸った。真剣な瞳が私に向けられる。


「私、見たんだ。血分さんの血を摂取した動物が、化け物になるのを」


 それは、つまり。


「伴場先生が、ば、血分さんの血を動物に与えたってこと?」

「うん、そう。証拠を見せるから、って、伴場先生が血分さんの血が入った注射をネズミに打ったの。そしたらさ、そのネズミ、化け物みたいな姿になっちゃったんだ。肌が真っ白になって、ぶつぶつした感じになって。目は真っ黒で、顎が外れそうなくらい口を開けて。これと同じことが人間にも起きてるんだ、って。血分さんは自分の血を使ってそんな化け物を作ってるんだ、って。そう、伴場先生が」


 私の疑問に、秋菜はあっさりと答えを教えてくれた。

 それじゃあつまり、万妃の血を持っているのは、万妃の血を奪ったのは伴場先生だというのか。なら、今回の事件の犯人は。


「伴場先生、親切でさ。私が犯人を捕まえたいって、復讐したいって言ったら切り札をくれたんだ」

「切り札?」


 すっと秋菜が私から離れる。


「うん。でもまだ内緒。その時が来たら、かなめにも見せてあげる」


 だって、と秋菜は笑顔で口を開いた。


「かなめだって犯人が、血分さんが許せないでしょ? みんなを殺して、のうのうと生きて。それで今だって、たくさんの人を化け物にして。そんなの、そんなの許せるわけがないよね。だから、私が捕まえて倒す」


 ぎり、と空気が引き絞られるような感覚。秋菜は鋭い視線を私の後ろに、教室の後ろに向けている。視線の先には、きっと万妃が。


「伴場先生に証拠は見せてもらったけど、やっぱりちゃんと決定的瞬間は押さえなきゃいけない。だからもう少し探って、探って、それから。みんなのためにも、化け物は殺さなくちゃ」

「秋菜」

「大丈夫だって」


 にっ、と秋菜は笑みを浮かべる。いつもの快活な笑顔。いつもなら元気をもらえる、明るい笑顔。だけど今は。


「漫画じゃないけどさ。でも、正義は必ず勝つんだから。正しい私が、悪い奴に負ける理由なんてない」


 秋菜は楽しげに笑っている。

 それは違うって、言わなきゃいけない。秋菜のやろうとしていることは本当に正義なのか。正しいなら間違っている人を、悪い人を殺してもいいのか。いや、それ以前に万妃は犯人じゃない。万妃の血を持っていた伴場先生こそが、今回の事件の本当の犯人なんじゃないのか。だってどう考えても伴場先生の方が怪しい。でも秋菜の復讐心は万妃に向いていて、でも、どうして——どうして秋菜は、笑っているんだろうか。

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